死線と視線 4
彼は、点門で2人だけをテスアに帰すつもりだった。
のだけれども。
「なぁんで、ジェレミーまで来ちゃってんだ?」
「いつ帰ってきてもいいと言っていたはずだが?」
「それは平時の話であろう」
「もう平時さ」
彼は、肩をすくめてみせる。
ノアはともかく、ラスは誤魔化せないだろう。
彼の心情を、きっちりと読み解いているはずだ。
証拠に、腕を組み、憮然とした顔をしている。
床に3人で、円座していた。
ノアは、きょろきょろと、ラスと彼の顔を交互に見ている。
2人の間の、妙な空気は感じているらしい。
彼は、そんなノアに苦笑する。
「私たちは、喧嘩をしているわけではないよ」
「俺は、ただ気にいらんだけだ。喧嘩ではない」
「気にいらないって、なにが? あいつは死んだし、ジェレミーの妾だって安全になっただろ?」
テスアでの「妾」とは、ロズウェルドで言う「愛妾」とは意味が異なっていた。
どちらかと言えば「婚約者」に近い意味を持つ。
テスアは一夫一妻制の国であり、たとえ国王でも妻は1人なのだ。
側室や愛妾といった概念自体がない、と言える。
ただ婚姻の解消という考えもないため、国王は妻を迎えるのに慎重にならざるを得なかった。
そのため、婚姻するまでの間、複数の「妾」と日々を過ごし、その中から、心身ともに相性のいい女性を妻とする。
それがテスアの風習だ。
(それも、ひとつの考えかただと、私は理解しているがね。貴族のように婚姻後に側室やら愛妾を侍らせるより、安定的な暮らしが見込めるじゃないか)
彼は、一定の理解をしている。
だが、ラスは違った。
ラスの父、つまり、彼の叔父は複数の「妾」を迎えていない。
叔母だけを「妾」とし、妻とした。
ラスは見かけによらず、愛し愛される婚姻にこだわりがある。
両親の姿を理想としているのだ。
彼にすれば、夢見がちにも思えるほどだった。
テスアは、一君万民の国であり、国王には大きな責任が伴う。
後継者については、ロズウェルドの王族や貴族以上に、大きな問題だ。
にもかかわらず、ラスは、未だに独り身を貫いている。
どうにも、諦めがつけられないらしい。
「あの女子を、いかがする?」
「どうするも……どうもしやしないよ、ラス」
「なぜだ? あれでは、あの男に取られてしまうではないか」
「彼女の意思なら、しかたないさ」
むうっと、ラスが、いよいよ不機嫌な顔になった。
ノアは、きょとんとした顔で、首をかしげている。
「そんなことある? オレは、ねぇと思うケド」
「しかし、あの女子は、あの男と“いちゃ”ついておった」
「いやいや、兄上、それは違うね」
ラスが腕をほどき、膝に手を置いた。
彼は、まるで他人事のように、2人の会話を聞いている。
ただ耳に入っている、というだけだ。
彼の心には響いて来ない。
サマンサの態度は、終始、変わらなかった。
それは、彼女がレジーとの暮らしを望んでいると示している。
感じるたび、サマンサは戻らないのだと、繰り返し、彼は思い知っていた。
自分の手の中に、彼女はいない。
フレデリックから聞いたジェシーの「術」は独特のものだ。
彼は、自分では対抗するのは難しいと判断した。
だから、サマンサを見つけたあと、ラスに相談をしている。
ジェシーは、必ず彼女を狙うとわかっていた。
直接に、彼を狙うことは有り得ない。
ジェシーの術は、ある意味、一発勝負。
知っていれば、転移で避けられる。
彼相手には不向きな技だ。
対して、転移のできない相手には効果的だった。
わずかにでも足を止めれば、そこを狙われる。
だからと言って、いつまでも走り回ってはいられない。
その2つを加味すれば、サマンサを殺し、動揺する彼を仕留めるのが妥当だ。
カウフマンが執拗にサマンサを狙っていた理由も、そこにある。
そして、ジェシーには「逃げる」との選択肢もあった。
逃げられると、この先もずっとサマンサは狙われ続ける。
(本当に、私はきみに息の根を止められるのじゃないかと思ったよ……サミー)
サマンサが駆け出したのは予定外だったのだ。
時間をかけられさえすれば、サマンサを囮にする気もなかった。
ジェシーを追い込み、絶対防御の範囲内に閉じ込める。
閉じ込めた上で、ジェシーを焦れさせようと考えていた。
ジェシーには経験が少ない。
忍耐力に欠け、せっかちに事を進めようとするはずだ。
分が悪いとわかっていながら、彼を狙おうとしても不思議はない。
彼は、あえて隙を作り、自分を囮とするつもりでいた。
そこを狙ってきたジェシーを、ラスが始末する。
そういう筋書きだ。
ラスとは、そのように話をつけていた。
ノアがついて来たのは「駄々」をこねられたからだ。
指輪に反応があった瞬間、彼はサマンサの元に転移している。
絶対防御を張ったあと、点門で、2人を呼び寄せた。
彼らは、独自に姿を隠すすべを身につけている。
魔術は必要ない。
