勝負と賭け 2
サマンサは、ひどく落ち込んでいる。
昨日の自分の態度が、最悪だったからだ。
動揺していたのは否めないが、あまりにも感情に支配され過ぎてしまった。
理屈にならないことを言い散らかし、彼を侮辱している。
気が重い。
どう謝ればいいのかわからないくらいに、気が重い。
とはいえ、詫びなければ、さらに気分はめり込んでいくだろう。
自分でも、自分の正当性を見つけられないのだから。
「私が彼に頼んだのは、破談の件だけ。その約束は、果たしてもらったわ。私には支払えるものもない。なのに、また頼み事をしようとするなんてね……」
気兼ねなく振る舞えるからといって、なにを言っても許されるわけではない。
どこまでも甘えていいということにもならないのだ。
彼の能力をどう使うかは、彼の自由でもある。
サマンサの都合で、利用しようとしたのは間違っていた。
詳細は訊いていないが、しばらくは、ここに留まるように言われている。
だが、彼が、この部屋に現れるかどうかは別の話だ。
サマンサは、ただ、ここにいればいい。
そして、衣食住は、彼なしでも賄われている。
「しばらく来なくてもしかたないわよね……」
大きく溜め息をついた。
不安で心の奥が、ざわざわする。
考えたくないのに、考えてしまうのだ。
昨日、本当には、なにに対して怒っていたのか。
容姿を変えることを拒否されたからか、それとも。
彼が、サマンサの言葉を否定しなかったからなのか。
それは「きみを愛していない」「きみを愛することもない」と言われたのと同じだった。
もし彼が「私は、今のきみを愛しているのだから、変わらなくていい」と言っていたら、違った反応をしたに違いない。
(だって……こんな私に口づけたがる人なんて……彼しかいなかったもの……)
彼は、今のままのサマンサであっても、女性的な魅力を感じてくれている。
口づけだけが根拠ではなかった。
彼の体が、どう反応したかを、サマンサは知っている。
戸惑ったし、驚きもしたが、嬉しくもあった。
あの瞬間には、愛とは別種のものでもいいとさえ思ったほどだ。
けれど、やはり彼は正しい。
正しかった。
サマンサは、ティンザーの資質を捨てられずにいる。
どこかで、愛を求めていた。
彼とベッドをともにしたとしても、愛されていないことに、いずれ苦しくなる。
しかも、長く続く関係ではないと、はなから、わかっているのだ。
絶対に破綻する。
傷つくだけ傷ついて、最後には、ティモシーの時より酷いことになるだろう。
彼が踏み止まってくれたことに感謝すべきだった。
筋違いの怒りを爆発させるのではなく。
彼は、ティモシーとは違う。
ちゃんとサマンサに警告を与えた。
ベッドをともにしたい気持ちはあるが、それは愛ではない。
欲望と愛が別種だとの考えを、常に明確にしていたのだ。
わきまえていなかったのは自分ほうだと、サマンサは思う。
彼女が、彼を愛しているのなら、彼からの愛を望むのはおかしなことではない。
だが、サマンサ自身、彼を愛しているかと問われると、はっきりした答えは返せそうになかった。
女性的な魅力を感じてくれた相手が現れて、浮かれているだけにも思える。
「甘え過ぎだったわ……」
「誰に甘え過ぎたのかな? ひょっとすると私かい?」
サマンサは、私室のソファに座っていた。
その両肩に、背後から手が乗せられている。
振り向かず、彼の手に自分の手を乗せた。
落ち着いた口調で、本心を口にする。
「そうよ。深く反省していたところなの。私ったら馬鹿みたいに騒いで、あなたを侮辱したわ。本当に、ごめんなさい」
「潔いね」
明るく言って、彼はサマンサの頬に軽く口づけた。
怒ってはいないようだ。
ソファを飛び越え、すとんっと隣に座ってくる。
昨日の口づけを思い出し、心臓が、どきりとした。
「昨日の件なのだが、きみが本当に望むのであれば手を貸そう」
「え……」
彼が手を伸ばし、サマンサの髪をすくい取る。
その髪を、じっと見つめている姿に、サマンサは見入っていた。
