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変わり始めたこと 1

 カウフマンは、いくつかの指示を魔術師に出していた。

 あとは、結果を待つだけだ。

 予想はついていたが、見とどける必要はある。

 孫の1人、手駒のひとつ。

 

 ハインリヒ・セシエヴィルは殺されるに違いない。

 

 だが、カウフマンが気にしているのは、孫の死ではなかった。

 彼には大勢の子や孫、そこに繋がる血縁が大勢いる。

 ハインリヒは、とりたてて特別ではない。

 カウフマンの思うように育ったという点には満足しているけれども。

 

「こーしゃくサマは来るかな?」

「どうだろうな」

 

 アドラントに出入りさせている配下から、公爵が屋敷を空けているらしき情報がもたらされていた。

 ただ、公爵は常に屋敷にいるわけでもないので、めずらしくはない。

 同時に入ってきた「ティンザーの娘もいない」との話のほうが重要だ。

 おそらく2人は、一緒に、どこかに出かけている。

 

「じぃちゃんの人脈を使っても、居場所がわかんねーってのが、スゲーよ」

「私も深い森の奥まで、人を送れはせんからな。ローエルハイドの領地には、そうした場所も多い」

 

 カウフマンは商人だ。

 商人は、どこにでもいる。

 どの国にもいる。

 貴族はもとより、平民よりも目立たない。

 

 平民は貴族に管理されているが、商人は、この範疇に入っていないからだ。

 ロズウェルドの民であって、民でなし。

 どの国への出入りも目立たず、制約も緩い。

 人の出入りが厳しいロズウェルドでさえ、商人には甘いところがあった。

 アドラントという、いち領地のほうが厳しいくらいだ。

 

 そして、カウフマンはロズウェルドで最大の店を構えている。

 とにかく扱っている品が手広い。

 食料のみならず、嗜好品や魔術道具まで、なんでも売り買いを行っていた。

 

 当然、カウフマンの人脈は、使いっ走りも含め、かなりの枝葉に広がっている。

 本人は、カウフマンの配下である意識など、まったくない。

 雇い主から依頼された仕事のひとつに過ぎないからだ。

 そして、その雇い主でさえ自らがカウフマンと関わっていると、知らないことのほうが多かった。

 

「そうは言うけどサ、おかしーじゃん」

 

 ジェシーが、イスに腰かけているカウフマンの膝に、すとんっと座ってくる。

 言わんとするところはわかっていたが、あえて答えは渡さない。

 己で解を見つけることで、人は成長する。

 

「たとえ森の奥地に行くとしても、食べ物は必要だろ? 現地調達も限界あるし、魔術で移動させたって、出どころはわかるはずだぜ? 王都でもアドラントでも、ローエルハイドの屋敷に出入りしてる奴らはいるんだからな」

 

 物が動けば、必ず、そこには商人がいるのだ。

 流通の不可思議な部分でもある。

 

 たとえば平民は農作物を育て、領主に税として納めていた。

 領主といっても下位貴族だ。

 下位貴族は、上位貴族に税を納めなくてはならない。

 その際、下位貴族から農作物を買い上げ、金銭に変えているのは商人だった。

 平民たちも、自らが食べる以上の収穫があれば商人に売ることもある。

 

 買い上げた農作物を商人は、利益を上乗せして、街や貴族屋敷で売る。

 つまるところ、貴族も平民も、自らが売ったものを、割り増しで買い戻しているようなものだ。

 もちろん金銭に変われば売った物とは別の物を買える。

 だが、極端な話、物々交換をしたほうが安上がりだったりもする。

 

 たとえば、リンゴを1袋と小麦2袋の交換だとか。

 魔術道具と、馬車1台分のめずらしい植物の交換だとか。

 

 商人は、本人らが直接に交渉する手間を請け負っているだけなのだ。

 その手間賃や利鞘で儲けている。

 けれど、誰も、そこには関心を持たない。

 あたり前に受け入れている。

 

 最初は、少しばかりの手間を惜しんでいただけだっただろう。

 それが長い年月を経て、当然の流通形態となった。

 この大陸で、その道筋を造ったのは、カウフマンの一族だ。

 ロズウェルドが、まだ小国の寄せ集めだった時代から国の間を渡り歩いてきた。

 

 魔術師でさえ入り込めない場所であれ、商人は楽々と入り込む。

 そこにいる人々は、勝手に情報を垂れ流し、聞き耳を立てている者がいるとは、疑いもしない。

 商人を警戒する者はいないからだ。

 

「つーまーりー、食糧調達をしなくてすむような、じぃちゃんの知らねートコが、どっかにあるってコト?」

 

