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思い違いはしないよう 1

 

「おや、彼らもダンスをするようだ。私たちに触発されたのかもしれないな」

 

 くるっと、ターンをした時、ちらっと、その姿が見える。

 うっかりステップを間違えそうになった。

 彼が、素早くリードをしたため、ほかの者たちは気づいていない。

 周囲は、広いダンスホールで踊っている2組の間で視線を左右させている。

 

「あなた、いいの?」

「ジョバンニには私が直々にダンスを教えたのでね。彼女を上手くリードするさ」

「違うでしょう? 婚約者が、ほかの男性と踊っているのよ?」

 

 アシュリーが、ジョバンニと踊っていた。

 周囲と同じく、サマンサも戸惑っている。

 アシュリーはダンスが苦手なのだろうと、思っていたからだ。

 

 貴族令嬢のほどんどは教育を受けているはずだし、社交界にデビューする。

 だが、ダンスが得意ではない女性も、少なからずいた。

 そういう女性たちは簡単な曲をファーストダンスにして、あとはお喋りに時間を費やすものだ。

 

 仮に、パートナーもダンスを苦手としていても、別の相手と踊ることはない。

 少なくとも、ファーストダンスだけは。

 

「2人とも、とても楽しんでいるようだ。きみも、もっと、にっこりしてみちゃあどうだい?」

「無理ね。今だって顔が引き攣りそうだっていうのに」

 

 だいたい、彼の手の位置が気になって、微笑む気にはなれずにいる。

 2人きりなら、確実に()(ぱた)いていた。

 彼に「そんなところ」を支えられなくても、サマンサは踊れる。

 ティモシーがダンスに誘ってくれた時に恥をかかせないように、必死で練習してきたのだ。

 結局、1度も誘われなかったが、それはともかく。

 

「あなたこそ、いいかげん、手を離したらどう?」

「嫌だね」

「私は、合意していないわよ?」

「これはダンスであって、我々はベッドにいるわけじゃあないよ、サミー」

 

 アシュリーはファーストダンスだが、サマンサは、すでに2曲目。

 1曲目とは違い、軽やかなステップを刻む種類の曲に変わっている。

 つかず離れずといった調子なので、密着する必要はない。

 なのに、サマンサが離れようとするたび、彼に引き寄せられた。

 

「性的な嫌がらせをするのが、あなたの嗜好?」

「嫌がらせにはなっていない」

 

 さらりと言われ、サマンサの頬が勝手に熱くなる。

 振付にかこつけて、彼から顔をそらせた。

 

(……誰も、彼が下心を持って私にふれているなんて思わないでしょうね……)

 

 彼にしても、嫌な手つきでふれてくるわけではない。

 支えているようにしか見えないくらいの、軽い感触だ。

 最初は、サマンサも、リードするためだと思っていた。

 彼が、あえて意図的だと示唆しなければ、気づかなかっただろう。

 

 もう少し文句を言ってやろうとしたところで、意識が別のほうに向いた。

 とたん、自分たちのことは、どうでもよくなる。

 

「……ねえ、あの人を知っている……?」

 

 栗毛に焦げ茶色の瞳をした若者で、年はサマンサと変わらないように見えた。

 隣にいる同年代の男性と、時折、なにか話している。

 ホールに入ってきた時から、気になっていた。

 最初は、サマンサを、じろじろと見ていたが、今は違う。

 

「あの2人……とくに茶色の髪の男性……なにか嫌な感じがするわ……」

 

 その男性は、アシュリーに視線を向けていた。

 だが、さっきまでとは立つ位置を変えていて、まるで人の影に隠れているように感じられる。

 

「彼は、ハインリヒ・セシエヴィルだね」

「セシエヴィル? アシュリー様の縁戚のかたなの?」

「従兄弟だ」

「従兄弟……ということは、分家ね……」

 

 そのせいだろうか。

 アシュリーに敵対心をいだいているのかもしれない。

 アシュリーは本家の1人娘だ。

 婚姻相手を養子として迎えることがなければ、分家の男性が家督を継げる可能性はある。

 

 だが、アシュリーは婚約中。

 その相手である彼が、セシエヴィルの養子に入るとは思えなかった。

 ならば、なぜ従兄弟のハインリヒは、アシュリーをにらんでいるのか。

 気になって、サマンサは、アシュリーに視線を向ける。

 

