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過ぎていく日々に 4

 ここで暮らすようになって、10日以上が経っている。

 記憶は戻らないが、徐々に気にならなくなってきていた。

 リスとレジーの3人で、穏やかな日々をおくっているからだ。

 まるで家族のように。

 

 『サムの家族が探してりゃ、俺の耳にも入る。その時には、ちゃんと話すさ』

 

 レジーからは、そう言われている。

 なので、自分の家族についても、話が聞こえてくるまでは考えないことにした。

 思い出せないものは、しかたがない。

 焦っても、どうなるものでもないのだ。

 

 サマンサも、あれこれ思案はした。

 心配していたり、死んだと思い、嘆いたりしている人がいるかもしれない。

 記憶はないものの、そういう人がいるのなら、無事であることを伝えたかった。

 

 もちろん自分から探しに行くという手も考えてみてはいる。

 倒れていた場所から近い町に行けば、なにかしらの手がかりはあるかもしれない。

 だとしても、町行く人に「自分のことを知っていますか」と、聞き回らなければならないのだ。

 

 その町に手がかりがなければ、さらに次の町でも同じことを繰り返すことになる。

 そんなことに、レジーをつきあわせるわけにはいかないし、そもそもサマンサは、金を持っていなかった。

 なにか荷物は持っていたかもしれないが、川で流されたのだろう。

 サマンサの近くには落ちていなかったらしい。

 

 自分で都合のつけられる金もないのに、動き回るのは困難だ。

 仮に、家族が探しているとなれば、行き違いになることだって考えられる。

 リスを置いて行くのに抵抗もあったし、連れ回すわけにもいかないし。

 

 そういう、あれこれを考えた末、ここに(とど)まるのが最善だと思った。

 今のサマンサは、自分を探してくれる家族がいるかどうかも定かではない。

 手当たり次第に、町をうろつくのは無意味なのだ。

 そして、ここにいる間は「新しい自分」で暮らすと決めた。

 

「今日も、いいお天気ね、リス」

 

 朝から、レジーは釣りに出かけている。

 サマンサは、1人で洗濯をしていた。

 何日か前から「お手伝い」をしている。

 

 レジーは、やらなくていいと言ってくれたのだが、そうはいかない。

 女性用の服や肌着までレジーに洗わせるなんて、とてもできなかった。

 レジーが気にしなくても、サマンサは気にする。

 ひと通りの手順を習い、慣れない手つきでの洗濯。

 

 おそらく、こういうことはしたことがない。

 不慣れだからという以上に、自分の手を見て、そう察した。

 手も爪も、手入れがいきとどいていたからだ。

 が、サマンサは、それを惜しいとも思わず、洗濯(たらい)に手を入れる。

 

「……お湯、入れる?」

「ありがとう、リス。でも、危ないから」

「サムのほうが……危ない」

 

 耐久性のある水差しには、湯が入っていた。

 大きなそれを、リスが少しずつ傾けている。

 最初に、水差しをひっくり返したサマンサを気遣っているのだ。

 レジーに体を引っ張られていなければ、火傷をしていたに違いない。

 その時のことを、リスは覚えている。

 

「もういいわよ。この温度なら、凍傷にはならないわ」

「そう……? 冷たくない?」

 

 水差しを置き、リスも洗濯盥に手を入れてきた。

 あったかいというほどではないが、背筋が凍えるほどの冷たさはなくなっている。

 湯は、出がけにレジーが沸かしておいてくれたものだ。

 2人の時は、暖炉以外の火は使わないことにしている。

 

 リスはもとより、サマンサも火の扱いかたを知らなかった。

 火傷ですめばいいが、大事(おおごと)になる可能性もある。

 そのため、レジーがいない時には、調理室の火は使わずにいるのだ。

 

 『釣りから帰ってきたら小屋が丸焼けなんてことになってたりしてな』

 

 レジーは、そう言って笑っていたけれども。

 

(笑い事じゃないのよね……本当に、私ったら、なにもできないんだから)

 

 思いつつ、洗濯用の石鹸で服を洗う。

 ある程度の力を入れ、ごしごしとこすった。

 あまりこすり過ぎても、布を傷めてしまうらしい。

 力具合がわからないので、汚れを気にしつつ、手を動かす。

 

 洗い終わった服は絞って、別の盥に入れておく。

 まだ不慣れなこともあって、3人分を洗うのには、それなりに時間がかかった。

 しゃがんで洗うので、腰や足も痛くなる。

 だが、やれることがあるのは、嬉しい。

 

「サム……休まなくて大丈夫?」

「大丈夫よ。レジーが帰ってくるまでに、干してしまいたいの」

 

 リスは、サマンサの隣に、同じようにしゃがみこんでいた。

 スカートの裾を、きゅっと握り締めている。

 それが、癖のようになっているのだ。

 サマンサが行くところには、どこにでもついてくる。

 

