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 なんだか、とても不思議な感じがする。

 彼と一緒にいるのが、あたり前のように思えるからだ。

 まだ、記憶は戻っていないのに、と考えた時、気づく。

 

「それはそうと……あなたの婚約者だから、私は狙われていたの?」

「そうか。きみは、なにも覚えていないのだったね」

「婚約を解消しないとなると、また狙われるのかと思って」

「狙われることのないよう手は打っているが……完全に安心はできないな」

 

 そこから、おおよそのことを、彼が語ってくれた。

 どこからともなく紅茶を出してくれたので、それを飲みながら、話している。

 サマンサの訊いたことに答えつつ、まるで寝物語のように、ゆっくりと。

 

 出会った日から、夜会でのこと、体型を変えてくれたのが、彼だとも知った。

 彼は「そのままで良かった」と、しきりに繰り返し言ってくる。

 記憶のないサマンサでさえ、貴族が外見にこだわることは覚えていた。

 だから、彼の意図は、今ひとつわからなかったが、それはともかく。

 

「それにしても、あなたって、本当に(ろく)でなしね。私のことを、半月も放り出していただなんて、信じられないわ」

「深く反省しているよ、本当にさ」

「今度そんな真似をしたら、脛を蹴飛ばすくらいではすまさないわよ?」

「あんな恐ろしい思いをするのは、2度とごめんだ」

「恐ろしい? 私、なにかして出て行ったの? 部屋中の物を壊したとか?」

 

 彼が苦笑を浮かべ、サマンサの額に口づけを落とす。

 ふれられるたび、彼への想いを実感した。

 少しも嫌ではないし、心地いいと思えるからだ。

 なにより、彼の想いが感じられて、それが嬉しい。

 

「確かに、きみは、じゃじゃ馬だがね。物を、めちゃめちゃにしたりはしないよ。物に八つ当たりするより、私を()(ぱた)くほうが、気分がいいのじゃないかな」

「それは、理にかなっているからよ。悪いのは物ではなくて、あなただもの」

 

 彼がティーカップを手の中から消す。

 そして、サマンサの体を、ぎゅうっと抱き締めてきた。

 実のところ、彼女は、まだ彼の膝の上に座っている。

 向かい側にもソファはあるのだが、彼が離してくれないのだ。

 

「きみを探せずにいた間中、私は、とても恐ろしかった。きみを失ってしまったのじゃないかと思ってね。きみの無事な姿に、言葉も出なかったほどだ」

「……心配してくれている人がいるかもしれないって、思ってはいたのよ……」

「わかっている。そもそもは、私が悪いのだから、きみは、私を心配させておいて良かったのさ」

 

 とはいえ、彼は、心底、心配していたに違いない。

 なのに、サマンサは別の男性と一緒に暮らしていて、呑気に笑っていた。

 もちろん、覚えていなかったので、しかたなくはある。

 ただ、あの時、彼が大きな声を出した理由が、ようやく理解できた。

 

 彼は、サマンサを失うことに、恐怖していたのだ。

 危険が迫ってもいた。

 無理にでも連れ帰ろうとしたのは、そうした強い気持ちからだろう。

 だが、サマンサは理解できず、彼を強く拒絶している。

 

(それでも……彼は、私を尊重してくれたのね。私の意思を優先してくれたわ)

 

 彼は、魔術師だ。

 しかも、相当な力の持ち主でもある。

 無理を通そうとすれば、簡単にできた。

 たとえば、レジーの手足を折らなくても。

 

「だけど、私は、なにを考えていたのかしら? あなたに腹を立てていたとしても突然に過ぎない? ここを出る方法なら、ほかにもあったはずよね?」

 

 差し迫った状況でも、彼は、サマンサの意思を優先させている。

 話し合えば、おそらく、ティンザーの家に帰るのを認めてくれたはずだ。

 記憶のあった自分は今より彼を知っていたのだから、それくらいの判断はできていても、おかしくない。

 なのに、実際は、彼に黙って、ここを出ている。

 

「フレディは、きみは私のために、ここを出たのだと言っていた。私も、そうだと思う。カウフマンを釣り出そうとしたのか、囮としての役を果たそうとしたのか、そのあたりは、私も判断はつきかねているが」

「……それなら、もっと、堂々と出て行けば良くない? あなたと喧嘩をして出て行くのなら、なにも隠れて出る必要はないわ。しかも、お金も、なにも持たずに」

「うーん……私に引き()められると思ったから、とかではないかな?」

「半月も顔を出さないあなたに、引き留められるなんて思うわけないじゃない」

「きみは、記憶がなくても、私を、きゃん!と言わせるのが好きだね」

 

 サマンサは、軽く肩をすくめた。

 記憶は失っても、自分は自分だ。

 なにかしら、納得のいく理由はないかと、思考を巡らせる。

 

「あ…………」

「どうかしたかい? なにか思い出したのか?」

「あ、いいえ……な、なにも思い出してはいないわ……」

「サム、サミー?」

 

 彼が、ひょこんと眉を上げた。

 かあっと顔が熱くなる。

 細めた目で見つめられ、いよいよ恥ずかしくなった。

 

