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すべてはそこに 1

 フレデリックは、書類整理に、うんざりしていた。

 いつまで、ここにいることになるのか。

 

(公爵様から、ご連絡がないと動けないからなぁ)

 

 憂鬱ではあったが、しかたがない。

 フレデリックは、常に公爵のためだけに動いている。

 認めてもらえれば嬉しい。

 とはいえ、認めてもらえなくても、フレデリックの考えは変わらない。

 

 ちらっと、壁に視線を向けた。

 そこには「平たく」なったカウフマンがいる。

 見ても、どうとも感じない。

 公爵に喧嘩なんか吹っ掛けるからだ、と思っている。

 

 とはいえ、トリスタンのように、ナイフ投げをして遊ぶつもりもなかった。

 昨日は、カウフマンの引き伸ばされた手から、わざわざ苦心しながら爪を剥いでいたのを思い出す。

 喉が圧し潰されているからか、叫び声さえも小さく細かった。

 

 トリスタンは、本物の狂人だ。

 

 フレデリックは、自分が、いかに「まとも」かを思う。

 貴族連中を相手にしていた時は、考えることもあった。

 自分は、どこか「壊れて」いるのではないかと。

 

(あいつに比べれば、全然、普通だよな、僕は)

 

 配下を人扱いしない態度といい、好奇心を満たさずにいられないところといい、その徹底ぶりは、尋常ならざるものがある。

 頭がおかしい。

 そうとしか思えずにいた。

 

(公爵様がここにいろって仰ってなかったら、とっとと逃げていたよ。つまらない仕事ばっかり押しつけてくるのだから、まったくいい迷惑だ)

 

 衣食住を保証されているので、トリスタンに従わざるを得ない。

 下手に反抗して、追い出されても困る。

 公爵からは、まだ「帰っていい」とは言われていないからだ。

 しかたなく、フレデリックは書類整理などというつまらない仕事に従事している。

 

(毎日、毎日、増えるばかりじゃないか)

 

 書類は山積み。

 その山が低くなることはない。

 毎日、整理しているため、パッと見で、分類が分かるようになってしまった。

 ここでも、トリスタンは狂人ぶりを発揮させている。

 

 とにかく細かい。

 嫌になるくらい細かいのだ。

 それに慣れてきた自分が、時々、怖くなる。

 ここに馴染み、「染まって」きたのではないか、と感じるのが嫌だった。

 

 トリスタンの配下たちのようにはなりたくない。

 

 染まるというのなら、公爵の側だ。

 それは、フレデリックにとって、喜びになる。

 尊敬や憧憬という感情とは異なる感覚があった。

 

 トリスタンは、よくフレデリックを「犬コロ」と言う。

 おそらく、それが最も正しい。

 褒められたいという願いだけで、公爵の(そば)(はべ)っていた。

 フレデリックにとって、公爵は「絶対」の存在なのだ。

 

 8年も、ハインリヒに(へつらう)うことだって、平気だった。

 裏切る瞬間でさえ、罪悪感の欠片もいだいてはいない。

 公爵に褒めてもらえるだろうか。

 それしか考えずに、8年、耐えた。

 

「……う……聞……」

 

 ぼそぼそという声が聞こえる。

 平たいカウフマンは、時折、なにかをつぶやいていた。

 たいてい無視している。

 なにを言っているのかになど、ほとんど興味がなかった。

 

 どうせ、もうなにもできやしないのだ。

 カウフマンは、トリスタンの「資材」となっている。

 公爵にとって無価値なのであれば、フレデリックにとっても同じだった。

 どれほどの苦痛があるのかとか、泣き言を言っているのだろうかとか。

 これっぽっちも気にならない。

 

 身の程知らず。

 

 カウフマンに対して思うのは、それだけだ。

 それなりに大きな組織を持っていたのだろうが、力の差は歴然としている。

 公爵のすることに間違いはない。

 フレデリックは、そう信じていた。

 

 トリスタンの配下にも似たようなところがある。

 部屋への出入りはするものの、カウフマンのことについては完全に無視していた。

 まったく相手にしていないのだ。

 見たり、近寄ったりすることさえない。

 

「その点、僕は、まだ優しいだろ?」

 

 カウフマンの前に立ってみる。

 興味はないが、なにか情報が得られるかもしれないとの気持ちはあった。

 そのため、1日に1回は、声をかけている。

 たいして会話にもならないのだが、それはともかく。

 

「……小僧……ティンザーの娘……死んだか……」

「サマンサが? さぁね。僕には関係ないことだから、知らないな」

 

 関係ない、とは思っていない。

 サマンサは公爵の大事な女性であり、フレデリックも好感を持っている。

 生死に関して心配してはいなかったが、気にしてはいた。

 

(彼女に、なにかあったのは確かだ。公爵様が、急いで転移されたのは、そのせいだろう。でも、公爵様が行かれたのなら、大丈夫に決まっている)

 

 思うフレデリックに対し、カウフマンが細い声で嗤う。

 公爵に嗤った時と同じだ。

 フレデリックは、眉をひそめる。

 なにか情報が得られるかもしれないと、会話を続けてみる気になった。

 

