伸ばした手にあるものは 4
ジェシーとサマンサの間に、彼は立っていた。
ジェシーの足元には、脱ぎ捨てられた「ティモシー・ラウズワース」がいる。
かろうじて顔の造りで、ティモシーだとわかる程度だ。
そこいら中に血が飛び散っている。
カウフマンは、自らを囮にした。
最期まで、ジェシーを生かそうとしたのだ。
おそらく、元々、捕まるつもりでいたのだろう。
トリスタンが踏み込むのが早かったので、その手間が省けたと思っていたのかもしれない。
カウフマンが捕まれば、彼が必ず来る。
それを見越していた。
ジェシーが体を復元させる時期も計算ずくだったのだ。
(カウフマン……せいぜいトリスタンに弄ばれるがいい)
もう少しで、してやられるところだった。
彼は、ジェシーを認識していなかったからだ。
サマンサの指輪が反応していなければ、ここには来ていない。
指を軽く弾く。
瞬間、ジョバンニを捕らえていた檻が砕け散った。
ジェシーは、なんの感情も持たない瞳に、彼だけを映している。
彼も、ジェシーから目を離さず、サマンサに声をかけた。
「サミー、大丈夫かい?」
「え、ええ……なんとも、ないわ……私は……」
声が震えている。
ティモシーの最期は、相当に悲惨だっただろう。
消せるものなら、サマンサの記憶から消したいくらいだ。
彼女に新たな傷を作ったジェシーに、憎悪の感情がわきあがる。
「こーしゃくサマ、今日は、あいつらはいねーの?」
「今のきみが相手なら、彼らを呼ぶまでもないさ」
「ふぅん。でもサ、ホントに大丈夫?」
ジェシーが、ニっと笑った。
少年らしい爽やかささえ感じる笑みだ。
なのに、感情が含まれていない。
そうするのが「人」だから、そうしている、といったふうだった。
人の姿をしていながら、ジェシーは人ではないのだ。
だが、やはり、こちらに分がある。
この段階で、ジェシーは、まだ姿を変えていない。
きっと変えられないのだ。
能力に制限がかかっている。
どんな天才も、天賦の才を持っていても、最初から完璧な者などいない。
能力は、それを磨くための「時間」を必要とする。
ジェシーは、たった今、生まれたも同然だった。
以前と同じに能力を使いこなせはしない。
「こーしゃくサマは、オレと同じじゃねーんだ」
「そうとも。きみとは違う」
「オレは、独りしかいねーから。生きなきゃなんねーの」
「きみを生かしておくことはできない、絶対に」
「ゼッタイ……ゼッタイかあ。そりゃあ、困った」
ひゅるんっと、ジェシーが眉を上げる。
そして、小さく顎で示した。
瞬間、ハッとなる。
危険も顧みず、振り向いた。
「サミーッ!!」
サマンサが視界の中で、ゆっくりと倒れていく。
混乱に、彼はつつまれていた。
駆け寄って、サマンサを抱き起こす。
彼女は、唇までもが真っ青になっていた。
「サミー! どうして……っ……サミー!」
「こーしゃくサマは、愛に弱い。って、じぃちゃんが言ってた」
ジェシーの声も聞こえない。
薄くなっていくサマンサの呼吸だけが伝わってくる。
彼は、すぐさま治癒をかけた。
だが、サマンサに変化はない。
「どこだったかで手に入れたって毒なんだよねー。魔術じゃ治せねーんだって」
毒。
それだけが頭にある。
普通の毒なら、魔術で治癒できたはずだ。
彼の治癒が効かないなどあるはずがない。
「ああ……サミー……待ってくれ……駄目だよ、私を遺して逝くなんて……」
サマンサの頬を、必死で何度も撫でる。
だが、サマンサに反応はなかった。
薄緑色の瞳も見えない。
「我が君!」
ジョバンニが、サマンサの手を握る。
白い光に彼女の体がつつまれていた。
「これで命を繋ぎますから! 奴を早く!」
もうどうでもいい。
そう思う。
彼にとって、ジェシーに逃げられようが、どうでもよかった。
彼の世界が崩れ落ちかけている。
サマンサを失ったら、もうどんなことも意味がないのだ。
世界が亡ぼうが、人が絶滅しようが、かまわない。
彼自身が命を失うことすら、どうでもいいと感じる。
彼は、サマンサなしには生きられない。
力なく、サマンサの金色の髪を撫でる。
「こーしゃくサマは、だらしねーなー。たかがオンナに振り回されちゃってサ」
ジェシーのことなど視界にはなかった。
だが、ジェシーは魔術での様々な攻撃をしかけてくる。
無意識に、周りへと降り注ぐ攻撃を防いでいた。
サマンサの体に傷をつけたくないとの気持ちだけで、防御魔術を張っている。
「早く死ねばいいのに。でなきゃ、この転移疎外が外れそーにねーんだもん」
彼は、ここに転移した瞬間に、転移疎外をかけた。
広範囲におよぶそれによって、ジェシーが逃げられないようにしておいたのだ。
それも無駄に感じられる。
サマンサを助けられないのなら、ジェシーを捕らえても意味がない。
「ま、いいや。まだ姿も変えらんねーし。こーしゃくサマを仕留めるのは無理そーだし。そんなら、このまま歩いて帰ろっと」
ジェシーが動く気配がする。
わかっていても、追う気にはならなかった。
サマンサの傍を離れたくなかったのだ。
「しっかりなさってください! 彼女は、まだ生きています! 我が君! 諦めてしまわれるのですか?!」
