表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
106/160

迫る危機よりも 2

 あの「公爵」という男性が来てから、4日が経つ。

 リスは、ようやく落ち着いて来たところだ。

 あの日は、サマンサにくっついて離れようとしなかった。

 少しでも姿が見えないと泣くといったふうだったのだ。

 

「寝たか?」

「ええ。今日は、割と早かったわ」

 

 この3日あまり、寝つきも悪くなっていた。

 自分のベッドで眠るのも嫌がったため、サマンサの隣で寝かせている。

 今夜も嫌がるようなら、一緒に寝ようと思っていた。

 だが、気持ちが安定したのか、今日はすんなり自分のベッドに入っている。

 

 サマンサは、ソファに腰をおろして、溜め息をついた。

 リスが意思表示をするようになったのは嬉しい。

 ただ、今後のことを考えると、不安になる。

 早ければ、明日には「迎え」が来るかもしれないのだ。

 

「ねえ、本当に大丈夫かしら?」

 

 リスが不安定になっていたため、迎えが来るという話が、まだできていない。

 明日の朝には話しておこうと思ってはいる。

 とはいえ、また不安定になるのではないかとの心配があった。

 リスを危険に(さら)せないとわかっていても、だ。

 

「あいつは頭がいい。たぶん、薄々はわかってる。だから、サムに引っ付き回ってるんだよ。もう離れなくちゃならないって思ってるからだな」

「……そう……頭がいいというのも、考えものね……気づきたくないことにまで、気づいてしまうなんて」

「大人になれば長所だと言われるが、今は、まだ早過ぎる。知る必要もねぇのに、わかっちまうのは、苦しいもんだ」

 

 レジーも、リスを心配しているのだろう。

 次は、点々としなくてすむようにする、と言ってはいたが、すぐに新しい環境に慣れられるとは思えなかった。

 だからと言って、サマンサがついて行くことはできない。

 危険は、サマンサの周りで起きるのだ。

 

「リスのことは、今、考えてもしかたない。あずけた先で手に負えなくなったら、また俺が引き取る。もし……そうなった時、サムが危険な状態でなければ、一緒にここで暮らすのもいいかって、俺は思ってる」

 

 リスとレジーと3人で、ここで暮らす。

 

 それは、サマンサも考えていたことだった。

 危険がなく、穏やかな暮らしができるのなら、それがいい。

 養子に迎えるのは無理だとしても、どうせウィリュアートンはリスの面倒を見る気はないのだ。

 

「そうね……安全になって、リスが新しい環境に馴染めなかったら……」

 

 いつ安全になるのか、期限は定まっていなかった。

 その間に、新しい環境に馴染むことも考えられる。

 リスにとっては、そのほうが望ましいことなのだ。

 

「ところで、俺には兄がいるって話はしたよな」

「当主をされているのだったかしら」

「ティンザーに連絡を入れてもらったんだが、すでに、公爵様から話が通っていたようだ。サムのことは心配していても、公爵様に任せてるって話だったな」

 

 サマンサ・ティンザー。

 

 その名を聞いても、ピンとこない。

 ティンザーという貴族の娘らしいが、思い出せずにいる。

 家を追い出され、さまよっていたのではない、ということはわかったけれども。

 

「私の親は、彼を信用しているのね」

 

 よくわからなかった。

 あんな高圧的で傲慢な人を、自分の親が信用しているのが、信じられない。

 彼は、レジーの手足を折るとまで言ったのだ。

 

(その上、私を囮にする気なのよ? そんな人を、どうして……?)

 

 急に、あの男性のことが気になり始める。

 両親が信用するほどの根拠があるのかが、知りたかった。

 記憶のないサマンサからすれば、両親のことも、よくわからないのだ。

 金や権力に(おもね)っているのではないと信じたいけれども。

 

「レジーは、あの人のことを知っている?」

「公爵様か?」

「そう。ローエルハイド公爵、だったかしら」

 

 漆黒の髪に、黒い瞳。

 

 一見、穏やかそうな風貌であるにもかかわらず、口を開けば印象は一変した。

 初対面とも言える彼に対する、サマンサの感想は、ひと言。

 

 冷酷な人でなし。

 

 今のところ、それだけだ。

 とても「婚約者」だとは思えない。

 というより、自分で選んだ相手とは感じられなかった。

 

 貴族との立場で考えれば、政略的な婚姻も有り得る。

 両親が選んだ人なのかもしれない。

 それならば、両親に信用されているのもわかる気がするし。

 

「どういう人なの? 私の婚約者らしいけれど……正直、信じられないわ。あんな横柄な人を、私が選んだなんて……想像できないのよ」

「公爵様は、特殊なかただからなぁ」

「特殊?」

「偉大な魔術師なのさ。アドラントの領主で、今は、ほとんど向こうにいる」

 

 アドラントという地名は、聞いたことがあるような、ないような。

 はっきりしないが、初めて聞くという感じでもない。

 

