変わり始めたこと 2
「へえ。なかなかいいね。落ち着くよ」
ティモシーの言葉に、サマンサは胸を弾ませる。
16歳になり、自分で決められることが増えていた。
ロズウェルドでは、14歳から大人とされてはいるが、何事も親の承諾がいる。
もちろん、その枷が外れたからといって、サマンサは両親を無視したりしない。
今回のことも、ちゃんと承諾を得ていた。
「気に入ってもらえて良かったわ」
自分と2人になれる時間が少ないと言うティモシーに応えるため、彼女は別邸に移り住むことにしたのだ。
別邸は、ほとんど使っていなかったため、かなりの修繕をしている。
そのため、内装を取り換えるのには、時間がかかった。
当然、金もかかっている。
(みんなに甘えてしまったけれど、その甲斐があったわね)
本邸より狭いものの、別邸にも、それなりの広さと部屋数があった。
小ホールと客室が2つずつ、サマンサの私室に寝室、書斎、浴室にドレスルームとクローゼット。
お客様用の部屋もある。
仮に、ティモシーが泊まると言えば、専用の部屋が必要だ
お客様用としつつも、ほとんどティモシーのための部屋と言ってもいい。
ほかに、サマンサを訪ねてくる人などいないのだから。
「この小ホールは、とくに居心地が良さそうだ」
「魔術道具で音楽もかけられるのよ? 書斎も近いし」
「のんびりできそうだね」
サマンサは頭の中で勝手に「2人でのんびりできる」というふうに、ティモシーの言葉を置き換えていた。
そもそも「2人の時間がほしい」と言ってきたのは、ティモシーなのだ。
彼女が、2人で過ごすための部屋だと思ってもしかたがない。
ティモシー1人がくつろげればいいと考えるほうが、不自然だった。
ティモシーは、部屋の中央に置かれたソファへと腰かける。
あれこれと悩み、座り心地まで確認して選んだ品だ。
やはり、それなりに値が張る。
早々に、ティモシーが、足を伸ばして横になっていた。
隣に座りたくても、その空間がない。
少し落胆しながら、サマンサは向かいのソファに座る。
今後、彼と一緒に過ごすことも増えるのだ。
隣に座るのは、今日でなくともかまわなかった。
「ティミー、なにか食べたいものはある? 用意するわ」
「……いや、お茶だけでいいよ。きみは?」
ティモシーに問われ、どう答えようかと戸惑う。
本当は、なにかお腹に入れたほうがいい。
サマンサは食べずにいると、眩暈がしたり、最悪、倒れてしまったりするのだ。
せっかくティモシーが来ているのに、倒れてしまっては意味がなくなる。
とはいえ、自分だけお茶菓子を食べるのも気が引けた。
夜会なら倒れないために無理をしてでも食べるのだが、ここは私邸内だ。
万が一、倒れても家族が来てくれる。
人目があるわけでもないし、なんとかなるだろう。
「いいえ、私もお茶だけにするわ」
「そう……」
ティモシーが、サマンサから視線を外した。
気を遣っているのかもしれないと、彼女は好意的に受け止める。
8年間、ティモシーから体型について指摘されたことはない。
夜会でケーキを食べても、咎められはしなかった。
(彼は気にしていないものね。私に我慢させていると、心配しているのかしら?)