それは、姿を隠すというより、気配をまったく感じさせないものだった。
あのごちゃついた状況で、騎士たちの間に身を潜めていたのだ。
誰にも気づかれず。
ジェシーは上空にいたし、2人に魔力はない。
魔力感知にも、引っ掛からないので、気づくことはなかっただろう。
テスアの武器や技についても、知るはずがない。
刀と呼ばれる片刃武器。
叔父譲りのラスの技。
あの父が、物理防御の魔術を張っていてでさえ、腕や足を斬り飛ばされたという。
刀をおさめる鞘というものから、一瞬にして刀を抜き放つ。
武器の持つ性能だけではなく、空気をも切り裂き、対象を断つのだ。
叔父亡きあと、ラスだけが使える、それこそ「技」だった。
ノアは、まだ修行中らしいが、その分、ほかの武器にも長けている。
フレデリックからジェシーの話を聞いた際、彼の頭には、すでにラスの姿が思い浮かんでいた。
フレデリックからは「まったく見えなかった」と聞いている。
だから、わかった。
ジェシーは動物の姿であっても、魔術が使える。
見えなかったのは、補助魔法で速度を上げ、姿を隠す蔽身を同時にかけていたからだ。
彼は、目視できなければ、ジェシーを認識できない。
魔力感知で追うことはできても、移動速度が速ければ捉えきれなくなる。
ジェシーは、そこいらの魔術師とは桁違いの魔力を持っているのだ。
もちろん。
サマンサだけを守り、ほかのすべてを消し去ることはできた。
ジェシーごと、辺り一帯にいる生き物を殺してしまえば良かっただけのことだ。
彼にとっては、そのほうが、遥かに簡単なのだから。
(だが、それをすれば、彼女の……新しい愛も居場所も奪うことになる……)
だから、回りくどい手を使っている。
テスアから国王を引っ張り出してまで、すべてを守ろうとした。
ただ、サマンサのためだけに。
たった1人に縛られ、ほかの者はどうでもよくなる。
そうした生きかたを否定していたはずなのに、すっかり囚われてしまった。
彼は、内心、自分の行動を不快に感じている。
兄とも慕うラスは、テスアの国王だ。
なにかあれば、テスアという、ひとつの国を揺るがしかねない。
なのに、ラスを頼った。
ラスは国王としての判断を優先するが、彼の頼みを受け入れるだろう、との予測までしていたのだ。
『愛のため、と言うと、美しく聞こえるがね。実際には、冷酷で愚かな本質だ』
いつか、ジョバンニに語った言葉だった。
それを強く感じている。
だからこそ、自分を嫌悪せずにいられない。
愛のため、利用できるものは、なんでも利用する。
冷酷で愚かとしか言いようがなかった。
あげく、その「たった1人」には拒絶されている。
彼の「愛」は無意味で、ただ愚かなだけだ。
「しかしな、ノア。あの女子が、ジェレミーを拒絶しておったのは間違いない」
ぴくっと、彼の耳が反応する。
ラスは、言葉を飾るのを好まない。
率直というより、思ったことを口にする、というほうが正しかった。
なにしろ国王に、遠回しな言いかたを望む者はいない。
ラスにとって、思ったままを語るのが「普通」なのだ。
(胸にグサっとくることを言ってくれる。まったく容赦がないな)
ラスに言われるまでもなく、彼自身に自覚がある。
重ねて、客観的に指摘されると、とどめを刺された気分になった。
「んー、それって、なんかおかしくない? 見ず知らずの相手ならともかく、あの状況で、拒否ってのがビミョー」
「それは、あの男に見られたくなかったからであろう」
「そーいうカンジじゃなかった。それなら、あの男の目を気にしただろ? でも、あの子供のほうしか見てなかったもんね。それになー……」
ノアが首を傾けたまま、天井を見上げている。
彼にはわからないが、ノアには腑に落ちないことがあるらしい。
「前に見た時と違った」
「それは、容姿が変わったからじゃないかな?」
「ジェレミー、オレが、そんなもんに惑わされるって?」
「雰囲気が違うというのは、俺も感じておったが……ジェレミーから、心が離れたからかと思うておった」
「だーから、そういうんじゃねぇんだってば! なんかこう……もっと……うまく言えねぇケド、とにかく、オレには別人に見えたって話!」
彼は、ラスと顔を見合わせた。
ラスが、大きく溜め息をつく。
ノアは、むうっと顔をしかめていた。
「オレの、こーゆう勘は外れねぇんだからな!」
言って、彼に、ビシッと指先を突き付けてくる。
ラスは、なにか感慨深げに、ノアを見ていた。
「ジェレミー、いいかげん、その諦めグセ直せ! そいで、勝手に決めて、勝手に諦めてんじゃねぇよ! オレたちは、1回だって、お前を諦めたことねぇぞ!」
「ノアの言うておることは正しい」
彼は、すくっと立ち上がる。
2人から視線を外して、言った。
「私は……立ち直れそうにないのだよ、ラス、ノア……」
彼の心を守っていた心の壁は「愛」によって打ち壊されている。
わずかに本音を覗かせたあと、彼は姿を消した。