268:愛しのあなた
「さぁ始めましょう。その生命が燃え尽きる前に……おいでませ異世界への扉」
弐は封座の体を貫くと同時に絶妙に施した治療術で、指一つ動かすことが出来ない状態だが、今すぐ即死するほどにはしなかった。
封座は朦朧とする意識でそれを睨みつける。それに気がついた弐は以前と変わらぬ優しい視線で、封座を見つめると静かに語りだす。
「これは〝魔法陣〟と呼ばれるものです。西洋の魔術とこの魔方陣に貴方様の〝妖魔を封じる血〟と言うか……鍵鈴の魂の継承者が必要だったのです」
「……な゛に゛を……言って」
「ごめんなさいね。ここまでこの子が墜ちた理由を知り、私はこの子の境遇があまりにも不憫でしてね。それに人と言う存在にも疑問があった所でしたの」
それを睨む事で返事とする封座。
「あら怖い。でも貴方様の事は今も大好きですよ? でも、本当にこの子はかわいそう……今の貴方よりずっと、ずっと、ね。ですから私を恨んでも、この子は恨まないであげてくださいね」
そう弐が言い終わると同時に、魔法陣に魔力が充填され立体的に浮かび上がる。
「まぁ!! 本当に上手くいったみたいね。これで時空神の目も欺けると言うものかしらね? それと申し訳ないのですが、ここに貴方の神気を注ぎ込みたいので使わせていただきますね?」
弐は悲しそうに封座にそう告げると、血塗れの右手より白金の神気を開放し魔法陣へ少しづつそそぐ。
それはまるで命の水を乾いた砂漠へと吸わせるように、魔法陣へとながし込む。
やがて不思議な文字列の一つが光り輝くと、その隣、斜め前、対面と、次々文字の光が輝き出す。
しかし輝きがますにつれ、封座は力が奪われるのを感じる。それにより弐がやろうとしている事の全容を理解した。
(そうかよ……そう言う事かよ……俺の封印の力で『理』を騙そうってんだな? ついでに時空神も巻き添えたぁ恐れ入る……だがなぁ弐)
「鍵鈴を舐めるなよおおお!!」
残された力と命、全てを使い封座は「抜かれた神気」を遠隔操作する。
神気というものは、汚れなき一点の曇りもなく、練り上げた気に神を降ろす事で初めて使えるものだ。
だがそれはとても不安定なものであり、封座ほどの実力者ならいざ知らず、他の者は神気を練ることすらとても困難であった。
その神気に対して封座は「怒気」をながし込む。弐の手からこぼれ落ちている白金の光の糸は、瞬間濁り赤くなった。
すでに魔法陣に描かれている文字の九割九部が発光しており、残りの一文字が空いている。
「封座様っ!?」
封座がすでに動けないと確信していた弐は、まさかの行動に驚愕する。
が、時すでに遅く、一変の汚れがない神気は「怒により汚染」されてしまう。
さらに儀式を中断することが出来なない状態で、最後の一文字が赤く光り弐は美しい顔を歪める。
「がはっ……はぁはぁ、どうだ弐ぁ……こいつで、てめぇらが何処に逃げたが『理』にばれちまうなぁ?」
「くっ……貴方様というお方は本当に……。ふふふ、これだけ一緒にいても見誤っていましたか」
そう弐が話した時だった。突如空間がに亀裂が走るが、瞬時にそれが回復する。それが何度も繰り返した後に、無機質な声が響き渡る。
≪【警告】 ソノ行為、ハ。 到底認メラレルモノデハ、アリマセン。 今、スグ、儀式ヲ中断、シナサイ!!≫
「見つかってしまいましたか……こうなっては仕方ないですね。不完全ですけど、今更ですね……」
弐は諦めた表情になると、封座の元へとやってくる。そして血塗れの右手で封座の頬へ触る。
「封座様、これまで本当にありがとうございました。今でも本当に愛していますよ」
そういうと弐は、封座の吐血で真っ赤な部分へと唇を重ねる。数瞬時間が止まったかのような錯覚の後、弐は鮮血したたる唇を妖艶に光らせながら離れる。もはや増悪の対象としか見えないはずだったが、一瞬心が奪われてしまう。
だが――。
ちょうどその時、下層から戦闘音が響き「封座様はいずこにおいでか!?」と声が聞こえてくる。どうやら下層の敵を排除した双牙達が駆けつけたようだった。
「ふぅ……やれやれですね。愛しの旦那様との最後の別れを邪魔するとは……『理』も双牙も犬に食われて死ねばいいのに」
「ぺっ……誰が旦那様だ。もぅてめぇは鍵鈴の敵だぜ?」
「寂しいことを言わないでくださいな。それでは時間も無いので失礼します。あの世への良き旅を心よりお祈りいたしますね」
「てめぇに言われると、地獄に行きそうだからやめてくれ」
弐はそれに花の咲くような笑顔で応えると、人形と魔法陣の中央へと乗る。
徐々に魔法陣の光が怪しく咆哮をあげるようにうなり始め、薄紅白色に染め上がった光に包まれる。
「さようなら鍵鈴封座様。鍵鈴家に幸があらんことを」
「うっせぇよ……さっさと行っちまえ……二度と面ぁ見せんな」
外部では『理』が狂ったように結界を破壊しているが、どうやら間に合いそうもないと思った封座は、弐へと悪態をつく。
だがその心は未だに弐を愛しており、そのあまりにもマヌケな感情に笑いすらこみ上げる。
そんな封座の気持ちが分かったのか弐は寂しそうに手をふると、まばゆい光の彼方へと消えていったのだった。