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すべてはそこに 4

 

「ちょっと……もう大丈夫だと言っているでしょう?」

「大丈夫だから、どうだと言うのかね?」

「おろしてちょうだい」

「嫌だね」

 

 サマンサが、むすっとした顔をしている。

 だが、彼は、サマンサを抱きかかえたままでいた。

 2日ほど、彼女は身動きが取れずにいたのだ。

 昨日、ようやくテスアからアドラントに帰って来ている。

 

「いいかい。きみは、まだ万全ではないのだよ?」

「でも、歩けないほどではないわ」

「残念だが、靴を用意していなくてね」

「あなたって、無駄に過保護なところがあるわよね」

「魔術師としてよりは役に立つだろう?」

 

 サマンサが、小さく笑った。

 それで、彼の胸も暖かくなる。

 彼女のぬくもりが、腕の中にあるのが嬉しかった。

 

(きみが怒ったり、笑ったりしているのを見られるのが、これほど幸せなことだと初めて気づいたよ)

 

 テスアで意識を取り戻した日。

 サマンサは、記憶も取り戻している。

 彼が指摘するまで、本人は気づいていなかったけれど、それはともかく。

 

「寝室まで運んでも問題はないね?」

 

 サマンサが、首をかしげ、きょとんとした顔をした。

 なにかあったわけではないが、彼がサマンサの寝室に入るのは初めてではない。

 改めて問われている意味がわからずにいるのだ。

 彼は、ひょこんと眉を上げて見せる。

 

「なにしろ、私たちは、とうにベッドをともにしている仲らしいからねえ」

「……っ……な、なんて人……っ……」

「きみが言ったのじゃないか」

「そ、それは、記憶がなかったからでしょう!」

「でも、そうなっても嫌ではなかっ……」

 

 ぱしっと、サマンサが手で彼の口を押さえた。

 首まで真っ赤になり、怒っている。

 薄緑色の瞳が、怒りに輝いていた。

 元気な証だ、と思う。

 そして、とても魅力的だ。

 

「それ以上、その件について口にしたら、()(ぱた)くわよ!」

 

 彼は口を押さえられているので、黙っている。

 そしらぬ顔で、すたすたと寝室に向かって歩いた。

 

「お、おかしな真似をすれば、ただではすまさないから!」

 

 サマンサの言葉を無視して、寝室に入る。

 それから、ひょいっとベッドにサマンサを寝かせた。

 彼女は、視線を、うろうろさせている。

 わざと音を立て、ベッドの端に、どさっと腰をおろした。

 

「ちょ、ちょっと待って……!」

「なにを?」

「だ、だから……わ、私が望むならと……」

「それはもう却下済みだ」

 

 サマンサが膝を立て、じりっと彼から離れる。

 その仕草も、真っ赤になった顔も愛おしい。

 彼女は、美しさと可愛らしさを兼ね備えている。

 とはいえ、あまり怯えさせるのも本意ではなかった。

 

 これから過ごせる時間が、どのくらいあるのかはわからなくても。

 

 彼は思う。

 サマンサと過ごせる日々を大事にしたい、と。

 

(明日、明後日の話ではないさ。まだ時間はある)

 

 いつか来るかもしれない日のためにも、悔やむことのない時を過ごしたいのだ。

 必ずしも、死が訪れるとも限らない。

 今は、そう考えられるようにもなっている。

 

「きみは体調が万全ではない。そうだね?」

「え……ええ……そ、そうよ……」

「私に抱っこされて歩くのも当然だ。違うかい?」

「……違わないわ……」

 

 少し唇を尖らせ、不満そうにしながらも、サマンサは同意した。

 彼は、深くうなずく。

 

「そうだろうとも。それなら、しばらくは、私の膝に座るのも問題はないね?」

「…………ええ……なにも問題はないわ……」

「よろしい」

 

 手を伸ばし、サマンサの髪を撫でた。

 こうしてふれることができるのも、彼女が生きていればこそだ。

 サマンサを失わずにすんだことに感謝する。

 

「ああ、そうだ」

 

 彼は、ある物を魔術で取り出した。

 サマンサが驚いたように目を見開く。

 テスアから先に帰していたジョバンニに言って、取りに行かせたのだ。

 

 綺麗な容器。

 

 蓋を開け、その中身を手ですくう。

 サマンサの手を取って、それを塗った。

 レジーとの「約束」の軟膏だ。

 

 サマンサが森に行ったのは、その約束を果たすためだった。

 だが、彼女は、それを手にしていなかったのだ。

 再びジェシーに襲われた際に落としたに違いない。

 そう考え、ジョバンニに探させている。

 

