死線と視線 2
ぴくっと、彼の指先が反応を示す。
瞬間、彼は転移した。
(ジョバンニ、屋敷を任せたよ)
(かしこまりました、我が君)
ジョバンニに、即言葉で短く指示する。
そして、辺りを見回した。
小屋の周りには、シャートレーの騎士と、カウフマン側の配下であろう騎士風な身なりの者で、ごちゃついている。
すぐにサマンサの姿を探した。
レジーの背に庇われている姿が目に映る。
魔力感知の結果、彼女の周囲に魔術師はいない。
少し離れた場所で、数人うろついているようだ。
そして、ジェシーは上空にいる。
彼は周囲一帯に、絶対防御を張った。
もちろん、これでジェシーを止められないのは、わかっている。
だが、ここに乗り込んで来るのなら、動物の姿を取り続けなければならない。
加えて、すべての魔術を切る必要がある。
防御魔術などを発動していると、彼の魔術のおよぶ範囲には入れないのだ。
つまり、動物の姿のまま、無防備で飛び込んでくるしかない、ということ。
とはいえ、ジェシーが、そんな真似をするとも思っていなかった。
勝算がなければ逃げる。
せっかく網にかかった獲物を逃がすわけにはいかない。
彼は、スッと、サマンサの近くに転移する。
「サ……ああ、きみ。大丈夫かね?」
サマンサは、薄緑色の瞳を細め、顔をしかめた。
とことん嫌われてしまったようだ。
思った時、彼の胸が、わずかに音を立てる。
胸には、喜びが満ちていた。
黒い指輪。
サマンサが、それを指にはめている。
彼は、無意識に、にっこりした。
どういう理由であれ、彼女が彼の指輪をはめてくれているのが嬉しかったのだ。
そんな場合でもないのに。
「あなたが来たということは“最も危険な相手”が近くにいるのね?」
「そうとも。きみが教えてくれた」
「私が……? よくわからないけれど、とにかく早くやっつけてちょうだい」
馴染み深い口調だ。
彼に、こんなふうに指図をするのは、サマンサだけだった。
ほかの誰もが畏怖する魔術の力も、彼女はものともしない。
サマンサにかかれば「使えない魔術師」と成り果てる。
(私は、重篤だな。彼女に指図されるのが、ひどく楽しいのだから)
彼は、小さく笑った。
サマンサは、怒りに瞳をきらめかせる。
彼の好きな魅力的な光だ。
彼女は、とても美しい。
「そうは言ってもねえ、きみ。まずは安全を確保しなくちゃならないだろう?」
「私のことを囮にすると言ったでしょう? 私には覚悟があるの。私の安全なんてどうでもいいわ。早く片をつけて」
「本気で言っているのかい?」
「本気よ! 早くしないと、リスが……あの子が近くにいないの!」
彼は、サマンサを見つめる。
怒りと不安に、彼女は覆われていた。
リスの姿が見えないので、怯えているらしい。
リスになにかあったら、と考えているのだ。
「わかった。きみの望み通りにしよう」
彼は、ある程度、時間をかけて、ジェシーを追い込むつもりでいた。
サマンサに言った「安全の確保」を、最優先にするためだ。
だが、サマンサは「早く片をつける」ことを望んでいる。
そのために、覚悟もしていると言う。
「危険は承知しているね?」
「何度も聞かないで! いいと言っているじゃない!」
彼は、軽く肩をすくめた。
サマンサを危険から遠ざけておきたかったが、しかたがない。
脛を蹴られる前に動いたほうが良さそうだ。
「きみの満足が得られるよう努力するさ」
サマンサが、少し驚いたように目を見開く。
それから、わずかに顔をしかめた。
気忙しげに瞬きを繰り返している。
まるで頭痛に耐えているかのような仕草だ。
ぱちん。
彼は、軽く指を弾く。
空に幾本もの光の筋が走った。
目視で、ジェシーを捕捉する。
同時に、魔力感知でも、捉えていた。
ジェシーを認識できてさえいれば、感知するのは容易い。
逃げ道を塞ぎながら、雷を落とす。
空に光の帯が複雑な模様を描いていた。
ジェシーは魔術防御をかけているだろうが、効果はある。
彼は、確かに魔術を使っていた。
だが、自然の雷を呼び出してもいるのだ。
魔術での雷と、自然の雷とを取り交ぜている。
物理と魔術。
