176:井戸の底からの声
しばらくその場で立ち尽くしていたが、やがて通夜への参列者が立派な屋敷へと〝そろり、そろり〟と入って行くのが見える。
思わず流も、その列に加わり刀照宮家へと入り込む。
かなり裕福な家らしく、屋敷は贅を尽くすも品が良く、現代の和風屋敷に憧れを抱くものなら、垂涎物の作りと調度品の数々だった。
その屋敷を進むと参列者が集まっていた。そこに紛れて焼香をする事にした流は、いよいよ自分の番が近づく。
見れば、そこにはポツリと棺桶が寂しそうに置かれているのが見えた。
「……あれが棺桶だと? あれじゃまるでデカイ味噌樽や酒樽のようじゃないか……。あぁ、そう言えば時代劇で見た事があるか……。と、すれば当然」
昔の日本は宗教的な理由と土葬だったためか、今のような長方形の物ではなく、酒樽のような円柱状の樽のような棺桶だった。
そこに膝をおり、体育座りのような恰好で納められて墓に埋葬されるのだった。
それを思い出した流は、棺の中を確認する事が少し困難だと思いながらも、焼香の順番がやがて自分の番になる。
焼香を済ませ、いざ棺桶の中身を覗く。
「やっぱりお前だったか……」
運良く背筋が真っ直ぐ入れられたようで、顔を確認する事は出来た。
その顔は酷くやつれ髪は白髪と化していたが、それは流が井戸の底で見た女だった。
「こんなにやつれてしまって……だが、美しいな美琴。生きているうちに会いたかったものだ」
「もし? あなたは美琴が何時も話していた方かしら?」
そう突然声を掛けられて振り向くと、美しい女がいた。
年の頃は二十代後半ほどで、お付の使用人の様子から、どうやらこの通夜の喪主のようであった。
刀照宮美琴が亡くなった年齢を〆から聞いていた流は、この女性が見た目よりは多少年上なのかとも思いながらも、戸惑いながら質問に答える。
「いえ、多分別人だと思いますが……。貴女は?」
「申し遅れました、私は美琴の母でございます。名を刀照宮静音と申します」
「これはご丁寧に。私は古廻流と申します。娘さんとはその……何と言ったらよいか。会ったのは今日が初めてなのですが……」
「古廻……そうでしたか。私が思った方とは違ったようですが、やはり貴方だったのですね。もし宜しければ、本日は我が家へとご逗留くださいませ。きっと美琴も喜ぶでしょうから」
「……良いんですか、こんな得体のしれない男を引き入れても?」
「ふふ。そうですね、確かに得体は知れませんね」
そう言うと静音はうっすらと微笑み、他の弔問客の方へ歩き出す。
「いく所が無いし、やっかいになるか……。それと鍛冶場と井戸も見たいしな」
この場所は妙にリアルな……いや、現実世界と言っても良いほどの存在感であふれている。
しかし流の姿がこの時代には相応しくないが、誰もそれを不思議と思わず、恰幅の妙にいい茶屋の女将は親し気に接してくる。
さらに美琴の母と名乗る女性には「信頼」されていると言う感覚が、ダイレクトに伝わって来るほど好意的な態度だった。
「なぜ……初見の俺に誰も疑問を抱かない? やはりまやかしの世界だからか?」
そう独り言ちながらも、頭では理解しつつある。これが「現実」なのだと。
矛盾とも言える心境の中、流は刀照宮家を散策する。
外に出ると立派な庭があり、池には赤が多めな錦鯉が泳ぐ。その池の先には平屋の建物が見える。
流はそれが探していた鍛冶場だとなぜか確信を持ちつつ、池にある石橋を渡り建物の前まで行く。
そこには予想通り、刀照宮美琴の最後の地となった場所だとすぐに分かった。
「やあ美琴、待っていてくれたのかい?」
鍛冶場の敷いの前から中を覗くと、形は朧気だがそこに「刀照宮美琴」がいる事を流は感じた。
それは目を離せば即、見失う程の存在でしかなく、だからと言っていないと言う事でもなかった。
「どうした、話してはくれないのか?」
「…………どうして……ここへ来てしまったのです。あれほど私を捨てて欲しいと言ったのに」
「だから言っているだろう、俺はお前と死ぬ覚悟があるとな」
「そんな覚悟はまやかしです! 貴方は『悲恋美琴』を愛しているのであって、『刀照宮美琴』の事なんて見てはいない!!」
朧げな存在、刀照宮美琴は流の本質を抉る様に叩きつける。
それを黙って聞き続ける流に、刀照宮美琴は苛立ちのまま言葉を打ち付ける。
「いつもそう……。私がここでこんなに貴方の事を思っていても、貴方は自由に生きている。どんなに思っても振り向いてもくれない! でも、あの時の言葉があったから私は頑張れた……なのに、どうしてそれを無駄にするような事をしてここに来たの!!!!!!」
瞬間、刀照宮美琴の存在が増し、あわや実体化するのかと思えるほど濃密な気配になるが、突然霧散して消え去ってしまう。
「美琴……」
消えた美琴を追うように、流は鍛冶場へと足を踏みいれる。
そこにはとても濃い、若い女の残り香に今も満ちていた。
「ここにずっといたからか……。そうか、ここで寝起きして外へも行けなかったんだもんな。そして…………ここで、死んだのか」
流は火が消えている火床の前に広がっている、赤黒い染みを見て切なくなる。
そして傍にあった小槌を拾うと、そこにある金床を一打ちする。
すると、鍛冶場内にある井戸の中から声が響く。
「今夜……私の父と会ってください」
「……分かったよ、美琴」
そう言うと、刀照宮美琴の気配は完全に喪失したのだった。
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