さよならをする前に 1
「へえ。お前もやるねえ」
びくっとして、レジーから体を離す。
レジーは驚きというより、警戒心から、反射的に立ち上がったようだ。
サマンサを庇うようにして立っている。
「なんだ、兄上か」
「その言い草はいただけないな。私は、お前のように転移が使えないのに」
「だからって、点門で、いきなり現れるな」
どうやら「危険な相手」ではないらしい。
会話から、レジーの兄であることはわかった。
サマンサは慌てて立ち上がる。
レジーには命を救われ、生活の面倒も見てもらっていた。
恩のある相手の兄なのだ。
あの不躾な「公爵」と同じ対応はできない。
頭を下げ、最近、知ったばかりの名を口にする。
「サマンサ・ティンザーにございます。シャートレー公爵様」
「サマンサ・ティンザー……きみ……」
「おい、兄上、よけいなことは言うなよ?」
サマンサは、すかさず割って入ったレジーに苦笑いをもらした。
「いいのよ、レジー。私が……令嬢らしくない外見だったのは、あなたから聞いていたもの。指摘されても傷つきはしないわ」
今度は、レジーの兄のほうが、苦笑する。
「率直なかたのようだ。私は、こいつの兄、ケンドール・シャートレー。ケニーと呼んでほしい。弟だけ愛称というのも、癪に障る」
「はい……ケニー様」
「ったく、兄上は優秀なんだから、俺と張り合うことねぇのに」
「お前は、私に雑事を押しつけたかっただけだろ。当主などという肩書が窮屈で、逃げ出したくせに、今さら持ち上げても無駄だぞ」
2人は、髪と目の色こそ違うが、そっくりだ。
レジーは金髪に灰色の瞳、ケニーは銀髪に茶色の瞳をしている。
それを、薬かなにかで同じにすれば、見分けはつかないだろう。
兄、弟と呼び合ってはいるが、双子に間違いない。
「サム、兄上の言うことは真に受けるなよ。俺は当主なんて器じゃないんでね」
ケニーが、サマンサに視線を戻した。
確かに、レジーよりは「当主向き」な風貌に感じられる。
レジーは民服がよく似合う、おおらかな雰囲気があった。
対して、ケニーは貴族服が似合う、堅苦しさをまとっている。
どちらが「当主」に向いているかと言えば、やはりケニーだろう。
レジーには、相手の裏をかくような、駆け引きなどできそうにもないので。
「私も、きみをサムと呼んでもいいだろうか?」
「ええ、もちろん。かまいませんわ」
「サム、嫌なら嫌だと言っていいんだぜ?」
「別に嫌ではないわ。愛称で呼ばれ慣れて……いるから……」
レジーには、最初から、愛称で呼ばれている。
それしか思い出せなかった結果ではあるが、ここではずっと「サム」なのだ。
リスだって、サマンサを「サム」と呼ぶ。
なので、呼ばれ慣れているのは確かだった。
なにも特別なことはないはずなのに、胸の奥が、ちくちくする。
頭の隅にも、わずかな痛みがあった。
それを抑え、2人に微笑んでみせる。
ともあれ、ケニーは、なにか用事があって来たのには違いないのだ。
「ケニー様がいらしたのは、私のことでしょうか? それともリスでしょうか?」
「その両方だね」
言いながら、ケニーが周囲を見回している。
それから、すたすたとソファに歩み寄り、真ん中に座った。
この部屋には、座れる場所が、そこしかないのだ。
「きみたちも座ったら? 私だけ腰かけているのも気が引けるものだ」
「……兄上、そのソファが小さいってのは、わかってるよな?」
「詰めて座れば問題ないさ。どうしても座れないというなら、私も立つしか……」
腰を上げかけたケニーに、サマンサは慌てる。
公爵家の当主を立たせっ放しで、話をするわけにはいかない。
記憶はなくても、貴族の在り様としての知識は残っていた。
そそくさと、ケニーの隣に腰かける。
そして、目でレジーに訴えかけた。
「しょうがねぇなぁ……これだから貴族ってのは……」
ぶつくさ言い、髪をかきまぜながら、サマンサとは反対側のケニーの隣に座る。
大人3人が、ぎゅうぎゅう詰めで、ソファに腰かけている状態だ。
これが「礼儀」にかなっているのかはともかく。
「まず、サムの警護について話しておく」
レジーが、兄に助力を乞うたのだろう。
どういう危険か、具体的には不明だからだ。
相手が数人であれば、レジー1人でも対処できるのかもしれない。
だが、大人数で来られると、さすがに1人では手に余る。
「いつ襲撃されるかがわからないらしいからね。常駐させるより、襲撃時に騎士を移動させるほうがいい、という結論になった」
「王宮魔術師を使わせてもらえるのか?」
「王宮魔術師というより、国王付だ。現国王は、父上に……まぁ、借りがある」
「敵が来たら、俺が兄上に連絡して、魔術師たちが点門を開く。そこから、ウチの騎士を乗り込ませるってことか」
ケニーが、窮屈そうにしつつも、うなずいた。
サマンサはともかく、2人は体つきも似ていて、がっちりしている。
ケニーは貴族服なので、よけいに窮屈そうに見えた。
ふと、膝に座れば空間に余裕ができる、との考えがよぎる。
けれど、レジーの膝に座ったことなんてないし、座ろうと思ったこともない。
なぜ、そんな考えが思い浮かんだのか、サマンサは戸惑った。
