決断したからには 2
サマンサ・ティンザー。
彼は、彼女の姿を眺める。
ある意味、有名な公爵令嬢だ。
サマンサは行く先々で、嘲笑されている。
およそ「貴族らしくない」体型が、その理由だった。
すとんと背に落ちる美しく長い金色の髪と、薄い緑色の瞳は魅力的でさえある。
だが、その瞳は腫れぼったい瞼に半分ほど隠されていた。
ドレスをあつらえるためには、一般的な令嬢の2倍以上は布が必要だろう。
コルセットで腰を締められるとは、到底、思えない。
とはいえ、彼は、それほど外見にこだわりを持っていないのだ。
それより、人柄を優先する。
いくら外側が良くても、中身が腐っている者は相手にしない。
いっときベッドをともにする女性相手にも、優先順位を変えたことはなかった。
(ドワイトとリンディの娘なら、おかしな女性ではないと思うが)
サマンサの両親は、貴族にしては「まとも」な部類に入る。
実直で誠意があり、中立で物を言うことを信条としていると知っていた。
その2人の娘という点で、彼は会ってみることにしたのだ。
話を聞いてから「まとも」かどうか、判断してもいいと思っている。
「それで?」
一瞬、サマンサがたじろいだように見えた。
だが、彼女は、両手を膝の上で握り締め、正面から彼と視線を交えてくる。
それだけでも称賛ものだ。
たいていの貴族は、彼と目も合わせられないのだから。
「お願いがあって、こちらに伺いました」
「だろうね」
なにかなければ、アドラントくんだりまで、わざわざ来たりはしない。
なにしろ、アドラント領内は、足を踏み入れるのに手間がかかる。
貴族だからと言って、簡単に入れる土地ではなかった。
比較的、商人の出入りは緩やかだが、許可証を必要とはしている。
むしろ、貴族のほうが出入りは難しい。
縁戚関係の者でもいなければ、ほとんどの場合、許可は下りなかった。
元は別の国であったため、ロズウェルド本国とは切り離されている。
法治外という、ある種の「特権」がある土地柄で出入りを自由にすれば、なにかと厄介事が増えるものだ。
その手間を乗り越え、サマンサは、彼を訪ねてきている。
必然的に、差し迫った「なにか」があると考えられた。
しかも、彼でなければならない「なにか」だ。
「私と、婚姻……いえ、婚約していただきたいのです」
「へえ。初対面で求婚とは、なかなか大胆だねえ」
軽口にも、彼女の表情は崩れない。
強い意志の持ち主だと、感じる。
率直なところは、悪くなかった。
彼女の「依頼」にも、少しばかり興味がわく。
「便宜上のものでかまいません。一定の時期が過ぎたあとは、そちらから解消していただくことを前提に、お話をさせていただいております」
「しかし、それでは、きみの評判に傷がついてしまうじゃないか」
「かまいません。あとから、約束を違えることもないと誓います」
彼は、サマンサの意図を悟った。
彼女には、婚約も間近とされる相手がいる。
その婚約が公になる前に、破談に持ち込みたいと考えているのだ。
(相手は、格上のラウズワース公爵家だ。次男と言えども、ティンザー側から断るのは、都合が悪いというところか)
だとしても、腑に落ちたわけではない。
相手が格上だから言い出しにくい、というのは、わかる。
とはいえ、まだ婚約もしていないのだから、身を引くことはできるはずだ。
簡単な話、相手と距離を置けばすむ。
「きみが、私を標的に定めたのは、わからないでもないがね。なぜそうしなければならないのかという理由がわからない」
「それには……いろいろと理由があります」
「では、その“いろいろ”を聞かせてくれ」
サマンサが、きゅっと唇を横に引いた。
だが「理由」も話さず、承諾してもらえるとは思っていなかったに違いない。
細かい瞬きを繰り返しながらも、彼女は視線をそらさずにいる。
どうしても破談に持ち込みたいという、固い決意があるのだろう。
「……ティミー……ティモシー・ラウズワースと私は、ひと月もしないうちに婚約することになっています。ですが、私は、そうなる前に破談にしたいのです」
「その話自体をなかったことにしたい、という意味だね?」
「その通りにございます」
「理由は? 彼とは長いつきあいだったろう?」
ぎくっとした表情を浮かべたサマンサに、軽く肩をすくめた。
