表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
32/160

できることをしたくて 4

 最初に、すべてを打ち明けたからかもしれない。

 彼の前では、気持ちが弱くなってしまう。

 それが嫌で、怒りにすり替えてしまったと、気づいていた。

 アシュリーの恋心にまで責任を持てというのは、理不尽に過ぎる。

 人の心は、変えようとして変えられるものではないのだ。

 

「……ティミーと……話をしたの……」

 

 信頼できない相手など愛せない。

 結論は変わらないのに、サマンサは、情にほだされかかった。

 そのことに、深く傷ついている。

 信じられたら良かった、と思っている自分が情けなかったのだ。

 

 あんなふうに言われていたのに、まだ未練があるのか。

 

 自分でも、よくわからない。

 長くティモシーだけを見てきた。

 その弱さも、ラウズワースの家に窮屈さを感じていたのも知っている。

 ティモシーの手を取れば、役に立ってあげられただろう。

 

「奴に、なにかされたのじゃあないだろうね?」

「彼は……私に、ふれようとしたわ……」

「なんだって!」

 

 ティモシーは、サマンサにふれるのを忌避(きひ)していた。

 子を成せるはずがないとまで言っていた。

 なのに、自ら手を伸ばしてきたのだ。

 真剣なまなざしも、ふれようとしたことも、すべてがサマンサを悲しくさせる。

 

「それで、きみは……ふれさせはしなかった?」

「逃げたわ……だって……」

「当然だろう! 今さら、どういうつもりだ。恥を知らないのか、奴は」

 

 彼の怒りを含んだ口調に、少し落ち着いてきた。

 とんでもなく惨めな気持ちから、抜け出せそうな気がする。

 彼を見上げ、ふと思った。

 

「あなたとベッドをともにしてみたいわ」

 

 彼の黒い瞳が、わずかに揺れる。

 めずらしく視線をそらし、彼は、ムッとした表情を浮かべた。

 

「奴への当てつけなら、よしてくれ」

「そうではないわ」

「なら、気弱になっているということだな」

「なぜ? 私がそういう気持ちになったとは思わないの?」

「きみは、ティンザーの家風を重んじると言った」

 

 つまり、ベッドをともにしても、それと愛とは無関係なのだ。

 サマンサを誘うような言葉を口にする時、いつも彼は同じことを言う。

 

自棄(やけ)になるなよ、サム」

「違うわ。私が、そうしたいと思っただけよ。でも、あなたもやっぱり、私に服を着ていてほしいと……」

 

 がしっと、手を掴まれた。

 まっすぐに視線が交わる。

 さっきよりも、彼の瞳は揺れていた。

 眉間に皺を寄せ、顔をしかめている。

 

「挑発なんてするものじゃない。私は、それほど品行方正ではないのでね」

「結局、口先ばかり、ということでしょう?」

「よせ。本当に、危険だとわからないのか」

「さあ? あなたが葛藤しているようには見えな……」

 

 掴まれた腕が引かれ、あっという間に唇を塞がれていた。

 重ねられた唇に、どういうわけか安心する。

 やわらかな感触は、初めて経験するものだ。

 体から力が抜けそうになり、掴まれていないほうの手で、きゅっと彼の胸辺りにしがみついた。

 何度か重ねられた唇が、スっと離れていく。

 

 サマンサの髪を梳いた、彼の指が耳元をかすめてから、頬にふれてきた。

 そのぬくもりに、知らず閉じていた目を、サマンサは開く。

 そして、互いの体が、今までになく密着していることに気づいた。

 瞬間、小さく声を上げて、ぴょんっと飛びのく。

 

「まぁ、そうなると思っていたさ」

 

 彼は、あっさりとサマンサの手を放し、両手を広げてみせた。

 大袈裟に肩をすくめ、わざとらしさを込めつつ、呆れ顔をする。

 サマンサは、顔中が熱くなるのを感じた。

 まるで呼吸でもしているみたいに、耳の端に、ツキツキとした感覚がある。

 

「私は、安全が確約されていた、ティミーだかティムだかいう男とは違う。きみも私の言葉が真実だったことに、もう気づいているね?」

 

 さらに顔が熱くなった。

 そういう反応をされるとは、本当に思っていなかったからだ。

 彼の誘うような言葉も半信半疑。

 どちらかといえば、自分をからかうためだという気持ちのほうが強かった。

 

「ダンスをした時に、理解したと思っていたよ。私が、きみに“破廉恥”な真似をしたがる男だってね」

「わ、私……」

「もう危ういことはしないがいい」

 

