517:撤退か、それとも……
「三左衛門、美琴はどうなっちまうんだろうな……」
「そうですなぁ……一番そういう現象に精通しているはずの向日葵ですら、今後の予測は不可能と言っています。が、ここは悲恋城の中で眠って貰うのが一番かと思いますのぅ」
流は聞き慣れない言葉を耳にする。それは違和感の塊であった。
「悲恋城? なんだそりゃ? いや、まさか……え、まさか本当に城が悲恋の中にあるの?」
「ふぇ~ありま~す。そしてセクハラ反対!」
間の抜けた声の方向を見ると、向日葵がなぜか風船のように顔をふくらませ、茹でダコみたいな色でお怒りだ。ちょっと……いや、かなり面白い顔をしている。
「ぷッ!? アハハハハ! も、もう大丈夫だから俺を気遣わなくていいぞ? なんだよその顔は!? く、苦しい。プククク」
「なッ!? 酷くないですかそれ!!」
「酷いのはお前の顔じゃ。して向日葵よ、今後はどうするのじゃ?」
「うっ!? そ、そうですねぇ……んんん……」
一番はじで笑っているエルヴィスに、なめくじの式神を飛ばし粘液まみれにして少し溜飲をさげる向日葵。
そんな粘液まみれになって叫ぶエルヴィスを尻目に、向日葵は最善の案を考える。
「まずは三左衛門様の言う通り、姫様には戻っていだきましょうか。ただここまで実体化が進んだ後では、本人の意思が無いと戻れるかどうか……」
「ってことは、美琴はもどれないのか?」
「ふぇ~。そんなに睨まないでくださいよぅ。まぁそうかもしれませんね……ですがこれを見てくださいよ」
向日葵は美琴の右手をそっと持ち上げると、握られた手のひらをゆっくりと開く。
そこには妖気を吸収しつつ、それを神気に変換しているように流には見えた。紫の薄い霧に似たものが手に集まると、次の瞬間には青金色の極小の粒になり美琴の手に吸い込まれていく。
「これは……妖気を神気にしているのか?」
「そんな気がして手ひらを開いたら、やっぱりこんな事になってましたかぁ」
「一定の神気が貯まれば、多分目覚めるとは思います。それまで大殿様は姫を守ってほしいのです。ただこの状況で、姫様を守りながらと言うのは茨の道ですがぁ」
「そうか……よかった。また美琴の笑顔が見れるならその程度の苦難、喜んでのり越えてみせるさ」
そう言うと流は美琴のばさりと乱れた髪を撫で、道に落ちていた薄緑色の反物を悲恋で切り、一つの紐に仕上げた。
不格好だが一つのリボンになったそれを手に、流は美琴の髪を結いまとめる。
「っと、こんな感じかな。許してくれよ、こういう事に慣れて無くて不格好だがガマンしてくれよな? 本当なら髪留めの一つでも買ってあげたいんだが……」
流が美琴の髪を結っている姿を静かに見つめながら、三左衛門は向日葵へ問う。
「うむ……向日葵よ、本当にそれしかないのか?」
「ふぇ~そうですねぇ。正直これが最善です! と、言うしか無いのが情けないですがねぇ」
「そう、か。そしてこの後どうするつもりじゃ? 一度撤退が一番良いのだろうが……」
向日葵は夜空の奥に瞬く星を見ながら、愛用の扇子を胸元から取り出し一方向を指す。
「大殿様はそれをよしとしますまい。なれば、目指すは一つ」
「そう……か。我らも気を引き締めて当たらねば、双方を失うことになるか」
「ですねぇ~。まぁ、肩の力を抜いてテキトーに行きましょうよぅ~あいだッ!?」
「馬鹿者め。わしにまでおかしな気を使うものではないわい」
「えへへ……ばれちゃいました?」
「たわけが。何百年の付き合いだと思っておる」
「ふぇ~思えばずいぶんと腐れ縁ですねぇ~あいだッ!? もぅいちいち殴らないでくださいよぅ」
そんな向日葵の苦情を「やれやれ」と呟きながら、三左衛門は流の元へと向かうのだった。