464:シーラの覚悟~リッジは神と邂逅す
「おじいちゃん!! ごめんなさい、ボクはナガレ様のモノになるんだゾ!!」
リッジは見た。シーラの右手に青く美しい細い手裏剣が握られているのを。
「それはまさか、先程話に出ていたお前の魂を地獄に連れていくというアレか!?」
「そうだゾ、これはボクが本気である証。もしナガレ様を裏切ったら、迷わず地獄へと堕ちるんだぞ!!」
「なッ……馬鹿な事を言うんじゃないシーラ! 今すぐソレをこっちによこしなさい!!」
「お祖父様、あなたも分かっているはずです。シーラの魔法の才能は飛び抜けていると」
「キサマは黙っとれエルヴィス!!」
「リッジよすまぬ。俺もシーラは可愛い、お前と同じほどにはな。だが見ろあの顔を……お前もよく知る覚悟を決めたやつの顔だ。あの子供だったシーラがあんな顔をしとる、ここはシーラを信じてみてはどうかのぅ?」
「ガラン!? キサマまで何をッ――」
二人にそう言われ、リッジは真っ赤になって怒りの声をあげようとした時だ。そこに流が静かに、だが威圧感の塊のような声でリッジへと話しかける。
「なぁ爺さん、俺はあんたの考えに賛成だ。しかしそれ以上にシーラの覚悟を今日見てきた……それは一人の人間が命をかけて願う思いだ。その思い――俺は無下にはできんぜ?」
「なッ!? そ、そうは言ってもナガレ。その娘はまだ子供じゃ! そんな子供にこれ以上危険な事をさせるわけにはいくまい!」
「その大切な存在だからこそ、あんたはシーラを信じてやるべきだろう。それともアルマーク・フォン・リッジ。あんたは最愛の孫娘を信じることが出来ないのかい?」
妖人となった流の薄赤い虹彩と、瞳孔が黒く縦になった瞳に怯むリッジ。
だがそこは稀代の大商人。その程度の圧には屈せず負けじと口を開く。
「ならぬ、断じてな」
「まぁそう言うとは思っていたさ。爺さんちょっと来てくれよ、とても大事な話がある」
「ぬ? なんじゃナガレ。今はシーラを思いとどまらせる事が何より重要じゃ。それ以上のことなど無いわ」
「いいのか? 後悔するぞ? 商人たるもの、商機を逃すほどマヌケな事はない。違うかい?」
「ぬ……ぅ」
商人の心意気を言われてしまっては、大商人のプライドがそれを許さない。
リッジはしぶしぶ部屋の入り口まで行くと、シーラを睨みつけながら部屋から出ていく。
そこから数分がたったころ、分厚いドアの向こうからでも聞こえる、リッジの悲鳴のような叫び声がした。
「なんじゃ!? ま、まさかナガレが短気をおこして偏屈ジジイを!?」
そうガラン師が言いながら、部屋のドアを開けようとした時だった。
突如扉が開いたかと思うと、リッジが実に穏やかな笑顔で立っている。いや、穏やかと言うより満面の笑みでそこにいた。
「シーラよ。おまえの気持ちを尊重しようではないか。これからはお前の道を征くがよい、ワシはそれを全力で応援するとしよう。大きくなったなシーラ……ワシは心底嬉しいぞ」
「お、おじいちゃんありがとう!! ボクも嬉しいんだゾ!! でも…………その手に持っているガラスのグラスは何なんだゾ?」
全員の視線がリッジの手に集まる。見ればとても愛おしそうに、薩摩切子を持っていた。
中でも最高級品として扱われる工房の品で、江戸時代のガラスの色を再現したとされるものに、黒ガラスの表面を職人の手によりカットされたもの。
その美しさはまさに芸術品。カットされた断面は室内の光をうけ宝石の如く輝き、グラスそのものが宝玉から削り出したのでは? と思えるほど。
さらにデザインが恐ろしいほどに洗練されたワイングラス。ボウル部分の丸みが、国産モノの優美さをこれでもかと表現しつつ、ステムのくびれが見る者の胸を締め付けるほど美しく繊細にカットされている。
ハッキリ言おう。異世界人でなくても、持つ者を確実に魅了するであろう薩摩切子の最高級品。日本で購入すれば十六万円以上の品だ。それがリッジの手に赤子を抱くように収まっていた。
「こ、これはあれじゃ……そう! 拾ったんじゃ!!」
「ほぅ、ならばそれは俺のものだろう? ここは俺の家だ。返してもらおうか?」
「ばっ、馬鹿な事を言うでないわ!! これはワシがナガレからもらったものじゃぞ!!」
「お祖父様……貴方と言う人は……」
エルヴィスとガラン師に責められるリッジ。その後しばらく三人の熱いやり取りを見つめながら、シーラはガクリと肩を落とす。
「はぁ~ボクの思いはあのガラスのグラスに負けたんだゾ」
「そうでもないさ。見ろ、薩摩切子はいいものだ。そう、実にな。それにおまえが負けるのは当然のことだ!!」
「あぁ流様ったらもぅ。シーラちゃんが泣きそうになってるじゃないですか! ごめんねシーラちゃん。流様はすこし頭がおかしいの。ごめんなさいね?」
「おい美琴失礼なことを言うんじゃない。人はみな薩摩切子の前にひれ伏すのだ……あのようにな」
見ればリッジとガランは薩摩切子をテーブルの上に置き、神を崇拝するように祈りを捧げている。意味がわからない。
それを見た美琴はガクリと肩を落とし、シーラの頭を撫でる。
「大丈夫、領域者には言葉が通じないだけなの。うん、それは私が一番知っているんだよ」
「ミコトちゃん泣かないで! ボクもミコトちゃんみたく強く生きるんだゾ!!」
二人は手を取り合い泣いている。流は思う。仲良きことは美しきかな……と。
「はぁ。何をうなずいていますの。まぁこれで丸く収まったようでなによりですわ」
「薩摩切子が偉大という証明になったようでなによりだ」
「時に流。わたくしにもアレ……いただけるのでしょうね?」
「ぁ、ハイ」
「そう? ならよろしくてよ♪」
イルミスはカラスウリの花のように微笑む。その細めた視線の隙間からのぞく瞳は、獲物をからめとるようにジットリと流を見つめていたのだった。




