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報告と催促 2

 彼は、アドラントに帰ってきてから、サマンサを、ずっと見ていた。

 時折、彼女は、ふっと、遠い目をすることがある。

 

(わかっているさ……きみが、本当は優しい女性だということやなんかは……)

 

 彼は、私室に1人、立っていた。

 窓の外を見ているようでいて、見ていない。

 サマンサの心を思っていた。

 

 彼女は、あの日、消えた人々を(しの)んでいる。

 

 それで、なにが変わることもないと知っているはずだ。

 だが、偲ばずにもいられないのだろう。

 サマンサの本質は、か弱く脆い。

 そして、優しい。

 

 大勢の者を犠牲にした。

 

 どんな理由があろうとも、人殺しは人殺しだ。

 大きな罪を背負うことになる。

 平気でいられるわけがなかった。

 彼にも、わかっている。

 

 だが、時間を巻き戻せたとしても、彼は同じことをするに違いない。

 サマンサも、同じ決断をする。

 自分たちは、自分たちの未来を守る選択をするからだ。

 

 たとえば、安価で手に入る食糧があったとして、体に害があるとわかっていても食べ続けるのを肯とするか否か。

 本人たちは、それでもいい。

 その子供は、どうだろうか。

 体に蓄積された毒により、弊害が出るのは先の話なのだ。

 

 とはいえ、その安価な食糧を取り上げれば飢えて死ぬ者も出るとしたら?

 

 どちらを選ぶか、という命の選択になる。

 どちらを選んでも正しく、また間違っているのだろう。

 絶対的な「正」などない。

 

 だとしても、犠牲になる者のリストに、自分たちの名は入れていなかった。

 害のある食糧を人から取り上げておきながら、自らは、安全なものだけを食べているのと同じだ。

 それが、サマンサの心の負荷となっている。

 

 彼女は、ティンザーの娘。

 実直で誠実さの刻まれた血の持ち主。

 

 だからこその決断とも言えるし、罪悪感とも言えた。

 その狭間で、サマンサは、これからも、時折、ああいう目をするに違いない。

 決断を悔やまない実直さと、罪の重さから逃げない誠実さを、かかえ続ける。

 

 しかたがなかった、とは思えないのだ。

 

 いつまでも引きずったりせず、忘れてしまえばいい。

 選んだ結果に納得をして、思い悩むのもやめてしまえ。

 犠牲にした者を偲ぶなど偽善に過ぎる。

 単に、いい人ぶっているだけに過ぎない、

 

 彼自身には、そういう思いがある。

 なぜなら、彼は、サマンサ以外、どうでもいいからだ。

 同情も憐憫もなかった。

 

 サマンサとの間に育まれた愛を次代に繋ぐことが、彼の中の正しさだ。

 そして、彼は、彼の正しさにのみ従う。

 誰を、なにを犠牲にしてでも。

 

 だが、サマンサは、彼とは違うのだ。

 やわらかな心を持っている。

 今は、罪の重さに耐えるのに精一杯になっていると、知っていた。

 彼の前では揺らがない姿を見せているし、笑ってもいる。

 自分たちの愛を守ろうと、必死なのだ。

 

(完璧な幸せ、とはいかないのだろうな)

 

 わかっているが、彼は、サマンサとの日々に至福を感じる。

 百%には成り得ない幸せであっても、ゼロよりはいい。

 

(私は、人でなしだよ、サミー。十分に、わかっている)

 

 今後、このようなことは絶対にない、とは約束できないのだ。

 サマンサが危険に(さら)されれば、同じことをする。

 もっと酷いことも平気でできる。

 その上、悔やんだりもしない。

 

 彼女は、聡明な女性だ。

 彼が、なにかをしようとすれば、必ず気づく。

 隠せもしないし、嘘もつけない。

 

(なるべくなら、そういうことは起きてほしくないものだ)

 

