037:【憚る者】
風呂から上がると因幡は居なく、浴衣一式と新しいスリッパが置いてあった。
「毎度思うけど、浴衣もスリッパも新しくなるのな……贅沢すぎ」
浴衣に着替え、美琴を左手に持ちながら廊下を歩くと、見慣れない部屋を見つける。
襖は開いており、その中には『女性のようなもの』が居た。
朧気なソレは、正確には女性だと認識が出来る。
だが、存在が朧気で居るかどうか曖昧で不気味な存在だったが、異常な存在圧が部屋から漏れ出ていた。
「ん、誰か…………居るのか?」
『誰か……とは随分なご挨拶ですね? まあ、ワタクシは貴方を多分……知っていますが……貴方はワタクシを知らない……それだけの関係、ですよ。大体……貴方が今何処で何をしているのかすら……私は知らない……が、今……骨董屋に居る、ノ・デ・ショ~ウ?』
瞬間、流の第六感が悲鳴をあげるように警報を鳴らす。
「クッァァァァァッ!! なんだ!? お、お前は一体何なんだ!!!!!!」
『何、ですか……その、反応は……愚かな魂に育ったもの、ですね……いっそこのまま滅ぼし――』
「ドブネズミに跨ぐ敷居は無い! キサマが滅べ! 《八葉富岳ノ三・黄雷鞭》!!」
流に黒い霧のような物が迫りそれが流へと届く刹那、妖狐に戻った〆が恐ろしい速さで謎の存在に術を行使する。
瞬間、部屋に鉄格子のような物が出来、その中に黒い霧の存在を押し込めると、黄金の雷が所狭しと鞭のように荒れ狂い、女のような形をした「ナニカ」を粉微塵にした。
「ぐぅ、何だ……意識が遠の……」
「こ、古廻様!? お気をしっかりお持ちください!! 流様!! 流様あああ!!」
流が崩れ落ちるのを受け止めた〆は、まるで過去を見ているかのような情景が起こり、目の前の惨状に狼狽する。
「落ち着け!! 流様はあの女の妖力にあてられて気を失われただけだ、我らの長たるお前が狼狽してどうする!!」
突如〆を叱責する者が庭園に現れ、実に静かな足取りでこちらへと歩いて来る。
その姿は純白の執事服に身を包み、妙に気品がある壮年の男が庭に立っていた。
容姿は薄紫目が実に印象的で、髭一つない品のある顔立ちの見た目は、三十代始めと言った感じのモノクルをかけた紳士だった。
「フム。久々に帰宅すれば何たる事か……なぜ『憚り者』がここに入って来れる?」
「参ですか、何時ここへ? すみません、取り乱してしまいました。あの口に出す事も憚られる『あの外道』がどうやって侵入出来たのか分かりませんが、早急に修正しないといけませんね」
「頼んだよ、妹よ。フム。あの愚兄は今頃どこで何を? 事と次第では菊花炭へ叩き落とそうかと思うのだが?」
「流石にそれはやめてあげてください。その……少々惨いかと……」
そう言うと〆は何かを思い出したように遠い目をした。
「壱:こんのアマああ!! どの口が言うとんのや!! おい、聞いてくれ参よ! 僕は今日、このド腐れ狐に菊花炭に突き落とされたんやで! それで見てみい、キュートなカエルから不死鳥になったんや!! どうや、かっこええやろ?」
いきなり現れた壱は、挨拶もそこそこに今日あった惨劇を語りだす。
「フム。つまりはすでに叩き落された後だと? 相変わらず困った兄ですね、貴方は。まあとにかく、今は流様を寝室にお運びすると致しましょう」
「ええそうですね。流れ様申し訳ありませんでした……さ、参りましょう」
そう言うと〆は流を大事に抱えて去っていった。
「フム。兄上、妹のあれは、いつもああなのかな?」
「壱:まあ最近はそんな感じやな、さっきもそれでちょっと話したばかりなんやが」
「フム。過去の頸木は我らを未だ蝕むと言う訳か……」
「壱:せやな……」
「フム。〆の奴め。今は流様の半身とも言える悲恋美琴を置き忘れるとは、よほど焦ってたのだろうか」
見ると美琴が悲しそうに床に置いてあった。
参は「やれやれ」とため息を一つ吐き、美琴を大事に抱えると壱と一緒に〆の後を追う。
「フム。時に、肆の奴は今は何処に?」
「壱:さあな~。あいつにも文は送ったはずなんやが、勝手気ままなヤツやからな。僕も困ってるねん」
「フム。それも含めて今後について〆と相談しましょうか」
二人は異怪骨董やさんにおいて、最上の客間の前に来た所で絶句する。
その原因とは……なんと因幡が人化していたからだった。
さらに追い打ちをかけるように、〆と因幡が泣きながら流を介抱している。