「ローエルハイド自体が、貴族らしくない貴族って言われてるんだ。金も力もあるけど、(まつりごと)にゃ、一切、関わらねぇし、表舞台にも出て来ない。元々、独立独歩って感じだった上に、アドラントは法治外だ。ロズウェルドの貴族じゃあるが、王宮に管理されない、唯一無二の貴族ってわけだな」

 

 サマンサは考え込む。

 ローエルハイドに金も権力もあるのだとすれば、いよいよ、政略的な婚姻である可能性が高い気がしてきた。

 川に落ちたのは、望まない婚姻から逃げる最中(さいちゅう)だったのではなかろうか。

 

「前も言ったけどな。詳しいことが知りたいってなら、兄上に訊けばわかる。俺も多少は魔術の心得があるしな。連絡取るくらいは、できるぞ?」

「いいえ、詳しく知りたいわけではないから、いいわ」

「そうか? 気になってるんだろ?」

「でも、聞いたところで、私に実感はないと思うのよ」

 

 覚えていないことを聞いても、今の自分には受け入れがたいことかもしれない。

 そぐわない感覚に悩まされるのも嫌だった。

 ここでの生活に馴染み始めている。

 失った記憶に引きずられて「新しい自分」を見失いたくもない。

 

「実際、俺も公爵様のことは、よく知らねぇんだ。あの人を知らねぇ貴族はいねぇけど、会ったり話したりした奴は、ほとんどいない。俺だって、十年以上前に1回だけ会ったきりだ。兄上が家督を継いだ時だったよ。その時の夜会に、ちらっと、姿を現して、挨拶だけして帰っちまったから、話らしい話はしてなくてな」

「レジーの印象はどう? 私は、最悪だったけれど」

 

 顔をしかめるサマンサに、レジーが笑った。

 明るい声に、ホッとする。

 レジーには裏表がなくて、心も明け透けだ。

 楽観的でもあり、一緒にいると、サマンサも気が楽になる。

 

「んー、そうだなぁ。確か、俺の4つ上だと思うんだが、堂々としてんなぁって、思った。こっちは、公爵様の前に立つだけで冷や汗だらだらかいてんのによ」

「冷や汗? どうして?」

「なんかなぁ。悪いことはしてねぇはずなのに、自分に後ろ暗いところはなかったかって、不安になるっていうか。背骨を引っこ抜かれそうな感じがした」

「魔術師だからかしら?」

「人の心を読んだり、覗いたりする魔術はねぇって、聞くけどな。崖っぷちに立たされて、本心を白状しろって突き付けられてる気がするんだよ。たぶん、公爵様の前だと、誰でも、そうなっちまうんだろ。倒れそうになってる奴もいたからな」

 

 サマンサには、そうした感覚はなかった。

 記憶がないせいかもしれないが、彼と対峙しても、レジーが言うような気分にはならなかったのだ。

 それどころか、腹を立てっ放しだったのを思い出す。

 

(あんな人、ちっとも怖くないわよ。冷酷な人でなしってだけじゃない)

 

 口から出た言葉と、サマンサの本心は一致していた。

 後ろ暗いところも、まったくない。

 理不尽な()(よう)に、反論したに過ぎないからだ。

 仮に、心を覗く魔術があったとしても、少しも怖くなかった。

 

「でも、レジーだって、あの人とやり合っていたでしょう?」

「命まで取りゃしねぇだろって思ってただけだ」

「手足が折られていたかもしれないのよ?」

「手足を折られても、死ぬわけじゃない」

 

 レジーは、なんでもなさそうに言う。

 だが、自分の手足が折られるかもしれない状況に、恐怖しないわけがない。

 

「楽観的なのか、勇敢なのか、わからないわね」

「頭を使うのが苦手なんでね。目の前のことに対処するだけで精一杯なのさ」

「あなたは、私を守ろうとしてくれたわ」

「拾ったからには、責任を持たねぇとな」

 

 レジーは、いい人だ。

 生きていられたのも、レジーのおかげだった。

 そして、なんの見返りも要求されていない。

 野菜だって、まともに切れず、厄介事を持ち込んでもいるというのに。

 

「あなたには、感謝しているわ、レジー」

 

 心から、そう思っている。

 記憶がなくても、前向きになれたのだって、レジーがいたからだ。

 新しい自分でいい、と言ってくれた。

 その言葉に、支えられている。

 

「サム」

 

 レジーが、サマンサの手をとってきた。

 その手を、じっと見つめている。

 

「悪ィな」

「なにが?」

「綺麗だった手が、荒れちまってる」

「ああ、これは洗濯をしているからね。別にかまわないわ。やれることがあるのは嬉しいことだもの」

 

 サマンサの手を、レジーが、そっと撫でた。

 とても優しい手つきだ。

 

「俺に治癒の魔術が使えたら、治してやれんだけどな」

「平気よ。でも、それほど気になるなら、軟膏を手に入れてきてくれるといいかもしれないわね。もちろん、1番、安いものでいいのよ?」

 

 レジーの手を、軽く、ぽんぽんと叩く。

 レジーは、笑ってうなずいた。

 

「次に町に出た時には、それなりの品を手に入れてくるさ。サムの手が荒れ放題になる前に」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
script?guid=on
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