正式と代理 1
サマンサは、馬車で夜会の会場に向かっていた。
正面には、ジョバンニが座っている。
無表情ではあったが、サマンサを観察している気配を感じた。
よほど「特別な客人」に不満をいだいているのたろう。
気持ちは理解できるが、サマンサとて、好きで、この立場にいるのではない。
そのため、ジョバンニの無表情さと目つきが癇に障った。
結局、髪を結ってしまったので、顔が隠せずにいる。
それもあって、じろじろ見られている気分にさせられた。
「値踏みするような目で見るのは、やめてちょうだい」
ぴしゃりと言ったが、ジョバンニは平然としている。
「値踏みする必要があるとでも? 旦那様の“特別なお客様”だというのに?」
淡々とした口調で言い返され、サマンサは眉をひそめる。
当てこすりの類は嫌いだ。
ジョバンニの言葉は、直線的に過ぎる。
遠回しな皮肉なら避けようもあるが、直線で来られると真正面からの打ち合いをしなければならない。
「ラウズワースのご子息との婚姻が、それほど不本意だったとは」
その言葉に、キッと、ジョバンニをにらみつける。
ジョバンニは、どうしても彼女を、狩場に引き出したいようだ。
サマンサがにらんでも、口を閉じようとしなかった。
「政略的な婚姻は、めずらしいことではないかと」
「あなたには関係ないわ。よけいな詮索はしないほうがいいわよ?」
「一般論を口にしたまでですが」
「人には、いろいろな事情があるでしょう?」
「ええ、もちろん。婚姻を拒むために、特別な客人になるかたも……」
「私にとっても、予定外だったわ!」
これだから、正面からのやり合いは嫌いなのだ。
言わなくてもいいことを言ってしまった。
ジョバンニが、わずかに目を細める。
それだけで、自分の意図を悟られたことに気づいた。
「つまり、あなたは旦那様との婚姻を望んでおられたと?」
「どうかしら」
短く答え、横を向く。
これ以上、ジョバンニに答えを渡すのは不本意だ。
条件には、口外しないことも含まれている。
「旦那様が婚約されていると、ご存知でない?」
「今は“存じて”いるわよ」
「なにを対価に?」
はっきり言って「対価」については、棚上げになっていた。
愛妾本来の「対価」は条件に含まれていないと念押しもされている。
だから、訊かれたって、答えようがない。
サマンサは、顔を横に向けたまま、ぶっきらぼうに言った。
「あら、あなたは知らないの? “特別な客人”が、なにを対価にするか。それとも、私にそうした魅力がないと言うつもり? だとすれば、あのかたの趣味を馬鹿にしている、ということになるわね」
「旦那様は、悪ふざけが過ぎるおかたですので」
その言葉に、サマンサはたじろぐ。
自分の感情に、戸惑っていた。
彼の甘い囁きやなんかが「悪ふざけ」だと、わかっていたはずだ。
なのに、胸の奥が、ちくちくする。
(ああ、まずい……ティミーのことで、あれほど懲りたと思っていたのに……)
うっかり彼の言葉を本気にするところだった。
どこかで、本気ならいいのに、と考えていたのかもしれない。
ともかく、彼が魅力のある男性だというのは事実なのだし。
「彼は、あなたに、そう思われていると知っているのかしら?」
「もちろん、ご承知かと」
だとすれば、彼の態度を真に受けてはいけない、ということになる。
ジョバンニは執事以上の存在だ。
それほど近くにいる者が「悪ふざけ」と言っている。
サマンサは、ジョバンニほど彼を知らないため、印象で受け止めざるを得ない。
比べれば、どちらが正しいかは判断に容易かった。
小さく息を突いた時、馬車が止まる。
会場についたらしい。
ようやく、この不愉快な会談も終わりだ。
「私を気に食わないと思っているのは、よくわかったわ。でも、ここからは態度を改めてちょうだい。あなたは“私の”エスコート役だってことを忘れないで」
「片時も忘れることはございませんので、ご安心を」
どうだか、とは思ったが、口には出さない。
すでに馬車の扉は開かれている。
ジョバンニには、上手くやってもらわなければ困るのだ。
機嫌を取る気はないが、機嫌を損ねる気もなかった。
馬車を降り、差し出された腕に軽く手を置く。
