183:刀照宮美琴~盛夏の夜、初秋へと続く思い
刀照宮美琴は毎日外を見ては、ため息をつく日が増えた。その理由は、千石があの日を堺に現れなくなったからだ。
もらった「役渋王」は今でも大事に取ってあり、少しベタついているが桐の箱の中に大事にしまってある。
そんな真夏の、ひぐらしの鳴くある日の夕暮れ。美琴の気持ちを知らず千石は現れて土産を渡す。
待ち人である千石がようやく現れ、美琴の胸は早鐘を鳴らすよりも早く鼓動する。
「よぅ美琴、今日は隣の国まで行って来たからその土産だぜ」
「もう、そんな物はいりませんから……。千石様が遊びに来てくれるだけで、美琴は嬉しゅうございます」
千石は今日以前、二度ほど尋ねたが、美琴が出て来なかったので会えなかった経緯を話す。
「そうでしたか……。丁度その頃は父の目が厳しく、夜にしか時間が取れなかった頃かと思います」
「そうか! 夜ならもう少し話せるか?」
「え、ええ。昼よりはましかと……。(え、ええ!? 夜に会うなんて、逢引みたいじゃないですか!?)」
「ん? どうした顔を真っ赤にして。悪い物でも食べたか?」
「あぅ!? だ、大丈夫です……」
「ぷっ、『あぅ』ってお前なぁ」
「もぅ! またそうやってからかって!」
「あはは、悪い悪い。ほら、機嫌なおせよ。あめちゃんやるぞ?」
そう言うと千石は袖から役渋玉を取り出し、格子窓から美琴へと差し出す。
「ふ、ふん。そんな事では騙されませんからね!」
「受け取ってから言われても、説得力が無いんだが?」
「あぅぅ……」
「あはは、本当に面白い奴だな。っと、親父さんの気配が近づいて来るな……」
「え? 分かるのですか?」
「ああ。そう言う仕事をしているから、気配とかに敏感なんだよ」
「? 良く分かりませんが、敏感なお仕事なのですね」
「ははは、まぁそんな感じだ。っと、じゃあまたな。今度来る時は、ふくろうの声で三度鳴くから、そしたらここで会おう」
「はい! 楽しみにしていますね!」
「じゃあまたな!」
そんな夢のようなやり取りを何度かするうちに、美琴の中にしっかりとした感情が芽生えて来る。
誰しもが一度は経験した事がある、淡い思いと切ない感情が、昼となく夜となく押し寄せる。
――つまり、初恋であった。
季節はさらに進む……。
秋も深くなったとある晩に、千石がいつものように気楽に訪れる。
その様子は少し痩せたようであったが、逆にそれが美琴には魅力的に見えてしまう。
「よう美琴! 元気だったか?」
「千石様!! 最近来てくれないので、とても寂しゅうございました」
「あぁ、それは悪い事をしたなぁ。少しこの国を離れていたから、帰って来るのが今になっちまった。許してくれ」
「い、いいえ。そんな事……。私のわがままで千石様が謝らないでくださいまし」
「じゃあ御相子って事で、どっちも悪かったって事にしようぜ?」
「もう、何ですかそれは。ふふふ」
「自分で言ったが本当にな。はははは」
そんな他愛のない話をしばらく続け、ふと空を見上げると美しい満月が浮かんでいる。
この時代の空気も秋には澄んで見え、今日は特に月が薄赤く艷やかに見えるほど魅力的だった。
「見ろよ美琴。そこからでも見えるだろ? 今日はとても美しい満月だ」
「ええ……本当に美しいお月さまですね……」
「ま、そんな月でもお前には敵わねぇけどな?」
「な!? ど、どうしてそうも歯の浮くような台詞を、すらすらと仰るのですか!?」
「ん~、どうしてと言われてもなぁ……。だって事実だろ?」
「っ……!!」
真顔で千石は美琴を不思議そうに見ながら、呆れたように話す。
それを聞いて心底嬉しく思うが、それを表に出せるほど美琴は恋愛に達観していなかった。
「おっと、照れる美琴を愛でるのに忙しくて忘れる所だった」
「もう、またそうやってからかう!」
「ははは、からかってた訳じゃないぜ? えっと……あったあった。これを受け取ってくれよ」
千石は背負い袋の荷物を、早く見つけたい一心で混ぜるように漁ると、その中から美琴の手に丁度乗る大きさの桐箱を一つ出す。
「千石様……これは?」
「ふふん。開けて見ろよ」
「随分と自信がおありですねぇ。じゃあ早速。わぁ……何て美しい髪留めなのかしら……」
それは大島紬を若い娘用に、特別な色合いで染めた髪留めであった。
髪留めは八重桜のような艶やかな桜色を基調とした物で、舞い散る桜柄が実に美しい一品に目を奪われる。
美琴が髪留めをうっとりと持っている手に、千石は格子から右手を入れ優しく包む。
それに驚く美琴だったが、千石を見ると何時もと違い、まじめな面持ちで美琴を見つめてくる。
「美琴、俺はお前を好いている。いや、愛している」
「とても……とても嬉しゅう存じます。千石様、私も貴方様をお慕い申しています、それはもう胸が潰れる程に」
「そうか、それを聞いて安心したよ」
「はい……」
どちらともなく二人は格子窓へさらに歩み寄り、そして両の手を差し出す。
ゆっくりとお互い強く握りしめ、時が止まったかのように見つめ合うのだった。