 レジーに訊くと、2人の時は、そうでもなかったのだという。

 レジーが出かけるのを知っており、1人で留守番もしていたのだとか。

 

(何度かあずけられているから、レジーは出て行っても、帰ってくるってわかっているのね。私は、突然、来たせいで、突然いなくなる心配をしているのだわ)

 

 だから、姿が見えないと不安になるのだろう。

 スカートを離さず、つききりになるのも、そのせいに違いない。

 そういうリスの心情に気づくたび、サマンサはリスの両親に腹を立てている。

 あれっきり訊けずにいるが、そのうち、レジーに、養子の話を聞いてみようとも思っていた。

 

 サマンサは、手を拭いてから、リスの頭を撫でる。

 不思議そうにしているリスに、微笑みかけた。

 

 ここで、3人で暮らせたらいいのに。

 

 いつしか、そんなことを思うようになっている。

 なにしろ、リスが可愛くてならない。

 サマンサ自身、慣れてはいなかったが、リスの着替えを手伝ったりもしている。

 レジーがやっている様子から、見よう見真似だ。

 

 リスも、最近は、レジーよりサマンサを選ぶことが増えていた。

 2人でいる時、レジーは「やっぱり父親より母親なのかねえ」なんて言っていたけれど、どこか嬉しげだったように思う。

 リスの変化を、良いものとして捉えているのだろう。

 

「私は、あなたが大好きよ。でも、それはお手伝いしてくれるからじゃないの」

 

 リスのブルーグレイの瞳を見つめ、額に口づけた。

 最初は戸惑っていたリスだが、今はサマンサに少しだけ笑顔を見せる。

 

「あなたが、悪い子になっても、変わらないわ」

「……悪い子……?」

「花瓶を割ったり、私の髪を引っ張ったり?」

 

 サマンサの言葉に、リスは、びっくりしたような顔をした。

 よくわからないが、このくらいの歳の男の子なら、やってもおかしくないと想像できたことを言ってみたのだ。

 なんとなく、リスが、努めて「いい子」であろうとしている気がしたので。

 

「しない……サムの髪を引っ張ったり、しない……痛いのは駄目……」

「たとえばっていう話よ。もし、そうなったら、リスを追いかけ回すでしょうね」

「……どうして?」

「悪いことをしたあとは、たいてい相手は逃げるもの。私は、逃げるあなたを捕まえるために……」

 

 ずきっと、頭が痛む。

 逃げる、捕まえる、という言葉が、引っ掛かったのだ。

 水が跳ねる音が、微かに聞こえる。

 

 『いたぞ! あそこだ……っ!』

 『追えっ! 早くしろッ!』

 

 耳鳴りの奥で、声も聞こえた。

 なにかを思い出しそうになる。

 

「……サム……?」

 

 リスにスカートを引っ張られ、ハッとなった。

 音も声も、もう聞こえない。

 頭痛も消えている。

 

「あなたは、すばしっこそうだから、私じゃ捕まえられないかも」

 

 笑って言い、リスの頭を撫でた。

 リスを見ていると、気持ちが落ち着く。

 

「さあ。洗濯の続きをしましょうか」

 

 盥に入れた服に、水をかけ、ざぶざぶとすすぐ。

 小さなものは、リスが手伝ってくれた。

 やはり、水だけだと冷た過ぎる。

 リスの手が赤くなっているのを見て、水差しから残っていた湯を盥に入れた。

 

 石鹸を落としたら、今度は、きつく絞る。

 とはいえ、あまり力がないので1度に水切りはできず、何度か繰り返した。

 ちょっぴり手が痛い。

 

(この痛みも新鮮って感じがするわ。悪くないものね)

 

 記憶がないサマンサにとっては、毎日が新鮮なのだ。

 洗濯もそうだし、ナイフで手を切ってしまったりすることさえも。

 

(レジーは、やめとけって言うでしょうけれど、野菜くらいは、切れるようにならなくちゃ。続けていれば慣れるし、慣れれば手も切らなくなるわよ)

 

 食事の準備を手伝っていて、サマンサは、手を切ってしまった。

 ほんの少しだったが、血が出ている。

 それを見て、リスは泣き出し、レジーを大慌てさせた。

 

 よけいな面倒をかけてしまったのは、わかっている。

 だとしても、少しずつ前に進みたいとの気持ちがあった。

 我儘を承知で、レジーに手伝わせてほしいと頼んでみることにする。

 

 新しい自分。

 

 サマンサは、その響きに心地良さを感じていた。

 毎日が、素晴らしいもののように思える。

 自分にもできることがあると、実感できるのもいい。

 

「さぁ、レジーが帰るまでに、服を干してしまうわよ」

 

 服を広げ、バッバッと振る。

 飛んだ水しぶきに、リスが笑った。

 

(まあ! 声をあげて笑ったのは、初めてじゃないかしら?)

 

 自分と同じで、リスも少しずつ前に進んでいる。

 そんな気がした。


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