036:たぬ爺は博識なのです
「――と、いう訳なんだよウサ衛門」
「よく分からないけど、お客人お帰りなさいなのです! 心配したのですよ」
「しかし因幡って凄いウサギさんですね。一体その体はどうなっているんだ?」
流は因幡のお腹をモフモフしながら聞いてみる。
「ひゃあああ!? くすぐったいのです! 恥ずかしいからやめてほしいのです」
そう言うと因幡は顔を真っ赤にして照れているようだが、モフモフなので分からなかった。
「でも因幡って一番不思議だよな~手乗りサイズになれるし、今位の大きさ……あれ? 何かこう、大きくなってないか?」
じっくりと因幡を見ると、以前よりかなり大きくなっている気がした。
「え? ボクは何時もと同じなのですよ? ほえ? でもお客人の顔が近いのです」
「やっぱりお前大きくなってるよ、横にも大きくなったけど、縦の長さが大きくなった」
以前の因幡なら、顔の部分が流の膝上程の身長だったが、今は顔の部分が流の腰のあたりまで来ていた。
「やっぱり大きくなってる……」
「なのです……」
二人で顔を見合わせて不思議そうにしていると、風呂場からあの男、たぬ爺が姿を見せた。
「なんじゃ~? いつまでも来んから迎えに来たわい。ん? どうしたんじゃ?」
「実は――」
因幡と流はたぬ爺に不思議な事を説明すると、たぬ爺も不思議そうに首をひねる。
「ほんに大きくなっとるのう、成長期か?」
「成長期って、何百年生きてるんだよ」
「あ~、レディに向かってそう言う事を言ってはいけないのです! 失礼なのです」
「おっと、すまんすまん。で、たぬ爺分かるか?」
たぬ爺はしばらく考えていたが、やがて思い出したように腹をポンと叩く。
「そうじゃ~! これは間違いなく成長期じゃな。しかも特殊な」
「ほえ? そうなのです? こんな事は今まで一度も無かったのです」
「ほんにそうかの? 因幡は以前ムチムチのお嬢だったんじゃろ? その時はどうやって大きくなったんじゃ?」
そう言われて因幡も考えて見る、すると数百年前の出来事を思い出す。
「あああ!! 思い出したのです!! あの時も何か視点が上がったと思ってたら、いつの間にか綺麗なおねいさんになってたのです!」
「じゃろう? わしが思うに、因幡の成長の鍵は小僧、お主が原因じゃな」
「俺? 何でだよ?」
「まあなんじゃ、何時までも脱衣所で話していても仕方あるまい。湯に浸かりながら話してしんぜよう。因幡も来るがよい、別にモコモコなのだから恥ずかしくなかろう?」
「そ、そういうセクハラは良くないのです! ボクはここで待っているので、何か分かったら教えてほしいのです」
「相変わらず面倒な言葉を知っているウサギさんですね、じゃあ分かったら後で教えてやるから〆の所で待っててくれ」
そう言うと流はタオルを小脇に抱え、たぬ爺と四阿温泉郷へと向かう。
因幡はその後ろ姿をなんとなく不安げに見守るのだった。
かけ湯をしてから流は信楽焼の湯舟がある所へ来る。
今日の気分は青い釉薬が芸術的な色彩を放つ、コンセプトは「霧の海と日輪」と言う題名の風呂に入る事にする。
因みにその名称は流が命名した。
「ふぅ~、風呂の淵から望む景色の何たる絶景か……異世界で死にそうになっても、四阿温泉郷に来ると生きててよかった! と心底実感する」
「何を涙目になっとる小僧。ほれ、最近ワシのお気に入りの銘酒じゃ。呑んでみろ」
たぬ爺が持ってきた酒は甘口だったが、米の旨味が濃密に凝縮した酒だった。
「そのまま呑むのもいいが、ちと振ってから呑んでみい、その方が今日は良いじゃろうて」
おりがうっすらと沈殿した酒からは、とてもジューシーな吟醸香が立ち上っていた。
「これは……もち米か? なんと言うふくよかな味わいと香りだろう」
「じゃろう? そしてその喉越しの重厚感と言ったらたまらんわな」
「以外だな、たぬ爺はイメージ的に端麗なのが好みと思ってたが」
「ハッハッハ、何を言う小僧。それはそのまま呑むと端麗と感じる者も多い。それにな、ワシはどんな酒でも等しく愛でておるよ」
たぬ爺の「プロの酔っぱらい」の感性に感心しながら銘酒を味わう。
「それでこの酒の銘柄は?」
「うむ、東北の銘酒で一〇万と言う。小僧が呑んどるのは正月になんかに販売するやつじゃな。今の小僧にはぴったりの味だろう?」
「ああ、そうだな……疲れた体が細胞から癒されるかのようだ……」
しばらく銘酒を楽しんでいると、たぬ爺がぽつりと話し出す。
「以前……と言うにはいささか時がたったが、今から三百年ほど前じゃったかな、因幡は人化した事がある」
「……そうなのか」
「驚かんようじゃな?」
「何だろうな、いつも因幡がそう言ってるからか、あまり驚かないと言うより、むしろ得心が行った感じだ」
「なるほどの。それで続きを聞くかね?」
「ああ、教えてくれ」
「うむ。ちと長くなるが、まあ聞いてくれ……」
そう言うとたぬ爺は浴槽の縁に座ると、滾々と語り始める。
