人でなし主のじゃじゃ馬慣らし 2
彼は、サマンサの怒った顔を魅力的だと感じる。
それは、家族にも見せない表情だからかもしれない。
初めて出会った時、彼女には「礼儀正しく振る舞うな」と言った。
なぜ、そんな条件をつけたのか、理由を今も覚えている。
初めてサマンサを怒らせた時、彼は、彼女から「令嬢らしさ」を奪えたことに、満足した。
よそよそしく礼儀正しい振る舞いが、気に食わないと感じていたからだ。
以来、なにかにつけ、サマンサを怒らせている。
(我ながら、子供じみている。それでも、やめられない)
くくっと、彼は喉の奥で笑った。
サマンサは、さらに怒って、彼を罵ってくる。
ほとんどの場合、彼女の罵声には腹が立たない。
むしろ、気分が良かった。
貴族的な遠回しな皮肉より、よほど清々しく思える。
本来、貴族令嬢というのは、人を罵る時も明確な言葉にはしないものだ。
高位の貴族であれば、なおさら体裁を整えようとする。
そもそも、彼に罵声を浴びせる者などいなかったが、それはともかく。
(最初に私を訪ねた時から、彼女は私を恐れていなかった)
後ろ暗いところがないので、恐れる必要がなかったとは言える。
貴族らが怯えるのは、自らの罪を吐露しているのと同義だ。
なにか咎められるようなことをしているから、彼を恐れる。
知られて困ることがなければ、恐れることなどない。
とはいえ、ティンザーには後ろめたいことはないはずだった。
ドワイトは、誠実と刺繍の入った正装でもしているかのような人物だ。
もとより、彼がサマンサと会うことにした理由でもある。
ティンザーの家風を好ましく思っていたので、追い返さなかった。
だが、そんなドワイトも、少なからず彼に恐れをいだいていたと知っている。
ほかの貴族ほどではないが、冷や汗はかいていた。
そのため、ティンザーというだけでは、サマンサが、彼を恐れなかった理由には成り得ない。
彼女は、最初から、彼の目をまっすぐに見つめてきたのだ。
彼の冷淡さにも、一歩も退かなかった。
そして、散々、心を暴かれ、疲弊していたはずなのに、彼に怒り散らしたのだ。
媚びるでもなく嘆くでもなく、怒った。
薄緑色の瞳が怒りに輝くのが、本当に美しかった、と思う。
「なによ?」
彼女は、不満げに顔をしかめていた。
唇を尖らせ、小さく、彼をにらみつけている。
「今、きみに口づけをしたら、引っ叩くかい?」
「引っ叩くわ」
「考える余地もないのか」
「ないわね」
つんっとして、そっぽを向くサマンサが可愛らしかった。
一緒にいると、愛おしいという感情が、自然に胸にあふれる。
これだから、手放せないのだ。
ましてや、この想いは、一方通行ではない。
「それなら、諦めるよ、ひとまずはね」
「しばらく諦めたほうがいいのじゃない?」
「まぁ、誓いの口づけまで待たされることはないさ」
「その自信は、どこからくるのかしら?」
「私の鼻っ柱を折る気でいるのかな?」
サマンサは答えず、肩をすくめてみせる。
彼は小さく笑い、軽くサマンサの頭に、自分の頭を、こつんとぶつけた。
「さて、それなら口づけは諦めて、行くとしようか」
どこに?と訊かれる前に、点門を開く。
室内でも良かったのだが、一応「儀礼的」なことも踏まえ、目的の場所の手前に門を出していた。
見える景色に、サマンサが、きょっとしたのがわかる。
「行くよ、サミー」
「え? でも……っ……」
肩を抱いたまま、門を抜けた。
大きな建物の前に、2人は立っている。
あまり好ましい場所ではないが、見慣れた場所でもあった。
さりとて、サマンサにとっては違うのだ。
「こ、ここ……王宮、よね?」
「そうとも。ほかの建物には見えないね」
サマンサは、ずっと外出を控えて暮らしている。
そのため、彼と訪れるまで、劇場にすら行ったことがなかった。
