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第四章「検証」

 最後に思わぬ飛び入りがあったが、こうしてひとまずすべての関係者の尋問が終わった。面談室の中で、斎藤と榊原は大きく息を吐いていた。

「どうでした?」

「まぁ、それなりの収穫はあった。後は、この情報をどうやって組み立てるかだが……一つはっきりしなかったところがあったな」

「えぇ。小浜の件ですね」

 結局、なぜ小浜が昇降口にいたのか、最後まで小浜はそれを話す事を拒否したのである。

「あの調子では本人が話すとは思えない。こっちで調べる必要はあるが……」

「本当に所持品検査の令状を取りましょうか? 何かを隠しているのは間違いないようですが」

「いや、できるところまではやるべきだろう。下手に強硬策に出ると向こうがますます委縮してしまう」

 そう言いながら榊原は考察を続けた。

「前提条件を確認しよう。まず、小浜は六時間目開始後五分経ったところで教室に戻ってきている。時間は午後二時半だ。斎藤、確認するが、小浜は五時間目の授業にはずっといたんだな?」

 それに対して斎藤は頷いた。

「一年五組の五時間目は現代社会だったそうですが、担当教師に聞いたところ、授業中に教室を抜けた生徒は誰もいなかったという事です」

「なら、小浜も五時間目終了までいたと考えるべきだろう。五時間目終了は午後二時十五分で、そこから十分の休み時間を挟んで午後二時二十五分から六時間目開始。つまり、二時十五分から二時半までの十五分間における小浜の行動が焦点となってくる」

「十五分ですか……何をしていたんでしょうね。さっき考えたみたいに毒入りチョコをセットしていたとか?」

「いや、その時間の昇降口はまさに体育の時間を終えた被害者たち二年三組と四組の生徒たちがやってきているはず。チョコを仕掛けるのはあくまで六時間目に突入してからだ。休み時間に仕掛けるのは無理だろう」

「つまり、わざと五分遅れてチョコをセットした?」

「その可能性もないとは言わないが……どうもしっくりこない。そんな事をしたら怪しまれるのは目に見えていたはずだ。にもかかわらずそのリスクを冒す理由がわからない」

「では、榊原さんはどう考えますか?」

「……あくまで想像だが、小浜は休み時間中に何かをしていたんだと思う。ところが、そこで何かアクシデントが発生して、授業に間に合わなくなった」

「確かに筋は通りますが、その『何か』が問題ですね」

「あぁ。その休み時間にかかわる何かだとは思うが」

「休み時間に起こっている事ですか。例えば次の授業の予習とか、あるいは教室移動とかですかね」

「まぁ、確かにそのくらいしかないだろうが……」

 と、ここで不意に榊原が何事か考え込んだ。

「待てよ……。そういう事ならあれもあるか……」

「何ですか?」

「確認だが、被害者のいた二年三組と四組は五時間目体育だったんだな?」

「えぇ、そうです」

「体育という事は、当然、体操服なわけだ」

「まぁ、そうなりますね」

「じゃあ、その体操服への着替えはいつやる?」

 その言葉に、斎藤の表情が厳しくなった。

「それは……普通は休憩時間にやるでしょうね」

「体育の時の着替え場所はどうなっているんだ? 当たり前だが、男女一緒に着替えさせるわけにもいかないだろう」

「聞いた話だと、男子は自分の教室。女子は体育館にある更衣室で着替える事になっているみたいです」

「体育館、ね」

 榊原は意味深な表情を浮かべた。それで、斎藤も榊原が何を考えているのかわかったようだ。

「榊原さん、まさか小浜は……」

「確かめるしかなさそうだ」

 二人は同時に席を立ったのだった。


 体育館は昇降口を出て正面にある校庭の右手にある。女子更衣室は、体育館に入ってすぐ横にある部屋だった。

 だが、榊原は部屋に入るのではなく、体育館の外側を回って女子更衣室のある辺りへと向かっていた。そこにはすりガラスの窓があり、さらに部屋の内側からカーテンがかけられている。

「これが女子更衣室の窓だな」

 そう言いながらも、榊原は周囲を観察している。すでに午後六時を回って周囲も薄暗くなり始めているが、案の定、普段人が来なさそうな場所であるにもかかわらず、なぜか地面が踏み荒らされたような跡があった。それどころか、問題のすりガラスをじっと観察してみると、見過ごせない点があったのである。

