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目に見えないからこそ 1

 サマンサは、彼の姿に怒りがわいてくるのを感じた。

 どうして、こんなにも腹立たしいのか、自分でもわからない。

 ただ、腹が立つ。

 

「いったい、どういうことなのっ?!」

 

 怒鳴って、ずかずかと彼に近づいた。

 彼は、イスに腰をおろしたまま、立とうとはせずにいる。

 眉をひそめ、彼女を見上げてきた。

 その不機嫌そうな表情に、ますます腹が立つ。

 

「それは、私が言いたい。いったい、どういうつもりかね?」

「私が訊いているのよ? 先に答えてちょうだい」

「いや、私の問いに、先に答えたまえ。でなければ、なにを答えろと言われているのか、わからないじゃないか」

 

 彼は、不機嫌顔のまま、イスの肘置きを使って、頬杖をついた。

 呆れているかのようなまなざしで見られている。

 軽く足を組み、いかにも「早く帰れ」といった態度に、イラッとした。

 

 彼の言うことは、もっともなのかもしれない。

 いるはずのないサマンサが、急に私室に飛び込んできたのだ。

 何事かと思うのも、無理はない。

 だが、サマンサには「もっとも」だとは思えなかった。

 

「私は、あなたの婚約者なのよ、一応。今のところは、ね」

 

 ぴくりと、彼の眉が引き攣る。

 彼が皇女に言った言葉で、サマンサが当てこすったからだろう。

 とはいえ、言った内容は「事実」だ。

 サマンサと彼との婚約は、まだ解消されていない。

 

 いつ死ぬかわからない身。

 

 それが本当なら「婚約者」には、きちんと話しておくべきではないのか。

 執事の態度からすると、以前のサマンサは知らなかったに違いない。

 知っていることを、わざわざ執事が言いに来るとは考えられないからだ。

 

 あの執事とは、なんだかソリが合わない。

 向こうも、同じように思っている。

 なのに、あえて言いに来た。

 しかも、独断で、だ。

 

 おそらく執事も、最近まで知らずにいたのだろう。

 彼と、どういう話し合いをしたのかは、訊いていない。

 が、良い結果にはならなかった。

 だから、サマンサのところに来ざるを得なかったのだ。

 それほど、切羽詰まっていたのだと考えられる。

 もとより、そうでもなければ、彼が自身の身の上に起きていることを、人に話すとは思えない。

 

「ああ、そうか。ジョバンニだな」

 

 彼が、頬杖をついていないほうの手を、軽く上げていた。

 その手を、すとんと肘置きに戻す。

 

「物申せとは言ったが、よけいなことまで話せとは言っていないのに、まったく」

「よけいなことって、なによ」

「よけいなことさ。きみが気にするような話ではないのでね」

「婚約者の命の問題を、気にするなと言うの?」

 

 いつ死ぬかわからないだなんて話をされ、気にせずにいられるはずがない。

 名ばかりの婚約者であっても、説明くらいしておくべきなのだ。

 知らないのならともかく、サマンサは、もう知ってしまっている。

 聞かなかったことにもできないし、聞かなかった振りもできなかった。

 

「なにも、明日、死ぬわけではない」

「それなら、いつ? いつ死ぬかわからないというのは、明日かもしれないという意味も含まれているわよね?」

「明日や明後日でないことは確かだ。さあ、もういいだろう」

「なにが、いいのよ? なにもよくはないわ」

 

 サマンサは「説明」を求めているのだ。

 本気で「いつ」かと訊いているのではない。

 なにが理由で「死」を口にしたのかを訊いている。

 原因とか根拠とか、そういう話をしていた。

 

「いいさ。わかったよ」

 

 彼が立ち上がる。

 そして、イスの後ろへと回った。

 背もたれのところに、両腕を置いて、体を折り曲げる。

 腰をかがめた格好になっているため、サマンサの顔を見上げる形になっていた。

 

「それなら、婚約を解消しようじゃないか」

 

 ものすごく、あっさりと言う。

 そのことに、サマンサは、ショックを受けていた。

 望むところのはずなのだが、心が拒否反応を示している。

 同時に、彼に腹が立ち、なにか投げてやりたくなった。

 

「短絡的なことを言うのね」

「きみだって、そのほうがいいだろう? いちいち私のことを気にする必要がなくなるし、晴れて自由の身になれる」

「元婚約者が、どこで野垂れ死にしようが気にかけるなってこと?」

「そうとも。きみは、レジーと家庭でも持って幸せに暮らしたまえ」

 

 その言葉に、サマンサは、さらにショックを受ける。

 彼は、レジーに自分を押しつけようとしている、と思ったのだ。

 囮としての役目が終わったので、もう不要なのだろう。

 とはいえ「いらない」とするだけではなく、人に押しつけようとするだなんて、どこまでも冷酷な人でなしだ。

 

