思惑もそれぞれに 2
「ご事情を、お話いただけるのでしょうか、我が君」
彼は、本邸の私室にいた。
イスに腰かけ、軽く頬杖をつき、ローエルハイドの執事の姿を眺めている。
赤褐色の髪と瞳は、元は薄茶色だった。
その光景を今でも鮮明に覚えている。
「いたって簡単な話だよ、きみ。私は、彼女を気にいったのさ」
彼が言うと、ほんの少し空気がざわめいた。
執事服がようやく馴染み始めたのは、最近のことだ。
執事となってから4年目、まだまだ未熟だと感じる。
ジョバンニ・コルデア。
元は、没落した男爵家の者だが、彼が、停止されていた爵位を戻したうえ侯爵位にまで引き上げた。
その際、コルデア家は、ローエルハイド唯一の下位貴族となったのだ。
それは、彼が、ジョバンニを手元に置きたいと思ったからに、ほかならない。
「話してみると、存外、面白い人だったね、彼女は」
ジョバンニが、いかにも気に入らないという雰囲気を醸し出す。
こういうところが、未熟なのだ。
表情にも、わずかに感情が滲んでいた。
「気に入らないのかね?」
「……どうでしょうか……サマンサ・ティンザーは、同じ公爵家の、ティモシー・ラウズワースと懇意にしていると聞き及んでおります」
それについては本人から直接に聞いているので、ジョバンニの知らないことまで知っている。
当然、ジョバンニとて、彼が知っているだろうことは予測しているに違いない。
ただ、彼と「婚約者」の間に立つサマンサが気がかりなのだ。
ジョバンニは、サマンサを邪魔者だと捉えている。
「ああ、あのティミーだかティムだとかいう奴だろう?」
茶化した口調で言い、軽く肩をすくめてみせた。
ジョバンニの感情が、さらに濃く漂い始める。
理由は「婚約者」の存在にあった。
アシュリリス・セシエヴィル。
まだ14歳の少女だ。
彼女を、ジョバンニは知っている。
そして、彼よりも彼女に対する思い入れが深い。
彼も、彼女を大事に思ってはいた。
とはいえ、ジョバンニとは、感情の方向性が違うのだ。
「彼と婚姻するのでは?」
「いいや、彼女は奴とは婚姻しないよ」
「破談になったとは聞いておりませんが」
「これから、なるのさ」
サマンサの意図を、ジョバンニは悟ったらしい。
この辺りは、彼の見込み通り、頭が回る。
だが、足りていない部分も多かった。
「サマンサ・ティンザーは、婚姻を望んでいないのですね」
「そりゃあそうさ。彼女は、私の特別な客人だ。奴との婚姻なんか望むわけがないじゃないか」
「順番が逆なのでは?」
「それは、たいした問題ではないよ。こういうことはね、きみ。結果がすべてさ」
ジョバンニと知り合ったのは、4年前の夏。
ちょうど、今と同じくらいの季節だ。
アシュリーことアシュリリスとともに、死にかけていた。
彼は、その際、ジョバンニに自らとの繋がりを作っている。
もとよりジョバンニは魔力持ちだったが、今は、彼が魔力を与えていた。
ジョバンニを魔術師たらしめているのは、彼なのだ。
「ジョバンニ、きみは未熟な執事だねえ」
「まだ学んでいる最中にございます、我が君」
「そのようだ。考えが、すっかり顔に出てしまっていると、気づいているかい?」
「ほかの者に悟られることはございません」
表情だけを見れば、さほどいつもと変わりがないように見える。
だが、彼にとっては「だだ洩れ」もいいところだった。
破談という目的のため、意図的にローエルハイドに来たサマンサに敵対心をいだいている。
アシュリーを思えばこそではあるだろうが、感情があからさまに過ぎる。
「私の自尊心をあまり傷つけないでくれたまえ。きみときたら、ティンザーのご令嬢が、私に、いささかの関心も持っていないと考えているのだから、心が痛むよ」
ひょこんと眉を上げ、軽口を叩いてみせても、ジョバンニの様子に変化はない。
彼は、緩く笑みを浮かべていたが、内心では苦笑いしていた。
(やれやれ……あっちもこっちも、機嫌が斜めに傾いている者ばかりだ)
「では、彼女は、我が君に愛を告げられたのですか?」
