表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/20

1-7『住宅街と迷子』

「ぎゃああああああああ!」


 突如として腰に発生した衝撃と呻き声に、座織は此処が夜中の住宅街であるにも関わらず大声を張り上げる。

 そして近所迷惑上等とでもいうように叫び声を上げたまま、衝撃のした方を一切振り返ることなく全力で前を直走った。


「まっでええええええええ!!」


「んがっ!」


 途端、衣服を引っ張られているような感覚と、地獄の底から這い上がってきたかのような鬼気迫る子供の声に、座織は足の動きを鈍らせた。

 その声が座織の耳には、誰かに助けを求めているように聞こえたから――という訳ではない。単純に腰が抜けてしまっただけである。

 それでも、ガタガタと震える足をどうにか前に進めていた座織であったが、やはり踏ん張りが利かず足が絡まり、結果地面と熱い接吻を交えることになった。


「痛ァ!?」


「ひっぐ……うぅ……」


 そんな今を好機と見たのだろう、ソレは倒れた座織の体をよじ登るように這い、泣きながら上へ上へと迫る。

 思わず身の危険を感じ、座織は体を起こそうとするも、足の震えはいつしか全身へ転移し、彼の挙動を妨害していた。


「こんっにゃろ!」


 それでも座織はズボンが脱げることも厭わず上半身を捻り、どうにか仰向けの姿勢を取ることに成功する。

 相手が何者であるのかは分からないが、何がなんでも両腕の自由を最優先に確保すべきという咄嗟の判断だった。

 果たしてそれが一般的に正しい行動かどうかは定かではない。

 だが、


「畜生! 来るならこ……い?」


「う、うぅ……うわあああああああああああん!」


 覚悟を決めて両拳を固めた座織を他所に、正体不明のソレは座織の胸元を掴むと、そのまま顔を埋め慟哭する。

 そして同時に、街頭に照らされたソレの正体を見た座織は、呆然としながら呟いた。


「……え、あれ? ……子供?」


 途端、座織は体中の力が抜けるような感覚に襲われる。そしてそれが、思い過ごしに類するものから来る徒労感であることを悟った。そしてホッと息を吐き、そこが地べたにも関わらず、大の字になって重力に背中を預けた。

 だがそうなってしまっても仕方ないだろう。夜中の住宅街に響く忙しない足音にさり気なく背後を確認してみれば、そこには誰も居らず、それでも足音は鳴り続けていたのだから。

 加えて音が近づくにつれ徐々に距離を詰めらていることに気付き、ならば知らぬ気付かぬでやり過ごそうとすれば、勢いに乗った何かが背後から激突。

 小学生の頃に一度、不審者に夜道を追い掛け回されたトラウマを持つ座織からしてみれば、半分生きた心地がしなかっただろう。


 だからこそ、相手がまだ幼い少年であることに気付いた瞬間、安堵からか完全に警戒心を解いてしまっていた。

 故に、何故こんな時間に子供が出歩いているのかと、どうしてこれ程までに怯えているのかという、平時なら持って当前の疑問に意識が届かなかった。


「と、とにかく落ち着け泣き止め! ご近所さんに迷惑っつーか最悪俺が通報されるかもだから!」


 色々と気になる問題を抱えつつも、まずは少年が泣き止まないことには何も出来ない。それにこのままの状態が続けば、すぐに野次馬が集まってくるだろう。

 そうなれば面倒だと危惧する座織は、慌てふためきつつもあの手この手で少年をあやしつける。しかし未だ座織の胸で慟哭を上げる少年は、一行に泣き止む兆しを見せない。


「どうすりゃいいんだよ……」


 子供をあやすという久しく経験していない行為に、座織は戸惑うように弱音を吐く。

 だがいくら嘆いたところで少年が泣き止むことはない。ならば何か打開策はないかと周囲を見回すも、やはりそれに足る物は何もない。

 ならせめて、この姿勢だけでもどうにかしようと体を起こしかけて、


「あ」


 体を支えようと動かした右手から、カサリとビニール袋の擦れる音がすることに気付いた。


――これだ!


