できることをしたくて 2
バタンと扉が閉まる。
入れ替わりに、1人の少年が現れた。
ブルーグレイの瞳と髪。
彼の名は、ジェシー。
貴重な能力を持つ、素晴らしい「財産」だ。
「なあ、じぃちゃん。あいつ、殺されるかな?」
さっき出て行ったのは、大勢いる孫のうちの1人、ハインリヒ・セシエヴィル。
セシエヴィル子爵家の分家の息子だ。
カウフマンは、やわらかく微笑む。
そのカウフマンの肩に、ジェシーは肘を置き、扉のほうを見ていた。
「どちらに転んでもかまわんよ」
「だけど、損切りは早いほうがいいって、言ってただろ?」
カウフマンは商人だ。
貴族ではない。
体裁や外聞になど興味はなかった。
行動基準は、影響力の拡大に尽きる。
もう何百年も、それでやってきた。
カウフマンの父も、祖父も、祖も、皆、同じだ。
それに倣い、ひたすら財を増やし、商売の手を広げている。
政に関与するのも、国が財を生むからだ。
「どちらに転ぼうが、私に損はない」
カウフマンは、透明感のある薄い青色の瞳を、わずかに細めた。
今年で、62歳になるが、少しもそのようには見えない。
ロズウェルドでは35歳を越えると外見の変化が乏しくなる。
だが、それ以上に、カウフマンは若々しかった。
薄い金色の髪も艶があり、老いを感じさせない。
魔術ではなく、薬で外見を変えている。
実は、繰り返し使用することで、効果は薄れてきていた。
そのせいで、髪も瞳も濃さがなくなっている。
ただ、実際の効果とは逆に、自然に現れた色が若さを際立たせることになった。
これはこれで使い道がある、とカウフマンは考えている。
元は、人の目を欺くためものではあるが、カウフマンの場合は、自らの体さえも実験の道具としていた。
「殺されちゃえばいいのになー」
ジェシーが甘えるように、カウフマンの首にしがみついてくる。
もう16歳になるのだが、こうして甘えてくることはめずらしくない。
いつものことだ。
ジェシーは、カウフマンの傍を離れたがらなかった。
(この子には、なにもしておらんのだがな。不思議なものだ)
ジェシーも、カウフマンの孫の1人だ。
だが、ハインリヒを含め、ほかの孫たちとは違う。
育てかたからして異なっていた。
人の心を覗いたり、操ったりする魔術はない。
そう言われているが、魔術を使わずとも、環境を整え、時間をかければ、人心を操ることなど簡単なのだ。
ハインリヒは、その1例となっている。
あえて、鼻につく性格に育て上げた。
「セシエヴィルがローエルハイドにとって、どこまでの存在か。それを知ることができれば、それでよい。だが、お前の望む通りになるだろうよ」
「へえ。じぃちゃんは、ローエルハイドが、あんまりセシエヴィルを重視してないって思ってんだ。あの子のことも?」
「ヘンリーの話からすれば、そうなる。公爵はティンザーの娘を気に入っているようだ」
「あの馬鹿の話を信用すんのかよ?」
ジェシーは、カウフマンに我儘ばかり言うハインリヒのことが嫌いなのだ。
許可さえ与えれば、いつでも殺しに行くだろう。
とはいえ、そんな「ささやかな」仕事に、ジェシーを使うつもりはない。
「あれのことは放っておけ。なるようになる。お前は、私の宝だ。くだらん後始末なぞに使いはせんよ」
「しょうがねーなぁ。じぃちゃんが、そう言うなら放っておくサ」
カウフマンに頭を撫でられ、ジェシーは満足そうな顔をする。
その顔を見ながら、自分の寿命について考えていた。
あと十年ほしいところだが、それでは欲をかき過ぎている。
長生きをしたいわけでもない。
カウフマンの一族は、長年、商人だった。
祖から始まり、ロズウェルドのみならず、他国にも血脈の根を張っている。
その中で、最も「カウフマン」である者が、次代の後継ぎに選ばれるのだ。
名を継ぎ、財を継ぎ、その意志をも継ぐ。
ジェシーは、カウフマンの集大成だった。
ジェシー1人を創り上げるために、人生を費やしたと言える。
今後、カウフマンを継ぐべき者だ。
誰も成し得なかった奇跡とも呼べる存在。
嘘偽りなく、カウフマンは、ジェシーを宝だと思っている。
だから、大事にしていた。
今は、自分の持つものすべてを継がせるための道を作っている。
カウフマンは、目の前のことに終始しない。
もっと、ずっと先を見ていた。