彼の知らない貴族などいない。
隅々までとは言わないまでも、おおまかには、常に状況を把握している。
碌でもないことがほとんどだが、嫌でも耳に入ってくるのだからしかたがない。
「仰る通り、私が彼と会ったのは、もう十年も前になります。社交界デビューの時には、彼がエスコート役を務めてくれました」
確か、彼女は今年で18歳になる。
ということは、8歳の時からのつきあいだ。
ラウズワースの次男が、14歳のサマンサの社交界デビューに花を添えたことは聞きおよんでいる。
ただ、十年にもおよぶつきあいだとは知らなかった。
「元々、彼は父と絵画の趣味を通じて懇意になりました。その縁で、私とも懇意にしてくださっていたのです。その後、エスコート役をしていただいたのをきっかけに、向こうから婚姻の話が出るようになりました」
「きみは、まだ彼と婚姻していないようだが?」
わざと嫌味な言いかたをして、サマンサの出方をみる。
怒るか笑い飛ばすか、曖昧に言葉を濁すか。
そのいずれでもなく、サマンサは、せつなげに小さく溜め息をついた。
「16歳の時、彼から1年だけ待ってほしいと言われたのです。彼が25になれば分家を継げるからと」
「おかしいな。私の勘違いでなければ計算が1年合わない。彼は26だし、きみは18だと思っていたよ?」
「……ええ。その通りです。勘違いではありませんわ」
「きみは、それを不審に思わなかったのかね? 約束が違うと怒ったりは?」
ロズウェルドでは、早くに婚姻する女性が多い。
というのも、出産適齢期の幅が狭いからだ。
16歳から18歳が最も適しているとされている。
当然のことながら、それには理由があった。
25歳まではまだしも、それを越えると母子の死亡率が極端に上がる。
母親か子のどちらか、または、その両方が命を落とすのだ。
だからといって、25歳までなら安心かと言えば、そうでもない。
それほど高くはないというだけで、やはり命を落とす可能性はあった。
確実に両者の命が安定して保証されるのが、16から18なのだ。
つまり、最も安定している時期を、彼女は、すでに1年以上も無駄にしたことになる。
もちろん、20歳を越えての出産もめずらしいというほどではない。
多少の危険は承知の上で、子を成すこともあるのだ。
とはいえ、早いに越したことはない。
とくに貴族であれば、なおさらだった。
分家であろうと、後継者は必要となる。
「16歳になった時に、私は別邸で暮らすことにいたしました。彼が自由に出入りすることを許してほしいと、父に頼んだのも私です。彼は頻繁に私を訪ねてくれていましたし、ほかの女性と遊んでいるとの話も聞きませんでした」
「だから、問い質しもせず、黙って待ち続けていたというわけか」
「捨て置かれていると感じたことがなかったものですから」
サマンサが、少し強い調子で答えた。
彼女自身、問い質さなかったことを悔やんでいるらしい。
「それほど、彼がきみに夢中だったのなら、なぜ、きみは1年以上も待たされたのかな? きみだって、待つことが苦にならないほど、彼に心酔していたのではないかね? なのに、今さら、しかも、きみたちの想いが叶う目前になっての心変わりとは、驚かずにいろというほうが無理だな」
初めて、サマンサが視線をそらせて、うつむく。
握り締めた手を見つめているようだった。
そうしていると、驚くほど脆く、か弱い女性に見える。
さっきまでの強気な姿勢とは、真逆の印象が漂っていた。
「……人が聞けば笑うようなことでも、私にとっては大きな理由となりえることがありました」
「そういうことは、いくらでもあるさ」
「私の……両親を、ご存知なのでしょう?」
「ドワイトとリンディなら、知っている。2人とも好ましい人物だね」
「私にとって婚姻とは、あのような形なのです。たとえ、結果としてであっても、という意味ですけれど」
だんだんに、彼女の話の中身が見えてくる。
と、同時にサマンサに対する興味も出てきた。
実のところ、彼には「婚約者」とされている相手がいる。
彼はともかく、少なくとも彼の周囲の者たちは、そう思っていた。
もちろん、そのことを隠すつもりはない。
ただ、サマンサの話を聞いてから、どうするか、決めるつもりでいる。
(まぁ、どちらに転んでもかまやしないさ。いずれにせよ、選ぶのは彼女だ)