「お客じーん、しっかりするのですよ! もうボクを置いて逝っちゃ嫌なのです!!」
「流様! この〆が命に代えてもお助け致します!」
「フ……ム。これは一体……」
「壱:オイオイオイ、なんやこのカオスは……」
どこから手を付けていいのか分からないような状況に、壱と参は困惑する。
しかしここで一喝する漢気溢れる者が居た。
「壱:オイ! お前らいい加減にせんかい!! 流様も煩くて寝てられんわ!」
長兄ここにあり! そんな存在感を存分に示し、壱は二人を落ち着かせるはずだった。
「「オマエガウルサイ!」」
「壱:ハイ! ゴメンナサイ! ほんますんまへんでした!!」
魂も凍る視線で射抜かれた壱は、不死鳥なのに今殺られたら復活出来ない確信があった。
「フム。何をしているのですか愚兄は……お二人とも、そろそろ流様を休ませてはいかがかな? 二人がそんなに揺すったりしたら安まらないからね」
「そ、それもそうでした。因幡、お布団の用意を」
「はい、分かったのです!」
因幡は布団の用意を手早くすませると、〆の膝枕で寝ている流を布団まで運ぶのだった。
やっと落ち着きを取り戻した〆と因幡、そして壱と参は、流を囲むようにして今後について話をする。
丁度そこへ〆が放った式神が帰って来た事で、落ち着いて話を先に進める。
「まずは取り乱してしまった事を謝罪します。そして今、ここに式神からの報告が来ました」
「壱:それであの憚り者がどこから湧いて来たって言うんや?」
「それなんですが……調べによると、憚り者がいた部屋の壁にこんな物が埋め込まれていたようです」
〆が袖から出した物は、黒く細長い薄い物だった。
「フ……ムゥ。これは!! まさか憚り者の一部か!?」
「ええ、そのようですね。何時の物か……等は考えるまでも無くあの時以前でしょう」
「壱:あんのクソ虫が!! まさかこんな仕掛けをしとったとはな」
「フム。姑息の上に周到を重ねる、あの憚り者にはうってつけの方法だったと言う訳か、実に腹ただしい」
全員が『憚り者』に憤慨している所へ因幡がお茶を持ってくる。
「あのぅ~皆さん、お茶でも飲んで落ち着いてくださいなのです」
「あらあら、そうでしたね。それより先程は気が動転していましたから、自然に受け止めていたけれど、因幡貴女……」
「壱:ほんま驚いたで、その姿を見るのも随分と久しぶりさかいな」
「フム。随分とまた……色々と大きくなったなぁ」
そう言われると無性に恥ずかしくなった因幡は、持っていたお盆で顔をかくしてしまう。
その顔は実に整っており、綺麗系と自分では言ってはいるが、どちらかと言えば可愛い系の顔立ちで、瞳は良く見れば分かる感じの薄いピンクのような赤色だった。
髪は少しピンクがかった白銀に輝き、その頭部からは短くも無く、長くも無いウサ耳が生えて、片方折れ垂れていた。
身長は百六十センチ程で、実に〝むっちり〟としているが、太った感じは全く感じない健康的な体つきをしている。
「そ、そんなに見ないで欲しいのです。とても恥ずかしいのです」
「そうですか、因幡は流様がとても大事な人になったのね」
「はいなのです! 何故か、お客人の事が気になって仕方ないのです」
「壱:そっか……。おまえにもまたいい季節が巡って来たのかもなぁ」
「フム。その気持ちを大切にするのですよ?」
「皆さんありがとうなのです。それじゃボクはお店の方を片付けて来るのです」
そう言うと因幡は襖を閉めて店へと向かうのを見届けると、壱が話し始める。
「壱:店内や屋敷にはアレの残骸はもうあらへんのやろな?」
「ええ、それは間違いなく」
「壱:ならええんや。さて今後なんやが報告した通り、あちらの世界に予想通り封印されとると思う情報が何個かあったんやが、その一つがダンジョンと呼ばれる所がどうもクサイと思うんやがな?」
「ダンジョンですか? 確かに先日の報告で聞きましたが……何故そこが怪しいと?」
「壱:直感なんやが、そこに守護者がおると思う。と言うのも、流様があっちで交流した人物からの情報で、そのダンジョンは走破出来ていないらしくてな。その原因となっとるのが『馬牛ずらの二匹』ちゅう話や」
その話に〆と参は息を呑む
「フム。まさかと思うが、牛頭と馬頭なのか?」
「可能性はあるでしょうね……むしろあの二人なら主の帰還を望み、封印を守っていると見て間違いないでしょう」
三人はじっと流れを見つめる。未だ意識は戻らず、深い睡眠状態にあるようだった。