 カウフマンは、薄く口元を緩める。

 ジェシーの頭を、軽く撫でた。

 

「お! せーかい?」

「私の知らない場所がどこか、当てられれば正解にしてやろう」

「えー! そんなトコ、あったっけか?」

 

 ジェシーが顔をしかめ、唸っている。

 少し難しかったかもしれない。

 こればかりは経験がものを言うのだ。

 ジェシーは、カウフマンの枝葉がある場所しか知らずにいる。

 そして、歴史も知らない。

 

「うあー、降参~!」

「北方だ」

「北方……北方諸国~……? ん? もしかして、テスア?」

「正解だ」

「ぅえっ? なんで、あんなトコ?! そもそも、あの国って入れんの?」

「ローエルハイドならば可能なのだろうて」

 

 もう何百年も、テスアは孤立している。

 商人ですら入れずにいた。

 何者をも拒絶する国、それがテスアなのだ。

 カウフマンの一族も繰り返し入国を試みては、弾き返されている。

 どういう国なのか、中がどうなっているのかは、(よう)として知れない。

 

「でも、婚約者がアブネーってなったら、帰ってくるんじゃねーか?」

「そうなれば、セシエヴィルとの縁を繋ぐ価値もある」

「んじゃ、帰って来なかったら?」

「ティンザーの娘に的を変える」

「今日の結果次第ってことかー」

 

 アドラントから、アシュリリス・セシエヴィルが街に出るとの報告が入った。

 アドラントにも魔術師はおり、カウフマンの息がかかっている。

 多少の無茶をしてもかまわないので、王都に連れ戻すよう指示していた。

 ハインリヒの住む、セシエヴィルの分家の屋敷に連れ去る予定だ。

 

「ティンザーの娘を的にする。それって、アドラントの領地返還のため?」

「時さえかければティンザーを操れる機会は訪れる。だが、ローエルハイドと縁を結ばれれば、その芽はなくなるでな。いちいち、あれに出て来られるのは厄介だ」

 

 もとより、ティンザーは、落としにくい牙城でもあった。

 実直で誠実な気質であるため、金や権力での支配がままならない。

 それを逆手に取る策が、ラウズワースとの婚姻だったのだ。

 姻戚関係を盾に取れば、誠実さが災いして、ティンザーは転ぶ。

 はずだった。

 

「けど、ヤバいんじゃねーの? ローエルハイドってサ、愛に見境いねーんだろ? ティンザーの娘に手出しするのって、逆鱗ってやつ?にさわることになんない?」

 

 カウフマンは、ジェシーのブルーグレイの瞳を見つめる。

 人ならざる者が、この世界に、たった1人なら、ジェシーも同類だ。

 

 たった1人の奇跡の子、人ならざる者に並ぶ者。

 

 大公の時代から百年余り。

 ようやく巡ってきた血の流れ。

 カウフマンの祖が作ってきたものでもある。

 

「ふぅん。わぁかった。そン時が、オレの出番てわけだな」

 

 ジェシーが、ニカッと笑った。

 その頭を、もう1度、ゆっくりと撫でる。

 

 なぜかはわからないが、ローエルハイドはカウフマンの一族の天敵だった。

 そのように定められてでもいるかのように、カウフマンの血脈が広がろうとするのを邪魔する。

 リフルワンスとの戦争の時もアドラント併合の時も、煮え湯を飲まされていた。

 将来、手にするつもりでいたテスアも、すでにローエルハイドの手の中にある。

 

 ジェシーがいる今しか、ローエルハイドに一撃を加えることはできない。

 

 カウフマンは、そう確信していた。

 ここで失敗すれば、また数十年、数百年の時を必要とする。

 広げた枝葉は引きちぎられ、細く短くなるだろう。

 

「お前の出番は、もう少し先になろうな。私が裏で動いておるのは、あれも知っておろう。ゆえに、弱味を作らぬようにしておるのだ」

「そいじゃ、ティンザーの娘には頑張ってもらわねーと」

「そうさな。もう何手か打っておくとしようか」

 

 ティンザーの娘と公爵を婚姻させる気はない。

 姻戚関係を持ってもらっては困る。

 だが、2人には愛し合ってもらう必要があった。

 その上で、ティンザーの娘には死んでもらう。

 

 ローエルハイドの最大の弱点は、愛なのだ。

 

 愛を手に入れたローエルハイドは強い。

 同時に、弱い。

 失うことを恐れるがために、見境いがなくなる。

 

「愛を失ったローエルハイドは消えゆくのみ」

 

 とくに「人ならざる者」は、その傾向が顕著だった。

 自らの存在意義すら見失うほどに。

 

 そして、現公爵に、子はいない。


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