「サマンサのことより、ジェシーの心配はしないのか? 大事な宝なんだろう? まぁ、今頃は、公爵様に殺されているから、心配しても無駄かもしれないけどさ」

「……わかって、おらん……」

「なにがだい? 僕にさえ騙されるような奴だぞ? 公爵様に敵うわけがない」

「ティンザーの娘も……道連れだ……」

「は……?」

 

 カウフマンが、また嗤う。

 なんだか癪に障った。

 タペストリー扱いされているくせに、訳知り顔で語るのが、気に食わないのだ。

 トリスタンのようにナイフで刻んでやろうか、と思う。

 

 だが、すぐに気を変えた。

 カウフマンは、今はまだ苦痛に耐えられている。

 長期的にはどうなるかわからないが、現状、精神は保たれているのだ。

 苦痛を与えても、効果はないだろう。

 

「……ローエルハイドを……消す……それで、よい……」

「ローエルハイドを消すだって? できやしないさ」

「……あれに……は……おらん……」

 

 瞬間、フレデリックは悟る。

 カウフマンの言いたいことを理解した。

 ジェシーは、どうやってかはともかく、サマンサを窮地に立たせている。

 有り得ないことだとは思うが、仮にサマンサが命を落とした場合、公爵は、次の「相手」を探そうとはしない。

 

 そして、公爵に子はいないのだ。

 

 今後、公爵が子を成さなければ、ローエルハイドの直系は絶たれる。

 カウフマンの意図は、そこにあった。

 先々を見越してのことだ。

 ローエルハイドの消滅を、カウフマンは望んでいる。

 

 フレデリックは、軽く肩をすくめた。

 それから、小さく、ははっと陽気に笑ってみせる。

 

「情報通だって話だったけど、そうでもないんだな」

 

 ちょんちょんと、平たいカウフマンをつついた。

 薄く引き伸ばされた眼球が、ぎょろと、フレデリックに向けられる。

 その瞳を見返して、にやにやと口元を緩めてみせた。

 

「お前は、ここのことを知らなかったし、その程度ってことさ。ほかにも知らないことがあっても、おかしくないだろ?」

「……嘘つきの……犬、め……」

「そうさ。僕は、嘘つきだ。父親ですら騙してるんだからなぁ。父は、僕が公爵様の下で働かせてもらっていることも知らずにいるよ。だから、お前に金を借りたりしていてさ。お前は、父上から情報を買っていたつもりでいたみたいだけど、僕に言わせれば、間抜けだよ。僕は、なんでもお見通しだったのだからね」

 

 ふはっと、フレデリックは、さも楽しげに吹き出す。

 カウフマンに、じっと見られているのは承知の上だ。

 

「お前が、宝物を賭けてまでこだわったローエルハイドの血は、絶たれやしない。お前は負けたのさ」

 

 あえて顔を近づけ、カウフマンの引き伸ばされても薄青い目を覗き込む。

 フレデリックは、公爵の顔を思い浮かべていた。

 頭を撫でてくれる手の感触が蘇る。

 心に喜びが満ち、嬉しくなった。

 その心のままに、カウフマンに言う。

 

「公爵様の血は、もう継承されているのになあ。はい、残念」

「嘘を……つけ……小僧……」

「まぁ、僕は嘘つきだしね。信じてもらう必要だってないもの。どうでもいいことじゃないか。お前は、どこにも行けないんだから、今さらだったね」

 

 カウフマンの、やはり横広になった口の奥から歯ぎしりが聞こえた。

 フレデリックは、さらに笑ってみせる。

 

「そんな姿になっても悔しがるんだ? あとで、トリスタンに教えてやろうかな。ぺっちゃんこでも悔しがる心が残っているって」

「……嘘を……つくな……あれには……子は……」

「自分に起きたのと同じことが公爵様に起きないって信じているなんて、ちょっと傲慢じゃないか? 偶然なんて、そんなものだろうに」

 

 フレデリックは、呆れたように肩をすくめた。

 キリキリと、カウフマンの歯ぎしりの音が大きくなる。

 もう飽きたとばかりに、カウフマンに背を向けた。

 

「サボっていると、トリスタンがうるさいからな。お喋りは終わりにするよ」

 

 ぼそぼそっと、カウフマンがつぶやいた。

 フレデリックは、そうとは見えないように、その声に耳をそばだてている。

 

「さてと、仕事仕事」

 

 カウフマンのことなどどうでも良いと、書類を持って、書庫へと繋がる扉に手をかけた。

 急ぎたくなる気持ちを抑え、室内を出る。

 

 フレデリックは嘘つきの玄人なのだ。

 

 カウフマンが「まとも」な時なら、うまくはいかなかったかもしれない。

 だが、今のカウフマンは思考力が落ち、明晰な判断ができなくなっている。

 そこに賭けたのだ。

 

(死ぬかもしれないけど……僕は生きて、公爵様に会わなくちゃ……絶対に生きて行かなきゃいけない……)

 

 公爵が、どこにいるのかは、わからない。

 この機能を使う時は、常に、死と隣り合わせ。

 わかっていたが、フレデリックは、新調してもらったサスペンダーの金具に手でさわった。


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