第五章「告発」
午後七時半、すっかり外が暗くなった中、会議室に関係者全員が集められていた。容疑者の高井戸勝人、国木田彩奈、野塚和菜、松北泰助、日高茉優、小浜幹也、安川則勝の七人に、斎藤、新庄、竹村の刑事たちと瑞穂。そしてその中央に榊原が立って、ジッと容疑者たちを見回していた。
「あの、これは一体?」
安川が困惑気味に尋ねるが、これに対する斎藤の答えは単純だった。
「一通りの捜査が終わりましたので、ここにいる榊原さんから、事件に対する結論を皆さんに報告したいと思います。時間も遅いですが、お付き合いください」
「それって……いわゆる、推理ショーってやつですか?」
ミス研の茉優が興味津々に聞くが、当の榊原は首を振った。
「推理ショーなどという大げさなものじゃない。ただ、わかった事を論理的に組み上げて、犯人を追い詰める。私がやるのは、それだけだ」
「犯人って……わかったんですか!」
高井戸が緊張した様子で尋ね、誰もが息を飲む。が、榊原はあくまでマイペースだった。
「まぁ、そうなる。今からそれを話そうと思うが、構わないね?」
その言葉に、容疑者たちは顔を見合わせ合うと、やがて全員が小さく頷いた。それを見て、榊原は一度深呼吸すると、推理を始めた。
「では、始めようか。まず、最初の事件を整理するが、今日の午後三時半頃……すなわち六時間目終了の直後に、この学校の昇降口で一人の生徒が殺害されるという事件が発生した。被害者は二年四組の槙島光太郎君。彼は自分の下駄箱に入れられていたチョコレートを口にし、そのチョコに含まれていた毒物によりその場で死亡した。使用された毒物は水酸化ナトリウムで、この水酸化ナトリウムはこの学校の化学準備室から持ち出された事がわかっている」
淡々と事件を説明する榊原の言葉を、誰もが真剣な様子で聞いている。が、榊原は意に介す事無く話を先に進めた。
「事件の状況から、被害者が下駄箱に仕込まれた毒入りチョコを食べて死亡したのは確実だ。そこで、問題は誰がこの毒入りチョコを下駄箱に入れたのかというこの一点に絞られる。普通は不特定多数の人間が動く学校という場でこれを特定するのは至難の業だが、今回は被害者が五時間目に体育で下駄箱を使っていた事から、五時間目終了時に下駄箱を利用した時点まで問題のチョコがなかった事が明確となった。それゆえに六時間目の授業中にチョコが仕掛けられた可能性が高くなり、授業中だった六時間目に少しでもアリバイがない人間を調べた結果、容疑者をここにいる七名まで絞り込む事ができたわけだ。状況から考えて、犯人はこの七人の中の誰かと言うところまでは間違いないだろう」
榊原がそう言って七人を睨むと、七人は不安そうな表情で互いに顔を見合わせた。
「だが、そこから先が問題だ。この犯行は少しでも隙があれば十秒ほどで完了してしまうがゆえに、アリバイを狭めるのが非常に難しい。実際、君たちの話を聞いても、誰にでも犯行が可能という結論を出さざるを得なかった。要するに、アリバイの確認だけでは犯人を絞り込む事は出来ないという事になる」
榊原はそこでいったん言葉を切ると、こう続けた。
「だから、私は視点を変えて、別の角度から犯人を特定できないか考えてみる事にした」
「べ、別の視点って……意味がわからないんですが……」
高井戸が当惑気味に言う。が、榊原は気にする事なく言葉を続けた。
「そもそも、君たち七人が容疑者として特定されたのは、さっきも言ったように被害者の五時間目の授業が体育で、その時点で下駄箱にチョコがなかったのが確実だからだ。だが、この事実をさらに突き詰めると、もう一つここに大きな疑問が浮かび上がる。その疑問が犯人を特定する第一の条件だ」
「第一の条件って……」
「簡単な疑問だよ」
榊原はその条件を告げた。
「すなわち、そもそも犯人はなぜ六時間目の授業中に凶器となる毒チョコを仕掛けたのか、という根本的な疑問だ」
一瞬その場が静まり返った。代表で茉優が質問する。
「えっと……どういう事ですか?」
「要するに、犯人がわざわざ六時間目の授業中にチョコを仕掛ける事に、何かメリットがあったのかという問題だ。そして実際問題、そんなメリットは犯人のどこにも存在しない事がはっきりする」
