迫る危機よりも 3
彼は、じっと考えている。
トリスタンの言った「第3の血」についてだ。
大筋では納得しているのだが、ひとつ気になっていることがある。
(あれは、リシャール・ウィリュアートンだった)
サマンサが、リスと呼んでいた子だ。
赤ん坊の頃に見たきりだが、あの髪と瞳の色は忘れていない。
その時から、彼はローエルハイドの血が拡散していると感じている。
元になっているのが、チェスディート・ガルベリーのものだろうとの見当もついていた。
彼は、キースの強硬姿勢に、いくぶんかリーフリッドの婚姻について考えている。
リスの実母となる女性と彼が、細い血脈の糸で繋がっていたからだ。
その時には、チェスディートの血筋の者だとしか思わなかった。
チェスディートの母は、大公の娘、つまりローエルハイドの直系であり、彼の遠縁と言える。
とはいえ、当のリーフリッド本人が拒絶したため、その情報は不要となったのだけれども。
(リスには、第3の血……ロビンガムの血は入っている、だが、カウフマンの血は入っていない。リスの母親を、カウフマンが見落としたのか、それともカウフマンのいない時にチェスディートが放蕩してできた子か……)
リスの実母は、生きている。
だが、彼女の情報は、あの「蜘蛛の巣」の中にはなかった。
それは、ローエルハイドの血は持っていても、カウフマンの血は持っていないことを意味する。
実母にカウフマンの血が入っていないのだから、当然、リスにも入ってはいない。
リスの父親はリーフリッドなのだから。
(リスのほうが、ジェシーより、私の祖父に近い存在なのか……?)
思って、ハッとなる。
当然の話だが、祖父は、曾祖父と曾祖母の息子だ。
その曾祖母の血に、ロビンガムの血が混じっていた。
それが、トリスタンの言う「第3の血」だ。
(リスはウィリュアートン……正統なガルベリーの血を引き継いでいる)
曾祖母の血も、同様だったのではないか。
そういう仮説が浮かび上がってきた。
曾祖母の血は、ロビンガムの血とガルベリーの血で構成されていた。
そう考えれば、リスが祖父に似ているのもうなずけるのだ。
実のところ、現ガルベリー王族には「正統」なガルベリーの血は入っていない。
ガルベリー11世とされている、ザカリー・ガルベリーの代で途切れている。
当時、正統な血を持っていたのは、ザカリーの兄ユージーンだけだった。
そのユージーンは、ウィリュアートンに養子に入っている。
結果、ガルベリーの名を持たないウィリュアートンが、本来のガルベリー王族の血筋を受け継いでいた。
ユージーンからキースに、キースからリーフリッドに、そしてリーフリッドからリシャール・ウィリュアートンに。
これも仮説に過ぎないが、ロビンガムの血統は、2種類あるのではなかろうか。
魔術師サイラスと、その弟クィンシーの流れを汲む、純ロビンガムと言える血統。
対して、曾祖母の流れを汲む、ロビンガムとガルベリーの混じった血統。
トリスタンですら解き明かせなかった、第4の血の存在を、彼は確信していた。
同じ髪と瞳の色でも、ジェシーとリスは血統が違う。
ジェシーは、正統なガルベリーの血を持っていない。
その分、ロビンガムの血が濃いのだ。
髪や瞳の色は同じでも、中身は異なる「種」だと言えた。
(人のことは言えないが、ジェシーは異端だな)
フレデリックに仕掛けた攻撃といい、思いもよらないことをする。
きっと、自らの行動に躊躇いもない。
そういう存在は、非常に危険だとわかっている。
つい最近まで、彼もまた「躊躇わない」者だったのだ。
(……しかし、彼女とリスが出会っていたとは、まったく、どういう縁だろうね。しかも、シャートレーと一緒とは……)
その2人が現れたことにより、瞬く間にサマンサの世界から、彼は弾き出されてしまった。
つくづくと、サマンサの心が、自分から離れたのを実感している。
サマンサは、ライナール・シャートレーを選んだのだ。
それで良かったのだとしながらも、サマンサが恋しくてたまらなくなる。
そして、考えるほどに、わからなくなっていた。
サマンサは、彼のために、あえて彼から離れたのは間違いない。
けれど、結局、彼は、彼女を見つけている。
危険があるのも伝えた。
なのに、なぜ、彼女は拒絶したのか。
もちろん、今の暮らしが気に入っているからだとは思う。
だが、それは、サマンサの強い拒絶の理由にはならない。
レジーを交えるかはともかく、今後のことも含めて、対話の提案くらいはできたはずだ。
少なくとも、彼の持つ情報を聞きたがっただろう。
サマンサは聡明で、状況の把握をしようと努める性格でもある。
自らを起点にして危険が広がっているとなれば、放ってなどおけない。
きちんと状況を理解することで、周りへの影響を最小限に抑えようとする。
カウフマンに命を狙われていると分かった時も、サマンサは家族の心配をしていた。