 瞬間、声を上げそうになった。

 心臓が、ばくばくしてくる。

 

(アシュリー様は……ジョバンニのことを……)

 

 綺麗な青い瞳が、よりいっそう輝いていた。

 ジョバンニを見つめる目に、独特の光が宿っている。

 自分がどうであったかは定かでないが、ああいう目をした女性を、夜会で何度も目にしたことがあった。

 

 アシュリーは、ジョバンニに恋をしている。

 

 アシュリー自身は、まだ恋だとは気づいていないのかもしれない。

 なにしろ、彼女は幼いのだ。

 ただ、特別な親しみを感じているのは確かだった。

 でなければ、あんなふうにジョバンニを見たりはしない。

 

(ちょっと待って……私が気づく程度のことに、彼が気づいていないはずが……)

 

 ちらりと視線を、彼に向けた。

 小さく笑われて、心臓が、ばくっと跳ねる。

 やはり彼は気づいているのだ。

 

「きみの瞳は、あちらこちらとせわしないねえ。だが、私のところに、戻ってきてくれて嬉しいよ」

「ええ、あの……従兄弟の目つきが気に食わなくて……どうにもいけ好かないわ」

「奴は、アシュリーに首ったけなのさ。だが、手に入れられなくて頭にきている」

「そうなの? それって危ないのじゃない? 彼女は大丈夫?」

「ジョバンニが(そば)にいれば、平気だろう」

 

 それも平気かどうか。

 

 いっときの幼い恋で終わればいいが、そうでなければ大事(おおごと)になりかねない。

 ロズウェルドでは14歳で大人とされるが、16歳になるまでは、何事も、親が判断する。

 彼が、大っぴらに「婚約者」だと言うのは、親の承諾が取れているからだ。

 

 このままアシュリーがジョバンニを想い続けても、いずれは別れが来る。

 ジョバンニと結ばれるためには婚約を解消する必要があるが、それは難しい。

 アシュリーの両親が許しはしないだろう。

 

 相手は、ローエルハイドなのだ。

 

(彼は、アシュリー様を大事にしている。傷つける真似はしないと誓っていたし、自分から婚約を解消することも有り得るわよね……)

 

 期待をかけられるのは、そこだけだった。

 しかし、彼の意思が後押しをしたとしても、さらに問題はある。

 

(あの執事は、アシュリー様の気持ちに気づいていないようね。アシュリー様を、どう思っているのかもわからない……まったく苛つく男だわ)

 

 曲が止まり、サマンサも動きを止めた。

 気づけば、アシュリーの従兄弟の姿はない。

 同時に、アシュリーとジョバンニがホールから出て行く姿が見えた。

 

「私たちは、もう1曲といこう」

「もういいでしょう? 2人はテラスに戻ったみたいよ?」

 

 ジョバンニがアシュリーに恋心をいだく可能性がないなら、早目に諦めたほうがいいのだ。

 自分のように深みにはまってから、相手の心がこちらを向くことはないと知ればアシュリーは大きく傷つく。

 

「あなたは、アシュリー様と時間を増やしたほうがいいと思うわ」

「私を、控えにしたいらしいね」

「そうよ」

 

 ジョバンニに想いが通じなくても、彼が傍にいれば、立ち直れるはずだ。

 アシュリーには、初めての恋に打ち破れた時の「控え」がいる。

 彼との距離を近づけておくに越したことはない。

 

「私の屋敷には、女性が2人もいるのに、私自身には人気がないなあ」

「とにかく、私たちもテラス席に行きましょうよ」

「嫌だね。私は、もう1曲、きみと踊る」

「そんな勝手が……」

「通すさ」

 

 また曲が流れ始めた。

 手を引かれ、少しだけバランスを崩す。

 すぐさま体勢を整えざるを得ず、サマンサは、否応なく「もう1曲」につきあわされるはめになった。

 

「繰り返し言わなければならないのかね」

「なにを?」

「アシュリーを、自分自身と重ねて見るのはやめたまえ」

 

 言外に「愚かだ」と言われていることに気づく。

 腹を立ててもいいところだが、サマンサは、なぜか怒ることができなかった。


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