「きみの手荒れを治すのは、これでなければならないからね」

 

 せっかく貰ったのに落としてしまったと、サマンサが悔やむのはわかっていた。

 いつまでも、申し訳ないと思い続ける彼女を、見たくはない。

 サマンサの意思を尊重し、彼は浄化後も、手の治癒は(ほどこ)さずにいたのだ。

 毒の影響下にあった時には、そもそも治癒が効かなくなっていたこともある。

 本当は、手の刺し傷は直したかったのだが、我慢した。

 

 記憶は戻ったのだが、記憶がなかった時のことも、サマンサは覚えている。

 やはり癪ではあるものの、彼女に無理強いはできないとわかっていた。

 サマンサは意思の固い女性だ。

 そして、彼は、彼女に勝てた試しがない。

 

 負けるべきところは負けておく。

 

 その代わり、彼が勝つべきところは勝つとも決めていた。

 2人は対等な関係なのだ。

 勝ったり負けたりを繰り返す。

 どちらかと言えば、サマンサのほうが強いのだけれど、それはともかく。

 

「あなた、ずいぶんと大人になったのね」

「子供なら駄々をこね通していると言ったはずだ」

 

 適度に軟膏を塗ってから、容器をしまう。

 サマンサが、また、きょとんとした。

 

「どこにやったの?」

「きみの目のとどかない場所さ。言ってくれれば、いつでも出して、私が手当てをするから、心配することはないよ」

「やっぱり子供じゃないの!」

「子供なら、こういう類の嫉妬はしないだろうね」

 

 サマンサは少し不服げな顔をしたあと、くすくすと笑い出す。

 それから、両手を伸ばしてきた。

 彼は、サマンサを抱き締める。

 その背に、彼女の腕が回された。

 抱きしめ返され、胸がいっぱいになる。

 

「あなたは、人でなしの(ろく)でなしよ」

「知っているよ」

 

 サマンサの頬に、軽く口づけた。

 サマンサも、彼の頬に口づけてくれる。

 

「それでも、愛しているわ」

 

 少し体を離し、唇を重ねた。

 サマンサが、彼の「たった1人」だと強く感じる。

 無力感も、わずかだが薄れていた。

 少なくとも、彼女を救うことはできたのだ。

 

(きみといると、初めてが多い)

 

 つくづくと思う。

 サマンサは、彼に「初めて」を与えてくれる女性でもあった。

 

 自分に力があって良かったと思うことなどない。

 壊すだけの力だと、自分自身を(うと)んじていた。

 だが、彼女を救えたことで、初めて「守るための力」でもあると思えたのだ。

 闇の中に佇んでいた彼に訪れた、光となっている。

 

「今すぐでなくてもいいけれど、どこかでのんびり暮らしたいわ」

「辺境地の森とか?」

「わかっていたの?」

「あの森小屋というわけにはいかないがね。私の領地なら、かまわないよ」

「あなたの領地にも、森小屋はあるかしら?」

「今はないが、造ればいいさ」

 

 曾祖父が使っていたという森の家を思い出す。

 あれに似たものを造れば、快適に暮らせるだろう。

 サマンサとの暮らしは、彼にとっても楽しみだ。

 いずれ「家族」も増えるに違いない。

 

「子供は何人くらいになるかなあ」

「え……」

「きみの体に負担がかからないようなら、2人はほしいね。となると……」

 

 サマンサの鼻を、つうっと指で撫でる。

 瞳を見つめ、にっこりした。

 

「早く婚姻すべきだな」

「あ、あの……」

「婚約解消は撤回したじゃないか。きみは、私の正式な婚約者だろう?」

「それは、そうだけれど……突然って気がして……」

 

 サマンサの指を、軽くつまんだ。

 黒い指輪が、ばしんと弾ける。

 これは、もう必要ない。

 すぐに新しい指輪を用意するつもりでいた。

 

「きみの体が万全になったら、ティンザーの家に挨拶に行くよ」

「いいの?」

「いいもなにも、当然のことだ。それに、私は彼らを好ましく思っているのでね。挨拶もなしに婚姻して、嫌われたくはないのさ」

「今度は……私も協力するわ。お芝居ではなく、ね」

「当然だよ、きみ」

 

 彼女との愛のある暖かで穏やかな生活が、彼の幸せのすべてだ。

 それを感じながら、彼は、サマンサを抱きしめ、腕の中に閉じ込める。


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