思惑もそれぞれに 1
サマンサは、目覚めからずっと気分が悪かった。
昨日、腹が立ち過ぎていて、食事もせずに寝てしまったのだ。
そのせいで、朝から、ふらふらする。
「全部、あの人でなしの冷酷男が悪いのよ」
「きみ、まだ怒っているのかい?」
ハッとして、ベッドから体を起こした。
ここは、アドラントにあるローエルハイドの別邸だ。
その2階の部屋を、サマンサはあてがわれている。
もちろん、この屋敷の主は、彼だとわかったいた。
だとしても、勝手に出入りをするなんて失礼にもほどがある。
「怒っているのではないわ。あなたが、怒らせているのよ」
とはいえ、頭がフラついていて、怒鳴る気力もない。
昨日の夜から怒り詰めだったからだろう。
なのに、彼は、まったく意に介していないのだ。
眩暈も伴って、苛々する。
「どうやら、私は、きみを怒らせる才能があるみたいでね」
「同感よ。少しも否定する気にならないわ」
「かまわないさ。私も、きみに否定してほしいとは思っちゃいないよ」
彼は、朝から、きっちりと貴族服を着こんでいる。
サマンサは、まだ寝間着姿だったが、気にする余裕もない。
ポケットに両手を突っ込み、彼が、のんびりとベッドに近づいてきた。
魔術を使ったらしく、勝手にイスが現れる。
両手はそのままに、彼は、軽く足を組んで座った。
「寝室に男が入り込んできたというのに、きみは叫び声を上げもしないのだね」
「あなたの期待に沿う行いができないのは、私のせいではないわよ」
「寝間着姿を見られるのを、嫌う女性は多いだろう?」
「どうでもいいわ。私は、服を着ている。それだけで十分じゃない」
彼が、小さく笑う。
本気で、サマンサは、どうでもいいと思っていた。
会話をしているだけでも、体がだるいのだ。
目の前が、グルグル回り始めている。
「きみの機嫌を取っておく必要があるな」
顔を押さえかけたサマンサの前に、横長の広々としたトレイが現れた。
宙に浮いていて、なのに、しっかりと固定されているかのように動かない。
トレイの上には、いくつもの皿が並んでいる。
美味しそうな香りを漂わせた料理が、サマンサを誘っていた。
「昨夜は、食事もせずに、きみは扉を閉めてしまったからね。空腹だと、よけいに腹が立つものだよ。ほら、お食べ」
子供に言うような言いかたは癪に障る。
だが、朝食の誘惑には勝てなかった。
フォークとナイフを手にして、サマンサは料理に手をつける。
礼を言うべきなのだろうが、そもそも、こうなったのは彼のせいだ。
とても感謝の言葉を口にする気にはなれなかった。
(彼は、すっかり、お兄様を味方につけてしまった。今頃、お兄様は、お父様たちに、愛妾でも大事にしてもらえるのならそのほうがいい、なんて説明をしているに違いないわ。そりゃあ、家族に失望されるよりはいいけれど……)
それにしても、あれは、やり過ぎだ。
いかにも親密だと言わんばかりに腰に手を回したり、愛称で呼んだりする必要はなかった。
彼がサマンサに夢中なのだと、レヴィンスは誤解したに違いない。
だからこそ信頼しきったような「きらきら」した目で、彼を見ていたのだ。
「そろそろ、ひん曲がっていた、きみの機嫌も少しは良くなったかい?」
声をかけられ、サマンサは我に返る。
ものも言わず、食事に熱心になっていたのが、今さらに恥ずかしくなった。
自分の体型を、彼女は気にしていないわけではないのだ。
ティモシーやマクシミリアンに言われた言葉も思い出している。
『あの体ではなぁ。頼むから服を着ていてくれと言いたくなる』
『彼女は……本当に食べるのが好きみたいでね』
マクシミリアンの馬鹿にしたような口調。
ティモシーのうんざりした声。
それらが、サマンサから食欲を奪っていた。
カチャンと、フォークとナイフをトレイに置く。
「おや? もういいのかい? せっかく、きみのために用意させたのだから残さず食べてくれると嬉しいね。それとも、きみの口に合わなかったかな?」
「……いいえ。とても美味しかったわ……」
言いつつ、サマンサは、うつむいた。
彼は、すらりとしていて、大半の女性にとっては魅力的な男性だ。
黒髪、黒眼はめずらしい色だし、恐れをいだかれる人物ではある。
