死線と視線 1
サマンサは、リスとの残り少ない時間を過ごしている。
空は、どんよりと濁っていて、少し寒い。
重苦しい空気を晴らすように、サマンサは、リスに笑いかける。
「これが、私の名」
2人で外に出ていた。
危険があるのはわかっているが、1日中、閉じこもっているのも息が詰まる。
リスに緊張感を押しつけるのも嫌だった。
少しの時間だけでも外に出て、新鮮な空気を感じさせたい。
そう思い、家を出ている。
もちろん遠くに行ってはおらず、すぐに家へと駆けこめる距離だ。
近くには、レジーもいる。
レジーは、2人の時間を大事に思ってくれているのか、会話に入って来ようとはせずにいた。
近くで、2人を見守っているというふうだ。
こうした細やかな気遣いをしてくれるレジーを、好ましく感じる。
「リスは、リシャール」
2人で地面にしゃがみこみ、サマンサは、木の枝で文字を書いていた。
お互いの名だ。
リスは、まだ読み書きができずにいる。
あちこち点々としているせいで、まだ貴族教育が受けられていないらしい。
今後、習っていくことになるが、せめて名くらいはと、書いてみせたのだ。
「書いてみる……」
リスが手を伸ばしてきたので、木の枝を渡す。
小さな手に枝を持ち、リスは、サマンサの書いた文字を真似ていた。
理解しているかはともかく、綺麗に書けている。
サマンサは、リスの頭を撫でた。
「とっても、上手く書けているわよ。あなたは、頭がいいわ」
リスが、にっこりする。
レジーの名も書いてみせようとした時だ。
リスの手から枝が落ちる。
どうしたのかと聞こうとしたサマンサの服を、リスが軽く引っ張った。
「サム……レジーのほうに……走って……」
「え……?」
「今すぐ……走って……」
わからない。
けれど、リスは、なにかを察している。
声に、それを感じ取った。
なによりも、リスの安全を確保しなければと思う。
サマンサは、リスの手を取り、駆け出そうとした。
わずかに走ったところで、リスが手を振りほどく。
あっと思う間にも、リスは、別のほうに向かっていた。
「サム、早く行ってッ!」
ざあっと、周りの木々が音を立てる。
小屋を隠すようにしていた木が、折れそうなほどしなっていた。
そのせいで、小屋の位置が、はっきりとしている。
周りも、よく見えた。
フードをかぶった魔術師たちと、剣を握った騎士に取り囲まれかけている。
リスを追いたかったが、間に合わない。
森の奥へと、小さな背中は消えていた。
相手は、リスを追う者たちと、サマンサを追う者の2手に別れている。
「レジーッ!!」
大声を上げ、サマンサはレジーの元に走った。
明日には、リスに迎えが来るはずだったのだ。
その前に、危険が押し寄せている。
「リスが! リスも追われているのっ!」
「すぐにウチの者が来る! サムは俺の傍を離れるな!」
「でも、リスが!」
「あいつは、すばしっこい。この森にも慣れてる。大丈夫だ」
そう言われても、安心できるはずがない。
リスは、まだ4歳なのだ。
いくら頭が良くて、すばしっこいとしても、大人の、しかも魔術師や騎士に追われて、無事でいられるとは思えなかった。
だが、自分が追いかけても、足手まといにしかならないのもわかっている。
そして、相手の目的はサマンサなのだ。
リスを追うことで、逆に危険を呼び集めることになりかねない。
サマンサは、両手を握り締め、リスの無事を願うしかなかった。
(あの子……私を守ろうと……)
もっと早く迎えに来てもらうべきだったのだ。
危険があるのはわかっていたのに、身勝手を通した自分を悔やむ。
リスになにかあったらと、サマンサは動揺していた。
目で、必死にリスの姿を探す。
だが、視界にリスを捉えることはできずにいた。
「来るぞ、サム」
目の前で、なにかが弾ける。
魔術での攻撃を受けているようだ。
炎や石が、ひっきりなしに飛んで来る。
レジーが防いでいるらしく、それらは、サマンサまではとどかない。
「女と、そいつを引き離せ!」
「男は、こっちで片づける!」
魔術師が少し下がった。
代わりに、大勢の騎士が間合いを詰めて来る。
20人以上はいるだろうか。
キンッと音が鳴った。
騎士姿の男たちが、一斉に襲って来る。
それぞれが手にしている剣が、間近に迫っていた。
レジーは長い剣と、短い剣を交互に扱い、それらを躱す。
防御は魔術で対応しているようだ。
相手の剣を弾きながら、それとは関係のない動きをしている。
食事時にレジーが雑談として語っていた「魔術の発動」に必要な動作に違いない。
サマンサは、目を閉じないようにするだけで精一杯だ。
目をつむってしまうと視界を失う。
逃げるにも逃げられなくなっては、いよいよ足手まといになると、必死だった。
周囲の騎士たちが輪を狭め、レジーのほうに向かって来る。