ティモシーと夜会に出席していた時は、しっかり腕を回していたが、今となっては、そんな気持ちになれない。
ジョバンニが相手だからではなく、マクシミリアンの声が、耳にまとわりついているのだ。
ジョバンニは、彼の代理として、否応なしに、サマンサをエスコートしている。
もしかすると、内心で、ゾッとされているかもしれない。
想像して、サマンサのほうがゾッとする。
自分の知らないところで、そこまでの不快感を人に与えていた。
気づいてしまうと、腕に手を乗せるだけでも躊躇ってしまう。
それでも、形だけは整える必要がある。
ゾッとされていようが、ジョバンニには耐えてもらうしかないのだ。
入り口で、ジョバンニが招待状を渡していた。
受付係が訝しそうな表情をしていたが、サマンサも心の中で首をかしげる。
(あれは、ティンザー宛の招待状ではなかったわ。お父さまたちは、欠席で返事を出しているって、彼が言っていたし……この人、貴族なのね……)
ジョバンニは貴族爵位を持っているに違いない。
招待状にも2種類あり、主催者から直接に出されたものと、出席する上位貴族が同伴者として下位貴族を誘うものとがある。
聞いたことはないが、おそらくローエルハイドの下位貴族なのだろう。
(ローエルハイドの下位貴族……名を知らないから、新しい家門ということ?)
話しておいてくれればよかったのにと、少しムッとした。
会場で、誰かにジョバンニのことを聞かれた際、困るのはサマンサなのだ。
なにしろ、ジョバンニについては、ローエルハイドの執事で、無礼な人だということくらいしか知らずにいる。
会場の手前で、不意に、ジョバンニがサマンサのほうに顔を向けた。
穏やかに微笑んでいる。
無礼な人ではあるが、サマンサに恥をかかせようとは思っていないらしい。
「あなた、そういう顔もできるのね」
「自分で言うことではありませんが、私は優秀なので」
憚らない台詞に、思わず、小さく笑った。
おかげで、緊張がほぐれる。
なににしろ、ジョバンニに任せて、自分は控えていればいい。
挨拶さえすませれば、相手に話しかけられたり、連れの男性に促されたりしない限り、女性は率先して話す必要はないのだ。
「お心のご準備は?」
「できているわ」
大ホールに足を踏み入れたとたん、一瞬、ざわめきが消える。
が、すぐに、ひそひそ声が聞こえてきた。
こういう「うんざり」には慣れっこだ。
ジョバンニとともに、ラウズワース夫妻に挨拶に行く。
当然のことながら、2人はサマンサを見て驚いていた。
(息子と婚約するはずだった私が別の男性にエスコートされているのだから、驚くわよね。でも、本当に、びっくりするのは、このあとなのだけれど)
「私は、ローエルハイド公爵様の代理としてまいりました。サマンサ姫は、公爵様の“特別なお客様”ですので、ご配慮のほど、お願いいたします」
ジョバンニのそつのない言い回しにも、周囲はまた静まり返る。
ラウズワース夫妻、とくに夫人は、今にも倒れそうなほど顔色が悪い。
「ほ、本当に……彼女は、公爵様の……」
「はい。“特別なお客様”にございます。アドラント領、ローエルハイドの屋敷に、サマンサ様が住まわれるようになって、半月は経つでしょうか」
サマンサは笑みを浮かべて、うなずいた。
「そうね。だいたい、それくらいになるかしら」
「王都を離れられて、ご不自由はございませんか?」
「ちっとも。むしろ、とても快適ね。彼、私のために、いつも、新しい花で部屋をいっぱいにしてくれるのよ? 私の部屋を出る前に、必ず入れ替えてくれるわ」
本邸はともかく、別邸が快適なのは、本当だ。
勤め人たちも、サマンサによくしてくれる。
彼が、しょっちゅう新しい花をくれるのも事実だった。
気遣いは不要だと言っても、彼は、その習慣を変えようとしない。
「ああ、ほかの方々にも、ご挨拶をしなければなりませんので、それでは」
ジョバンニが、やはりそつなく言って、ラウズワース夫妻に背を向ける。
挨拶もなしに、その場を離れることに罪悪感はいだかなかった。
彼らは、サマンサの義両親になる人たちではなく、ティンザーの敵なのだ。