――神話の時代より生きる因幡は純粋無垢な存在であったがために、時の邪悪な神や、邪な心を宿す人間にとって極めて有用な依り代として、幾度も命を狙われた事があったのじゃよ。
しかし因幡も神話より生きる伝説の一柱であり、有象無象の卑劣な罠や、直接攻撃してくる輩にも負けない「遁走力」があった。だがいかに神話の獣とは言え、油断をする時もあるものじゃ。
ある時因幡は、一つの村が疫病に襲われているのを見て助ける事にする。
だがな、それが悲劇の始まりじゃった……。
村の疫病を払うために、因幡は己の肉体を犠牲にしてまで村人を救う。
そんな村人達は因幡に大変感謝するが、不治の病すら治してしまう因幡の不思議な力に、目が眩む馬鹿者達が出る事を因幡は失念しておった。
欲を出した邪な心を持った村人の一部は、治療で弱り切っていた因幡を他の村人が油断した隙に連れ去り、町へと売り飛ばすために簀巻きにして急いで村から逃げ出したのじゃ。
その頃の京は花の都と呼ばれるだけあって、日ノ本中から珍品、貴重品は無論、表には出て来ない超常的な物まで取引されていたんじゃよ。
風の噂でそれを聞いた事があった馬鹿な村人は、そこに因幡を持ち込めば高値で売れると踏んだのじゃろうな。
結果それは正しかった。因幡は確かにその闇市場へと引き取られたが、如何せん所詮は素人のやる事であったがために、その愚かな村人達は報酬を得る事が無いばかりか、命を落とす事なったのじゃがな……。
その頃の幕府は、霊的に守護するように国を作っていた為に、結界を乱すこのような超常的な品を取引するような、危険な場所は看過出来なかった。
そこで幕府の番犬達はこの危険な裏市場を壊滅させようと、ある一族に協力を要請したんじゃよ。
その名は通称「封印の一族」と呼ばれた。
封印の一族は当初は因幡自体を封印し、霊的な守護結界の一つに組み込み今後の憂いを無くす事にしたそうじゃ。
しかし、一族の中に変わった思考の者達もおり、その変わり者達により因幡は助け出された。
その後因幡は、その助けてくれた変わり者の一人と旅をする事になったのじゃよ。
余談だが裏切り者の村人の末路についてだがな、因幡を助けるために追って来た村人と、生き残った一人が偶然にも出会えたそうでな。じゃがもうすでに手遅れで、生き残った男は因幡へ謝りながら死んだと、後に変わり者の男と一緒に助けた村へ行った因幡は聞いたそうじゃ。
旅を通じて初めて人とのふれあいが楽しく思った因幡は、次第にその変わり者に好意を持ち始める。が、神の一柱とは言え、所詮は獣の身なればその思い伝わらず、悲恋の淵に嘆く日々を送る事となる。
そんな因幡を不憫に思われた上級神の一柱がな、因幡に神の領域にある人化の奇跡を与えたのじゃ。
それにより因幡は人として生きる事が出来るようになり、因幡は思いを遂げるために変わり者の所へ向かったのじゃがな……。
因幡はその男と別れ際、必ず戻って来るから待って居て欲しいと約束したそうじゃよ。
しかし悲しいかな、人の時間と神の時間では大きな隔たりがあったがために、その変わり者はすでにこの世に無かったのだよ。何ともまあやり切れん話じゃてな。
因幡はその現実に耐え切れなくなり、心を閉ざし暗い穴倉の中に長い事閉じこもっておった。
その時に偶然出会ったのが、当時の異怪骨董やさんの店主だったと言う。
異怪骨董やさんの店主は、因幡の心を癒すために二人で各地を廻り、骨董の素晴らしさと共に、因幡の沈んだ心を徐々にほぐしていったらしい。
そんな店主の行動に感動した因幡は、次第に元の快活な因幡に戻る事が出来たのじゃよ。
ある時、店主に「店の従業員として来ないか?」と誘われた因幡は、喜んでこの店へ来たと言う。
異怪骨董やさんへ来た因幡はその後人化する事はなく、今の愛らしい姿で過ごす事となる――
「とまあ、ワシの知る限りではこんな所じゃな」
「そうか……長く生きていると色々な事があるものなんだなぁ」
「まあワシも色々あったから、それはとても分かるのう」
「それで何で因幡が今回大きくなったと?」
たぬ爺はヤレヤレと首を振りながら、流の質問に答える。
「小僧も存外鈍感じゃのう、お主に好意を持ったからじゃろう? それが恋なのかどうかはワシも知らん。ただ間違いなく言えるのは、小僧が因幡の心より大事な人になった……と、言う事じゃろうな」
衝撃の事実に流も言葉を失う。
「つ、つまり因幡がもしかしたら、俺に惚れたって事か?」
「それは分からんと言ったじゃろう? ただ間違いなく大きくはなっとる。つまりはそう言う事なんじゃろうな」
「太ったとかは?」
「ありえんじゃろう、縦にも大きくなっとるんだからの」
「まぢかよ……」
外で待っている因幡の成長の原因が自分かも知れないと思うと、今後どうしたら良いのか悩む流であった。
少しづつ読者様が増えて嬉しいです!
本日もありがとうございまっす(`・ω・´)ノ