幸せの手前には 3
ジェシーは、フレデリックの中にいる。
とはいえ、ラウズワースの息子の時とは異なっていた。
中に入ったというより、中に「いる」のだ。
ラウズワースの息子の体には、虫になって入り込んだのだが、それとは違う。
「なにもできないってことはないだろ! 僕の体を動かしているじゃないか!」
(ちょっとからかっただけじゃんか。それに、羽ペンも紅茶も、お前が、どうでもいいって思ってたから動かせただけだぞ。オレのせいばっかりみたいに言うな)
「僕を、自死させないようにしていることは?」
(それは、オレが生きてたいから? だいたいサ、お前、魔力、持ってねーだろ。魔術なんか使えねーよ)
フレデリックは、意味がわからないというように首を横に振った。
そして、ソファに、ドサッと腰を落とす。
額を手で押さえ、ひどく悩ましげな表情を浮かべていた。
といっても、はっきりと見えるわけではなくて、感覚でしかないのだが、それはともかく。
「そもそも、なんで死んでないんだよ、お前」
(え? 死んだケド?)
「死んでないだろ! こうやって、僕の中にいるじゃないか!」
(うーん、死んだから、お前の中にいるっていうカンジ?)
「わかるように話せ!」
と言われても。
ジェシーは、説明が得意なほうではない。
誰かに、説明をしたり、教えたりするような経験が少なかったからだ。
祖父がジェシーの駒としてつけた者たちには、指示をするだけだった。
事細かに説明したことなどない。
(お前が訊けば? そんで、オレが、それに答える。そのほうが簡単だろ)
フレデリックが、不満げに呻いていたが、妥当な提案をしたと思っている。
そのほうが手っ取り早いのは確かなのだ。
「お前は、本当に死んだんだな?」
(こーしゃくサマに殺された。せっかく復元した体も、ぜーんぶバラバラにされて燃やされたんだぜ? あれで生きてられる奴なんていねーよ)
「……体の復元は、もうできないのか?」
(できねーな)
「どうして? 前はできたんだろ?」
(あのさあ、体の復元すんのに、どんだけ魔力がいると思ってんの? 前は予備の魔力があったし、あらかじめ魔術かけといたから、できたってコト)
ジェシーは、フレデリックの中にいる。
(お前は魔力を持ってねーから魔術は使えないって、さっきも言ったじゃん)
ということなのだ。
フレデリックは「持たざる者」だった。
ラウズワースの息子のように、ジェシーの魔力を「食わせて」もいない。
そもそも「入れ物」に魔力を蓄積するのは効率が悪く、長い年月をかけなければ、使えるほどの量にはならないのだ。
ラウズワースの息子には8年も食わせてきたが、それでも足りなかった。
フレデリックは、そういう「入れ物」ですらない。
「どうやって、僕の中に入った?」
(入ったってのとは、ちょおっと違うんだよなー。オレの魂の欠片が、お前の中にあるってカンジ)
「魂の欠片?」
(そう。体と魂みたいなものを切り離すっていう魔術があってね。それを使うと、体が死んでも、完全には死なないし、魔力次第で、体も復元できるんだ)
森に行く前、ジェシーは、その魔術を使っていたから、生き延びられた。
結果として、2度目はなかったわけだが、それはともかく。
「それが、僕の中にあるって言うのか?」
(お前の腹に穴あけたコトあったじゃん? あン時に、ちょっとだけ置いといた)
「つまり、こうなるって見越して、なにか企んでたからだろう!」
フレデリックが、なぜか怒っている。
怒られている理由が、ジェシーにはわからなかった。
なにしろ、今のジェシーは、ジェシーが考える「脅威」とは成り得ないのだ。
命の危険に晒されているというのならばともかく、危険でもなんでもないのに、怒る意味が理解できずにいる。
(こうなるって見越してたってのは、半分正解。こーしゃくサマに、殺されちゃうかもしれない危険は、いつでもあったからサ)
「僕は、そのために使われたわけか」
(んー……どうだろ……)
少し考えてみた。
フレデリックの腹に穴を空けた時のことだ。
ジェシーは、いつも来たるべき公爵との対峙を意識はしていた。
