選んだからには 4
ジェシー生存の可能性は、99%だ。
残りの1%、もしくは、それに満たない程度で死んでいる可能性もある。
というのも、彼は、少し前に、ジェシーを認識した。
が、すぐに消えたのだ。
消えた理由としては、体の復元ができず死んだか、ロズウェルドの外に出たか、そのどちらかになる。
彼は、ロズウェルドの外に出たと考えていた。
ジェシーの力を思えば、楽観的にはなれない。
体から、魂とでも言えるものを、切り離すことができる魔術がある。
その「躯魄」という魔術を使えば、完全な死を避けられるのだ。
使える魔術師はいない、と言っても過言ではない。
もちろん彼には使えるが、使う気はなかった。
体が無防備になるため、一時的に体の消失を伴うからだ。
その体を復元させるには、大きな魔力が必要だった。
彼ですら、一瞬で復元させる、というわけにはいかない。
ロズウェルドにいたとしても、半月以上かかる。
ジェシーが「躯魄」を使って逃げたのだろうと、彼は推測していた。
これまで、その魔術を使ったことがあるのは、魔術師サイラスのみ。
ジェシーは、魔術師サイラスの血を引いている。
ジェシーに使えたとしても不思議はない。
「ジェシーが戻ったら、どうなるの?」
元々は、サマンサの言うように、彼女との婚姻を解消し、レジーのところに帰すつもりでいた。
加えて、彼自身は、何度か宮殿に足を運ぶ予定だったのだ。
どの道、女王となるはずのマルフリートと、打ち合わせのため会う必要もある。
カウフマンなら、そんな目くらましに騙されはしなかったかもしれない。
わずかな猜疑心くらいは持っただろうが、徹底してサマンサを狙い、彼の反応を見て、判断したはずだ。
だが、ジェシーには、カウフマンほどの経験や、そこからくる直観力はない。
単純に、彼の関心がマルフリートに移ったと考えただろう。
だから、彼の関心が薄れたサマンサを狙おうとはしないはずだった。
のだけれども。
「私が、始末をつけるさ」
サマンサは、彼の元にいる。
彼も、彼女を手放す気はなくなった。
関心が薄れたという「演技」もできはしない。
わずかな時間すら離れたくないと感じている始末なのだから。
ジェシーは、もっていた大半の魔力を「躯魄」と、あの日の戦闘で使っている。
残された魔力は少なかったに違いない。
魂の置き場所は他国としていたのだろうが、いったんロズウェルドに戻らざるを得なかった。
それが、彼が感じた、一瞬の認識であったのではないかと思う。
(だが、私が転移する間もなく、消えた……私に悟られていると察したか……)
彼とて、果てしなく感覚の領域を広げることはできない。
ロズウェルド全域が限界だ。
当然のことながら、それも彼だからこそ、可能な力だった。
普通の魔術師には、そもそも「個」を特定する能力がない。
(スタンなら、できるのだな。本当の脅威は、あいつかもしれない)
トリスタンは、おそらく「個」を特定できる手段を持っている。
それも、魔術を使わない、刻印の術によって。
『ここに来られるのは、“赦し”のある者か、貴方くらいです。ほかの者は近づくことすらできません』
トリスタンは「自慢したがり」な性格を直したほうがいい。
無意識に、手の内を明かしている。
あれは、彼の持っている特殊な力を意味してはいないのだ。
もし、彼の力だけで、あの場所に行けるのなら、リーフリッドを頼ったりはしていない。
なにかで彼を特定し、トリスタンのいる場所に辿り着けるようにしていた。
そういうところが、狂人なのだ。
あの地下に行くたび、彼は嫌な気分になる。
まるで閉じ込められそうな、そこから出られなくなるような気にさせられるのが、不快でたまらない。
(早いところ、スタンとの関係は終わらせたいものだ)
もちろん、トリスタンが望めば、彼は「協力」しなければならないのだ。
約束をしたのだから、しかたがない。
彼は、サマンサの金色の髪を手にとる。
その髪に、そっと口づけた。
(きみのためであれば、その程度、どうということはないさ)
カウフマンのこともあったが、それ以上に、あの時は、サマンサを見失っていて切羽詰まっていた。
彼女を失うのではないかとの恐怖に駆られていた彼は、トリスタンのどんな要求にも応じただろう。
実際、トリスタンの猟犬は役に立った。
カウフマンより先に、サマンサを見つけられたことで対策が立てられたのだ。
ラスやノアにも助力をあおげている。
ならば、今後、何度、壁に叩きつけられても文句はない。
「どうやって? あなた、あの時、かなり分が悪そうだったわよ? また従兄弟の彼に頼むの?」
「ラスを巻き込むことは、あれきりだ。確かに、私とジェシーは相性が悪いがね。今は違うのさ。私のほうに分がある」
「なにか秘策があるってこと?」