彼は優しい人だ。
周囲の好奇と嘲笑に晒されるとわかっているのに、時々、夜会に誘ってくれる。
家に閉じこもってばかりの自分を連れ出すのは、家族とティモシーだけだった。
社交界デビューでのエスコート役をかって出てくれて、どれほど嬉しかったか、今も覚えている。
ティモシーを、がっかりさせたくない。
その気持ちだけで、サマンサは、自らに無理を強いてきた。
絶食や過度な運動、街で売られている薬を使ったこともある。
ほっそりとした姿に変わり、ティモシーを驚かせたかったのだ。
だが、どれも上手くはいかなかった。
サマンサは、そうした努力をしていると、ティモシーに話していない。
驚かせたかったというのもあるが、話して、彼を心配させたくなかった。
きっとティモシーは、サマンサに無理をさせてまで変わることはないと、言ってくれるはずだ。
(あとで無理をしたって叱られるかもしれないけれど、綺麗になれば、彼も喜んでくれるわよね。私も……堂々と、ティミーの隣に立ちたい……)
それだけが彼女の願いだった。
外聞の悪い思いをさせている自覚はある。
このまま、いつまでも彼の優しさに甘え、お荷物になりたくはない。
いずれ、ティモシーとは婚姻するのだ。
ラウズワースの名に恥じない、美しくて洗練された公爵夫人になりたかった。
とはいえ、ラウズワースの気質まで真似する気はない。
頭を押さえつけられることに、ティモシーがうんざりしていると知っている。
時折、彼がこぼす愚痴から察していた。
(お義母様は、私とのことを許してくださるかしら……この体型じゃ、とても受け入れてもらえると思えないもの。ティミーは気にしなくても、ラウズワースの女性たちは気にするに違いないわ……)
サマンサは、16歳になっている。
いつ求婚されてもおかしくない。
彼が、2人の時間を増やしたがったのも婚姻を意識してのことではなかろうか。
思った時、視界が、ぐらりと揺れた。
倒れるかもしれないと危惧したが、その気配はない。
咄嗟につむっていた目を開く。
すると、どうしたのか、さっきと光景が変わっていた。
(ええと……そう……ティミーは、あれから頻繁に顔を出してくれていて……)
さっきティモシーを迎え入れたと思ったのだが、勘違いだったのだろう。
うっかり思い出に浸っていたらしい。
なにやら記憶が曖昧になっている。
「僕は安定した暮らしを望んでいる。きみに苦労をかけるのも嫌だしね」
「それは、どういうこと? なにか困ったことでもあるの?」
さっきまで考えていた内容は覚えていた。
2人の婚姻を、彼の母親が反対するのではないかという不安だ。
ティモシーの口振りからは、そういう雰囲気が感じ取れた。
心臓が鼓動を速めているからなのか、やけに視界が揺れる。
「きみとの婚姻なのだけれど、1年だけ待ってくれないか?」
「公爵夫人が反対なさっているの?」
まだ婚姻前なので、ティモシーの前では気軽に「お義母様」とは呼べない。
彼に、図々しいと思われたくもなかったので、言葉には注意深くなっている。
自分でも不思議だった。
なぜ、そんなことを気にしているのかが、わからない。
とても遠くから自分を見ているような気分だ。
まるで、ティモシーの愛を疑っているみたいで、自分に不快感をいだく。
サマンサは、自分に言い聞かせた。
彼の言葉に、ほんの少し動揺しているだけだと。
「そうではないよ。ただ、僕が分家を継げるかどうかが……ちょっと怪しくてね。きみは平気だと言ってくれると思っている。でも、僕が、それでは納得できない。だから、軽々しく言えないのだよ。きみのご両親にも申し訳ないだろう?」
「そんな……ティミー……」
「僕が25歳になれば分家の後継となることが確定する。だから、サマンサ、1年だけ待ってほしい。なにも心配のない状態で、きみに告げたいから」
サマンサは「わかった」と返事をし、うなずいた。
と、思う。
また視界がぐらぐら揺れて、自分の声が、はっきりとは聞こえなかったのだ。
(いったい、どうしたのかしら……なにか変だわ……)
遠くから声が聞こえてくる。
男性が2人、なにか話しているようだ。
眩暈が酷くて、サマンサは目をつむったままでいる。
そのため、視界は真っ暗だった。
声だけが聞こえてくる。
『前に聞いた、きみの家がティンザーを取り込みたがっていて、そこに、きみが選ばれたってのも、理解はしている』
『僕は、サマンサとの間に、子をもうける気はない』
『あの、ぶにゃぶにゃした手で掴まれるかと考えただけで、ゾッとする』
『十年だからな。慣れれば、たいしたことではないさ』
ティモシーとマクシミリアンの会話だ。
ようやくサマンサは気づいた。
自分は夢を見ている。
幸せな未来を信じていた16歳の頃から、どん底に突き落とされるまでの、夢。
むしろ「幸せな未来」そのものが、夢に過ぎなかったのだ。
ティモシーは、サマンサを愛してはいなかった。
母親に、サマンサとの婚姻を、強引に選択させられただけだった。
彼は、彼女の体型を気にしていなかったのではない。
サマンサに対して、ただ無関心だったのだ。
そして、ティモシーが、とても不正直な男性だったと知った。
十年も夢を見させてくれたのだから、感謝すべきだろうか。
感謝して、夜会で跪いてきた彼を許し、その手を取るべきだっただろうか。
サマンサは、夢の中、心の中で、明確な答えを見つける。
いずれも「否」だ。
ティモシーに感謝などしない。




