184:刀照宮美琴~晩秋が終わり、極寒へ
しかしそんな幸せな時間は突如として崩壊する。
そう、他の誰でもない千石の言葉によって。
「聞いてくれ美琴……。信じてもらえないかもしれないが、俺はこれから日ノ本とは違う世界へと旅立ち、そこで大戦をして来る」
「…………え?」
「少し昔の事だ……。ある存在から追われ、この日ノ本から逃げおおせた『あやかしの者と、その眷属』がいた。そいつらを狩るのが俺の仕事だ」
「そんな……」
「俺の真名は古廻ではなく、鍵鈴と言う。俺達一族はそいつらに追われている。だからその逃げたあやかし共から、目を欺くために名を捨てた。そして今、あのクソ共を討滅しなければ、何世代にも渡り俺達、鍵鈴の者を苦しめるだろう」
「いや…………」
「だからすまん、俺は…………異世界へ行く」
「いや、いやいやいや……嫌です! 私を一人にしないで!!」
美琴は大粒の涙を止めどなく、あふれさせる。
それが流れ落ちる度に、蓄えて来た愛情まで流されてしまうのではないかと、恐怖に襲われ混乱する。
「落ち着け美琴。何も帰って来ないと言う事じゃないぜ? 向こうであの人形を討滅したらすぐに舞い戻って来る」
「っ。ぐすっ……ほ、本当ですか?」
「ああ。俺が嘘をついた事があったかよ?」
「……いえ、何時も……何時も約束を守ってくれました」
「だろう? だからさ、そんなに泣くなよ。ほら、あめちゃんあげるから」
千石はいつもの様に、袖の中から役渋玉を取り出すと美琴の口へと放り込む。
「あむぅ!? いきなふぃ何をふるんですかぁ!? そんな飴ふぁま一つで騙さふぇませんよ」
「ははは。口の中で転がしながら言われても説得力が無いぞ?」
「むぅ……」
「美琴、さっき渡した髪留めを貸してくれ」
突如千石にそう言われて、何か煙に巻かれた気分で訝し気に髪留めを渡す。
「そのまま壁に背を向け、少し項垂れるようにしてくれよ」
「こうですか?」
「そうそう、そのまま……」
千石は美琴の髪を束ね、高い位置にまとめる。
そのまま手にある髪留めで、しっかりと結ぶのだった。
「ひゃぅ!? な、何をしてるのですかぁ……」
「これが俺の約束の証だぜ? 美琴、俺は『何時もお前と一緒にいる』事を約束するよ」
「せ、千石様……。はい……。とても嬉しいです……ぐすっ」
「まーた泣いてる。仕方ないやつだなぁ。あめちゃん食べるか?」
「右の頬の詰め込んでいるので、もう入りませんよーだ」
くるりと振り向いた美琴は月の灯りが差し込み、実に美しく、また髪留めで上がった髪型のせいか、とても大人っぽく見えた。
その右の頬が〝ぽっこり〟と膨らんでいなければ……。
「ぷっ!? せっかく美しいのに、右の頬のせいで台無しだな! お前は実はリスだったりしてな?」
「も、もう! 酷いです! 千石様が私へ無理やり食べさせたくせにぃ」
「はっはっは。喜んでくれてなによりだぜ」
「もぅ! でも、ふふふ。お陰で気が晴れました。絶対……戻って来てくださいね?」
「ああ、約束する。必ずお前の下へと戻って来るぜ」
「じゃあ約束」
「ああ約束だ」
「「指切りげんまん嘘付いたら針千本の~ます」」
「ぷっ」
「ふふふ」
それがおかしくて二人共笑う。すぐにまた会えるような気がして、こんな約束が滑稽に感じたからだった。
「じゃあ行って来るぜ美琴!」
「はい、行ってらっしゃいませ……どうかご無事で!」
こうして二人は別れた。それが、今生の別れだと知らずに――。
◇◇◇
「――俺はあの時までは全く知らなかった。まさか美琴が恋をするなどと、誰が予想しようか」
「あんたは親としても、人間としても失格と言う言葉すら生温い、肥溜のような男だと言う事は理解した」
「反論の余地も無い。その通りだ。だがな、流……お前さえ、そう。お前さえいなければ何もかも上手く行っていたんだぞ!?」
「はん? 何を言うかと思えば妄想か?」
「馬鹿者め。お前は今、何処にいる? そしてなぜ『この動く絵』を見れると思う?」
「………………」
「分からんか? なら続きを話してやろう、この動く絵と共にな――」
そう天膳は言うと、先程と同じように動く絵――映像が映し出された。
◇◇◇
あれからどれ程の月日が流れたのかな……。
私の心は後どれ程たえられるの? もう……十分……頑張ったよね……。
会いたい、千石様に会いたい。会って今すぐ髪を触ってもらいたい。美琴、今日も美しいなと言ってもらいたい。そしてあの笑顔をもう一度見たい。あの声で、あの指で、あの瞳で何もかも私を染めてもらいたい。
千石様、千石様、千石様、千石様!!!!!! 私は、もう…………………………。
タエラレナイ――
その日、刀照宮美琴は精神的に死んだ。
すでに生きる屍と言っていい程に心が疲弊し、そして今日この時に、死んだ。
八年間もの間、外部との接触を一切断たれ、そこに現れた唯一の心の支えにして、心より愛してしまった男。
その存在はすでに恋と一言で言えない程、深く重く堆積した愛情の塊であり、そして千石に対する「依存」とも言える強烈な愛はとどまる事を知らず、その思いは加速する一方だった。
そして牢獄とも言える鍛冶場から見る理想郷では、若い男女が仲睦まじい姿を美琴に見せつける。
それだけで美琴は気が狂いそうになる程の、千石に対する思いに身が焼かれるように辛く、そして『魂が疲弊』していった。