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多くは望まないよう 2

 彼は、未だかつてないくらい気分が悪い。

 だが、アシュリーの手前、不機嫌な顔もできずにいる。

 ここは、彼のアドラントの私室だ。

 アシュリーの隣には、ジョバンニが立っている。

 今日は、アシュリーと2人だからか、(ひざまず)いてはいなかった。

 

「それで、なぜこういう状況になったのかな?」

 

 手を放したとはいえ、彼は、アシュリーには甘いところがある。

 彼の中にある曾祖父の血から、完全に開放はされていないのだ。

 さりとて、まだ14歳のアシュリーに厳しく接しきれないのは、彼の意思によるものでもあった。

 

 アシュリーは気立ても良く、彼を信じきっている。

 純粋で素直な性格には、好感が持てるのだ。

 冷たく切り捨てる気にはならない。

 今のところ。

 

(それも、いつまで続くか、わからないが)

 

 彼は、サマンサに対する「愛」に気づいている。

 彼女を守るためなら、どんな誰をも犠牲にする。

 実際、ラスを巻き込んでいるのだから、実証済みだ。

 アシュリーを犠牲にしない、とは言い切れない。

 

 サマンサを見失い、感情の抑制ができなかった際、彼は、ロズウェルドを亡ぼしてもかまわないと思った。

 そこに住む者のことなど、まったく考えていない。

 その中には、街や屋敷の者たちだけではなく、アシュリーも含まれていたのに。

 

「ジェレミー様、私も賛成しているわけではないのです」

 

 彼は、手の中で、ぴらぴらと手紙、というより、招待状を振ってみせる。

 ジョバンニが、少し困った顔をしていた。

 どうやら、これはジョバンニの意思によるものではないらしい。

 アシュリーに頼まれていたしかたなく、だったのだろう。

 

 ジョバンニは、彼以上に、アシュリーに甘いのだ。

 様々な事情を乗り越え、ようやく想いの通じ合った2人。

 彼ですら、アシュリーには甘くなる。

 ひと回り以上も年上のジョバンニが「愛する人」に甘くなるのは理解できた。

 

「私は、時々、街に行くのですが……」

「ああ、それは、私も把握しているよ」

 

 ここのところ、街には活気がない。

 食料品店に並んでいる品が、かなり少なくなっている。

 生活に必要なものが、軒並み品薄な状態なのだ。

 カウフマンの仕業なのは間違いない。

 

 アドラントを、日干しにしようとしている。

 

 法治外という特権が、逆に作用し、ロズウェルドからの支援が受けられないのを見越して、物資を断ってきた。

 ジェシーを排除して、5日が経っている。

 カウフマンも知っているはずだが、アドラントの領地返還を未だ諦めていないらしい。

 もしくは、彼に対する嫌がらせか。

 

「今はローエルハイドからの支援などで、なんとか賄えていますが、このままでは民たちの生活が立ち行かなくなってしまいます」

「その通りだね、アシュリー」

 

 カウフマンを捕らえてしまえば、状況は改善する。

 民の暮らしが立ち行かなくなる前に、手を打つ予定ではあった。

 ジョバンニも、アシュリーに説明はしただろう。

 だが、街に出て、雰囲気の変わったアドラントに、アシュリーは不安を感じたに違いない。

 

「その打開策が、これかい?」

 

 アシュリーが、しゅんとした様子で、うつむく。

 元気づけるように、その肩を、ジョバンニが抱いていた。

 なんとも心温まる光景だ。

 嫌味ではなく、そう思う。

 

 愛する人に、愛されること。

 

 同じ気持ちをいだき合い、与え合うことができるのは、奇跡にも近しい。

 それを、彼は身を持って知った。

 自分が望もうとも、相手から望まれなければ、成立しない関係。

 片側からの想いだけでは、2人のような微笑ましい光景は作れないのだ。

 

「ちょうどいい機会かもしれないな」

「ジェレミー様……?」

 

 彼は、アシュリーに、にっこりしてみせる。

 アシュリーを安心させるためだけではない。

 本当に、いい機会だと思っていた。

 

「ちょうど鼻についてきていたところだったのでね」

 

 しゅっと、招待状を、ジョバンニに向かって放る。

 片手で、ジョバンニが、それを受け止めた。

 知っている印璽(いんじ)の押された招待状だ。

 なにもなければ、絶対に出席などしなかっただろう。

 

(このタイミングで、というのも、カウフマンの差し金かもしれない)

 

 カウフマンには、彼にないものがある。

 血に刻まれた「歴史」だ。

 もちろんローエルハイドにも歴史はあった。

 だが、カウフマンの場合、一族の歴史、そこから得た経験が継承される。

 失敗も成功も、カウフマンの血肉に記憶されているのだ。

 それを根拠に、カウフマンは確信しているに違いない。

 

 彼が、サマンサを愛していると、気づかれている。

 

 カウフマンにとって、サマンサが彼を愛していようがいまいが関係ない。

 彼の心が、重要な鍵となっているのだ。

 

 カウフマンの始末の悪いところは、ある意味では、彼と同じ。

 国にこだわりのないことだった。

 ロズウェルドがバラバラになろうが、おかまいなし。

 

