1-5『縄張り』
「オーケーオーケー、お前らが魔法使いであることは十二分に伝わった。じゃあ次の疑問なんだが」
これ以上は、ただでさえ今日の出来事でパンパンに膨れ上がった脳の容量が処理仕切れないと判断した座織は、体を起こすと次の問題へと移る。
即ち、何故ハルカがこの部屋に当たり前のように上がり込んでいたのか、についてだ。
「「「……」」」
しかしこの質問にも、少女達は黙り込んだ。
「あのさ、もう魔法使いってのは聞いたんだ。それ以上のカミングアウトがあると思うか?」
「そーいうのいいから」と、どこか投げやりな態度で少女達に発言を促す。
正直なところ、座織はさっさとこの話を終わらせ、少女達にお引取り願いたいと考えていた。恐らく一日の時間全てを勉強に費やしたとしても、これほど脳が疲れることはないだろう。
だが、そんな座織の胸中を知らず未だ困ったような顔を崩さない少女達に、彼は再び苛立ちを覚え始めていた。
そんな時、
「うーん、そういうのとはまたちょっと違ってきて……」
言い辛そうにしながらも、ハルカがおずおずと手を上げた。
「一般人に魔法使いであることを知られるのは、まだいいの。――いや、本当はよくないんだけどね。でも、まだ取り返しはつくから」
「でも」と続けて、ハルカは内緒話をするように口に人差し指を立てる仕草を取ると、声を小さくして言った。
「これから先を知っちゃったら、おにーさんは元の暮らしへは戻れなくなる。――それでも、知りたい?」
一呼吸置いた後、ハルカはその瞳から幼さを消し、試すように座織を見た――のだが、
「じゃあいいや。つーわけで出てけ」
「あれー?」
まるで肩透かしを食らったかのように、ハルカはその場で「おっとっと」と踏鞴を踏む。それだけでなく、オトハやミハマも座織の即決ぶりに目を丸くした。いや、彼女達にしてみれば、追求されないことは願ったり叶ったりなのだが。
だがそれはそれとして、少女達に新たな問題が発生していた。
「よし、これで全部解決したな! ほーらお帰りはあっちだ、外暗いから気をつけてな」
ようやく訪れる開放に座織は頬を緩ませ、少女達を矢継ぎ早に捲し立てる。しかし「いやーよかったよかった大団円」と高笑いしている座織を他所に、少女達はそこから一歩も動こうとはしなかった。
理由は単純、十数分前にミハマが座敷に呟いた言葉が、それを表していた。
「で、出て行くって言ったって」
「おーい、さっさとしてくれないと俺も困るぞー。つーか怒るぞ」
それを知ってか知らずか、覚えているのかいないのか。明らかに自身へ向けられたオトハの言葉を無視して、若干青筋を立てる座織は少女達に早く出て行くよう促す。
それは言外に、これ以上の関わり合いの拒絶を表していた。
「それじゃあ、私たちはどこで……」
「出・て・け!」
それでも尚駄々を捏ね続けるオトハに、いい加減堪忍袋の緒が切れた座織はオトハの襟首を掴むと引きずるように玄関から外へ放り出す。
そして掌の埃を払うように手を叩き、続けて残る二人を睨みつけた。
「おっじゃましましたー!」
「失礼します」
直後、方や陽気に、もう一方は冷静に、二人はそそくさと部屋を後にした。
「……っあぁ、疲れた。もうなんも考えたくねえ」
ようやく訪れた静寂に、座織は大きな溜め息を一つ吐くと、布団へ近づき寝転がる。
結局、彼は晩御飯も食べていないことを思い出すまで、その体を動かすことは無かった。
※ ※ ※ ※ ※
「なん! なの! よ! あいつホントになんなのよ!」
「オトハ、いい加減落ち着こう?」
「あんまり怒ると将来皺になるよ、オトハ」
「あん! たの! せいでしょ!?」
時刻は22時を回った刻限、座織に部屋を追い出されてから約2時間、少女達は行く当ても無く住宅街を彷徨っていた。
本来このような時間に子供が外を出歩こうものなら、良識のある人間は疑問に邪推を重ねるだろう。
だが不思議なことに会社帰りと思しき男性も、犬の散歩をする老人も、巡回中の警官ですら、道行く人々は少女達に関心を示すことなくすれ違って行った。
「大体なんで寝ちゃったの? あまつさえ腕にまで絡みついたりして」
「いやー、久しくふかふかの布団で寝てなかったもんだから。気がついたらこう、すやーっと。それに」
「それに?」
「なんか、あのおにーさんなら無害そうな気がして」
「ハルカ、現状をルック。そして今ならデコピンで許してあげる、さあ額を出しなさい。出せ」
元より少ない人通りではあるが、それ故に、その光景はどこか奇妙な印象を与える。まだ太陽が空で存在を主張している時間帯ならば、それは微笑ましい子供同士のじゃれ合いとして誰も疑問を持たないだろう。
しかし太陽は既にその鳴りを潜め、代わりに光源は月と街灯、家々から零れる明かりのみ。そしてそのすぐ傍らを歩む少女達の姿は、まるで誰の目にも映らないかのように見向きもされない。また少女たちもそれを理解してるかのように違和感なく振舞う。
なによりそんな疑問を抱く者自体がこの場には居なかった。
その時、
「でも、どうして認識阻害を使わなかったの? ハルカ」
これまで二人のやり取りに混ざらず、親指と曲げた人差し指で顎を摘んでいたミハマが、ふと気付いたようにハルカにそう問いかけた。