だが、たとえば、髪と目の色を、ほんの少し変えて「お忍び」で夜会に行けば、彼に誘われたがる女性が列を作るだろう。
そんな彼に、自分の気持ちが理解できるとは思えない。
だいたい、理解しようなどという考えがあるとも思えない。
「とにかく、もうお腹がいっぱいなのよ。これ以上、食べられないわ」
「さっきまで、空腹で目を回しそうになっていたのに?」
「あなたに見られながらの食事では、食欲がなくなってもしかたないでしょう?」
ティモシーとは、よく一緒に食事をしていたが、どう思われていたのかと、想像すると、寒気がする。
心の中では「豚のように食べる」とでも思われていたのではないか。
そんなふうに、考えずにはいられない。
物心ついた頃から、サマンサは、この体型とつきあってきた。
だからといって、嘲笑されることに慣れはしない。
けして、平気だったわけではないのだ。
いつだって気にしている。
「私は、きみが食べているところを見ていたい」
「それで? 私が丸々と肥えていくのを面白がるってわけ?」
「もちろん違う」
きっぱりとした否定に、サマンサは顔を上げ、彼に視線を向ける。
めずらしく、そこに微笑みはなかった。
彼は、たいてい穏やかに微笑んでいる。
その顔を見るたび、相手にされていないと感じていた。
彼は、本心を隠すのが、とても上手いので。
「だって、きみは、そのトレイの料理をすべて平らげたとしても、太りやしないんだから。そうだろう?」
指摘され、言葉を失う。
なぜわかったのかが、わからない。
そのことは、誰にも話していなかった。
家族にすら隠し続けている。
「どれだけ食べようと、きみの体型は変わらない。だが、食べなければ倒れる」
「……どうして……知っているの……?」
「私が魔術師だからさ」
「魔術師なら当家にもいたわ。でも、そういう話はされたことがないわね」
「省略した部分を付け加えよう。私が、特異な魔術師だからだよ」
確かに、ローエルハイドは特異な魔術師の家系だ。
中でも、彼は「人ならざる者」であり、最も特殊だと言える。
「きみは私に対して、よく怒るだろう? ああ、違ったな。私は、よくきみを怒らせるだろう? 怒るっていうのはね、きみ。とてもエネルギーを消耗するものだ。きみは、蓄積したエネルギーより、消耗するエネルギーの量が、人よりも多い」
「見えるとでも言うの?」
「おおまかにね。最初に、きみが訪ねてきた時から、見えていた」
彼は本心を語らないが、嘘もつかない。
それに、こんな嘘をついても無意味だ。
面白がるにしても、手が込み過ぎているし、実際に、どれだけ食べようが、食べまいが、サマンサの体型が変わらないのは事実だった。
「昨日、きみは……いや、私が、きみを怒らせっ放しだったからなあ。あげく食べないで寝てしまったし、今朝は、ぶっ倒れているのではないかと思ったよ」
「……倒れそうだったわ……眩暈がして……」
「だろうね。だから、きみが、ちゃんと食べているところを見ていたいのさ」
彼が、フォークで蒸したジャガイモを突き刺す。
それを、ぱくりと食べた。
そのフォークを、くるりと手の中で引っ繰り返し、サマンサに差し出してくる。
「ねえ、きみ。どうせ痩せっぽちになるわけでもないのに、食べずにいるなんてのは、馬鹿げていると思わないか? ぶっ倒れて、私に介抱されたいというのなら、それはそれでもいい気がするがね」
パシッと、彼の手からフォークを奪い取った。
どうしてこうも、隠していたことを次から次へと暴かれなければならないのか。
その上、彼は暴くのを躊躇わない。
平然と、サマンサの心を踏みにじってくる。
同情の、ひと欠片もないのだ。
もちろん、彼に同情されたいとは思わないし、むしろ、同情などされれば腹立たしく思うだろうが、それはともかく。
「それなら、出て行って。1人で食べるから」
「いいや、つきあうよ。きみが窓から料理を放り捨てるかもしれないからなあ」
「あなたほどの人でなしには、会ったことがないわ」
「ああ、いけないよ、サム。怒ると、ほら、もう何皿か、追加しなくちゃならなくなるだろう? いや、追加しておいたほうがいいかな」
言えば言うほど、泥沼な気がする。
サマンサは彼を無視し、無言で料理を口に詰め込むことにした。