 商人はどこにでもいる。

 どこでても種を蒔ける。

 

 ロズウェルドが「良い土壌」だから拠点を作ったという程度の意識しかない。

 彼を暴発させ、ロズウェルドという国がなくなっても、カウフマンには、少しの痛手にもならないのだ。

 また別の土地で、やり直せばいい。

 

 むしろ、そのほうが「利」は得られる。

 

 この大陸での、ロズウェルドの一強体制が崩れれば、あちらこちらで戦争が勃発するだろう。

 ロズウェルドを恐れ、諸外国は他国との協調路線をとっているに過ぎないのだ。

 崩れ去ったロズウェルドの奪い合いになるのは目に見えている。

 

 その中で、最も利を得られるのは商人だ。

 ローエルハイドを消し去った上に、儲けが得られる。

 カウフマンは、この機会を最大限に生かそうとしていた。

 だから、アドラントに「ちょっかい」をかけている。

 そして、彼の、サマンサへの想いを煽るつもりだ。

 

 招待状の印璽は、シャートレー。

 

 今の彼にしてみれば、最も顔を合わせたくない家門だった。

 当主のケンドールが護衛騎士隊長に任命された祝いの夜会だ。

 当然に、ライナール・シャートレーも姿を見せる。

 そこに、サマンサがパートナーとして現れるのも予想がついた。

 

 レジーの腕の中にいるサマンサを思うと、胸が苦しくなる。

 彼女の幸せを願ってはいても、感情は別のところにあった。

 ともすれば、自分の心を打ち明けてしまいたくなる。

 たとえ、サマンサに後ろ脚で蹴飛ばされても。

 

 とはいえ、それは絶対にしてはならない。

 カウフマンに、弱味を(さら)すようなものだ。

 確信はしているのだろうが、その確信を覆す方法を考える必要があった。

 

(私の心が彼女から離れたのかもしれないと、少しでも猜疑心をいだかせることができれば、こういう馬鹿げた仕掛けは無意味だと知らしめられる)

 

 サマンサのことで、彼の心を揺さぶることはできない。

 暴発などしないと、わからせればいいのだ。

 そうすれば、自分だけを狙ってくるように仕向けることもできるだろう。

 カウフマンを盤上から弾き落とすのは、もう間もなくではあるのだが、それはともかく。

 

「この招待には応じることにしよう」

 

 アシュリーは、頼んだものの、逡巡もあったらしい。

 申し訳なさそうな表情を浮かべている。

 サマンサがアドラントに戻っていないのも、気にかかっているのだろう。

 夜会ともなれば、一般的にはパートナーを必要とするし、なにより主催しているのは、シャートレーなのだ。

 

 サマンサのいる森の一帯は、シャートレーの飛び領地。

 アドラントを空ける彼の代わりに屋敷を守らせていたため、ジェシーとの一戦に、ジョバンニは立ち会っていない。

 だが、サマンサが、誰と一緒にいるのかは、知っている。

 それは、つまり、アシュリーも知っている、というのと同義だ。

 

「大丈夫だよ、アシュリー。私もアドラントの領主として、民を飢えさせるのは、本意ではないからね。彼らが、私を信頼し、我慢してくれているのは知っている」

 

 サマンサと2人で歩いた街。

 驚いたり、笑ったりした、思い出も残されている。

 彼女が戻ることはないとしても、アドラントは2人で過ごした大事な地だ。

 それだけで、守るべき価値はある。

 

 シャートレーの夜会までは半月。

 

 彼がカウフマンとの決着をつけるまでの期限としていた時期と重なっていた。

 ちょうどいい、と思う。

 準備は整っていた。

 その前の、ちょっとした「余興」だ。

 

 彼は、ジェシーの成り損ないたちを、常に捕捉し続けている。

 結論を出す時が来ていた。

 

(赤ん坊も含まれていると、きみが知ることはないさ)

 

 カウフマンの血だけを継ぐ者は、トリスタンにあずければすむ。

 その手筈は、トリスタンがつけているらしかった。

 彼の手を借りることなく、カウフマンの配下を調べ尽くしている。

 どのような手段を使ったのかは、聞かないことにした。

 

 トリスタンは、自らの思想のために、上手くやる。

 ローエルハイドの血の混じるカウフマンの配下の始末は、彼がつける。

 

 それだけのことだった。

 今は手を結んでいるが、この先、また道は分かれる。

 トリスタンの思想と彼は、まったく相容れない。

 それは、互いに了解している。

 利害が一致している間だけの関係であり、信頼などしていないのだ。


(また、彼女に不愉快な思いをさせることになりそうだな)

 

 サマンサに会えるのは、それがたとえどんな状況であれ、嬉しい。

 とはいえ、彼女が喜ばないのも、わかっていた。

 溜め息をつきたくなるのを我慢する。

 アシュリーを、しょんぼりさせたくなかったからだ。

 

「手配は、きみに任せる」

「かしこまりました」

「私の我儘をきいてくださり、ありがとうございます、ジェレミー様」

「我儘ではないさ。アドラントを思ってくれてのことだからね」

 

 2人が、頭を下げ、退室する。

 彼は、少しばかり憂鬱な気分になりながらも「余興」の準備ため、転移した。


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