 サマンサと、森でのんびり暮らす。

 そう考えたのも、人に煩わされたくなかったというのが理由だった。

 人と関われば、彼が手を下すような事態も生じかねない。

 サマンサが社交を重んじる性格ではなかったのは、幸いだと言える。

 

(これからは、きみの負担を増やさない努力をするよ)

 

 サマンサの言葉を思い出した。

 初めて夜会でダンスをした時のことだ。

 

 『私たちの平和は、大公様が大勢の敵兵を犠牲にした上に成り立っている。それを享受しているのに、非道だのとは言えないわ』

 

 おそらく、曾祖父である大公は、自らを「英雄」とは思わなかっただろう。

 大公が、敵兵を皆殺しにしたのは、国の平和のためなどではない。

 彼が、そうであったように。

 

 人ならざる者は、愛する者のためにしか、その強大な力を使いはしないのだ。

 

 それが、彼にはわかる。

 なにしろ、サマンサという愛する女性ができたとたん、自分のことすらどうでもよくなってしまった。

 国のことなんて、もっとどうでもいい。

 

(我が君、よろしいでしょうか?)

(かまわないよ)

 

 答えると、ジョバンニが姿を現す。

 彼は振り向いてから、イスに腰かけた。

 いつも通り、ジョバンニは(ひざま)いている。

 彼も、いつも通り、頬杖をついた。

 

「トリスタンからの使いの者から連絡がまいりました」

「もう私とは縁切りだとでも言われたかい?」

「言葉は違いますが、ほぼ同じ意味合いにございます」

「だろうね」

 

 フレデリックは、例の魔術道具を使い、あの地下からテスアの手前まで転移して来ている。

 その際、トリスタンは気づいたはずだ。

 刻印の術では、魔術道具を封じられないと、わかった。

 同時に、なぜ彼がフレデリックを残していたのかにも気づいたに違いない。

 

「フレディを置いて行けと言ったのは、スタンだというのにねえ」

「2度と顔を見せるな、2度と立ち入らせない、とのことにございます」

「あれを捕まえるのは、もう無理だな。まぁ、関わることもないが」

 

 きっとトリスタンは、あの地下を捨てている。

 彼の転移を防げなかったのだから、あの場所は、すでに「安全」ではない。

 そんなところに、いつまでもトリスタンがいるとは思えなかった。

 痕跡も残さず、移動したに決まっている。

 

「ちゃんとタペストリーは持って行ったかな」

 

 持って行かないはずもないけれど。

 信頼はしていないが、トリスタンの研究熱心なところは信用に値した。

 さして苦しむことなく死んだジェシーより、カウフマンは苦しむことになる。

 彼にとっても、それが望ましい。

 

「ところで、きみは、生成の魔術は上達したかね?」

「は……? いえ……どうにも、私には才能がないようです」

 

 ジョバンニは、治癒の能力には長けている。

 そして、ほかの魔術も、かなり優秀に使いこなせていた。

 にもかかわらず、生成の魔術だけは上達しない。

 ジョバンニの意識の上で、優先順位が低いからだ。

 アシュリーを守るための魔術とは成り得ないのは確かなのだけれども。

 

「そんなことだから、きみは、サミーに野暮だと言われるのさ」

「婚約指輪については、努力している最中(さいちゅう)なのですが……」

「ああ、そうではないよ。日々のことだ」

「日々のこと、ですか?」

 

 ジョバンニは、彼の言葉の意味を捉えられずにいる。

 彼は、ひょこんと眉を上げて、言った。

 

「私は、サミーにドレスを贈っているのだがね。その生地を買ったことがない」

 

 ドレス自体は仕立屋に作らせているが、生地は、彼が生成している。

 世界に、ふたつとない生地だ。

 

「愛する女性への贈り物だというのに、ほかの者が手掛けた物で間に合わせるなど、きみは本当に野暮だよ、ジョバンニ」

「……鋭意、精進いたします……」

 

 サマンサとのことで、ジョバンニには、感謝している。

 この助言は、彼なりの「礼」なのだ。


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