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伸ばした手にあるものは 2

 

「サマンサ様」

 

 部屋から出て、扉に向かっていた時だ。

 先に、執事から声をかけられている。

 急かしているのだろうか、と思いつつ、返事をした。

 扉が開かれる。

 

「え……?」

 

 執事の後ろに、もう1人の男性がいた。

 見知らぬ顔だ。

 サマンサには記憶がないため、誰なのかわからずにいる。

 レジーの知り合いかもしれない。

 が、サマンサがここにいた間には、会ったことはなかった。

 

 ちらっと、執事に視線を投げる。

 先に「記憶がない」と話しておいて良かった、と思った。

 執事は、その男性を中に入れようとはしていない。

 少し横に立ち、サマンサに、男性の名を告げる。

 

「ラウズワース公爵家のティモシー様にございます」

 

 ティモシー・ラウズワース。

 どこかで聞いた名だ。

 すぐに思い出す。

 

 『以前から、サマンサ・ティンザーは、ラウズワースの息子と婚姻する予定だって噂はあったんだよ』

 

 レジーが話していた相手だった。

 1年前まで、夜会でのパートナーだったとも聞いている。

 とはいえ、結局、婚姻はしなかった。

 その経緯は、彼が、おおまかに語っている。

 

(ティンザーの票がほしくて、私と婚姻しようとしていたのだったわね。それに、私が気づいて、婚約せずにすむよう、彼と契約したのがきっかけだったって、彼は言っていたわ)

 

 その後、サマンサは、きっぱりティモシーとは別れたのだそうだ。

 彼は「ティムだかティミーだかいう奴」と言い、気に入らない様子だった。

 サマンサを利用しようとしたことを、不愉快に感じてくれていたのだろう。

 今となっては思い出せないが、きっと傷ついただろうし。

 

(それにしても、まったくなにも感じないなんて、本当に吹っ切れていたみたい)

 

 彼に会った時とは、まるで違っていた。

 傲慢で嫌な人だと思ったが、なにか引っ掛かるものもあったのだ。

 過敏に反応したのは、彼とは離れていなければならないと、感じていたからかもしれない。

 彼の弱味になりたくなくて彼の元を去ったのだから。

 

 だが、ティモシー・ラウズワースに対しては、心に、なんの反応もない。

 この人が「婚姻前提につきあっていた人」かと思っただけだ。

 胸が痛くなったり、苦しくなったりはしなかった。

 というより、本当に「初めまして」気分になっている。

 

「どうして、ここに?」

「ティモシー様は、今は、辺境地で暮らしておられるそうです。同じ辺境地で暮らしておられるライナール様に、ご挨拶に来られたと仰っておられます」

「そうなの。でも、もうここにレジーはいないわ」

 

 執事が、サマンサに、うなずいてみせた。

 あくまでも、ティモシーを、中には入れないようにしている。

 そして、体の向きを変え、ティモシーに言った。

 

「ライナール様はいらっしゃらないようですので、お帰りください」

「サマンサ……きみに、ここで会えるなんて……」

 

 サマンサと、ティモシーの視線が繋がる。

 ティモシーには、サマンサへの「特別な」感情があるようだ。

 なんとなく居心地が悪くなる。

 

(私は吹っ切れているけれど、この人は違うのね。まだ私に未練が……?)

 

 だからといって、話すこともなかった。

 そもそも、サマンサに記憶はない。

 過去の話をされても、困るだけだ。

 

「少しでいい……少しでいいから話をしてほしい……友人としてで、かまわない」

 

 心苦しいものは感じる。

 それでも、どう答えればいいのか、わからない。

 ティモシーに、事情を話す気にはなれなかったからだ。

 

 記憶がないので、あなたのことも忘れていると言えば、諦める可能性はある。

 だが、逆も有り得た。

 むしろ、記憶がないことを利用されるかもしれないと思う。

 

 なにより、彼のいないところで、昔つきあっていた男性と話をすることに抵抗があった。

 ここには、レジーに会いに来ている。

 それは、彼も承諾済みのことだ。

 

 サマンサは、再び執事に視線を投げた。

 無礼な執事ではあるが、優秀であるのは認めている。

 彼に対する忠誠心も強い。

 サマンサを守るように言われているのだから、きっと守ってくれるはずだ。

 

「サマンサ様は、お話することはないと思っておられます。どうぞお帰りを」

 

 はっきりと言い渡す姿に、ホッとする。

 実際、話すことがないのだから、早く帰ってほしいと思った。

 同時に、彼が恋しくなる。

 早く会いたかった。

 

(もう用事はすんだかしら? カウフマンとも決着がついたのよね?)