瞬間、その騎士たちの剣が弾かれた。
「遅いって」
「申し訳ございません、ライナール様! 2手に分かれていたものですから」
「いいから、こいつら、どうにかしろ。俺は魔術師を片づける」
「かしこまりました!」
大勢の騎士が、レジーを守るように前に立っている。
シャートレーの援軍が間に合ったようだ。
2手に分かれたということは、リスを助けに行ってくれているのだろう。
早く、リスの無事な姿が見たいと、サマンサは、周囲に視線を走らせる。
そのサマンサの手を、レジーが掴んで来た。
「家の中にいろって言いたいとこだが、魔術師は転移できるからな。家の中でも、安全じゃねぇんだ。悪ィけど、一緒にいてくれ」
「わかったわ! レジー、リスは……」
「先に、こっちにいる魔術師を片づける」
シャートレーの騎士たちは、魔術が使えない。
魔術師相手だと手こずるのだろう。
応戦はできるようだが、倒すのに時間がかかる。
そこに時間を割くより、騎士同士でやりあったほうが分がいい。
魔術の使えるレジーなら、彼らより早く片がつけられるのだ。
わかっている、と自分に言い聞かせた。
だが、なにもできず、守られているしかないのがもどかしい。
サマンサ自身は、自分を守るより、リスの安否のほうが大事ことなのだ。
守ってくれているレジーには悪いが、本当は、リスを助けに行ってほしかった。
「相手は6人……おい! 仕掛けるぞっ!」
シャートレーの騎士たちが、顔を布のようなもので覆う。
視界が閉ざされるのではと心配になった。
が、なにか魔術道具の一種なのかもしれない。
動きに変化はなく、敵の騎士たちとやりあっている。
ぶわっと、風が渦巻いた。
砂塵が舞い上がる。
サマンサは、咄嗟に腕で目を庇った。
そうしなくても、レジーの背に庇われているのだが、風が強烈だったのだ。
サマンサの長い髪が、風に吹きあがっている。
砂塵が風に渦巻きながら、空に伸びていた。
そこから、枝分かれして、地面に向かって走る。
姿を隠していたため、サマンサには見えなかったが、魔術師がいたのだろう。
声が聞こえたと思ったら、地面にフード姿の魔術師たちが倒れていた。
驚くサマンサの前で、レジーが舌打ちをする。
「1人、取りこぼしちまった」
レジーは、周囲を見回していた。
魔力を感知しているのかもしれない。
サマンサは、なにが起きているのかも把握しきれずにいる。
砂嵐のようなもので、レジーが魔術師を5人倒したことは理解していたけれども。
「そこか……っ……」
レジーの言葉にも、反応できなかった。
そこが、どこなのかもわからない。
ひゅっ!
サマンサには、なにも見えないところから、なにかが飛んで来る。
黒い色をした「なにか」だ。
それを、レジーが剣で弾く。
同時に、そのなにもない空間に炎が吹き上がっていた。
赤い火の中で、もがく人影が見える。
サマンサは初めて、背筋が冷たくなるのを感じた。
魔術師と言えども、相手は「人間」なのだ。
その人間が燃えている。
確実に「死」は免れない。
『人を殺すからには、それなりの覚悟をすべきでしょう!』
『あなたは、今後、少なくない数の人を、殺すつもりでいるのよね? それなら、こちらも殺される覚悟が必要だわ』
自分の声が聞こえた気がする。
そのおかげと言うべきか、サマンサは動揺から抜け出していた。
きっとレジーは覚悟を持って臨んでいる。
サマンサを守ると言った時から、こうなる覚悟をしていたはずだ。
(シャートレーの騎士たちも、無関係な私のために命を懸けてくれている)
リスだって、そうだ。
サマンサを守るために、あえて敵を引きつけるような真似をした。
あんな小さな体に「覚悟」を宿している。
自分も覚悟を持って臨まなければならないと、強く感じた。
なにかできることを探すのだ。
周りに頼ってばかりもいられない。
「レジー、あの指輪を貸して!」
レジーは闘っている。
周囲に注意はしているだろうが、相手だって隙を狙っているはずだ。
レジーの代わりに、サマンサは「最も危険な者」を見つけることにする。
その相手だけは、彼でなければ対処できないと言われていた。
レジーやシャートレーの騎士、そして、リスを殺させはしない。
一瞬、躊躇うような表情を見せたあと、レジーが黒い指輪をサマンサに渡す。
サマンサは、それを指にはめた。
それから、辺りに隈なく視線を走らせていく。
(あの中にはいない……? いるのなら、とっくに反応しているはずよね)
指輪が反応していれば、彼はここに来る。
反応がないから、姿を現していないのだ。
だとすれば、見えている範囲ではない、ということになる。
サマンサは、ハッとなって、空を見上げた。
分厚く濁った雲の中で、なにかが動いている。
サマンサの目が「それ」を捉えていた。