「よけいな、お世話だわ」

「それが、きみの願いだった。違うかね? きみは、そう、確か、愛のある暖かな家庭とやらを築きたかったのじゃなかったっけ?」

「その通りよ。私は、愛のある暖かい家庭がほしいと思っているわ。だからって、あなたに指図される筋合いはないの。私の婚姻の世話までしてくれなくて結構よ」

 

 レジーは、とてもいい人だと思う。

 きっと良い夫、良い父親になれる人だ。

 好感が持てるし、レジーとの婚姻は、間違いなくサマンサを幸せにする。

 サマンサ自身、それを考えなかったわけではない。

 

 リスとレジーと3人で、ずっと暮らしていけたらと、何度も思ったのだから。

 

 レジーの気持ちは訊いていないが、仮に、レジーから求婚されていれば、受けていた可能性はある。

 記憶は戻らなくても、レジーとは「新しい自分」としてやっていけるのだ。

 一緒に料理をしたり、洗濯をしたりする、そういう自分を気に入ってもいた。

 レジーとなら、暖かい家庭を築けるに違いない。

 

 そんなことは、わかっている。

 

「そうかい。だとしても、婚約の解消は必要だ。私は、きみにそうしたものを与えられはしない。わかったら、出て行ってくれないか」

「どうして与えられないと決めつけているの?」

 

 政略的な婚姻からでも、愛が育まれることはあるはずだ。

 時間が人の気持ちを変化させる可能性は、十分にある。

 なぜか、そう感じた。

 だが、彼は、その可能性を切り捨てている。

 

「私は、きみに愛されたいとは思っていない」

 

 その言葉に嘘はない。

 サマンサは、ひどく傷ついている自分を自覚していた。

 眩暈がして息が苦しくなるくらい、胸が痛んでいる。

 

「よくも……よくも、そんなことが言えるわね……この人でなし……」

 

 彼の言う通りだ。

 ここから立ち去って、森に帰るのが正しい。

 なぜ彼に会いに来てしまったのか、わからなかった。

 彼が死のうが生きようが、どうでもいいではないか。

 

「帰りも、ジョバンニに送ってもらうがいいよ、きみ」

 

 彼は、サマンサのためには、指1本、動かす気はないと言いたげだ。

 執事には話し合ってくれと言われたが、やはり、彼に話し合う気持ちはない。

 来たのが間違いだったと、帰ろうとした。

 のだけれども。

 

 『ああ、サム、サミー! きみを失うかと……っ……』

 

 また、その声が聞こえてくる。

 あれもまた、嘘ではなかった。

 彼の鼓動の速さを、サマンサは、覚えている。

 抱きしめてきた腕の力も、忘れられずにいた。

 

(あんなふうに心配しておいて……すぐに冷淡になるのはどうして……?)

 

 彼の言動は、とても矛盾している。

 たとえ名ばかりでも、婚約者の身になにかあれば問題になるからかと思ったのは、そう思いたかったからだ。

 彼の矛盾を理解できず、無理に引き出した理屈だと言える。

 

 けれど、本当に?

 

 サマンサは、彼の黒い瞳を、じっと見つめた。

 瞳の奥が揺れているように感じられる。

 そして、気づいた。

 

「あなたは、まだ答えていない。なぜ、いつ死ぬかわからないのか、その理由を、あなたは、また教えてくれていないわ」

 

 サマンサの気にかけることではないと言い、彼は、その問いから逃げている。

 そのあとも、彼女を追い返すようなことしか言っていない。

 質問に質問で返すのは、答えたくない時だ。

 もしくは、答えられない時。

 

「きみには関わりのないことだからさ」

「関わりがないのなら、話してもいいのじゃない? 私は知ってしまったのよ? 婚約解消をしたあとまで、なぜかしら?なんて思いたくはないの」

 

 だから、明確にしろといった態度を取る。

 今後、サマンサがどうするか、実際には決めていない。

 婚約は解消されるのだろうが、すぐさまレジーとどうこうなる気もなかった。

 そもそも、レジーの気持ちだって訊いていないのだし。

 

 いずれにせよ、納得がいかなければ、気にするに決まっていた。

 気にするなと言われてできるのなら、誰も悩み事なんてかかえはしないのだ。

 人の感情は、それほど単純ではない。

 気にしないようにしようとしていてもできないから、悩んでしまう。

 

 彼が、イスから離れて体を伸ばす。

 両腕を組み、ふいっとサマンサから視線を外した。

 横顔からは、なんの感情も読み取れない。

 徹底して、サマンサを拒絶している。

 

「いいかげんにしてくれないか。私が、きみを納得させる必要がどこにある?」

 

 独りぼっち。

 

 不意に、そう感じた。

 胸が、ぎゅうっと締め付けられる。

 

「繰り返し言わなければ、わからないようだ。いいかい、きみ。私に、きみの愛は不要なのだよ」

 

 冷たい言葉だ。

 とても冷淡な口調だ。

 それなのに。

 

「……わからないわ……あなたが……なぜ、独りになりたがっているのか……」


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