正式と代理 2
ティモシーは、自室に引きこもっている。
夜会会場になっている大ホールには、行きたくなかったからだ。
というより、行けずにいる。
廊下で誰かにすれ違うかもしれないし、大ホールに行くにしても、パートナーがいない。
サマンサが夜会に出られないと告げた時に、母から、どれほど叱責されたか。
思い出して、憂鬱になる。
母の剣幕に、ティモシーは本当のことが言えなかったのだ。
サマンサの体調が悪くなった、と伝えている。
ちょうどティンザー夫妻から欠席の報せが入っていたためか、なんとなく信憑性が高まり、母も最後には納得してくれた。
『食べ過ぎかしらね。みっともないったらないわ。あの体を維持する必要なんてないでしょうに。少しは貴族らしくなれないものかしら』
その言葉に同調はしていない。
サマンサは8歳の時から、変わっていないのだ。
今さら言い出す母に、苛々した。
ティモシーは母が言う「みっともない」サマンサに、十年もつきあっている。
(サマンサと婚姻してティンザーに入り、ラウズワースの縛りから逃れて1年後にティリーを側室に迎える……その予定だったのに……なぜ、こんなことに……)
自分の言動に、瑕疵があるとは考えてもいなかった。
サマンサに対し、外見をとやかく言ったことはなく、夜会にも連れ出し、別邸で多くの時間を費やしている。
冷たく当たったことだってない。
「ティム、もう始まってるぞ?」
マクシミリアンが顔を出した。
ティモシーは、ソファに深く座りこみ、天井を見上げている。
母に、嘘がばれるのも時間の問題だろう。
サマンサが「正気に戻って」くれるまで待つくらいしか、できることがない。
「今夜は、きみと彼女の婚約が発表されるはずだろ? 彼女が、めかしこんで来るまで待っているのか? まぁ、ちょっとは見栄えが良くなっ……」
「やめろ、マックス」
隣に座ってきたマクシミリアンの肩を、手の甲で軽く叩いた。
サマンサの体型についての話も、うんざりだったのだ。
彼女から手紙が届いて5日。
ティモシーは、どうにかならないかと考えてばかりいた。
頭の中を、サマンサでいっぱいにしていて気づいたことがある。
(僕が嫌だったのは、彼女が努力をしないことであって、体型自体ではなかった。男女の関係になるのは難しかったが……サマンサは優しくて、気遣いができて……一緒にいると、ホッとできる女性だった)
サマンサとの仲を周囲に知らしめるためだけならば、別邸に足しげく通う必要はなかったのだ。
別邸は、ティモシーの安らぎの場となっていた。
煩わしく指図ばかりしてくる母に、いつも首根っこを押さえつけられている気分でいたが、別邸にいる時だけは解放される。
弱音や愚痴も、サマンサは根気強く聞いてくれ、慰め、励ましてくれた。
彼女に愛されていると思っていたから、なんでも話せたのだ。
「なにかあったのか?」
「サマンサは、アドラントから帰って来ない」
「だが、今夜の話はしたと言っていただろう? まさか、帰り道で攫われたなんて言わないよな?」
それならば、探しにも行けたし、母に嘘をつくこともなかった。
問題なのは、サマンサが自らの意思でアドラントにいるということだ。
しかも、土地柄、ティモシーが出向いて、説得することもできない。
「サマンサは……彼女は、アドラントにいる。帰る気がなくなったらしい」
「そんなことがあるか! きみと婚約まで決めておいて、今になって引っ繰り返すとは、どういうつもりだ! 正式にティンザーに抗議しろよ、ティム!」
それも、ティモシーにはできない。
抗議する「権利」がないからだ。
「サマンサには、親に話してからだと、返事を待たされていた」
「えっ?! きみから求婚はしたが、彼女の合意を得ていなかったのか……だが、きみが別邸に通い詰めだったのは、周りも知っている。既成事実という……」
マクシミリアンの言葉が止まる。
それが「既成事実」にならないことを、マクシミリアンは知っていた。
リディッシュの夜会で、ティモシー自身が言ったのだ。
