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踏み出す勇気を 3

 彼は、連日のように、サマンサの私室にいた。

 なにをするでもなく、ソファに寝転がっている。

 時折、会話を交わしても、サマンサが不愉快になって終わるか、彼が姿を消して終わる。

 

(いったい、なにをしに来ているのかしら。食事は本邸でとっているって話だったけれど、彼女と過ごす時間を取らなくて大丈夫なの?)

 

 彼は、婚約者を大事にしていて、傷つけることはしない。

 それは間違いないと判断していた。

 サマンサだって、婚約者を傷つけたいなどとは思っていないのだ。

 そのため、こんなふうに、のんべんだらりと過ごしている姿を見ると、そわそわしてしまう。

 

「今日はまた、ずいぶんと落ち着かない様子だね」

「あなたが、ぼうっとそこに寝転がっているからよ。アシュリリス様と散歩をして来たらどう? 街に出るとか」

「そう言えば、今度、夜会に行くと話していなかったかな」

「そう。それは良かったわ」

 

 サマンサは、少しホッとする。

 婚約者との時間を、自分が奪っている気がして、心配だったのだ。

 彼女としては、彼が別邸に来なくても、かまわなかった。

 どうせ不愉快にさせられるに決まっているのに、彼と一緒にいたいわけがない。

 人目を忍ぶため夜にはなるが、中庭を1人で散歩して気晴らしもしている。

 

「ほら、これ」

 

 彼は、寝転がったまま、指先2本で、なにかを投げる仕草をした。

 すると、テーブルの上に、封書が現れる。

 夜会の招待状だと、すぐにわかった。

 しかも、その印璽(いんじ)を見て、どこの主催のものか、瞬時に理解する。

 

「ラウズワースの夜会? あなた、この夜会に行くの?」

 

 心臓が、わずかに鼓動を速めた。

 いよいよ「破談」に向けて、彼が動いてくれる気になったのだ。

 思う、サマンサに、彼はこともなげに言う。

 

「きみもね」

「なんですってっ?!」

「当然だろう? 主役が行かなくて、どうするね?」

「そ、それは……そうだけれど……」

 

 彼に任せきりにして、自分はなにもしなくていい、とは思わない。

 だが、夜会に「愛妾」を伴うなんて、外聞の悪い話だ。

 大勢の貴族を前に、彼との関係を「誤認」させるのは、気が重かった。

 サマンサは、大きく溜め息をつく。

 

「きみの晴れ舞台となるのに、憂鬱そうじゃないか」

「あなたや両親に外聞の悪い思いをさせるのよ? 確実に破談になると、わかっていても、気が滅入るわ。エスコートをしてくれるあなただって、なにを言われるかわからないし……」

「私は、きみのエスコートはしない」

「え……?」

 

 彼がクッション代わりに頭の下に置いていた右腕を抜き、手のひらをサマンサに向けていた。

 わかるだろう?という仕草だ。

 サマンサの顔から血の気が引く。

 

「あなた、まさか……アシュリリス様も連れて行くつもり……ではないわよね?」

「もちろん、彼女のエスコート役は、私だ」

「なんですってっ?!」

 

 さっきと同じ台詞だが、今度はソファから立ち上がっていた。

 両手を握り締め、彼をにらみつける。

 婚約者と愛妾を同伴するなんて、頭でもおかしくなったのかと思った。

 たとえ14歳という幼さでも「特別な客人」が、どういう意味かくらいは知っているはずだ。

 

 自らの婚約者が、同じ夜会に愛妾も連れて行く。

 傷つかないとは、とても思えない。

 仮に、彼女自身が傷つくことはなかったとしても、評判には傷がつく。

 

「それなら、私は行かないわ!」

「これは決定事項でね。きみの意思を尊重する気はないよ」

 

 立っているサマンサを、寝転がっている彼の視線が貫いていた。

 瞳は、ひどく冷たい。

 しばし、にらみあったのち、サマンサは、すとんとソファに腰をおろす。

 誰のためだ、と言われたら、反論できないからだ。

 

「ねえ……本当に大丈夫なの? 私は言われ慣れているから平気だけれど、彼女が傷つくようなことにならない?」

「私は、きみに誓ったはずだ」

「あなたはともかく、周りは口さがない連中ばかりなのよ?」

「だから、私がエスコートをするのさ」

 