榊原は推理をより深く展開していった。
「わざわざ容疑者の幅が狭まる授業中を狙って仕掛けた事も問題だが、それ以前に六時間目に仕掛けたせいで、被害者が五時間目に体育だった事から容疑者がこの七人に限定されてしまった。はっきり言うが、これは犯人にとってデメリット以外の何物でもないはずだ。例えば昼休み辺りにでも仕掛けておけば、不特定多数が容疑者になってここまで犯人を絞り込むなどという事はできていなかったはず。にもかかわらず、犯人はなぜかデメリットが大きすぎる六時間目をチョコの設置時間に選んだ。一体そこにどんな意味があるというのかね?」
「た、確かに不利な事ばっかりで全然意味がないですね……」
安川がそうコメントする。と、ここで国木田が恐る恐ると言う風に言った。
「よ、容疑者になっても逃れられるだけの自信があったとか……」
「いや、それは考えられない。今回はたまたま七人もアリバイがない人間がいたわけだが、普通に考えて授業中にアリバイがない人間なんか大勢いるわけがない。実際には七人もいたわけだが、場合によっては自分以外の全員にアリバイが確定してしまうなんて最悪の状況だって考えられたわけだ。そうなったら、自信も何も推理するまでもなくそいつが犯人という事で確定してしまう。それは犯人にとって致命傷以外の何物でもないはずだ」
「確かに……そう考えれば六時間目にチョコを仕掛けるというのは、犯人にしては少し考えられない行動ですね」
斎藤が思案気にそう言った。
「だから、私は捜査の最中、この疑問を必死に考えていた。犯人が六時間目にチョコを仕掛ける事によって得るメリットとは何なのか、その答えを必死にな」
「それで、答えは出たんですか?」
期待しながら聞く高井戸に対し、榊原はあっさり首を振った。
「いや、残念ながら出なかった。犯人が六時間目にチョコを仕掛けて得られるメリットなんかまったく存在しない」
その言葉に、全員がその場でずっこけそうになる。ここまで引き込んでおいて『何もなかった』と言うのは肩透かしが過ぎる。野塚が吐き捨てるように言った。
「ったく、何なんだよ! 今までの話は全部無駄だったって事か?」
が、その言葉に対し、榊原はさらに首を振った。
「いや、そうじゃない。答えが出ない……むしろそのこと自体が大きなヒントになった」
「は? 意味わかんねぇんだけど」
野塚の言葉に、榊原は淡々とした口調で言った。
「言った通り、六時間目にチョコを仕掛けるという行為に犯人のメリットは存在しない。むしろ容疑者が特定されるなどデメリットばかりだ。にもかかわらず、犯人はあえてこの時間を選んだ。そうなってくると、根本的に考えを変えるしかない」
榊原は、次の爆弾を叩き込みにかかる。
「つまり、そもそも犯人が六時間目にチョコを仕掛けるという行為がデメリットになるという事実を認識していなかったという場合だ」
「……は?」
よくわからない言葉に、誰もが首をかしげる。が、榊原はさらに言葉を続けた。
「根本的な話として、今回六時間目にチョコを仕掛けるという行為が犯人にとってデメリットになってしまっているのは、被害者が五時間目に体育で下駄箱を使用していて、それ以前にチョコを仕掛けていたら五時間目時点で彼はチョコを見つけていなくてはならないという事実があるからだ。だが、逆に言えば、この体育の事さえ考えなければ、別にチョコを仕掛けるのは何時間目でもよいという事になるはずだ」
「え? どういう意味ですか?」
松北が混乱気味に聞く。
「仮に五時間目に体育がなかった場合、被害者はおそらく朝登校してから放課後になるまで下駄箱を使う事はないだろう。つまりこの場合、犯人が何時間目にチョコを仕掛けようが、はっきり言って何の問題にもならない事になる。いつ仕掛けても被害者が放課後にしか下駄箱を使わない以上、そもそもチョコがいつ仕掛けられたのかを判断できないわけだからな。そして、もし犯人が五時間目に被害者が体育である事を知らなかったとすればどうなる?」
「え……あっ!」
茉優が最初にその事実に気付いたようだった。榊原は正解を告げる。