だから、ちょうどいい、と思っている。
ジェシーは、それまで体と魂を切り離したことがなかったからだ。
ただし、すべてを切り離すわけにはいかない。
失敗したら取り返しがつかなくなる。
結果、ほんの少しだけ切り離し、フレデリックの中に置いてみることにした。
(まあ、そーかも! 実験?みたいなもんだったからなー)
「実験だってっ?」
(そーだよ。でもサ、ある意味、失敗だったんだ)
「失敗? けど、こうやって、お前は、僕の中に……」
(今はね。ただ、前からいたわけじゃないぜ? オレだって、こーしゃくサマに、殺されてから、お前の中にいるって気づいたんだもん)
それまで、フレデリックを意識してはいない。
自分の欠片が残っていることにさえ気づかずにいたのだ。
不意に、目が覚めたような感覚があって、初めてフレデリックを認識している。
つまり「ジェシー」として残されたのは、この欠片だけ、ということ。
(よくわかんねーケド、本体?が死んだからじゃねーかな)
「……ほかには残ってないのか?」
(あったら、こんなことになってねーだろ)
フレデリックが、大きく息をついた。
がっくりと肩を落としている。
(そんな落ち込むなよ)
「誰のせいだと思っているんだ」
(どうせ、オレは、なんもできねーって言ったろ?)
「それなら、なにがしたいんだよ」
ジェシーには、ひとつの考えがあった。
魔力もなく、魔術も使えず、ただフレデリックの中にいるだけの存在。
それが、今の自分だ。
だとしても、ジェシーに、こだわりはない。
(オレは生きてたい)
「こんな状態で生きているって言えるのか?」
(言えるね。だって、お前と話してるだろ?)
フレデリックの魂に、ジェシーの魂は融合している。
フレデリックが生きている限り、ジェシーも生きているのだ。
ジェシーは、生きるためだけに生まれてきた。
生き残る、という目的にしか、その存在価値はない。
体があるとかないとかに関わらず、だ。
意思だけでも、十分に「生きている」と言える。
(お前は、こーしゃくサマの役に立ちたいんだっけ?)
魂が融合しているためか、ある程度は、その心がわかるようになっていた。
フレデリックの魂は、公爵だけを軸にしている。
まさに、公爵の役に立つためだけに生きているのだ。
「だったら、なんだよ?」
(旅に出ようぜ)
「旅……?」
(ロズウェルドは安泰になっても、ほかの国は違うんだぞ)
カウフマンの一族は、他国にも広がっている。
ロズウェルドが制圧されても、他国にいる者への影響は、ほとんどないも等しい。
そのように組織立てられているからだ。
(そのうち、ロズウェルドも、ローエルハイドもまた狙われちゃうかもなー)
「外にも広がっていたんだな」
(こーしゃくサマは、気づいてると思うぞ。でも、よその国なんか構うようなヒトじゃねーだろ? ティンザーの娘のこともあるしサ)
公爵は、ティンザーの娘を愛している。
ローエルハイドにとっての弱点は「愛」なのだ。
あの日、愛を知らないジェシーにも、それが、よくわかった。
(そーいう危険を、お前が懐柔して回ればいいんじゃねーか?)
「お前は信用できない。なにか企んでるとしか思えないからね」
(信用とか、よくわかんねーケド、オレは、お前と遊びたいだけなのサ)
フレデリックが公爵と会えば、自分がいることに気づかれる。
公爵は、ジェシーを殺すことを躊躇わない。
だとしても、ティンザーの娘にとっては打撃となる。
ティンザーの娘が傷を負えば、公爵にとっても、痛手だ。
それは、フレデリックにもわかっているに違いない。
ジェシーは、フレデリックと公爵を会わせたくなかった。
ロズウェルドからも離れたいと思っている。
フレデリックの死は、ジェシーの死でもあるからだ。
なにより、ジェシーは、フレデリックを気に入っている。
どうしても、手に入れたいと思ったほどだ。
あの「不思議」な感覚は、心地よかった。
本人に自覚はないが、それは、たったひとつ、ジェシーの中に、初めて生まれた「感情」だったのだ。
(なあ、オレと一緒に行こうぜ、フレディ)