 途端、電流が流れるような閃きが座織の脳を駆け抜けた。


「おいチビ助! コイツを見てみろ!」


 座織はしがみ付く少年にそう言うと、袋に忍ばせた右手を引き抜き、その中にあった物の幾つかを少年に見せ付ける。

 すると、


「ひっぐ、うぇっぐ……? ……ひっく」


 少年は一瞬目を大きく見開き、やがて冷静さを取り戻すようにその声量を抑える。

 相変わらず涙や鼻水は止め処なく流れ続けているものの、大声を出さなくなっただけでも御の字だと、座織は安堵の溜め息を零した。


「ほーれほれ、欲しいか? 欲しいよな? だったらまずは落ち着け。クールダウン、クールダウン」


「……」


 やがて少年は完全に口を閉じると、座織の持つ物に視線が釘付けとなる。

 座織は上手く行った言わんばかりに口角を持ち上げ、ソレを少年の前で揺らしてみせた。


「ほーれ、ほーれ」


 右へ揺らせば少年の視線は右へ動き、左に揺らせば同じく左に動く。

 座織は清清しいほどの吸引力を誇る対子供特攻兵器――スナック菓子の力に半ば旋律しながら、どうにかこの場を収めることに成功した。



「落ち着いたか?」


「んぐ。……うん」


 少しだけ軽くなった袋を右手に持ち、上着の左袖を少年に摘まれた座織は、共に住宅街を歩きながら様子を確かめるように尋ねる。

 一方の尋ねられた少年も、口いっぱいに詰め込んだ菓子を飲み込みながら頷いてみせた。

 その顔には未だ涙の痕がくっきりと残っているものの、数十分前とは比べもつかないほどの落ち着きを見せていた。


「それなら重畳。んじゃ、ちょっと気になることがあるんだが――」


 そんな少年とは反対に、座織はどこか焦ったような声色で言葉を続ける。

 座織にしては難しい単語を敢えて使う、それは彼に余裕がないことを如実に表していた。


「ここ、どこだ?」


 ピタリと足を止め辺りを見回しながら、座織はそう繰り出した。


「道路」


「いやそれは分かってんよ? そういうことじゃなくて」


 期待などしていないものの、少年の答えに一応のツッコミを入れ、座織は尚も周囲を見回し続ける。

 その視線の先には、何の変哲も無い路地が真っ直ぐ伸びており、恐らく普段と変わらないのであろう光景が続いていた。

 至って、何もおかしな点は見受けられない。それが“この空間を、もう数十分も歩き続けている”という事実から目を逸らした場合の話しだが。


「なあチビ助」


「ゆうすけ」


「……チビす」


「ゆうすけ」


「……。なあ、ゆうすけ」


「ん。なに?」


 座織にとっては些細な、少年――ゆうすけにとっては重要な問答の果てに折れた座織は、頭を掻きつつ問い直す。


「この通りって、こんなに同じ家が並んでるもんなのか?」


「……? どういうこと?」


「いや、どういうことって。見りゃ分かるだろ? 」


 そう言って座織が指し示すように顔を前に向ければ、ゆうすけも一緒に同じ方へ顔を向ける。

 だが、流石に気付くだろうと横目でゆうすけの表情を確認する座織は、その返答から苦虫を噛み潰したような表情に変化させた。


「どこか変?」


「……そっか、そんな余裕なかったっぽいもんな、お前。うん」


 ハァっと大きな溜め息を吐き、諦めたような口振りで座織は言葉を漏らす。その態度にムッとした表情を作るゆうすけであったが、そんな彼を座織はどうどうと手で制した。


「しっかしどうするよ。こんな街中だってのになんでかスマホの位置情報はエラー吐くし、おまけに真っ直ぐ歩いてるつもりが気付けば同じところに戻って……あれ、それってマジヤバくね?」


 ぶーたれた顔で睨むゆうすけを無視して、座織は改めて今の状況を一人確認すると、いよいよ自分達の置かれた状況に危機感を覚え始める。

 そしてその瞬間から、心臓がバクバクとその鼓動の速度を上げ、嫌な汗が全身をジワリと包みだす。

 急激に喉が渇き始めれば、不安からか落ち着きなく視線を彷徨わせた。

 そんな時ふと、幼い日の思い出が脳裏を過った。


――確か、昔見た映画の中にこんな状況があったような。


 それはまだ、座織が小学生になる前のある日のこと。彼の父が嬉々として借りてきた、とある映画のワンシーン。

 迷宮に閉じ込められた子供達が、牛の頭を持つ怪物に食われ、嬲られ、殺されるというもの。



――いやいやまさか、そんな訳ねーだろ流石に。


 まだ冒頭であるにも関わらず座織は大泣きし、その後こっぴどく母に叱られていた父の姿を思い出したところで、再び現実を見つめ直す。

 しかし相変わらず景色には一切の変化が見られない。いや、一応歩けば変化もするし通り過ぎても行くのだが、振り向き見えなくなった傍から、再び前方に過ぎた筈の景色がその姿を現していた。


「……」


「……」


 尚も諦めず足を動かし続けていた二人であったが、それを繰り返すたびに二人の口数は減り、その足取りは重くなる。

 途中からは塀を登って人様の家の庭にお邪魔したり、あえて逆方向に歩いてみたり、曲がり角は全て曲がったりもしてみたが、未だ何の成果も得られずにいた。


「……はぁ、はぁ」


「ちょっと休むか」


 しかし歩けば歩くだけ体力は奪われ、景色のようにすぐ戻ることはない。

 やがて息を上げ始めたゆうすけに気付いた座織は、上着を脱ぐと地面に敷き、袋を持ち上げて休憩の提案を持ち出した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