以前に、誰かの膝に座ったことでもあるみたいで。
「もっとも、国王付の魔術師を動かせるのは、そこまでだ。あとは、ウチの精鋭を50人ばかり。相手が上級魔術師程度なら、なんとかなると思うが、どうだ?」
自分の中の戸惑いを打ち消し、ケニーの話に集中する。
サマンサのための「警護」なのだ。
本来、彼らに、彼女を守る義理はない。
サマンサが、ここに残ると言ったせいで、巻き込んでしまった。
なのに、当の本人が上の空では、申し訳なさ過ぎる。
「いいんじゃねぇかな。相手の人数はわからねぇけど、あんまり多過ぎても指揮が面倒になる。まぁ、万が一の時のために、あと百人くらい待機させといてくれ」
「わかった。実は、参戦したがっている者が多くて、困っていたところだ。待機組としてでも参加できれば、奴らも多少は満足するさ」
「平和だと騎士の出番はねぇからな。緊張感がほしいんだろ」
「ウチは、代々、騎士の家門だし、しかたがない」
2人は、サマンサが驚くほど落ち着いていた。
なにが起きるのかわからないのに、恐れている様子は微塵もない。
「てわけで、サムの安全は確保するから、安心してくれ」
「2人とも、ありがとう……私のせいで、面倒に巻き込んでしまったのに……」
「サムは、こいつが、責任を持つべきだ。こいつの責任なら、私の責任でもある。気にすることはない」
「悪ィな、サム。シャートレーは、こういう暑苦しい家系なんだよ」
レジーの言葉に、サマンサは笑った。
暑苦しいとは思わないが、レジーが1人旅に出かけたくなる気持ちもわかる。
騎士として血気盛んな者も多いのだろう。
レジーの言うように、平和な世では「本気の警護」など、ほとんどなさそうだ。
「警護は、それでいいとして、リスのことは?」
レジーが話を切り替える。
一気に、サマンサの緊張感が高まった。
自分のことより、リスのほうが気がかりだったのだ。
サマンサにある危険については、あの公爵の言葉に、奇妙に安心していた。
『最悪、きみが殺されてしまえば、事態はおさまるさ』
恐ろしいことを言われているのに、不思議と、そうは思えずにいる。
どこか軽口めいた口調が、サマンサから不安を取り除いていた。
言葉とは逆に、根拠もないのに「大丈夫」だと感じられる。
「リスは、お前の言っていたキースリー侯爵家の分家での受け入れが決まった」
「ウィリュアートンは?」
「十歳になったら、ひと月に1度は顔出しさせろと言っている。ウィリュアートンに慣れる必要もあるということだ」
勝手な話だ、とは思った。
十歳になるまでは放置しておくと言っているのも同然だからだ。
だとしても、向こう6年間、リスには安定した生活環境が与えられる。
あちこちを点々とさせられている今の状況よりはいい。
「あの……レジー……私が口出しをすることではないのだけれど……」
サマンサには記憶がないので、キースリーが、どういう家門かわからない。
レジーの判断に異を唱えるつもりはなく、単に、リスに与えられる新しい環境の情報を得たかったのだ。
「キースリーはシャートレーの下位貴族なんだ。なにかあれば、俺が対処できる」
「それに、あずけ先には、12歳になる娘がいてね。これがもう……」
ケニーが言いかけて、笑った。
笑うと、やはりレジーに似ている。
堅苦しさが抜け、明るい雰囲気が漂っていた。
「折り目正しいというか、正し過ぎるというか。ウチの甥っこと、しょっちゅう、喧嘩ばかりしている」
「ま、たいていはエヴァンが負けてるけどな」
「彼女は12歳で王宮魔術師になったほど優秀だ。リスを守ってくれる」
「ホウキの柄で、尻を引っ叩かれることにならなけりゃいいが」
12歳と言えば、リスの8つ年上だ。
姉のような存在にはなりそうだが、レジーの言葉が引っ掛かる。
「ホウキの柄で引っ叩かれるというのは、どういうこと?」
「心配するなよ、サム。悪い子には、お仕置きが必要だろ?」
「その通り。あの子は正当な罰しか与えないよ。リスが良い子でいれば問題ない」
「それなら心配はいらないわね。リスは、とてもいい子だもの」
本当は、その彼女に1度は会って、自分の目で確かめたかった。
だが、2人がこうまで言うのだから、信じることにする。
結局のところ、サマンサは、リスの手を放さざるを得ないのだから、これ以上の我儘は言うべきではない。
「ウチの甥っこも、シャートレーじゃめずらしく1人っ子でな。リスに剣を教えたがると思うぞ。リスも、これからは、自分で身を守らなきゃならなくなるし、いい機会になるさ」
「そう……そうね。賑やかな家で暮らせれば、リスもつらいことなんて忘れるわ。まだ4歳だもの。これから先のほうが、長いのだから」
どうしたって寂しくはなるが、リスにとっての最善を考える。
残された、一緒にいられる時間を大事にしようと思った。
いずれ、リスの記憶から、自分は消えてしまうのかもしれないけれど。
『あいつは頭がいい。自分の道を、きっと見つける』
レジーの言葉を思い出し、サマンサも心の中でうなずく。
子供を育てたことはないのだろうけれど、思っていた。
きっと子供とは、そういうものなのだ。
成長し、自らの手で道を作っていく。