当然に、王宮に入ったこともないはずだ。
ドワイトは王宮の重臣だし、リンディも夫を支えるため社交に精を出している。
公爵令嬢であれば、王宮に入った経験があっても、おかしくはない。
どこでも入れるわけではないが、令嬢たちの社交のため、解放されている場所もあるのだ。
高等な貴族教育を望めば、王宮で学ぶこともできる。
だが、サマンサは、一部の貴族屋敷とティンザーの屋敷しか知らずにいた。
彼のところに来てからも、別邸に籠りきり。
彼が連れ出さなければ、夜会や劇場にだって行くことはなかっただろう。
公爵令嬢として当然にある権利を放棄してきたと言える。
「式の会場を見ておきたいかと思ってね。いきなり当日を迎えるというのも驚きがあって、楽しいかもしれないが」
「いいえ! 先に……先に見ておきたいわ」
式の準備は、なにからなにまで整っていた。
サマンサが、身ひとつで来ても困らないようにしてある。
ちょっぴり早起きをすることにはなるが、ぶらりと訪れたって、迷子になることさえないのだ。
もちろん、サマンサを1人で向かわせる気なんてないけれども。
「たかが王宮じゃないか。緊張する必要はないさ」
「あなたは来たことがあるから、そうかもしれないけれど……」
「私が来たのは、4年前が初めてでね。そのあとはご無沙汰しているよ」
4年前、彼はジョバンニの爵位を分捕るために、王宮を訪れている。
現ローエルハイド公爵家当主の初登場に、重臣たちは、真っ青になっていた。
彼は、16歳で当主になってから、アドラントで暮らしている。
王宮の重臣の前になど、1度も顔を出したことはない。
(当主になったというのも、父上が通知を出しただけだったからな)
その通知に対し、国王から書状が届けられている。
国王の御名御璽がなされた「任命書」だった。
これがなければ、当主としては認められない。
証文のない口約束のようなものに過ぎないのだ。
一般的な貴族なら、ありがたがり、直接に受け取りに行く。
下位貴族にいたっては、一生に1度、国王から直接に言葉をもらえる機会でもあった。
そのくらい、重要視されているのだが、ローエルハイドには関係ない。
懇意にしていた頃ならともかく、今は疎遠になってもいたので、わざわざ取りに行こうとは思わなかったのだ。
「ねえ、サミー」
「な、なに?」
「せっかく来たのだから、寄り道して行こうか。ちょいと緊張をほぐしにさ」
「そんな……勝手に歩き回ったりして叱られたら、どうするの?」
「いいかい、きみ」
サマンサの鼻を、ついっと指先で撫でる。
にっこりして言った。
「私を叱れるのは、きみだけなのだよ?」
彼女の頬が、ふわっと赤くなる。
その手を取り、歩き出した。
広くて豪奢な廊下に、サマンサは気後れしているようだ。
彼の腕に、しっかりとしがみついている。
借りている広間からは、少し離れた場所に向かった。
この先には、王宮図書室があるのだ。
誰でもが入れるわけではない。
許可証を持った者か、王族の許しを得ている者だけとされている。
「ねえ、本当に大丈夫?」
「きみが大きな声さえ上げなければね」
「そんなことしないわ……たぶん……」
言葉を付け足すところが、サマンサらしい。
実を言うと、2人は姿を隠している。
さっき鼻を撫でた際に、蔽身の魔術をかけていた。
周り中にいる魔術師たちには見えているだろうが、近づいて来ることはない。
魔術師だからこそ、彼に「物申す」者はいないのだ。
彼は、サマンサを連れ、王宮図書室に入る。
そして、足をとめてから、ある方向を指さした。
サマンサが声を上げかけ、片手で口を押さえる。
その口から、小さな声がこぼれていた。
(ここからは、こちらで話そう。図書室では静かにしなければね)
彼は、即言葉で、サマンサに呼び掛ける。
サマンサは視線を前方に向けたまま、小さくうなずいた。