「ってそういえばそうよね。それなら最悪いつもみたいに怪奇現象で誤魔化せたのに」
それに同調して、オトハもうんうんと頷きながらハルカを見る。
最悪いつもみたいに、という言葉にハルカは苦笑いを浮かべながらも、顎に人差し指を当て自身も不思議そうな表情でその訳を語った。
「一応、ちゃんと使ってたんだよ? あのおにーさんが部屋に入ってきた時から、押入れでずっと」
「? じゃあなんで解除したの? 私が来た時にはとっくにバッチリ見えてたわよ」
「そこが謎なんだよねー。別に解除した覚えもないし、魔力切れ起こした訳でもないし」
「そういえば、私の炎も……」
「謎は深まるばかりだよー」
ハルカは両腕を軽く動かし、自身の体に不調が無いことを二人に主張する。オトハは掌に種火程の炎を灯し、違和感の有無を確認するようにそれを凝視する。
だがそれ故余計に、少女達は更に謎を深め思案に暮れた。
「……今は考えても仕方ない、かな。それより、早く縄張りを作らないと」
だが、思考に浸り本来の目的を見失いかけていた少女二人は、ミハマの言葉でそれを思い出す。
そして現在の優先順位を確認するように、互いが互いの顔を見て頷いた。
「改めて、これからの目的だけど――」
「新たに、私達の縄張りを見つけること」、それが卯穂摩荘202号室を失った少女達にとって、目下の課題であり生きる為に必要なものだ。
それが無ければ、今まで以上に過酷で生きていくことすら難しくなるという事実を、現代の魔法使いである少女達は知っていた。
「でも本当にどうしよう、公園みたいな公共施設は不可侵領域だし、その辺の道で寝るのは普通に危険だし」
「ハルカさんはオールナイトいけるよー」
「そりゃあんだけ寝てたらね!」
「ハルカ、いったんお口チャック。ね?」
「……」
オトハとミハマが頭を捻り、ハルカが珍案奇案を提唱し、それにオトハがツッコミを入れ、ミハマがハルカを嗜める。
恐らく少女達にしてみれば普段通りのやり取りなのだろう、しかして状況は普段と一変しており、それぞれ言いようの無い焦りを感じていた。
その中でも、特に顕著と呼べるのがミハマだろう。
――なんでもいい、どこでもいい。とにかく一晩だけでも凌げる場所が欲しい。
気が付けば、ミハマの眉間には微かに皺が寄り、その様相は俯き気に首が垂れる。
私がどうにかしなければという焦りの念から、自身の知識の無さに苛立ちを覚え、もっと考えろと余計に焦りが募る。
いっそこの身体を売るつもりで座織の元へ赴き、一晩だけでも皆を泊めて貰えないないかと交渉することも視野に入れていた。
余談だが、もしその考えを座織が知ったならば、ミハマの自身に対する認識に本気で傷ついていただろう。彼の好みは同い年か年上である。
しかしミハマと座織のファーストコンタクトがオトハを押し倒す姿だったことから、仕方ない状況だったと理解しつつも、貞操に悪い男として深く印象に刻まれていた。
「ちょっとミハマ、大丈夫?」
そんな危険思考に陥ったミハマに、オトハが心配するように声を掛けた。
「え? ……あぁ、うん」
「……考えることも大事だけど、ミハマはいったん脳を休めた方がいいと思うわ。追い出された時から、ずっと考え込んでたでしょ?」
どこかぼんやりとしたミハマの返事に、見かねたオトハは続けてそう口にする。するとその言葉に、ミハマの肩がビクリと反応した。
それは、誰の目から見ても図星の反応だった。
「やっぱりね」
両掌を肩の位置まで持ち上げ、やれやれとジェスチャーするオトハに、ミハマは目を白黒させ視線を向ける。
どうして気付いたのか、いつから気付いていたのかと、言葉にせずともポカンと開いたその口から言外に語られていた。
「年単位で一緒にいれば流石に気付くわよ、このくらい。具体的に何考えてるかまでは分からないけど」
オトハはフッと鼻息を鳴らし腕を組むと、チラリとミハマに視線を向ける。
「まあ頭の出来は私もハルカもあんたに及ばないから、考える作業はあんた任せになるけどさ」
そして僅かに顔を赤く染めながら、
「だからって休んじゃダメって訳じゃないんだから、たまにはハルカでも見習ってクールダウンも考えなさいな」
そう言いきると、オトハは照れ隠しのように顔をミハマから背ける。
一方のミハマも、ポカンとした表情を晒したままの自分に気付き、妙な気恥ずかしさを覚えていた。
しかしオトハの言葉はきちんと届いたようで、いつの間にかミハマの眉間の皺は消えていた。
「ありがとう、オトハ」
聞こえるか聞こえないか、そんな小さな声でミハマは呟く。直後、オトハの耳が真っ赤に染まった様子を見るに、しっかり聞こえていたのだろう。
「ま、まとめ役に倒れられると困るからであって、深い意味はないんだからね!」と、オトハは照れ隠しの様式美を披露していた。
その時、
「それじゃあ、一区切りついたということで一瞬槍玉に挙げられたハルカさんから一つ――」
唐突に、それまで二人のやり取りを静かに見ていたハルカが手を上げて言った。
「お腹空きました」
直後、二人の余韻から現状の不安、緊張感すらも吹き飛ばすような音が、ハルカの腹から轟いた。