とたん、心臓が嫌な感じに波打ち出す。
さっきの「どきり」とは、正反対の鼓動だ。
彼の心境の変化を、一瞬で正確に理解していた。
自分の放った言葉を、彼女は覚えている。
サマンサは言った。
『私を愛せもしないくせに、私が愛を手にできる可能性も潰すのね』
つまり、彼は「サマンサを愛せない」のだ。
だから、愛を手にできる可能性を与えることで埋め合わせをしようとしている。
彼を愛しているかどうかもわからないのに、胸が、ずきずきと痛んでいた。
「どうだい? 本当に、きみは変わりたいのか?」
彼が視線をサマンサへと移す。
黒い瞳を見つめ返した。
その瞳は、昨日のように揺れてはいない。
(彼は結論したのだわ。私を愛せないって……この先も愛することはないと……)
彼に、惹かれてはいる。
だが、愛の見込めない相手に、心をあずける気持ちにはなれなかった。
本来の意味で、彼の「特別な客人」になることはできるのだろうけれども。
「変わりたいわ」
彼が、サマンサの髪を手放す。
まるで自分まで放り出されたような気分になった。
それでも、これからずっと惨めな思いをしながら生きていきたくはない。
ティモシーがいることで支えられていた日々は、もう砕け散ったのだ。
ロズウェルド本国では、嘲笑と嘲りだけが、サマンサを待っている。
「いいだろう。きみに手を貸す」
感謝すべきなのに、なんとも言えない気分になった。
曖昧な感情が煩わしい。
変われることを、素直に喜べばいいのだと、自分に言い聞かせる。
ともあれ、長く彼女を縛り付けていたものから解放されるのだ。
「ただし、きみの場合は、ほかの者たちほど簡単ではなくてね。体にかかる負担が大きく、寝込むことになる」
「熱病にかかったみたいに苦しんだこともあるのよ? つらくても我慢するわ」
「それだけではない。私がしくじれば、きみは命を落とす。その覚悟をしてもらわなければならないのだよ」
サマンサは、小さく笑った。
真剣に受け止めていないと感じたのかもしれない。
彼が、眉を寄せている。
「あなたがしくじるなんて有り得ないでしょう?」
「わからないさ。なにしろ初めてのことなのでね。確実とは言い切れない」
「でも、勝算があるから、手を貸す気になったのじゃない? 私という存在自体は無価値ではなさそうだもの」
おそらく、五分五分程度であれば、彼は手を貸そうとはしなかったはずだ。
サマンサが死ぬのは、彼にとって望ましいことではない。
女性としてだとか、愛だとかには関係なく、彼の「駒」として残しておきたいと考えている。
だから、彼が手を貸すと言うには、それなりの勝算があるに違いないのだ。
彼が、ふっと表情を崩す。
2人の間に漂っていた緊張感が薄らいでいた。
今まで通り、気の置けない関係に戻る、ということなのだろう。
ただ、彼が、今までのようには、サマンサに誘いをかけて来なくなるとの予感はある。
便宜上の「特別な客人」に「特別な感情」はない。
それが、お互いに出した結論なのだ。
正しく関係を保つために、線引きをする。
サマンサも、そのほうが良かった。
傷つくとわかっていて、割れた貝殻の上を歩く気はない。
たとえ、その貝殻がどんなに美しくて魅力的でも。
「それで、私がすることはある?」
「きみは眠っていてくれればいい。目が覚めたら、しばらく唸るはめになるだろうから、その心の準備くらいだな」
どのくらい苦しむことになるかは、実際、やってみなければわからないことだ。
だが、精神的な苦痛より、分かり易い身体的な苦痛には耐えられる自信がある。
容姿を変えたいと、いくつもの方法を試したが、どれも楽ではなかった。
仮に、死ぬほどの苦痛が伴ったとしても、きっと死なない。
(彼のすることだもの。間違いはないわ。結果を見れば、破談だって、あっという間に成立させてしまったものね)
ひとつの結論が出たことで、やっと気分が少し晴れやかになる。
悪い結果ではない。
愛はともかく、サマンサはほしかったものを手に入れられるのだ。