「そう、おそらく犯人が六時間目にチョコを仕掛けたのは何か意味があったわけじゃなく、たまたまその時間都合がよかった程度の理由だったんだろう。犯人の認識では、いつ仕掛けても殺害に支障はないはずだからな。だが、実際は五時間目に体育があって、犯人は容疑者の一人に追い込まれてしまった。要するに、この五時間目の体育は犯人にとって想定外以外の何物でもなかったという事になる。想定していたら容疑者が特定されてしまう六時間目にチョコを仕掛けるなんて事は、心理的にも犯人は絶対しない。なぜなら、犯罪者という者は絶対に無駄な行動はしないからだ。ここから、犯人を絞り込む第一の条件が浮上する事になる」
榊原は鋭くそれを告げた。
「すなわち……犯人は『被害者が五時間目に体育だった事を知らない人物』、という事だ」
その言葉に、容疑者たちはいっせいに息を飲んだ。榊原は間髪入れずに条件を確認していく。
「この条件により、この中にいる何人かが犯人から除外される。まず、被害者と体育が合同で、同じ時間に体育の授業を受けていた高井戸勝人君は、当然被害者が五時間目に体育だという事は知っているからこの条件に不適格。よって犯人ではない。次に、野塚和菜君も被害者と同じクラスである以上、さぼっていたとはいえ自分のクラスの時間割くらいは認識していないとおかしい。そうだね?」
「あ、あぁ。さすがに時間割くらいは知ってるけどよ……」
野塚が目を白黒させながら頷く。
「となれば、今日の五時間目が体育だという事は知っているから、野塚君も犯人ではない事が確定する。さらに、安川先生はそもそも被害者のクラスの担任ですから、当然担当クラスの時間割は把握していないとおかしい。ここから、安川先生も犯人候補から除外していいでしょう」
安川がホッとしたような表情を浮かべる。
「そしてもう一人、小浜君、君はさっきの尋問で、二年生の女子更衣室を覗き見していたという事実を認めたね?」
その言葉に他の六人がざわめく中、小浜はうなだれたように頷いた。
「そうです……でも、自分は本当にそれだけしか……」
「そう、君は二年三組と四組の女性が着替えているところを覗き見していた。つまり、君は彼女たちのクラス……二年三組と四組の体育が五時間目にあった事を知っていた事になるね」
「え……あ、はい、そうです」
小浜は慌ててそう頷いた。ここで榊原は声を張り上げる。
「という事は、彼もまた被害者のクラスである二年四組が五時間目に体育だった事を知っていた事になり、すなわち犯人ではありえない。彼の場合、二年生の女子の覗きをしていたという事実自体が、逆に殺人の犯人ではありえない事を示す明確な証拠になってしまっている事になる。皮肉な話だがね」
小浜が複雑そうな顔をする中、榊原は結論をぶつけた。
「以上により、この条件から高井戸勝人、野塚和菜、小浜幹也、安川則勝の四人は容疑者から除外できる事になる。そして、この時点で残っているのは松北泰助、国木田彩奈、日高茉優の三名。よって、犯人はこの三人の誰かである事が確定する」
そう言われて、除外された四人が安堵の息を吐いたのと同時に、残った三人は全員が緊張した表情を浮かべた。ここへきて、容疑者が一気に半分まで減ってしまったのである。
「だが、逆に言えばここに至ってもまだ三人容疑者が残っている。そこで、ここからさらに容疑者を減らすために、もう一つ別のアプローチからの条件が必要となってくる。その鍵となるのが……凶器である水酸化ナトリウムの入手法だ」
榊原はそう言うと、推理を続行した。
「言ったように、問題の水酸化ナトリウムは化学準備室にあったものが使用されている。だが、ここで問題になるのが、一昨日の放課後の時点で安川先生をはじめとする複数の化学教師が薬品の残量確認を行っていて、この時点では残量に異常がなかったという点だ。さっきの推理から安川先生は犯人ではないから、この証言自体は正しい事になる。ここから、犯人が水酸化ナトリウムを盗んだのはそれ以降である事がはっきりする。では、具体的にいつなのか?」
榊原の推理は止まらない。
「まず、一昨日の残量確認直後という事はあり得ない。残量確認は放課後に行われ、その時点で生徒は全員下校してしまっている。つまり、この日に手に入れるチャンスはない事になる。犯人が生徒である以上は別に夜中に無理やり忍び込む必要はなく、したがって盗んだのは翌日以降と推察される」
