後手と先手 3
レジーは、町に行っていていない。
少し遅くなる、と言われてもいた。
自分1人で対処するしかないのだ。
ともあれ、相手は「話をしに来た」と言っている。
(嘘をついているってふうではないわね)
サマンサは心を落ち着けて、ソファのほうに向かって歩いた。
なにも言わなかったが、男性は無言でついて来る。
少なくとも、サマンサを、背後から殺す気はないようだ。
(それに、さっき私の名を呼んだわ。敬称までつけて……ということは、私の家の者かしら……? それにしては、どうにも目つきが無礼な気がするけれど)
なにか責めるような目つきが気に入らない。
サマンサは、相手がどういう人物かもわからずにいる。
警戒しつつ、移動した。
これがティンザーの勤め人なら、自分は歓迎されていない家族だと判断できる。
(この服装……執事のようね……貴族服とは違うもの……)
食事をするほうの部屋に通すかどうか、迷った。
が、奥の部屋だと、いざという時に逃げられなくなる。
相手に対する記憶がないので、ひとまず注意は怠らないことにした。
「生憎、ソファがひとつしかないの。どうぞ、座ってちょうだい」
「いいえ、私はこのままで結構です。サマンサ様が、おかけください」
イラッとする。
言いかたにも、口調にも棘がある気がしてならない。
そこで、ハッとなった。
この感じには覚えがある。
(ローエルハイドの執事だわ! 絶対にそうよ! 主にそっくりだもの!)
魔術師ということもあり、シャートレーの可能性は低い。
それに、シャートレーは騎士も含め、こんなに感じの悪い人はいなかったのだ。
だいたい、この間の夜会で、シャートレーの執事とは顔を合わせていた。
「立っていたければ、どうぞご勝手に。私は座らせてもらうわ」
サマンサは、ソファに腰かけ、相手を見上げる。
にらむと言っても過言ではない目をしていた。
「それで、話というのはなに?」
ぶっきらぼうに言う。
無礼な相手に、礼儀を尽くす必要はない。
それが気に食わないのなら、帰ればいいのだ。
そもそも、サマンサが呼んだわけでもないのだし。
「我が君のことです」
「我が君というのは、具体的には誰を指すのかしら」
ぴくっと、男性の眉が吊り上がる。
明らかに気分を害しているのだ。
知っているはずだと思われているのはわかっていたが、あえて誤解は正さない。
サマンサからすれば、見ず知らずの男性だった。
記憶がないというのは、弱味にも成り得る。
ありもしないことを、でっちあげられる恐れがあるからだ。
レジーがいない状態で、正直に話すのは危険だと思う。
「あなたのご婚約者、ローエルハイド公爵様にございます」
やっぱりね。
予想はついていたので驚かない。
執事が無礼なのは、傲慢な主に似たせいだろう。
サマンサは、いよいよ不愉快になってくる。
「ああ、あの人でなしのこと?」
「我が君を、そのように仰るのが、あなたはお好きなようですね」
「それが、あなたは、気に食わないようね」
「当然でしょう。我が君は、私の主であり、命の恩人でもあります」
「あなたの事情が、私に、どういう関係があるの? あなたにとって、大事な人であっても、私には違うわ」
不愉快なら帰れとばかりに、サマンサは強気に出た。
はっきり言って、サマンサのほうが不愉快なのだ。
彼との終わりは見えている。
それは、彼自身が告げたことだった。
今さら、どんな話があるというのか。
「彼が、あなたを寄越したのかしら?」
「違います。私の独断でまいりました」
言葉に、なぜか「意外」だと感じる。
この執事は、彼にとても忠実だ。
それは間違いない。
さらりと聞いた事情からしても、彼に忠誠を誓っていると察せられる。
にもかかわらず、独断でここに来た。
叛意があってのことではなさそうだが、理由も思い当たらない。
「我が君と、お話をなさってください」
「どうして、私が? 彼だって話をしたいとは思っていないのじゃない?」
話したいと思っているのなら、彼自身が、ここに来ている。
執事が「独断」やなんかで、勝手に訪ねて来たりはしていないはずだ。
その理由には、予測がつく。
執事は「話し合い」が必要だと思っている。