「なにか気づいたのだろう?」

「た、たいしたことではないわ」

「だから?」

「それなりの理由があったってだけのことよ」

「それで?」

 

 彼が、首をわずかに傾け、さらに、目を、すうっと細める。

 うつむいたサマンサの顎が、くいっと持ち上げられた。

 視線が、まともにぶつかる。

 

「それで?」

 

 はくはく…と、サマンサの口が動いた。

 首元にまで、熱を感じる。

 が、彼の視線からは逃げられない。

 

「……あ、あなたを…………愛していたから……」

 

 彼が、数回、(まばた)きをした。

 サマンサは、半ば自棄(やけ)になって答える。

 

「だから! その時にはもう、私は、あなたを愛していたのよ! あなたに弱味を作らせるわけにはいかないと思ったのだと思うわ! でも、私は、あなたを愛してしまっていて、それを悟られたくなかったから、黙って出たのよ!」

 

 その前の夜。

 彼の語った内容からすると、サマンサは彼と口論になっている。

 本物の婚姻だとか、子供の話だとかで(いさか)いになったらしい。

 その根本にあったのは「愛」に関する、2人の意見の相違だ。

 

 そして、カウフマンがサマンサを狙うのは、彼女が彼の婚約者だからというだけではない。

 彼の弱味に成り得る存在だと想定している。

 そのことに、自分は気づいたのだろう、と思った。

 同時に「彼の弱味になってはならない」と考えたのがわかる。

 なぜなら、サマンサ自身が、すでに彼を愛してしまっており、その感情が、彼に変化を与えることを危惧したからだ。

 

「へえ。それは、知らなかったなあ。あれほど怒っていたのにねえ」

「嫌な人ね! 正直さなんて、腹が立つばかりだわ!」

「きみは、怒っている時が最も魅力的だよ、サミー」

 

 本気で引っ叩いてやろうと思った。

 その振り上げた手を、彼があっさりと掴む。

 そして、サマンサの手のひらに、唇を押し当てた。

 

「……卑怯じゃないの?」

「私は、恥知らずな男なのでね」

「まったくだわ……」

 

 そんなふうに愛おしげにされると、脛を蹴飛ばすことだってできない。

 怒っていたのも忘れ、なにもかもを許してしまう。

 

「だけれど、ねえ、きみ」

 

 彼が、サマンサを見つめてきた。

 さっきとは違い、甘く緩く目が細められている。

 

「私も、あの夜にはもう、きみを愛しかけていると思っていた」

「え……?」

「正確には、もっと前から愛していたのだろうが、知っての通り、私は愛に臆病な男だ。長く、気づかない振りをしていた。まぁ、そうした必死の抵抗も、きみが、私の私室の扉を、威勢よく開いた瞬間に吹き飛んでしまったがね」

 

 胸が、どきどきと鼓動を速めていた。

 今のサマンサにとって、彼は、ほとんど見ず知らずの男性に近い。

 なのに、胸が高鳴る。

 どうしようもなく「愛」を感じる。

 

 彼を失う日がいつ来るかわからないのは、怖い。

 だが、愛したかったし、愛されたかった。

 

 繋いでいられるうちは、この手を放したくない。

 

 サマンサの手を握っている彼の手に、サマンサも口づける。

 彼自身が、彼の心を守れないのなら、自分が彼の心を守るのだ。

 最後の、その時まで、独りにはしない。

 

「あなたが、私の心に気づかずにいたことに驚くわ」

「しかたがないさ。なんでも見通せる眼鏡を持っているわけではないのでね」

「本当に、役立たずな魔術師ね」

「そうとも」

 

 自然に、唇を重ねる。

 繰り返し口づけをかわしたあと、彼が肩をすくめた。

 

「これは、どうも……まいったね」

 

 なにか言いたげに見つめられ、サマンサは首をかしげる。

 それこそ「なんでも見通せる眼鏡」は持っていないのだ。

 彼が、なにに「まいっている」のかなど、わかるはずがない。

 

「このまま、きみをベッドに連れて行きたくなった」

「な……っ……」

「以前は、きみが望むならと言っていたが、それは却下しよう」

「きゃ、却下って……」

「だって、しかたがないじゃあないか。前々から、私は、きみに、破廉恥な真似をしたがる男でもあったわけだし」

 

 指先で、さらりと首元を撫でられ、焦る。

 このままでは、本当にベッドに連れて行かれかねない。

 サマンサが望もうと望むまいと、ということらしいけれども。

 

(の、望まないなんて言えないってわかっているくせに……っ……)

 

 彼に求められて、否と言えるはずがなかった。

 というより、嫌だと思っていないとの自覚がある。

 それを、彼はわかっていて言っているに違いない。

 

「ま、待って……とりあえず……今は……その……駄目よ……」

「今は? それなら、いつならいいのか、教えてくれると助かるね」

 

 鼻を、つうっと指で撫でられ、頬が火照った。

 彼は、とても魅力的で、ものすごく厄介な男性だ。

 だとしても、今はベッドになだれ込むわけにはいかない。

 

「……あなたが、まだ話していないことを、話してくれてから、と言っておくわ」


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