この2つを同時に防げるのは、彼の絶対防御だけだ。
ジェシーには、どちらか1つしか防げない。
当たらないのは見越しているが、それでかまわなかった。
ジェシーを追い込むことができれば、十分なのだ。
魔力感知にかかる範囲に、ジェシーが降りて来る。
それを、彼は待っていた。
絶対防御を、一時的に切る。
瞬時に、範囲を広げて、張り直した。
ジェシーを、彼の領域に封じ込めたのだ。
もちろん出ようとすれば出られる。
が、入るのと同様、出るためには、ジェシーは、すべての魔術を切らなければならない。
認識できている「ただの鳥」を撃ち落とすことなど簡単だ。
当然、ジェシーにも、わかっているだろう。
「これで、もう逃げられない」
「あれは……鳥……? あれが……?」
「奇跡の子さ」
ジェシーは捕らえた。
あとは、始末をつけるだけ。
彼は、ジェシーに視線を向ける。
サマンサではなく、彼を狙わせるように仕向けるつもりでいた。
「さあ。片をつけてしまおうか」
目視できているため、脅威ではない。
ジェシーから、魔術の反応があった。
絶対防御は、外から攻撃を弾くためのものだ。
内側にいる者同士には効かない。
だが、魔術での攻撃は、彼にとっては意味がなかった。
彼は、ジェシーから放たれた大量の鉛の球を、即座に融かす。
地面に、それが落ち、鈍色の小さな水溜まりを作っていた。
たちまちに、固まる。
「掃除が大変そうだ」
「ふざけている場合?!」
本気で言ったのだが、軽口だと思われたようだ。
サマンサに叱責されていた。
どういう時でも、サマンサはサマンサだと感じる。
「あ……っ……!」
その彼女が、大きな声を上げた。
視線の先を、彼も追う。
森から、小さな体が駆けて来ていた。
「リス……っ! リス……ッ……!!」
反射的にだろう、サマンサが、レジーや彼と離れる。
追われているリスの姿に、彼女は焦ったのだ。
「サミー!! 戻れっ!」
「サムッ!!」
サマンサが、彼とレジーの呼び止める声を無視して駆け出す。
彼は、小さく舌打ちした。
リスへと駆け寄って行くサマンサに動揺する。
レジーもサマンサを追っているが、間に合わない。
リスは、魔術師と複数の騎士に追われていた。
背後にフード姿が見える。
だが、リスとサマンサ、魔術師が、どちらを狙っているのか、わからなかった。
上空には、ジェシーもいる。
サマンサを助ければ、リスが死ぬかもしれない。
リスを助ければ、サマンサが危険に晒される。
彼は、わずかに躊躇った。
リスが死ぬようなことになったら、サマンサの嘆きは、どれほどになるだろう。
それが、頭をよぎったのだ。
劇場で見せた、彼女の涙。
彼と子供のことを話した際に見せた、傷ついた表情。
ひゅっと、彼は転移する。
リスの前に立ち、防御の魔術を張った。
同時に、魔術師らを光の矢で串刺しにし、騎士たちを炎で焼き尽くす。
コンマ何秒という時間だ。
すぐに振り返った。
彼の瞳に、ジェシーが滑降する姿が映り、すぐに消えた。
蔽身の魔術を使い、姿を隠したのだ。
魔力感知されても、もう関係ないと考えている。
実際、大きな魔力の持ち主が、サマンサへと、一直線に向かっていた。
いくつかの魔術を放つも、通らない。
無駄と知りつつ、防御魔術をサマンサの周りに張る。
「止まれ、サミーッ!!」
大声で叫んだ。
彼の声に、サマンサが、ぴたっと足を止める。
そして、彼のほうを見た。
視線が繋がる。
風に、金色の髪がなびいていた。
2人の視線の糸を、ジェシーが断ち切る。
ハヤブサの姿をしたジェシーは、サマンサの頭を狙っていた。
彼の魔術は、通らない。
わかっている。
転移も間に合わない。
わかっていた。
彼には、わかっていたのだ。
こういう瞬間が来るかもしれないと。
ジェシーが、サマンサにぶつかろうとしている。
フレデリックにしたのと同じだ。
違うのは、腹ではなく頭を狙っていることだった。
確実に仕留めにかかっている。
「サミーッ!!」
声に音が重なる。
グシュッ。
ばさっと、なにかが落ちる音がした。
地面に倒れる人の姿がある。
彼の視線の先で振り向いた人影が、言った。
「間に合うたか」