報告と催促 3
サマンサは、少し、いや、かなり緊張していた。
これから、ティンザーの屋敷に行くことになっている。
どういう話をするかは、彼と相談ずみだ。
あれこれと考えた末の結果だった。
隠す気はないが、話せることと話せないことがある。
そして、話せないことのほうが多かった。
彼の死の可能性や、ジェシーやカウフマンのことは、外に出せる情報ではない。
となると、それにまつわるサマンサの行動も話せなくなる。
結果、必要が生じない限り、これまでの経緯は黙っておくことにしたのだ。
家族が知っているのは、最後に会った時の彼とサマンサの状況だった。
「気持ちのいい天気だと思わないかね、きみ」
「あなた、すごく機嫌が良さそうね……」
対して、サマンサは、居心地が悪くてしかたがない。
家族に話す内容について納得していないわけではないが、癪に障ってはいる。
彼の嫌味なほどの機嫌の良さにも、腹が立った。
「なによ、あなただけ平気な顔をして!」
「実際、私には、なにも恥じるところがない」
「そうよね! 私だけ恥ずかしい思いをするのだわ!」
「きみは、あの時、うなずいたじゃないか。その責任は、きみが果たすべきだな」
それは、彼が、うなずかざるを得なくしたからだ。
とは思ったものの、強く否定しなかった自分が悪い、との自覚もある。
加えて、これが最も穏便な方法だともわかっていた。
「それでは、行こうか」
「……わかったわ……」
心を決めるしかない。
サマンサは、差し出された彼の腕に手を置く。
点門が開かれ、その向こうに、ティンザーの屋敷が見えた。
少しばかり、きょとんとする。
彼を見上げ、首をかしげた。
「私の部屋じゃないわ」
「婚姻の報告に行くのに、いきなり室内に現れるのは失礼じゃないか」
「あなたに、そういう概念があるとは驚きね。初めて会った……いえ、会う前から私の部屋に“点”を作っていたくせに」
「今日は、特別だからね。礼儀正しくすることにしたのだよ」
抜け抜けと、彼が、そんなことを言う。
門の向こうには、屋敷の扉が見えていた。
ともあれ、礼儀正しいのは、悪いことではない。
ここからは、自分も礼儀正しくしようと思う。
長持ちするかは、彼次第だが、それはともかく。
門を抜け、扉の前に立った。
心臓が鼓動を速める。
どうしても緊張した。
サマンサにとって、人生初の「報告」となるのだ。
彼が、サマンサの手を、軽く、ぽんぽんとしてくる。
見上げると、にっこり笑いかけられ、頬が熱くなった。
本当に、こんなことになるなんて思っていなかったからだ。
便宜上の愛妾から、便宜上の婚約者になり、今は本物の婚約者となった。
「心配することはないよ、サミー。きみを1人で踊らせはしない」
黒い瞳が、優しくサマンサを映している。
少し気持ちが落ち着いた。
彼がいると、いつだって「大丈夫」と思える。
サマンサも、彼に微笑み返した。
「そうね。私も、テーブルの下で、あなたの脛を蹴飛ばさないように努力するわ」
笑い合ってから、彼が扉を叩く。
中からは、父が出て来た。
その顔に吹き出しそうになる。
父のほうが、よほど緊張した顔をしていたからだ。
「ようこそおいでくださいました、公爵様。おかえり、サム。さあ、中へどうぞ」
父に招かれ、屋敷に入る。
大き目のホールに行くと、母に、兄も揃っていた。
彼が促してくれたので、2人に駆け寄る。
父も含め、3人と抱きしめ合った。
「本当に、ごめんなさい。心配をかけて……」
「あなたのことは公爵様から聞いていたけれど、こうして顔を見て、安心したわ」
「手紙くらい寄越せばいいのに。本当に、心配していたのだからね、サム」
「公爵様に感謝しなければな。お前の体裁に傷がつかないよう、ずいぶん手を尽くしてくださったのだから」
え?と、彼を振りむく。