榊原はそう言っておきながら、さらにこう続ける。
「一方、事件当日……つまり今日になって盗んだというのもなしだ。何しろ凶器はチョコに混ぜられていたわけで、当然これは調理過程でチョコに水酸化ナトリウムを混入する必要性に迫られる。が、当日に盗んでしまうとチョコへの毒物の混入が不可能になってしまう。なぜなら毒をチョコに混入する以上、毒を盗んでからチョコを作らなくてはならないからだ。まさか学校内で毒入りチョコを堂々と作るわけにもいかないだろうし、この時点で犯人が今日毒物を盗んだ可能性が消滅する。となると、水酸化ナトリウムが盗まれたのは昨日……つまり、二月十三日である事が確定し、ここから第二の条件が浮上する」
すなわち、と榊原は告げた。
「『昨日……二月十三日に化学準備室から水酸化ナトリウムを盗む事ができた人間』。これが第二の条件だ。そして、先程の条件で絞られた三人の容疑者にこれを当てはめると、条件に該当する人間は、たった一人しか該当しない。つまり……その人物こそが、この事件の真犯人だ」
そう言うと、榊原は三人の容疑者のうちある一人を一際厳しい目で睨みつけ、直後にその名を鋭い声で告発した。
「そうだろう? 槙島光太郎君を殺害した真犯人の……国木田彩奈君!」
その瞬間、真犯人……二年一組の国木田彩奈は、その気弱そうな表情のまま、何かに耐えるように肩をピクリと震わせ、怯えるように榊原を見やった。
「君がこのバレンタインを血に染めた、凶悪な毒殺事件の真犯人だ! 反論はあるかね!」
榊原とか弱き毒殺魔の対決の幕が、今切って落とされたのだった……。
「わ……私が……犯人……ですかぁ……」
彩奈は今にも泣きそうな顔をしながらとぎれとぎれにそう言った。他の容疑者たちは、予想外の犯人の指摘に呆気にとられた表情を浮かべている。
「先程の条件に当てはめると、最後に残るは君一人だけだ。もう一度聞くが、反論はあるかね?」
「そ、そんな……納得……できません。何で、私が……」
気弱そうな声ながらも、彼女は犯行を認めていない。榊原は覚悟を決めたように言葉と論理で彼女を攻め落としにかかった。
「五時間目条件から容疑者が君たち三人に限定されたのはさっきも言った通りだが、ここに水酸化ナトリウムの盗難条件を加えると、まず日高茉優君が条件から除外される。なぜなら、彼女は昨日忌引きで学校を欠席して横須賀にいたからだ。そうだね?」
「そ、そうです! 帰宅は深夜でしたし、家族や親戚に確認してもらったらアリバイは証明できます」
茉優は慌てたようにそう言った。
「学校を欠席して横須賀にいた人間が校内にある水酸化ナトリウムを盗むなんて物理的に不可能だ。従って、彼女は犯人ではありえない。これで容疑者は二人」
そう言うと、榊原は次いで松北の方を見やった。
「次に松北君だが、彼も昨日一日学校を欠席している。安川先生、そうですね?」
「え、えぇ……確認したら確かにそうでした。体調不良とか何とかで……」
榊原の問いに安川が頷く。
「実際は、被害者からのいじめに疲れ果てて街をうろうろしていたようだが、少なくとも彼が学内にいなかった事は間違いない。外にいる人間が学内に入るには正門か裏門を使うしかないが、裏門は近くに職員室があって誰かが入ればすぐに気付く構図になっているし、正門なんて目立つところから入るのは論外だ。また、仮に入れたとしても何かの間違いで自分の知り合いに出会ってしまったら、休んでいる人間がいる事になってしまうから逆に怪しまれてしまう。これなら最初から休まずに登校していた方がまだましだ。それをしなかった時点で、松北君が犯人である可能性は消滅する。この時点で残ったのは一人……君だけだ!」
「そ……そんな……」
彩奈は目を潤ませながらか細い声を出す。が、榊原は一切容赦しない。
「君は二年一組で当然二年四組の時間割を知らない。また、他の二人と違って昨日は学校に来ているはずだ。昨日も貧血で倒れて昼から保健室にいたという話をしていたはずだからな。要するに、第一と第二の条件の双方が該当しているのは君だけだという事だ」