が、彼は「話したがっていない」のだ。
この執事の主は、頑なにサマンサとの「話し合い」を拒んでいるに違いない。
そこで、サマンサへと直談判しに来た。
おそらく、そんなところだろう。
はっきり言って、意味がわからない。
「彼が話したくないと思っているのなら、話すことなんてないわよ」
「話したくない、ということではありません。お話になれないのです」
「まさか、彼が病気だとでも言うつもり?」
「ある意味では」
執事が、顔を歪める。
サマンサの胸に、急に不安がこみあげてきた。
別に、彼が病気だろうが、どうでもいいはずだ。
魔術師なのだから、治癒で治せるはずだとの思いもある。
「曖昧な言いかたはよしてちょうだい」
彼は病なのか、そうでないのか。
ある意味では、と言われても、判然としない。
彼は、傷ついていたシャートレーの騎士を治癒した。
怪我と病気では、治癒の効果が別なのだろうかと、胸がざわつく。
「口もきけないくらい深刻な病に罹っていて、ベッドから起き上がれないとか?」
「そういう病ではありません」
「それなら、どういう意味なのっ? 持って回った言いかたは不愉快だわ!」
思わず、声を大きくしてしまった。
執事の不明瞭な説明に、苛ついている。
どうしてか、彼のことが気がかりなのだ。
抑えようとしても、不安がこみあげてくる。
彼が、どうなろうと関係ないはずなのに。
執事が、サマンサの目を見つめていた。
心臓の音が、ひどくうるさい。
勝手に、鼓動が速くなっているのだ。
「我が君は……ご自分が、いつ死ぬかわからない身であると……」
ゆら…と、サマンサは立ち上がる。
すぐに執事へと駆け寄った。
「どういうことなのっ? いつ死ぬかわからないって、どういうことっ?」
掴みかからんばかりの勢いで訊いても、執事は顔をしかめるだけだ。
どういう意味なのかを、教えられてはいないのだろう。
だが、それが「真実」なのだと、サマンサにもわかっている。
記憶はなくても、知っている気がした。
彼は、嘘をつかない。
執事に言ったことも、本当のことなのだ。
サマンサの胸に大きな衝撃が走る。
同時に、ひどく動揺していた。
「どうして? 彼は、魔術師でしょう? それも、大きな力を持っている。なのに、なぜ、そんなことになるのよ……おかしいじゃない……有り得ないわ……そんなの……ありっこない……っ……」
両手が、ふるふると震えている。
サマンサは、すっかり取り乱していた。
不安と恐怖が、彼女を覆い尽くしている。
「ですから、どうか、我が君とお話をなさってください、サマンサ様」
混乱と動揺で、サマンサは、まともに思考できなくなっていた。
自分がどうすべきかの判断もできずにいる。
話し合ってどうするのか。
なにを話せばいいのか。
いつ死ぬかわからないというのは、どういうこと?
そう訊けばいいのだろうが、訊くのが恐ろしいと感じる。
そして、あんな冷酷な人でなしの心配をしていること自体、意味がわからない。
『サム、サミー、きみと……も離れていて、……非……味……い時を過ご……よ』
『きみに惨め……いは絶……させ……よ、サム、サミー』
『サム、サミー、きみは、な……心配す……と……いよ』
『サム、サミー、きみ、そ……に怒……ます……体……悪く……よ?』
耳鳴りの奥から、かすか声が聞こえてきた。
陽気であったり、真摯なものであったり、様々に入り乱れている。
ちりちりと、胸の奥が痛んでいた。
なぜだか泣きそうになる。
「おー、待たせ、た……って、誰だ、こいつは?」
扉が開き、レジーが入って来た。
慌てて、サマンサは涙を堪える。
「ローエルハイドの執事よ、レジー……」
「ローエルハイドの……公爵様が、なにか言ってきたのか?」
「いいえ……そういうわけじゃないの……」
なにをどう言えばいいのか、わからない。
そのサマンサの瞳から、堪えていたはずの涙がこぼれ落ちた。
なにもわからないのに、胸が痛くてたまらないのだ。
切なくて、悲しくて、苦しい。
「サム……」
レジーが、大きく溜め息をつく。
それから、執事に顔を向けて、言った。
「サムを、連れて行ってやってくれ。いずれ、こういう日が来るんじゃねぇかと、思ってたよ」