彼は、なんでもなさそうに、軽く肩をすくめた。
サマンサは、彼がなにをしてくれていたのか、聞かされていない。
だが、予想はつく。
(私は、フレデリックのところにいたことになっていたものね。彼の婚約者でありながら、不逞をはたらいているだのと噂されていたのだわ)
ラペルの屋敷から、サマンサは、すぐに去っている。
ただ、フレデリックから、噂になるかもしれない、とは言われていた。
協力してほしいという話だったので、とくに問題にはしていない。
あの時は、噂を立てられたほうがいいとも思っていたし。
「ドワイト、感謝など必要ないよ。それは、私のすべきことだったのだからね」
彼が歩み寄って来て、サマンサの肩を抱く。
そして、頬に口づけてきた。
2人の時にはめずらしくもなくなってきているが、人前しかも家族の前でされることには、羞恥を覚える。
便宜上の関係であれば、むしろ、平気でいられたかもしれない。
わざとらしい演技だと思えたからだ。
「なかなか、彼女を、その気にさせられなかった、私が悪いのさ」
はくはく…と、口が動くも、すぐには言葉が出て来なかった。
そんなサマンサに、彼はおかましないだ。
3人に向かって、滔々と語る。
「いやはや、本当に、今でも彼女が振り向いてくれたのが信じられないほどだよ。女性を口説くのには慣れていないのでね。勝手がわからず、ヘマをしてばかりいたからなあ。彼女の心の広さに、ますます惚れ込んでしまった」
兄のレヴィンスが、マクシミリアンに脅されていた日のことだ。
彼は、3人の前で、突然に「本物の婚姻」について話し始めた。
サマンサは憤ったあまり「新しい愛を見つける」と言い放っている。
そのあと、彼がサマンサに提案したのだ。
『きみが、新しい愛とやらを見つけられなかった時は私と婚姻する。もちろん、きみに諦めがつくまで、私は待つよ』
その言葉を、3人は絶対に覚えている。
彼も、わかっているに違いない。
「ということは……」
「もしかすると……」
「2人は本当に……」
父、母、兄が、それぞれに言いかけた。
サマンサは、恥ずかしくてたまらなくなっている。
これでは、自分が彼に「口説き落とされた」と言われているも同然だ。
あながち間違ってはいないが、相応の経緯があってのことだった。
「私は、彼女と婚姻できるそうだよ。ねえ、きみ。そうだろう?」
5人は、まだソファに腰かけてもいない。
そのため、彼の脛を蹴ることもできずにいる。
顔が、ひどく熱かった。
耳の縁まで熱い。
「え、ええ……そう……あの……私、彼と婚姻するわ……」
「新しい愛を、きみが見つけてくれて良かった。それが、私だというのが、最も、重要なことだがね」
3人の瞳が、きらきらと輝いている。
いよいよ、サマンサは、きまりが悪くなった。
恥ずかしさから、固まっている。
もう言葉も出て来ない。
「良かったじゃないか、サム!」
最初に声をあげたのは、兄だ。
兄は、以前から、彼との関係を望ましいものとしていた。
サマンサが「本物の婚姻」を断ったと知った時、誰よりも残念がっていたのだ。
兄は、すっかり彼を信頼している。
「まあ! 本当に、喜ばしいことだわ。しかも、2人は愛し合っているのね」
かあっと、体まで熱くなってきた。
走って逃げ出したくなる。
「お前も公爵様を愛しているのだから、きっと幸せになれる」
祝福されるのは嬉しい。
本当の婚姻の報告ができたのも良かった。
彼を愛しているのも、事実だ。
が、しかし。
(なによ、この碌でなし! また、私を道化に仕立て上げたわね!)
本当は、サマンサが言うはずだった台詞を、すべて取られてしまっている。
もう少し、やんわりと伝えるはずだったのに、台無しにされていた。
あとで絶対に引っ叩いてやると思いながら、彼女は体をぷるぷると震わせる。