「い……言い掛かりです。私だって、四組の時間割くらい……」
「じゃあ、被害者が今日の三時間目に受けていた教科は何だね?」
「あ……えっと……」
彩奈は口ごもってしまう。正解は数学Ⅱなのだが、答えられそうな気配はなかった。
「どうやら、やはり知らないようだな」
「で、でも……それだけで私が犯人だなんて乱暴すぎます……。消去法ではそうかもしれませんけど、何も物的な証拠がないじゃないですか……。その程度で逮捕なんてできるんですか?」
彩奈は必死に反論を続ける。
「それに……私はどうやって水酸化ナトリウムを盗んだっていうんですか……。科学部員でもないのに、化学準備室の薬品棚から水酸化ナトリウムを盗むなんて無理です……。その辺はどうなっているんですかぁ……」
だが、榊原もその反論は想定内のようだった。
「そんなものは合鍵でも作ればいいだけだ」
「簡単に……言わないでください……。化学準備室の鍵は職員室で厳重に管理されているはずじゃないですかぁ……。先生の目を盗んで合鍵を作るなんて……」
「確かに受付で鍵を借りた後はかなり厳重のようだな。だが、借りる前……つまり、鍵を選んでいる時点ではどうだ?」
「え……?」
「君は図書委員で、同じく職員室に図書室の鍵を借りに行くそうだな。だったら、図書室の鍵を借りるふりをしてこっそり化学準備室と薬品棚の鍵の型を粘土なりでとってすぐに戻し、そのまま何食わぬ顔で図書室の鍵を持って受付に行けば……その粘土の型から化学準備室と薬品棚の合鍵を作る事は容易いはずだ。受付の先生も、鍵を選んでいるところまで監視しているわけじゃない。違うかね?」
「えっと……その……」
あっさり論破されて、彩奈は何も言えなくなった。
「大方、数日前にこっそり型を取って、その鍵を使って昨日水酸化ナトリウムを盗んだといったところだろう。で、帰宅後にそれを混ぜて毒チョコを作り、六時間目に保健室に行く途中でそれを被害者の下駄箱に入れた……。まぁ、そんなところか」
「ま……待ってください! そんな……想像だけで私を犯人扱いだなんて……」
彩奈は泣きじゃくるようにそう言うが、榊原は容赦なかった。
「想像ね……。では、君は今の推理を否定するという事かね?」
「も、もちろんです! 私は……人殺しじゃありません……」
「そうか。では、具体的な証拠を挙げていこうか」
「え?」
思わずそんな声を上げた彩奈をじろりと見ながら榊原は言う。
「何を驚いている。そんなものがあるはずがないとでも思ったのかね?」
「そ……そんなんじゃありません。少しびっくりしただけで……でも、証拠なんてどこにあったんですか……?」
榊原のあからさまな挑発に、彩奈は少し詰まりながらも言い返した。だが、榊原は静かに彩奈を追い詰めにかかる。
「この事件、確かに証拠は限りなく少ないが、それでも致命的な証拠がいくつか存在する。その中でもまず、私が注目したのは、毒チョコの入っていた箱だ」
「箱って……何でそんなものを……」
「気になったのはそのサイズだ。二十センチ×二十センチとかなり大きい。では、なぜ犯人はわざわざこんな大きな箱を使ったのか? 君はどう思うね?」
「……たまたまじゃないですか……」
その言葉に榊原は首を振った。
「さっきも言ったが、計画的に犯行を行う殺人犯は無駄な事は絶対にしない。捕まったら人生が終わるから、その犯行には文字通り命を賭ける。そんな犯人が、意味もなく箱を大きくするとは思えない。箱を大きくしたらその分作らなければならない毒チョコの量も増えてしまうんだからな」
「だったら……」
なおも何か言おうとする彩奈の言葉にかぶせるように榊原は鋭く告げる。
「私はこれには理由が二つあると思っている。一つは、被害者にできる限りその場で食べさせないため。これだけ大きな箱のチョコだとおそらく下駄箱ではなく家で食べる人が多いはず。そうなれば、チョコの入手経路や毒物の混入時期の特定はより難しくなり、自分に容疑がかかりリスクを少しでも減らす事ができる。まぁ、これについては何の気まぐれか被害者がその場で食べてしまった事で失敗に終わっているわけだがな」
