決断したからには 3
「それで?」
そっけない口調に、サマンサは、気力が萎えそうになるのを感じる。
見た目はスマートで穏やかそうに見えるが、彼の本質は「冷酷」なのだ。
答えを知っているのに、わざわざサマンサが言葉にするのを待っている。
そして、自らは、けして本音を語らない。
(普通なら、わかっていることを話すか、聞かないか、どちらかになるはずよね。こういう話の場合はとくに……少なくとも、お互いの考えが一致しているかどうか確認しようとするものだわ)
だが、彼には「答え合わせ」をする気がないのだろう。
なにかしら彼が言葉を使っていても、サマンサは独りで話している気分になる。
会話というのは、1人では成立しない。
互いに協力することで、理解しあえるのだ。
(この人には、私を理解する気がないのよ。もちろん、彼の立場からすれば、理解する必要なんてないのかもしれない。でも……だったら、なぜ会ったりするの? 追いはらってしまえばすむことだったのに)
「きみの話は、それで終わりかね?」
「いいえ」
反射的に、言い返す。
たとえ理解が得られなくとも、交渉ができさえすればいいのだと、気持ちを切り替えた。
それこそ、サマンサには、彼に「わかってもらう」必要などない。
顔を上げ、彼の黒い瞳を見据える。
「愛のない婚姻はしたくない、ということです」
「さっき、きみは、結果としてでも、と言ったね」
「ええ。婚姻した際に愛がなくても、心が変化する可能性はあるものです」
「そういえば、ドワイトとリンディの婚姻は、政略的なものだったかな」
「母は、フィリアーズ侯爵家の出です」
彼は、両親のことを思いの外、知っていた。
きっと母の出自も知っていたに違いない。
フィリアーズはティンザーの下位貴族の中では、格下ではある。
だが、どこの家よりもティンザーに対しての忠誠心が厚い。
その結束力を強め、フィリアーズの立場を確立するため、サマンサの両親は婚姻したのだ。
お互いに、政略的なものであったことは承知していた、と聞かされている。
とはいえ、時間が経ち、兄やサマンサが産まれたこともあって、今では愛のある関係を築いていた。
「ですが、彼と私は、そういう関係にはなれません」
「いやに、はっきりと言い切るが、根拠は?」
ここは慎重に話すべきだ。
サマンサは、気持ちを引き締めた。
相手は様々な情報を持ち、人の表情を読むことに長けている。
嘘をつくつもりはないにしても、サマンサだって、すべてを話す気はなかった。
こちらにも「話さない」との権利はあるはずだ。
「彼は、ティンザーの家と婚姻したいだけだからです」
「政略的な婚姻というのは、そういうものではないかね?」
「ですが、政略的な婚姻であっても、対等……つまり、お互いに利があってのことでしょう? 彼は、単にティンザーを利用したいだけなのです」
「ひどく抽象的な表現だ」
それは、サマンサもわかっている。
わかっていて、小出しにしていた。
そうすることで、真実味を「底上げ」したかったのだ。
事実というだけでは、相手を納得させるのは難しいと判断している。
「この婚姻、ティンザー側には得られるものがありません。彼は、分家を継ぐはずでしたが、話がすり替わっていたのです。彼は婚姻後もティンザーの別邸で暮らすと言いました。養子に入るという意味なのは、お分かりでしょう?」
「彼は次男だし、ラウズワースから養子が迎えられるのは、ティンザーにとっても利になるのじゃないかな?」
「いいえ。兄の能力を疑うわけではありませんが、兄は彼より歳若く、きっとなにかにつけ、彼に相談をすることになります。私と懇意だということで、兄は、彼を信頼していますから。それが、どういう結果をもたらすか」
わかるはずだ。
口には出さず、目だけで語りかける。
だが、彼は黙っていた。
目だけで、サマンサに語ってくる。
きみが話せ、と。
どこまでも冷酷な男性だ、と思った。
貴族たちが恐れているのは、彼の力かもしれない。
実際、大きな力を持っているのだとしても、恐れるべきは、そこではないのだ。