白い光が強くなっていく。
ジョバンニに応えることなく、彼は、サマンサを見つめていた。
ぴくっと、サマンサの唇が動く。
「サミー……っ……」
「……行っ……て……」
「……サミー……そんな……無理だ……サミー……きみの傍を離れるなんて……」
「……死ぬ……と……言って……るの……?……」
「きみが死ぬはすがないだろう! そんなこと……っ……」
ぎゅっと、サマンサを抱きしめた。
強く抱きしめる。
とん。
ものすごく軽く、彼の脛が蹴飛ばされた。
彼は、きつく目をつむったあと、その目を開く。
その瞳には濃い闇が広がっていた。
「ジョバンニ」
「お任せを」
サマンサの頬を撫でてから、立ち上がる。
彼女の望むことが、彼の望みだ。
そして、サマンサと一緒に帰ると決めていた。
自分たちには、幸せな未来が待っている。
諦めてはいけない。
サマンサは、すべてを諦めない女性だ。
ならば、自分も「絶対を絶対にする努力」をする。
なにも諦めない。
諦めたりしない。
「あれえ? いいのかよ?」
「彼女は死なないさ」
「そお? あいつの治癒が、どこまで持つだろね? 死に目に会えなくなっても、知らねーぞ?」
「ジェシー」
ざわり…と、彼の周りに闇が広がる。
瞳は、さらに深い闇の黒に染まっていた。
漆黒の髪が揺れる。
「きみを生かしてはおかない」
「オレは、生きろって言われてんだ」
ジェシーの感情のない瞳を見つめた。
そこには悪意すらもない。
純粋な「種」だ。
硬い岩盤をも突き破って生きようとする植物のような。
ジェシーこそが「人ならざる者」なのかもしれない。
そう思った。
だからこそ、生かしてはいけないのだ。
世界の在り様に、ジェシーの純粋さは相容れない。
ふっと彼は息を吐き、自分とジェシーを繋ぐ。
ジェシーが目を見開いた。
「きみは、自分の能力を低く見積もり過ぎている」
ジェシーは知らなかったのだ。
本来、姿を変える変転と、魔力を溜める「積在」という能力が、与えられるものだということを。
父や祖父は「積在」を持たなかった。
ロビンガムの血が薄かったからだろう。
だが、ジェシーはロビンガムの血が濃い。
「その力を、きみは扱えない。溜まっていくだけだ。魔力がほしかったんだろう? 嫌というほどくれてやる」
彼は、ジェシーに、自分の尽きない魔力を送り込み続ける。
ジェシーは、なにをすることもせず、立ち尽くしていた。
ブルーグレイの瞳から、涙のように血が流れ落ちている。
積在は、魔力をストックしたり、ストックした魔力を捨てたりする能力だった。
今、ジェシーの中には、ストックされた魔力でいっぱいになっているはずだ。
捨てる方法を、ジェシーは知らないから。
「……ンなの……反……則……じゃん、か……」
かぼそい声が聞こえる。
次の瞬間、ジェシーの体が、バシンッと音を立てて弾け飛んだ。
その血肉を、彼は焼き尽くす。
ジェシーの気配は、完全に消えていた。
その死を確信すると同時に、彼は、サマンサの元に駆け戻る。
「サミー! きみを死なせはしない! 絶対に……っ……」
治癒の効かない毒。
混乱の中で、わずかな可能性を見出す。
彼は、点門を開いた。
「ジョバンニ、治癒を切らすな」
「かしこまりました」
ジョバンニの治癒の力は、かなり強い。
死にかけていたアシュリーの命を繋ぎとめたほどだ。
白い光につつまれたサマンサを抱きかかえ、3人で点門を抜ける。
「いかがしたのだ、ジェレミー!」
「毒だ。おそらくテスアの……」
ラスが立ち上がっていた。
テスアには、昔から外敵との戦いに備え、強力な毒が用意されている。
即効性のあるものや、中には治癒の効かない毒もあったと聞いていた。
即効性のある毒により叔父が死にかけ、それをきっかけに叔母は魔力顕現している。
その際、叔母は魔力暴走を引き起こし、死にかけたらしい。
以後、テスアでは、すべての毒に対処する解毒剤が用意されている。
(だが……テスアの毒かどうか……)
そこまでは、確信が持てていなかった。
魔術の効かない毒となれば、それしか思いつかなかったのだ。
「即効性ではないようだな……ノア! ノア!!」
隣の部屋からノアが顔を出す。
寝ていたのか、欠伸をしつつ、不機嫌そうな顔をしていた。
「ンだよぉ、うっさいなぁって、ジェレミー? あれ? その……」
「魔術師に対する毒があったであろう。その解毒剤を取って来い!」
「あ、ああ、わかった!」
バタバタとノアが走り出して行く。
その間に、ラスの敷いた布団にサマンサを寝かせた。
彼は、ジョバンニに与える魔力を増やす。
かなりの量を消費していたからだ。
(どうか……サミー……)
彼の目から、つうっと涙がこぼれる。
サマンサの怒った顔が好きなはずなのに、やはり笑った顔が思い浮かんでいた。
『あなたが生きている間中、私を、これ以上ないってくらいに愛すること』
彼女は、にっこり笑って、そう言ったのだ。
彼は、サマンサの頬に手をあて、まだ残されているぬくもりにすがる。
「きみを愛しているよ、サミー……これ以上ないってくらいに……きみを愛している……」