『別邸に通ってはいても、僕が、彼女にふれたことはないよ、マックス。ベッドをともにしたいとも思えないのに、子が成せるはずないだろう』
ティモシーとサマンサの間に、男女の関係はない。
深い仲だったと嘘をついても、別の男性と親密になれば、たちまち露見する。
彼女が8の時歳から近くにいたのだ。
サマンサが純潔であるのは、誰よりも知っている。
「こうなるとわかっていれば無理をしてでも、ベッドをともにしておくべきだったな、ティム。その気になれないのはわかるが……」
「今さらな話さ」
からかわれるのがわかっていたため、マクシミリアンには話していないことが、いくつかあった。
ティモシーは、サマンサにまったくふれていないわけではない。
手も握ったことがないというのは、本当だ。
だが、彼女の膝を枕に寝転がったり、そのティモシーの髪を彼女は撫でたりしていた。
たいていはサマンサがふれてきていたわけだが、不思議と嫌ではなかったのだ。
ラウズワースでの抑圧された暮らしに疲れた際、ティモシーからサマンサの肩に頭をあずけたこともある。
どれも、サマンサが去ってから、思い出していた。
サマンサは、不快な女性ではない。
ティモシーは、あれから、よくよく考え直している。
(僕は、ただ腹を立てていただけだった。もどかしさもあった……)
マクシミリアンを筆頭に、貴族たちは、サマンサを嘲笑っていた。
外見だけで判断をするなと、ティモシーには言えない。
ラウズワースで生まれ育った彼自身も、容姿へのこだわりを持っている。
だからこそ、サマンサが少しでも「見られる」ようになれば、周囲の風当たりも弱くなると思っていた。
内面は悪くないのだから夜会に連れて行っても自慢できるのにと、それが、もどかしかったのだ。
「それにしてもアドラントでなにがあった? あそこは、それほど楽しい場所とは思えない」
ティモシーは答えず、黙り込む。
幼馴染みのマクシミリアにも言える話ではなかった。
(ローエルハイドの愛妾になったなんて言えるはずがない。だいたい、サマンサが婚姻に気弱になって、嘘をついている可能性もある。こちらからは確認のしようがないのだからな)
黙り込んでいるティモシーに気を遣ったらしい、マクシミリアンは、それ以上、聞いては来ない。
逆に、気軽な調子で話しかけてくる。
「それなら、ここで、夜会をやり過ごすことにしよう。私も、きみへの義理で来ていただけだからな」
「パートナーはいいのか?」
「今夜は1人だよ」
言われてから気づいた。
マクシミリアンは、サマンサを連れでの夜会に、パートナーを伴わない。
サマンサと、自らのパートナーが比較されることがないようにとの配慮だ。
誰を伴おうが、サマンサが悪目立ちしてしまうのを気にかけてくれていた。
「僕につきあわせてばかりで、すまない。きみには感謝しているよ、マックス」
「いいさ。当主の芽もない私には友人が少ないからな。大事にしないと」
マクシミリアンは笑っていたが、ティモシーは笑えずにいる。
このまま、サマンサとの婚姻がなくなれば、分家を継ぐどころではない。
母に切り捨てられ、辺境の地に飛ばされるに違いないのだ。
先日、訪ねて行った際の、レヴィンスに取られた、そっけない態度も気になる。
あれ以来、ティンザーとの繋がりは切れているも同然だった。
(僕が出した手紙くらいは読んでもらえているだろう。その返事を待つしか……)
つきかけた溜め息が、口から出る前に止まる。
大きな音を立て、私室の扉が開いたからだ。
「父上、母上……?……」
2人とも真っ青な顔をしている。
驚いて立ち上がったティモシーに、母親が駆け寄ってきた。
掴みかからんばかりの勢いだ。
「あ、あなたって子は……っ……よくも、私に嘘をついたわねっ!!」
「い、いったい、なんの……」
「しらばくれるのはおやめなさいっ! 体調が悪いと言っていた女が、どうして、夜会に来ているのっ?」
「え………」
茫然となっているティモシーに、烈火のごとく怒っている母が言う。
最も知られてはならないと思っていたことを。
「サマンサ・ティンザーは、ローエルハイド公爵の“特別な客人”ですってね!」