そう言って一度息を整えると、榊原は言葉を続けた。
「そして二つ目の理由。それは、自分がチョコを持っていないという事をアピールするためだ。このサイズだとポケットに入れてチョコを持ち出す事はまず不可能だ。となれば、教室を出たときにチョコを持っていなかったという事実から、このチョコの箱の大きさを盾にして自分の犯行を否定できるという寸法だ。おそらく、君は六時間目に教室を出たときにチョコの箱は持っていなかったはず。違うかね?」
「そ……そうです……私……保健室に行ったから荷物なんか持っていません……だから、私は毒チョコなんかしかけていない……」
「そう、君は六時間目に教室からチョコを持ち出していない。ならば、どこにチョコを隠したのか!」
鋭くそう言って、榊原は切りこんだ。
「生半可な場所に隠して見つかってしまっては話にならない。また、あまりに離れた場所に置いていた場合、保健室に行くのが遅れていくらなんでも不自然になってしまう。よって条件は、昇降口近くにあって君以外に誰も見ないであろう場所」
「そんな場所が……あるわけが……」
「例えば、君の下駄箱だ」
榊原は彩奈の言葉を遮るように言う。榊原はさっきから会話のペースをわざと崩すことで、彩奈にこの場の主導権を握られないようにしていた。傍らで聞いている瑞穂にはそれが痛いほどわかる、この手の涙などで同情を誘ってくる相手は、相手に主導権を握られた時点で負けなのである。それがわかっているからこそ、榊原は相手の発言を遮るような口調で推理を続けていた。
「ここの昇降口の下駄箱は扉がついているものだ。なら、扉を閉めてしまえば他人の下駄箱の中を見ようなんて物好きはまずいない。まぁ、バレンタインデーだから男子の下駄箱にチョコを入れる女子がいるかもしれないが、君は女子だからこの点でも問題はないだろうし、万が一誰かが開けてもそれこそバレンタインという事でごまかせる。登校した時にこっそり自分の下駄箱にチョコを入れておいて、六時間目に教室を抜け出た後で取り出して被害者の下駄箱に入れる。簡単な話だ」
「そ……そんなの、ただの妄想……」
「残念ながらこれに関しての証明は簡単だ。下駄箱は本来靴を入れる場所だ。という事は、当然その靴に付着している土や泥が下駄箱にも落ちているはず。人によって歩く場所は違ってくるから、そうなれば下駄箱の中にある土塊の成分などは千差万別になるはずだ」
「それが何か……」
「聞くが、チョコを下駄箱から取り出して被害者の下駄箱に入れたとき、自分の下駄箱でついた土塊や埃を完全に払い落とした自信はあるかね?」
その言葉に、彩奈はハッとした表情を浮かべた。
「さすがに指紋はつけないように注意していたと思う。この季節だから手袋でもしていれば問題ないし、それを不審に思う人間はいない。だが、それゆえに包装紙についた汚れを落とすという作業を怠ったのではないかね?」
「それは……」
「現場に残されていた箱を詳しく調べてみようか。そこに君の下駄箱のものと同一成分の土塊や埃が見つかれば、その箱が君の下駄箱にあった……つまり、あのチョコが君から送られたという事が明確になるはずだ。どうするね?」
だが、彩奈は唇を噛み締めながらこう反論した。
「で、でも……そんなの、たまたまそうなるって事もないわけじゃないですか……指紋みたいに絶対ってわけじゃないし……それに同じ地面を歩いた人だって多いだろうし……」
「確かにそうだ。だが、君を追い詰める証拠の一つにはなる。それに、話はまだ終わっていない。これはあくまで証拠の一つだ。チョコではないが、この次の証拠が本命になる」
「え?」
戸惑う彩奈に対し、榊原はさらに推理を続行して、彼女にとどめを刺しにかかった。
「被害者を死に至らしめた問題の毒入りチョコだが、さっきも言ったようにこれは犯人自身が自作したものだろう。おそらくチョコを作るときに盗んだ水酸化ナトリウムを投入して混ぜ合わせたといったところか。だが、そうなるとどうしても残ってしまう致命的な証拠がある」
「そんなの……あるわけが……」
彩奈が顔を青くしながらも何か反論しようとするが、榊原はそれを許さなかった。