彼の本質にふれることをこそ、恐れなければならない。
(でも、人の心を読んだり、操ったりする魔術はないのよ)
だからこそ、彼は「言葉にしない」のではなかろうか。
会話から、心を読まれるのを避けている。
なんとなく、そう感じた。
魔術は万能ではない。
おそらく、彼は、自らの弱点と成り得る「心」を隠蔽し、守っている。
サマンサにも言いたくないことや、暴かれたくない心があった。
そこにふれられると、自分が弱くなるのも自覚している。
信じられないことだが、彼にも、同じような感情があるのだ。
(だったら、なおさら人でなしだわ、この人)
人には心を晒すことを求めておきながら、自らは心を隠蔽する。
帳尻を合わせるなんていう考えはない。
同情をしたり、容赦したりする気もないのだろう。
彼にとって、ほとんどの他者は「どうでもいい」のだ。
「父の代はともかく、この先ティンザーはラウズワースに飲み込まれるでしょう。ラウズワースの犬に成り下がりたくはありません。私は、ティンザーの家風が好きなのです。実直に過ぎるから、いつまでも格上になれないと、人に笑われても」
これは、サマンサの本音だ。
ラウズワースの家風に染まりたいなどとは思っていない。
今回のやり口からしても、誠実さに欠ける。
将来的に、ティンザーがラウズワースのようになるのは嫌だった。
しかも、自分の婚姻がきっかけとなるのだ。
「そのことに気づいたのは、彼が別邸で暮らすと言い出してからのことです。それまで、私は、自分がラウズワースに嫁ぐと思っておりました。ですが、気づくのが遅かったのです」
「きみが、彼を別邸に招いたのだからね。その上、きみの両親も兄も、彼のことを信頼している。まぁ、それがティンザーの者の気質だ」
彼は、じっとサマンサを見つめている。
心の底まで見透かされそうで、視線をそらせたくなるのを堪えた。
逆に、見透かされたくなかったからだ。
「人が好過ぎる」
自分がそうだからといって、相手も同じとは限らない。
サマンサは、ティモシーの言葉を疑ったことがなかった。
確かに、ティモシーは、嘘はつかなかったと言える。
都合の良いように話を捻じ曲げただけだ。
「真っ向から破談にすれば、ラウズワースに借りを作ることになります。私のためであれば、父は……信念を曲げてでも、その借りを返そうとするでしょう」
「ドワイトなら、そうするだろうね」
「父をご存知なら理解していただけますわね? 1度でも信念を曲げれば、父は、自分を責め続けます。きっと立ち直ることはできません」
「だろうな。彼は、実直と誠実で出来ているような男だ」
「これは……私の失敗なのです。私が、彼の不正直さに気づいていれば、ここまで追い込まれずにすみました」
彼の表情は変わらない。
穏やかな顔つきではあるが、感情がひと欠片も見えなかった。
泣き落としが通用する相手ではないと、わかっている。
とはいえ、破談にしたい理由については納得してくれるはずだ。
ローエルハイドでなければならない理由も。
ラウズワースに対抗できる相手は、ウィリュアートンかアドルーリット。
この2つの公爵家くらいだった。
だが、アドルーリットはラウズワースと懇意にしている。
ティモシーと、アドルーリットの三男マクシミリアンは同年で幼馴染みだ。
協力してくれるはずがない。
ウィリュアートンには、息子が1人いるが、まだ4歳と幼かった。
到底、サマンサの婚姻相手とは成り得ない。
結果、残されるのは、ローエルハイドのみとなる。
彼は、現在32歳で独り身だ。
(あとは……対価よね。私に、なにが支払えるのか)
便宜上の婚約を受け入れるからには、相応の見返りを要求されるに違いない。
だとしても、実のところ、サマンサには支払えるものがなにもないのだ。
自分に、女性的な魅力がないのは知っている。
ローエルハイドなら金には困っていない。
あげく、政にも無関心。
それでも、サマンサは、自分の判断に賭けることにしていた。
彼の視線を、じっと受け止める。
次の言葉を待つ彼女に、彼が言った。
「それで?」