ジョバンニの言葉に、初対面の時のサマンサを思い出す。
じゃじゃ馬な姿を見せてはいなかったが、意志の強さは感じた。
後には引けない、いや、引かないといった姿勢に、彼は少しばかり興味を惹かれたのだ。
「ある意味では、ね。あれは熱烈だったなあ。その熱意に胸を打たれてねえ。その気にさせられてしまった」
「承知いたしました。我が君が、気に入られたのであれば、丁寧におもてなしするよう、ほかの者たちにも言い聞かせておきましょう」
「そうしてくれ。少なくとも、彼女に惨めな思いはさせないように」
兄のレヴィンスに約束をするまでもない。
元々、サマンサに惨めな思いをさせる気はなかった。
サマンサは、含みのない意味で「特別な客人」なのだ。
それに、サマンサとの会話は気楽で、なかなかに面白い。
彼の判断と、感情が折り合わなかったのだろう、ジョバンニがぴくっと動く。
いいかげんジョバンニの未熟さを、戒めることにした。
「ジョバンニ」
冷ややかな声で呼びかける。
彼には、彼の考えがあった。
本来、ジョバンニは、それを先回りしなければならないのだ。
わけもわからず、ただ同調するだけの執事など、彼は必要としていない。
「アシュリーのことは、きみに任せると言ったはずだ。彼女が傷つかないように、最大限の注意をはらうのも、きみの役目ではないかね?」
「仰る通りにございます、我が君」
「私は、アシュリーを大事に思っている。ないがしろにするつもりはない」
「心得てございます」
「そうかい? それなら、きみは、きみの役目に徹するべきだ」
ふっと、彼は空気を変える。
どの道、ジョバンニが、しくじるのは、わかっていた。
アシュリーを思えばこそ、必ず失敗する。
(それもまた肯だな。ジョバンニの奴、ちっとも気づいてやしないのだからなあ)
アシュリーとサマンサとでは、立場が、まったく違うのだ。
どちらが、上も下もない。
彼は、アシュリーがサマンサのことで傷つくことはないと、断言できる。
万が一に備えて、アシュリーにサマンサについて「嫌かどうか」問いはした。
アシュリーは「嫌ではない」と答えている。
予想した通りの答えだった。
「まぁ、もし矛盾が生じたら、きみの判断で対処してくれてかまわないよ」
ジョバンニは、アシュリーが傷つけられるのを、なにより恐れている。
だが、今の言葉で、少しは落ち着くだろう。
サマンサよりアシュリーを優先することを、ジョバンニに許したのだから。
「かしこまりました。過分な、ご配慮に感謝いたします」
イスの背に深くあずけていた体を起こし、軽く手を振る。
ジョバンニが、すぐさま姿を消した。
頭の回転は速く、わきまえるところはわきまえている。
なのに、ジョバンニは、どうも自らの感情には疎いようだ。
まるで制御できていない。
その理由を理解はできる。
ジョバンニとアシュリーの間には、特別な絆があるのだ。
2人は、子爵家の令嬢と、その世話係だった。
あの夏の日に、その関係が断ち切られるまで、常に一緒にいた。
死を前にした恐怖によるものなのか、アシュリーの記憶から、ジョバンニは欠け落ちている。
そのため、以前の関係を覚えているのは、ジョバンニだけなのだ。
ジョバンニが、嫌な記憶は思い出さないほうがいいと考えていることくらい、彼にはお見通し。
けれど、ジョバンニは気づいていない。
アシュリーの記憶が欠け落ちた理由を、根本から捉え間違えている。
彼女が、なぜジョバンニだけを綺麗に忘れているのか。
彼は立ち上がり、窓から外を眺めた。
月も星も出ておらず、真っ暗な闇が広がっている。
これから、物事が動き出す気配を感じた。
「そろそろ、目を開いて周りを見られるようになってもいい頃だよ、ジョバンニ」
アシュリーは14歳の少女だが、ロズウェルドでは大人とされる歳だ。
ジョバンニの記憶にある「小さなお嬢様」ではない。
サマンサには、また「人でなし」と言われるのだろうが、いい時に来てくれたと思っている。
サマンサの存在が、ジョバンニの心に変化をもたらすのを、彼は期待していた。