 

 今後のことは、彼が帰ってから、ゆっくり話すことにしている。

 サマンサには、ひとつの考えがあった。

 もちろん彼の意見を訊いて決めるつもりだし、無理を通す気もない。

 彼は、アドラントの領主であり、ローエルハイドの当主だ。

 サマンサの思うようにはできないことだってある。

 

(この向こうはローエルハイドの領地だもの。すぐにというのは、難しいかもしれないけれど、森で暮らすのって気持ちがいいのよね)

 

 2人きりとはいかないかもしれないが、何人かの勤め人とこじんまり暮らせればいいと考えていた。

 そして、子供を育てるにも悪くない環境に思える。

 貴族としてはどうだかわからないものの、彼は貴族らしくない貴族だ。

 サマンサにも、こだわりはなかった。

 

 自由に、伸び伸びと暮らせる。

 

 そういう暮らしもいいのではないか。

 サマンサは、そう思っていた。

 

「サマンサ……どうして……っ……」

 

 声に、思考が断ち切られ、びくっとする。

 執事は無表情に、ティモシーの肩を押さえつけていた。

 無理に中へ入ろうとしたのを止めたらしい。

 サマンサは、知らず、後ずさる。

 

 なにか、すごく嫌な気分になった。

 怖い、と感じるのだ。

 ティモシーの瞳は、病んでいる。

 そんな気がした。

 

「僕は、きみのせいで、なにもかもを失った……っ……! わかっているのか!」

 

 いよいよ、サマンサは後ずさる。

 執事が、サマンサのほうに顔を向けた。

 

「奥の部屋にいらしてください。私が……」

 

 ガシャーンッ!

 

 音が聞こえたような気がする。

 現実には、周りは静かだった。

 なにも聞こえない。

 

「ジョバンニ……ジョバンニ……ッ……!」

 

 サマンサは声を上げ、駆け寄ろうとする。

 そのサマンサに、ジョバンニが手を振った。

 逃げろということだ。

 なにか叫んでいるが、声は聞こえない。

 

 ジョバンニは、透明な檻に囚われている。

 手を振るのでさえ精一杯というほど小さな檻だ。

 ジョバンニ用にあつらえられた棺桶のようだった。

 

「ど、どういう、こと……」

 

 ティモシー・ラウズワースは魔術師だったのか。

 そんな話は聞いていない。

 だいたい魔術師であったなら、ジョバンニが近づけさせてはいないはずだ。

 

「サマンサ……どうして僕を捨てた……僕を見捨てて……」

 

 ティモシーが中に入って来る。

 逃げようとしても、うまく体が動かなかった。

 なにか魔術をかけられているのかもしれない。

 だとすると、やはり魔術師だったのか。

 

「どれほど僕が惨めな思いをしているか……きみには、わからない……」

 

 ティモシーが、目の前に迫っている。

 それでも、動けなかった。

 視線すら外せない。

 手を掴まれた。

 

「僕は、もう……生きているのがつらい……家からも見放され……きみにも見捨てられて……どこにも行き場がない……」

 

 サマンサは、言葉も出せずにいる。

 と、不意に、ティモシーの茶色の瞳が、くるんっとひっくり返った。

 同時に、サマンサの体に力が戻って来る。

 慌てて、扉のほうに向かって走った。

 

 檻に閉じ込められているジョバンニの元に駆け寄る。

 ジョバンニは、逃げろと言っているようだ。

 だが、逃げても捕まるのは、目に見えている。

 それなら2人でいたほうがいい。

 

(大丈夫、大丈夫よ……きっと彼が来てくれる……来てくれるわ!)

 

 ゆらゆらと覚束ない足取りで、ティモシーが家から出て来た。

 ひどく薄気味が悪い。

 言葉を話し、歩いているのに、死んでいるかのように見える。

 茶色い瞳が、ひっくり返ったままだからだ。

 

「ちぇっ」

 

 急に、はっきりした声が聞こえる。

 ティモシーの口が動いていて、声もティモシーのものだというのに。

 

「つっかえねーなー。やっぱり8年ぽっちじゃ足りねーか」

 

 奇妙に、かくかくしい動きで、ティモシーが両手を広げていた。

 だが、これはティモシーではないと察する。

 そのサマンサに向け、ティモシーの顔が、ニカッと笑った。


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