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遠いのに近くて 2

 彼は、マルフリートの背に手を添え、踊っている。

 腰まで大きく開いた、その背は、当然に素肌だ。

 だからと言って、心地良さは感じていない。

 サマンサと踊った時とは、大違いだった。

 

「私の足は、見ごたえがあるのねえ」

 

 マルフリートは、赤味の濃い唇を、横に引いて笑う。

 だが、下品には見えないのが、不思議だ。

 趣味はともかく、マルフリートには持って生まれた「品」があった。

 おっとりとした口調に仕草、笑みの浮かべかたまでが「王族」している。

 

 たとえ、幅広のスリットから素足を覗かせ、ターンをしていても。

 

「きみは、自慢の足を男性諸氏に見せたくて、ここに来たのかね?」

「あらまあ、まだダンスは始まったばかりよ、せっかちさん」

 

 マルフリートが、彼の腕に、すうっと手を滑らせた。

 ほかの男であれば、マルフリートの手に乗せられていたに違いない。

 つくづくと、護衛騎士に対し「情けない」と感じる。

 一緒に過ごす時間が長くても、親密になれるような相手ではないのだ。

 

「初めて、あなたに会ったのは、私が十歳の時。もう十年も経つのねえ」

「あの頃から、きみは“独特”だった」

 

 透けるような白金色の髪は、当時と変わらない。

 瞳に宿る「独特さ」も、同じに見える。

 十歳の少女とも思えないものが、そこにはあったのだ。

 護衛騎士をたぶらかし、遊蕩を繰り返している皇女というだけではない。

 

「気づいているのは、あなただけよ、ジェレミー」

 

 甘ったるい声で、マルフリートが、彼を呼ぶ。

 手が、するすると滑り、彼の腰に回されていた。

 これでは、人前で彼を「誘っている」も同然だ。

 わかってやっているのだろうが、それはともかく。

 

「その手をどかしてくれれば、私も考えてみてもいいのだがね」

「おかしいわねえ。いつもの、あなたらしくないと感じるのは、なぜかしら」

 

 さすがに、この程度の挑発に乗りはしない。

 彼は、表情ひとつ変えずにいる。

 周囲からは、優しく微笑んでいるように見えているだろう。

 会話での攻防など予想もできないくらい「親密」そうに接していた。

 

 マルフリートの背を撫でるように手を滑らせ、彼女の「誘い」に応じているかのような仕草をする。

 腰を引き寄せ、頬と頬を近づけた。

 その耳元に囁く。

 

「きみの望みは知っているさ」

「あなたの望みも知っているわ」

「どうかな?」

 

 くいっと体を前に大きく倒しながらも、マルフリートの体を支えた。

 しなやかに背をのけぞらせ、マルフリートは平然としている。

 胸を支えているのは、まるで開き過ぎたチューリップの花びらのような形をした布だけだ。

 胸に張りがなければ、ダンス中に、布からこぼれ落ちていたかもしれない。

 

「あなたの姿を恐ろしいと思ったことは、1度もないのよ、ジェレミー」

 

 不安定な体勢にもかかわらず、マルフリートが手を伸ばしてくる。

 そして、彼の髪を撫でてきた。

 サッと、彼は体勢を戻す。

 だが、マルフリートの手は、彼の頭から離れていかない。

 かきいだくようにして、手を回したままだ。

 

「初めて会った日から、私は、きみの隣におさまる気はなかった」

「つれないことを言うのねえ。アドラントの領民は、領主様とアドラント皇女との婚姻を喜ぶでしょうに。もったいないと思わない?」

「きみに愛は必要ないのじゃないかね」

「それなのだけれど、あなたも、私と同じ考えの持ち主ではなかった? つい最近まで、私は、それを疑ったことはなかったわ」

 

 ツツ…と、マルフリートの手が頭から離れ、うなじに回ってくる。

 性的な仕草を見せつつも、表情は変わらない。

 上品で、たおやかさを感じさせる笑みを浮かべていた。

 周囲の男たちは、マルフリートから視線を外せずにいる。

 マルフリートも知っていて、彼らを煽っているのだ。

 

「あなたが弱味を持つなんて、正直、幻滅していなくもないのよ」

「どういう理由で、そんな結論に達したのかは知らないが、きみに幻滅されるのは望むところだね」

 

 彼は、マルフリートと親密な関係になったことはない。

 今後も、なるつもりはなかった。

 もとより、アドラント王族とは距離を置いてきたのだ。

 だが、今まで通りとはいかないことは、彼にもわかっている。

 

 前に、アシュリーが、アドラントの街で襲われていた。

 その際、魔術師も関与している。

 アドラントには、ロズウェルド本国の魔術師は入れない。

 規制しているからだ。

 

 アドラントにいる魔術師は、アドラント王族を護衛する者だけとしている。

 その魔術師が、カウフマンに加担した。

 そして、アドラント王族は、いつしか、かつての贅沢な暮らしに戻りつつある。

 彼の足元も、カウフマンに侵食されている証拠だ。

 

「長いわよねえ。50年? いいえ、70年? とにかく、とても長いわ」

「きみは、その恩恵にあずかっていないとでも?」

「あなたのほうが、よくご存知ではなくて?」

 

 マルフリートが、そっと彼の胸に頬を寄せて来る。

 上目遣いに見上げてくる瞳に、溜め息をつきたくなった。

 

 そう、確かに彼には「弱味」がある。

 