「アドラントって、そんなに重要? とっくに、じぃちゃんのもんじゃん?」
ジェシーの素朴な問いに、小さく細く笑う。
ジェシーは頭が良く、カウフマンのしたいことを、よく心得ていた。
とはいえ、いかんせん経験が少ない。
これから起きることは、きっと良い経験になるはずだ。
たとえ、自分が死んだのちでも。
「いや、ローエルハイドがおる限り、アドラントは、私のものにはならん。あれを排除して初めて、こちらのものになったと言える」
「だったら、ティンザーの娘を取られたのは痛かったんじゃねーの?」
カウフマンは、大きく溜め息をつく。
ジェシーの言う通りだった。
あれほど時間をかけ、準備を整えていたのに、土壇場で引っ繰り返されたのだ。
できるものなら、ティモシー・ラウズワースの首を絞めてやりたい。
「十年も無駄にしおって……あれこそ馬鹿者だ。ヘンリー以上のな」
「面倒くさいなーもお。2人とも殺しちゃえば?」
「ラウズワースの息子はどうでもいいが、ティンザーの娘は、確かに機会を作って殺さねばならんな。ローエルハイドと姻戚関係なんぞになられては困る」
カウフマンは、王宮で執り行われる政を自らの意図通りに動かそうとしていた。
狙いは、アドラントの領地返還だ。
そのためには、王宮の重臣の過半数が同意を示す必要がある。
ティンザーの票さえ手に入れば可能、というところまで根回しはすんでいた。
貴族たちは強欲な者が多い。
その上、目先の利益にとらわれがちだ。
アドラントを分割して領地とし、税収が見込めるとなれば、なんでもする。
ハインリヒは、そのための捨て駒としても良かった。
セシエヴィルと無関係ではいられないローエルハイドは、ハインリヒの動きに、付き合わざるを得ない。
政に関心をはらっていない家ではあったが、念のため、ほかに注意を向けさせておこうとしたのだ。
「なぁ、じぃちゃん。なんで、今ンなってセシエヴィルを餌にしたんだ? 別に、いつだって試せただろ?」
「ローエルハイドの先代と先々代は“色”が違う」
セシエヴィルに価値をおくのは、厳密に言えばローエルハイドではない。
かつての英雄、大公のみがセシエヴィルと繋がりを持っていたからだ。
先代と先々代当主の母は、セシエヴィルとは、まったく関係がなかった。
もちろん、現当主とて、その血の流れをくむため、血縁との意味では無関係だ。
「ジェレミア・ローエルハイドは、大公様の血が濃い」
「人ならざる者だから?」
「同じローエルハイド直系でも、人ならざる者と、そうでない者との差を、押さえられる時に押さえておかねばな。先々、我らが、なにに注意深くなるべきか、その指標となろう。人ならざる者が顕れたのは大公様以来。貴重な機会なのだ」
カウフマンは、一族の口伝により、知らされている。
隣国リフルワンスを唆し、ロズウェルドに戦争を仕掛けさせた。
カウフマンの者たちが、利益を得るためだ。
だが、利益が出る前に、戦争は終結している。
たった1人の魔術騎士、ジョシュア・ローエルハイドによって。
のちに大公と呼ばれることになった「人ならざる者」の力は、それほどまでに、強大だった。
その後「人ならざる者」を観察する機会もなく、時は過ぎている。
あまりにも情報が少な過ぎた。
これでは、いつリフルワンスの時と同じ轍を踏んでもおかしくない。
「私の代で、できうる限り、人ならざる者の行動原理を知っておかねばならん」
カウフマンは、遠くを見ている。
一族は、皆、そうやって累々と屍を重ねてきた。
理由はない。
目的があるだけだ。
「ジェシー、我らは商人なのだ。その血の中で生きておる」
富を蓄えたり、贅沢をするために財を増やしたりしているのではなかった。
それは手段であって、目的とは異なる。
貴族でも平民でもなく、どこの階層にも属していないのに、商人は、世界に在り続けていた。
生粋の根無し草。
より広く、より遠くに種を飛ばし、己の手のとどく領域を広げていく。
それが、商人なのだ。
その血の最初のひと滴は、時を越え、疫病のようにばら撒かれている。
目的は、ひとつに集約されていても、1人1人は意識すらしていない。
それを俯瞰する者が「カウフマン」となるのだ。
(サマンサ・ティンザーか。考えようによっては、いい試薬となるかもしれんな)
カウフマンは、また小さく細く笑った。