「言った通り、作っているのは毒入りのチョコだ。そうなれば当然チョコは毒で汚染されてしまうが……それは、そのチョコ作成に使っているボウルや鍋など調理器具も同じ状況になるはずではないかね?」
「っ!」
その瞬間、彩奈の肩が大きく震えた。それを見逃す事無く、榊原が鋭く追及しにかかる。
「毒入りチョコを作っている以上は調理器具も当然その毒に接触する事になる。考えてみればこれは当たり前の話だが、問題はこの後に発生する。毒入りチョコそのものは凶器として利用するからまだいい。だが、その毒入りチョコを作った調理器具を果たして今まで通り何食わぬ顔で使い続ける事はできるだろうか?」
「えっと……無理じゃないですか? いくら洗浄しても毒が残っているかどうか不安が残るだろうし、万が一それで自分が死んじゃったら話にならないだろうし……」
彩奈の代わりに瑞穂が答える。確かに、一度毒を混入してしまった以上、どれだけ徹底的に洗浄したところでそれを使おうという気は絶対に起こらないだろう。例えるならば、化学の実験で散々使ったビーカーを最新科学の力で徹底的に洗浄したとして、そのビーカーでコーヒーを飲めるかという話だ。いくら絶対安全と言われても人間の心理的に絶対に飲めるはずがない。
「それまで家にあった調理器具を使ったのか、あるいはこのためだけに新たな調理器具を購入したのかまではわからない。ただ、確実なのは一度毒入りチョコを作るために使ってしまった以上、それらの調理器具は二度と使用するわけにはいかないという事だ。とするなら、犯人はその調理器具をどうするか?」
「普通は……処分すると思います。持っていても下手な証拠になるだけだし」
瑞穂が答えを言うと、彩奈の肩がさらに大きく震えた。
「そう。だが、水酸化ナトリウムを盗んだのは昨日だから、作成したのも当然昨日。そうなると……今日この時点で、その調理器具を捨てられているのかがいささか怪しくなってくる。ものが調理器具だから普通ゴミで出すわけにもいかないし、万が一にも証拠につながりかねない物品だからその辺に違法投棄をするわけにもいかない。出せるとすればその他ゴミの日となってくるが……」
そこで榊原は瑞穂に顔を向けた。そこで瑞穂は納得したように頷いた。
「そっか、このための調査だったんだ……」
「あぁ。さっき、瑞穂ちゃんから聞いた話だと、大田区内にあるごみ収集においてその他ゴミの回収は明日になっていた。彼女の自宅は同じ大田区内だから、ごみの収集もこのスケジュールと見て間違いはない。おそらく、彼女の予想では少なくとも今日中に容疑者が特定される可能性は少なく、家に帰ってから明日までの間にゴミとしてそれらの調理器具を出せればいいと思っていたんだろう。だが、意に反して事件から数時間で容疑者は七人まで絞られ、結果彼女はまだ家に帰宅できていない。となれば……致命的な証拠がまだ自宅に残っているはずだ」
そう言うと、榊原は鋭く叫んだ。
「おそらく彼女の家には、ごみ袋か何かに入った大量の調理器具が今もまだあるはずだ。素人のやる事だから完全な洗浄なんかできていないだろう。その調理器具や、それらを洗浄したキッチンの流し台を調べれば、犯行に使用した水酸化ナトリウムやチョコの痕跡が見つかるはずだ。その成分が犯行に使われた毒チョコのものと一致したら……もう言い逃れはできないぞ!」
そう言われて、彩奈の表情は絶望的なものになった。それは、榊原の指摘が的を射ている事の何よりもの証明になった。
「さぁ、どうするかね! この状況なら裁判所も家宅捜索令状を出すだろうし、捜索が終了するまで君の身体拘束を行う事も可能だ。このまま証拠が出るまで黙りつづけるか、まだ自分の犯行を否定して私との論戦を続けるか、それとも潔く罪を告白するか……今ここで選びたまえ!」
それが榊原による最後通告だった。そう言われて、彩奈は一瞬助けを求めるように周囲を見回したが、どうする事もできないと悟ったのか今にも泣きそうになりながら大きく体を震わせ続け……そして、一分ほどして声を震わせながら一言呟いた。
「…………ごめん……なさい……」
その瞬間、榊原は大きく息を吐き、その他の面々は、この呆気ない結末に何も言えずにいるしかなかったのだった……。