人質に取られることはないのか、と。
(彼女は、なにも聞かなかった。レジーがいたからか? それなら、2人で話せばすむことだ。それどころか……サマンサは、レジーの介入を受け入れている……)
サマンサの気持ちを、ここで、彼が考えていても、答えは得られない。
人の心を読む魔術はないのだし、仮にあったとしても、覗くような真似はしたくなかった。
サマンサの口から、語ってほしいと願っている。
『私は、愛を不要とする人に、心をあずける気はないの』
『私が、あなたの愛を諦めれば、それで万事解決?』
『私にも愛するな、ということでしょう?』
サマンサの言葉を思い出していた。
それに対して、自分はなんと答えたかも、覚えている。
『きみに心をあずけろと言ったことはないはずだ』
我ながら、愚かなことを言ったと感じていた。
サマンサの求めていたものがなにか、ようやく気づいてもいる。
彼にとっては難しく、1度もしたことのない行為だ。
自分の心を語り、彼女の心を受け取る。
今の彼に、サマンサは心を見せてはくれない。
思ったことや考えていることを、打ち明けてはくれないのだ。
今さらに、彼が、どれほど知りたいと思っていても。
(あの半月で、すっかり変わってしまった)
サマンサを放っておいた半月。
激しく悔やんではいたが、時間は取り戻せない。
彼の元を去ったのは、彼のためだった。
だが、去ったあとに、心境の変化が訪れることはあるだろう。
日が経つうちに、彼女を厄介者扱いした彼に対する気持ちが薄れてもしかたない。
今が幸せなら、なおさらだ。
彼の愛は、行き場を失っている。
ただ彼の胸の裡に、ひっそりと沈み込んでいた。
受け取ってほしいと告げることもできないまま、放り出されている。
その上、消すこともできない。
(彼女を守るためにも……カウフマンとジェシーを排除しなければな)
彼は、無理に思考を切り替えた。
先に、盤上からカウフマンを蹴落とす。
いつまでも、サマンサが狙われるような事態は、避けなければならない。
彼女を永遠に失うこと以上に、恐れるものはないはずだ。
サマンサの幸せな姿を見られるのなら、自分の感情は後回しにできる。
(ジェシーへの対抗策を考えておくとしよう)
ジェシーには、魔術師サイラスと同じ血が流れているのだ。
彼やサイラスほどではないにしても、魔術にも長けているに違いない。
あげく、魔力とは無関係の能力も持っている。
そのどちらにも、対処できるように準備をしておくことにした。
フレデリック曰く「ジェシーには嘘が通じる」とのこと。
実年齢は知らないが、少年と言われる歳ではある。
それが、ジェシーの欠点なのだ。
経験値が足らない。
カウフマンは、ジェシーを大事に育てたのだろうが、経験してみなければわからないことも多々ある。
彼が、ジョバンニの「未熟」さを知っていて、かつ、しくじるとわかっていて、任せているのは、そのためだ。
知らないことは、思いつけない。
思いつけないことは、対処が困難になる。
予測ができないからだ。
「指輪に反応が出る前に、いくつかしておくことがありそうだ」
レジーに渡した、真っ黒な指輪。
本当には、綺麗に細工をしたあと、サマンサに渡すつもりだった。
婚約指輪として、彼が、彼女の指にはめようと思っていたのだ。
サマンサが自ら「囮」になるというようなことを口にしてから、準備はしていたのだけれども。
サマンサと口論になった日。
彼は腹を立てていて、指輪の生成も途中で投げ出している。
だから、細工が施される前のものしか用意できなかった。
あれでは、到底、婚約指輪とはできない。
サマンサは、レジーと一緒にいることを選んでいる。
ならば、不格好な指輪をレジーに渡しても、問題はないと判断した。
ジェシーを感知できさえすればいいのだから。
「私からの指輪など受け取ってはもらえないさ」
自嘲じみたことをつぶやき、彼は苦笑いをもらす。
意識を散らそうとしているのに、心がサマンサに戻っていくからだ。
無意識の中にも、彼女を探している。
アドラントの別邸で過ごした日々が、とても幸せなものに思えた。
軽口を叩いて、サマンサを怒らせ、宥めては、また怒らせて。
時々は笑い、抱き締め合って。
その時々の記憶が蘇る。
一緒に過ごした時間、サマンサの言葉、そうした、なにもかもを覚えていた。
彼女が、どんな表情をしていたのかも、だ。
「これからは、レジーが、きみを抱き締めるのかと思うと……妬けるね」
サマンサを手放したくない。
自分の手の中に取り戻したい。
その感情と、彼は闘っている。
彼の元に帰ることを、サマンサは望んでいないのだ。
いずれリスとは離れることになるだろう。
だが、レジーとの間に子をもうけ、家庭を築いていく。
それが、彼女の願いなのだ。
「魔術は、本当に万能ではないな。自分の心ひとつ、どうにもできやしない」