 頬が火照ってしかたがない。

 どうすればいいのかわからないくらい、恥ずかしかった。

 

(か、彼……彼の体……あれは……私に……)

 

 貴族教育で、男女のいとなみについては学んでいる。

 男性が欲望をいだくと、どういった反応を示し、どう変化するかも知っていた。

 だが、自分に対して「そういうこと」が起きるとは想像もしていない。

 

「だって、私は……こんなふうだし……」

 

 マクシミリアンは「服を脱がないでほしい」と言っている。

 ティモシーも「ベッドをともにしたいとは思えない」と言っている。

 ほかの男性たちだって、似たり寄ったりの感想しかいだいていなかったはずだ。

 サマンサは、家族以外の男性に嘲笑されなかった試しがない。

 

「いいかい、きみ。私が、きみの服をむしらないのは、これでも一応は、紳士的に振る舞おうと努力をしているからだ。きみが、“ちゃんと”わかったうえで、私を誘っているのであれば、いつでもむしってやる」

「わ、私の体は……男性が見たくなるようなものでは……」

「まったく!」

 

 彼は、サマンサから離れ、サッと立ち上がる。

 距離を取る必要に迫られてでもいるかのようだった。

 そんな彼を、サマンサは見上げている。

 

「どうして、奴や奴の友人の言葉ばかり、真に受ける? きみの体型がどうでも、かまいやしないじゃないか。見てくれなんて、どうにだってなる。内面を変えるのより、ずっと簡単なのだよ。現に、きみだって……」

 

 サマンサが、ハッとなると同時に、彼も口を閉じた。

 そらされた視線に、彼女は、ゆっくりと立ち上がる。

 

「今のは、どういう意味? 私だって、なんなの?」

 

 食べても食べなくても、サマンサの体型は変わらない。

 その理由を教えたのは、彼だ。

 なのに、彼は「外見を変えるのは簡単」だと言い、そして。

 

「私の体型は……変えられるのね? 変える方法があるのね?」

 

 答えようとしない、彼に詰め寄る。

 方法があると知っていながら、彼は黙っていたのだ。

 サマンサが、どれほど努力をしたかも話していたのに。

 

「教えて! どうやったら、変えられるの?!」

「そのままでいいじゃないか。なぜ変える必要がある? 再三、言っているがね。きみは魅力ある女性だ」

 

 その言葉に、カッとなる。

 

「あなたにはわからないわ! 歩いているだけで、女性が群がってくるような人にはね! 自分の容姿に苦痛を感じたり、外見を変えるために苦労したりしたこともないくせに!」

「私に選ぶ権利があるとして、それでも、私はきみを選んでいる」

「ええ、そうね! でも、あなたは、私を愛していないじゃない!」

 

 彼が、サマンサに女性的な魅力を感じているのは、嘘ではない。

 けれど、それは単なる欲望であり、そこに愛は介在しないのだ。

 その上、彼は、サマンサの愛も求めていない。

 

「ほんの少しでも変わることができたなら、私を愛してくれる人が現れるかもしれないのよ? この容姿のせいで、いつもいつも私は選択肢にすら入れなかった! せめて、その枠の中に入りたいと願うのは当然でしょう?!」

 

 考えつく限りの努力をしてきた。

 ティモシーのためではあったが、それがすべてではないのだ。

 多くを望むのではなく、嘲笑されずにすむ程度でいいから変わりたかった。

 

 女性として、彼女は、ただ、ほんのちょっぴりの自信を必要としている。

 

 打つ手がないと思い、諦めていただけだ。

 だが、まだできることがある。

 その方法を、彼は知っている。

 

「きみに、どうこうできることではない」

「それなら、魔術ね。あなたならできるのじゃない?」

「手を貸すつもりはない。私は、今のきみがいいと言っている」

 

 サマンサの願いを断ち切る言葉だった。

 またしても絶望がサマンサに押し寄せてくる。

 期待が見えたがために、なおさら深かった。

 

「……私を愛せもしないくせに……私が愛を手にできる可能性も潰すのね……」

 

 ぱたぱたっと、涙がこぼれ落ちる。

 サマンサは、彼に背を向けた。

 泣き顔など見られたくなかったのだ。

 ティモシーに、今さらにふれられそうになった時より、惨めな気分になる。

 

「あなたが、冷酷な人でなしだってことを忘れていたわ……」

 

 ぽつりとつぶやき、寝室に入って扉を閉めた。

 その扉に寄りかかったまま、サマンサは、涙をこぼし続ける。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
script?guid=on
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