 サマンサに対する「愛」だ。

 表には出していないが、マルフリートの手を振りはらって、サマンサの元に行きたい気持ちを抑えつけている。

 彼女の隣にはレジーがいるのだから、駆け寄っても無駄だと言い聞かせていた。

 

「いいさ、おチビちゃん。きみは無関係だと認めよう」

 

 マルフリートは、ほかの王族ほど「贅沢」をしていない。

 しているように見せかけてはいるが、その実、被害をこうむっているのは、護衛騎士くらいのものなのだ。

 しかも、彼らとだって、一線は越えずにいる。

 単に「とっかえひっかえ」しているに過ぎない。

 

 彼の言葉に、マルフリートが、くすりと笑った。

 十歳の頃、彼に見せた表情と変わらない。

 きっと考えもそのままに、生きてきたに違いない。

 マルフリートは、見た目にそぐわない性格をしている。

 

「その呼びかた、私は、とても気に入っているのよ」

「私にとって、きみは、いつまでも十歳のままなのさ」

「いいことだわ。あなたの中で、永遠に歳を取らないなんて素敵よねえ」

「口の減らないお姫様だな」

 

 楽しそうに表情を緩めるマルフリートに、彼は「いつもの」笑みを浮かべた。

 心からのものではなくても、かまわないのだ。

 マルフリートだけではなく、周りも気にはしていない。

 2人が親密そうだと、勝手に思うだけのことだった。

 

「あなたが、これほど簡単に口説き落とされてくれるとは思っていなかったのよ。本当に愛って偉大だわぁ」

「私は、愛の話などしちゃいない」

「駄目よ、ジェレミー。今のあなたは、どうしようもなく魅力的。私ですら、抗いがたくなってしまうほどに」

 

 マルフリートの言葉とともに、音楽が止まる。

 長い1曲だった。

 サマンサと踊った時には1曲が短く感じられ、結局、3曲も踊っている。

 

 すいっと、マルフリートが、彼の頬を撫でてきた。

 その手を取り、慈しんででもいるかのように、指先へと口づける振りをする。

 マルフリートの白金色の瞳が、きらめいた。

 非常に嫌な予感がする。

 

「あなたは約束を守る人だわ」

「きみに従属するとは、約束していない」

「ええ。私を最優先にする、と言ってくれただけよねえ?」

「マルフリート」

 

 (とが)める口調で言ったのだが、いささかもマルフリートをたじろがせることはできなかった。

 逆に、面白そうに、いよいよ瞳を輝かせている。

 

「私は立場を明確にしておきたいの。わかるわよね。それが必要だということは」

 

 彼は、掴んだマルフリートの手を引き、その体を抱き寄せた。

 頬に、ほんの軽く口づけをする。

 周囲が、大きくざわめいた。

 

「忘れているようだが、私には婚約者がいる」

「覚えているわよ、もちろん。でも、あなたは体裁にこだわりはしないでしょう」

「そうとも。わかっているなら、これも覚えておきたまえ」

 

 彼は、体を離しつつ、マルフリートだけに聞こえるように言う。

 

「私に、こうまでさせたからには、きみには必ず代償を支払わせる」

「ジェレミー、それは代償ではないわ。私にとっては、ご褒美よ」

 

 くすくすと笑うマルフリートは、本当に無邪気な「お姫様」に見えた。

 周囲の貴族たちも見惚(みと)れきっている。

 本来なら、次々と子息たちが寄ってきてもおかしくないのだが、マルフリートの姿に目を奪われ、動けないでいるのだろう。

 

「そのご褒美について、話をしようじゃないか」

「そうねえ。できれば個室で話したいのだけれど、そういう場所はあるのかしら? 貴族屋敷は狭いようだし、宮殿とは勝手が違うのでしょう?」

「きみの想定する個室に比べれば、どこも狭いさ。だが、ないわけではない」

「この際、狭くても我慢するわ。あなたと2人で安全に話ができるのなら」

 

 マルフリートの手を引き、彼はケニーの元に行く。

 個室を貸してもらえるよう手配をし、ダンスホールから離れた。

 ホールを見渡せる階段を上がり、その奥に続く廊下へと入る。

 ケニーに教わった部屋に入るや、マルフリートの手を離した。

 

「あらあら。ご機嫌が斜めに傾いているようだわねえ」

「きみの本性を知らない連中が、羨ましく思える」

「ここは、本当に狭いこと。それでも我慢はできそうよ」

 

 マルフリートが、ソファに、すとんと腰をおろす。

 彼は座らず、腕を組み、マルフリートを見下(みお)ろしていた。

 

「お茶を出してくださらない?」

 

 言われるがまま、彼は、紅茶を出してやる。

 生成したものではなく、ホールに用意されたものを移動させたのだ。

 そのティーカップを、上品に口元に運んでいる姿を見つめた。

 

 マルフリートは、野心家だ。

 

 十歳の頃からそうだったし、これからも変わらない。

 瞳には、十年もの間、同じ光が宿っている。

 

「アドラントを綺麗にするつもりなのでしょう、ジェレミー」

「きみは、王族の中でも“マシ”な部類だ」

「ええ、そうよ。だから、あなたも覚えておいて」

 

 ティーカップを手にしたマルフリートは、彼を見ない。

 そして、言う。

 

「あなたのお父様とお祖父様が、アドラントを汚したということをね」

 

 アドラントは、元々、国王ではなく「女王」が統治する国だった。

 マルフリートの目的は、女王としてアドラント王族の頂点に立つことなのだ。


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