 彼が一緒にいれば、嘲笑されることはないのだろう。

 それを許すような彼ではない。

 一応は、納得した。

 サマンサは、晴れやかな登場をしたいとは思っていないのだ。

 自分1人が笑われてすむのなら、そのほうがいい。

 

「きみのエスコートは、ジョバンニがする」

「嫌よ! ジョバンニって、あの執事でしょう?! 彼、私を嫌っているのに!」

「これを機会に、是非とも仲良くなってくれ」

「それは、あの無礼な執事に言ってちょうだい!」

 

 彼は立ち上がって歩いてくると、サマンサの隣に座る。

 そして、左手を取った。

 体が、びくっと震える。

 

 『あの、ぶにゃぶにゃした手で掴まれるかと考えただけで、ゾッとする』

 

 マクシミリアンの言葉が頭をよぎったのだ。

 見た目だけではなく、感触を想像して、人に不快を与える。

 サマンサの心の中、とても深い場所が、じくじくと痛んでいた。

 表面上は傷ついていないとしながらも、心の底では、ひどく傷ついている。

 だから、ティモシーとマクシミリアンの会話について、彼に話さずにいた。

 結局、すべて吐露させられてしまったわけだが、それはともかく。

 

「私は、アシュリーのエスコートをするが、きみを1人で行かせはしない」

「……別に、かまわないわ。1人でも、私は平……っ……」

 

 いきなり、ぐいっと手を引かれ、体が横にかしぐ。

 頬が、彼の肩にぶつかり、びっくりして、サマンサは彼を見上げた。

 

「きみに惨めな思いは絶対にさせないよ、サム、サミー」

 

 じっと見つめてくる黒い瞳に、吸い込まれそうになる。

 心の底まで見透かされている気がして、また気持ちが弱くなった。

 言い返すこともできなくなっているサマンサの顎が、くいっと引き上げられる。

 彼の顔が近づいてきても、サマンサは目を伏せることも忘れていた。

 

 が、唇は重ならなかった。

 口づけられたのは、唇の横。

 

「ドレスも装飾品も用意してあるから、安心しておくれ」

 

 ぱち。

 

 サマンサは、一気に我に返る。

 平静さを装うつもりだったが、勝手に頬が熱くなっていた。

 なにしろ、こんなことをされたのは、生まれて初めてなのだ。

 ティモシーには、夜会以外では手も握られていなかったし。

 

「ドレスって……また私の部屋に勝手に入ったの?」

 

 この場合の「私の部屋」は、ティンザーの屋敷のほうを指している。

 頬は熱いが、意地でも狼狽(うろた)えた姿は見せたくないと、サマンサは必死だ。

 彼が反対の手を伸ばしてくる。

 また体がびくっとした。

 今度は「なにをされるのか」という警戒からだ。

 

「こちらで仕立てさせたものだよ、サミー」

 

 彼の手が、サマンサの額にかかる髪を、ゆるくかきあげる。

 額が露わになり、ひどく心もとなくなった。

 父や兄が親しみをこめて、額や頬に口づけることはある。

 彼だからといって、怯むことはない。

 気持ちを、なんとか立て直す。

 

「私、採寸をした記憶がないのだけれど、眠っている間に、小さな職人でもやってきたのかしら?」

「きみの寝室に私以外の者が入ろうとしたら、それが小さな職人であっても、ただではおかないね。ちなみに採寸は、私がした」

「いつ? どういうこと? 魔術でも使ったの?」

「魔術など必要ないさ。目と手があればね」

 

 少し考えたあと、カッとなった。

 彼の手を振りはらって立ち上がる。

 

「よくも、そんな破廉恥な真似ができたわねっ! 冷酷で人でなしなだけじゃ足りないというのっ?! 人の手紙を読む恥知らずではないかもしれないけれど、別の意味で、あなたは恥知らずだわっ!」

「きみには、あの薄い紫が、よく似合うだろうなあ」

「あ、あなたって人は……っ……いつだって、私をからかって……っ……」

「からかってなどいないさ。だが、あまり怒らせるのも良くないな。きみを、ぶっ倒れさせたくはないのでね。夜会、楽しみにしているよ、サミー」

 

 言いたいことだけを言い、彼は姿を消し、花があふれた。

 サマンサはソファに、どすんと腰を落とす。

 彼の言う通り、ぶっ倒れそうだったからだ。


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