193:母上様
流と別れた美琴は夕日もすっかり落ち込み、ひぐらしの涼し気な声から、夜の虫たちが夜想曲を奏でる庭園にいた。
「もぅ……何であんな人を好きになっちゃうのよ。もう、なんなのよ流様は! 意地悪だし! 子供っぽいし! 骨董おたくだし! でも……優しくて何時も大事にしてくれるし、美しいって言ってくれるし、それに素敵だし、あ! それと――」
美琴は体をくねらせて一人悦に入る。と、そこに来客が現れた。
「あらあら、おばけでもこの場合は、恋に恋しているって言うのかしら? でも本人はいるし、難しい所ねぇ」
「は、母上ぇ!?」
「うふふ、おばけの美琴ちゃんを驚かせるのって快感かも?」
「もぅ! 心臓に悪いからやめて下さいよぅ」
「あら、おばけなのに?」
「うぅぅ。そ、それでどうしたのですか?」
「愛しい娘に会いに来るのに理由は必要なくてよ? ねぇ美琴ちゃん。旦那様から聞いて、ある程度は知っているつもりだけど、未来へ戻るのでしょう?」
「……はい。近いうちに戻る事になると思います」
「そう……。せっかく会えたのに寂しくなるわね」
母の言葉に思わず「残ります」と言いかけるが、残り時間が無い事を思い出し思いとどまる。
「ねぇ美琴ちゃん。あなたはこの先長い年月苦しんでから、今の明るい美琴ちゃんになったのも理解したつもりよ。それはとても辛いなんて言葉じゃ……言えない旅だったんでしょうね」
「そう、ですね。これでも少し前までは、今ほど明るくはなれませんでした」
「それを解放してくれたのが、今あなたが愛しているあの方なのね?」
美琴は黙ってうなずき、頬をそめる。幽霊なのに。
「そう、それは良い出会いを得れて良かったわね。でも何かを決断しきれていない顔ね?」
「どうして……そう思ったのですか?」
「簡単な事よ? 美琴ちゃんが困った時は、右の鼻の穴が倍に大きくなるの」
「えええええ!?」
思わず右の鼻の穴を触る美琴に、静音は優しく微笑む。
「嘘よ。倍になったら人じゃないわよ。あ、今はおばけだから、ありなのかしら?」
「ちょ!? 母上ぇぇぇ!?」
「うふふ。でもね、美琴ちゃんが困っている事くらいは、母親失格の私でも分かるわよ」
「母上……。色々と、聞いてもらえますか?」
「ええ」
「ありがとうございます。やっぱり母とは良いものですね……。実は――」
美琴は全て話す。悲恋美琴として各地を彷徨い、その結果多くの命を吸って来た事。そして「異界骨董やさん」へと拾われ、そこで初めて平穏な心で過ごせた事を。
そして初めての主と出会えた事を――。
「――そこで私をこう言ったんですよ!! 『そんな物騒な刀! い! る! かあああ』ってね! ねぇ、酷いでしょ流様ったら?」
「ふふふ。美琴ちゃんは本当に流様が好きなのね」
「うん、とっても大好き。何時も一緒にいてくれるんですよ」
「そう……」
静音は先日亡くした娘が、幽霊とは言え「遠い未来で幸せに暮らしている」と思うと胸が熱くなる。
だからこそ娘の悩みを解決してあげたいと切に願う。
「美琴ちゃん。あなたの悩みは流様の事なのは分かるとして、それがさっきの昔の話に出ていた、事に関係するのね?」
「どうしてそれを……」
「それは右の鼻の穴が大きくなって――」
「もう! それはいいです!」
「うふふ」
「でも、その通りです。昔、私を無理やり手に入れようとして、色々な人達が私に触れようとしました。でも私を取り込むどころか、わずかに触れただけで命を奪ってしまうのです。術やそれに類するもので縛ったり封印もされた事もありますが、それでも私の力には及ばず、みんな死んでしまいました……」
今は制御できるが、自分の意思とは関係なく働いてしまう防衛呪力。それは理屈じゃない強大な呪いの力だった。
「まれに私を鞘から抜き、呪いとも言える部分を消すために、私そのものと精神的に融合を果たそうとした人もいましたが、逆に取り込まれ妖力の一部となった人もいます」
「そう。だから流様が美琴ちゃんを、本当に手に入れる事が怖いのね?」
「うん……。とっても怖いの、普通の魂なら私が食べちゃうから……」
静音は座っていた石作りの丸椅子から立ち上がると、美琴を包み込むように抱きしめる。
それが以外と質量があり、人の体程ではないが「触っている」と言う感覚があった。
「美琴ちゃん、確かに怖いと思うわ。でもあなたは自分を信じなきゃだめ。あなたの流様に対する愛情は、そんなに薄っぺらい物なのかしら? それに愛する殿方の事を一番信じなくて誰が信じてあげるのよ。自分にも、流様にも堂々と当たって砕けなさい!!」
「母上ぇ。砕けたらだめだと思うんだょ」
「あら、そうだったわね」
「母上ったらもぅ。はぁ~、でもお陰で覚悟も決まりそうです。まだ未来へ戻る刻限まで時間もあるから、その間はその……母上といてもいいですか?」
「馬鹿ねぇ。娘の頼みを無下にする母ではなくてよ」
その後二人は母屋へと行き、親子団欒を過ごすのだった。