「私自身が、なにかするのではないよ。ジェシーの問題と言えるかな。ジェシーは、元の体を失った。復元したとしても、完全に同じにはならない。同じになるには、ジェシーが育ってきた年数が必要となる。が、ジェシーは、そのことに気づかないだろうなあ。カウフマンなら気づいただろうが」
カウフマンという知恵を授ける者もなく、体も本調子ではない。
ジェシーの持つ特別な能力にも、なんらかの影響はあるだろう。
持って生まれた資質があっても、最初からうまく使える者などいないのだ。
本人は無意識であろうが、体が少しずつ「経験」を溜めていく。
「私にだって、幼い頃というものがあったのだよ、きみ」
「想像つかないわ。とても、こましゃくれた子供だったって気はするけれど」
「8歳になるまでは、純朴な子だったように思う」
彼は、8歳で魔力顕現していた。
そのため、ロズウェルドに来ざるを得なかった。
テスアは、魔力の回復量云々どころではない。
雪嵐の影響で、魔力が、まったく蓄積されないのだ。
魔力を使わなければ、減ることもないのだけれど、それはともかく。
「ラスの後ろばかりくっついて歩いていたな」
「ラスというのは、あの銀髪の片手武器の人?」
「そうだよ。従兄弟というより、兄のような存在だ」
「あの人、とても素敵よね? まるで、本当に、そう……王子様のようだったわ」
サマンサが両手を合わせ、思い出しているかのように、少しうっとりしている。
その表情に、むっとした。
ラスが女性に好感の持たれる人物なのは、彼も認める。
だが、婚約者の前で、ほかの男を褒めるのはいかがなものかと思った。
やはり、どうにもサマンサが相手だと、具合が悪い。
うんざりするほど心が狭くなるのだ。
相手が、ラスでも気に入らなかった。
「婚姻の式に、ラスは呼べないかもしれないな」
「あら、どうして?」
「花嫁に、逃げられたくはないからさ。もしくは、ほかの男を、うっとり見つめる花嫁を引きずって歩くはめになりたくない」
サマンサが、目を見開いている。
薄緑色の瞳は、本当に美しかった。
自分だけを見つめていればいいのに、と考えている自覚はある。
「確かに……そのようね」
「なにがだい?」
「純朴な少年だったみたい」
言うなり、サマンサが、吹き出す。
明るい笑顔に安心した。
彼女は、すべてを諦めないのだ。
彼のことも、子供のことも。
幸せな明日のことも。
「笑わせるつもりで言ったわけではないが、きみの道化になれたのなら嬉しいね」
「そうねえ。あなたが、私のご機嫌を取るのが上手いってことは認めるわ」
「私にも、良い才能のひとつはあると、ようやく気づいたようだ」
「ひとつはね」
サマンサがにっこりするので、つられて彼もにっこりした。
こういう日々を続けていきたい。
彼女に負担をかけるのは本意ではないが、それでも一緒にいたかった。
彼は、己の本質を痛いほどに感じている。
口には出さないが、心の奥で思った。
自分の本質は、愚かで冷酷なものからできている。
それは、忘れてはならない戒めかもしれない。
今回のようなことは、2度と起こしてはならないのだ。
サマンサのためにも。
(早くケリをつけて、アドラントはジョバンニたちに渡して……)
彼女と幸せになる。
暖かく愛のある家庭を築く。
それが、今の彼の「望み」だった。
ジェシーは、前ほど脅威ではない。
ロズウェルドに入れば認識もできる。
彼が認識できるというのは、その場に、即座に転移ができるのと等しい。
この間より、ほんの少し「長居」してくれれば、捕らえられるのだ。
だが、その前に、トリスタンから連絡が入るだろう。
早ければ明日には。
「ねえ、きみ」
「なに?」
「今夜は、きみと、ここで過ごしてもいいかい?」
「え……そ、それは……あの……」
サマンサが、狼狽えた姿を見せる。
彼は、そのサマンサの鼻を軽く、ちょんっとつついた。
「きみのベッドにもぐりこむからといって、なにかするとは限らないよ」
「そうかしら? あなたは、私に破廉恥な真似をしたがる男性だもの」
「否定はできないな。だが、今夜ではない。なにしろ、きみに夢中になり過ぎて、なにもかもを忘れてしまいそうだからなあ」
サマンサが、顔を真っ赤に染めている。
赤くなった耳が、とても可愛らしかった。
彼が、小さく笑ったとたん、とすっと腹を拳で殴られる。
ちっとも痛くはなくて、むしろ、なおさらに可愛く思えた。
「私には、おかしな嗜好があると思われているらしいが、それほどには間違ってもいないらしい。きみに、脛を蹴飛ばされても、脇をつねられても、こうして、腹を殴られてさえ、愛を感じる」
「……あなたって……とても厄介な人だわ……わかっているの?」
サマンサの体を、ぎゅっと抱きしめる。
そして、本音をつぶやいた。
「きみを……森に帰したくないのだよ、サミー」