「これは……随分あからさまだな」

 すりガラスの一番隅のわかりにくい場所。そこに直径五ミリメートルほどの小さな穴が気付かれないように空いていたのである。それだけで、この場で何が行われていたのか、榊原には手に取るようにわかった。

「覗きか……」

 榊原がそう呟くと同時に、向こうから斎藤がやってきた。体育館の体育教官室にいる体育教師の話を聞きに行っていたのである。

「どうですか?」

「当たりだ。ばっちり証拠が残ってる。そっちは?」

「こちらも当たりですね。問題の五時間目と六時間目の休憩時間中、着替えていた二年三組と四組の女生徒の一部が騒いでいました。更衣室の窓の外に人影が見えたような気がすると。それで、六時間目になるまで教師が体育館の周りを一応見回ったそうです。もっとも、六時間目もあるので、チャイムが鳴ると同時に見回りは終了したそうですが」

「初めて聞く話だな」

「殺人事件のインパクトが大きすぎて、みんなすっかり忘れていたみたいです。それに、見回っても誰もいなかったので、最後は見間違いじゃないかという雰囲気になったようで」

「つまり、隠れたという事か。隠れるような場所は……」

 辺りを見回していた榊原の視線がある一ヶ所で止まる。そこには、体育館裏手にある備品倉庫があった。

「あの中は?」

「鍵がかかっているので調べなかったと」

「確かに鍵はかかっているようだが……」

 そう言いながら、榊原は倉庫の上を見やる。そこには「野球部備品庫」の文字がしっかり書かれていた。

「鑑識はまだ残っているな。だったら、少し調べてほしい事がある」

「もちろんです」

 榊原と斎藤は、厳しい表情でそう言った。


「女子更衣室の覗きとは感心しないな」

 それから三十分後、再び面談室に呼ばれた小浜に対し、榊原はそんな言葉をぶつけていた。突然の言葉に、小浜は一瞬何も反応できずにいたようだったが、たちまち血相を変えて反論しにかかった。

「な、何を言って……」

「とぼけても無駄だ。ちゃんと調べた」

 榊原がそう言うと、斎藤が後を続けた。

「女子更衣室の外からいくつも足跡が採取された。それが君の下駄箱にあった外靴の足跡のものと一致した。それに指紋もだ。窓ガラスのそばの体育館の外壁に君の指紋がべったり付着していたよ。君が女子更衣室の窓ガラスの外にいた事は物証的にも証明されている」

「状況から考えて、おそらく光ファイバーか何かのケーブルを窓ガラスに開けた穴から中に入れて覗き見していたんだろう。高校生の覗きにしては随分金をかけているな。もっとも、金をかけるところを間違えているとしか思えないが」

 榊原が少し皮肉を込めて言う。小浜は口をパクパクさせて堪えられないでいた。

「君は五時間目終了後すぐにあの場所に行き、同じ頃に更衣室で着替えていた二年三組と四組の女子を標的に覗きをしていた。ところが着替えていた女子が外に誰かいるのに気づき、君は慌てて隠れざるを得なくなった。しばらく体育の先生が見回っていたので動くに動けず、結局授業が始まって先生がいなくなったことで初めて君はあの場から脱出する事ができた。だから、君は授業に五分遅れる事になった。違うかね?」

「い、言い掛かりです。大体、どこに隠れたって言うんですか!」

「どこも何も、体育館裏にある野球部の備品庫だろう。鍵はかかっていたようだが、そもそも君は野球部員の一年生だ。備品を片付ける時に鍵を使う事があるはずだし、その時に鍵の型を取って合鍵を作るくらいはできるはずだ」

 榊原は難なくそう答える。

「もっとも、そんな事をしなくても所持品を調べれば一発だがな。君が所持品検査を拒否したのはこれが理由だろう? 多分君の荷物の中に、覗きに使った光ファイバーケーブルや備品庫の合鍵が見つかるはずだ。さっきも言ったが、この状況なら令状は確実に出る。それまで待つか、それともこの場で自分から見せるか、どっちがいいかね?」

 榊原にそう言われて、小浜はしばらくわなわなと体を震わせていたが、やがて力なくガクリと肩を落とした。

「出来心……だったんです」

「出来心にしては用意周到すぎるだろう。おそらく常習犯だと思うが、その辺はどうだね?」

「……その通りです」

 小浜はあっさりと認めた。榊原は厳しい表情で問い詰める。

「いつからだ?」

「……二学期に入ってからすぐくらいからです。我慢、できなくなって……」

「高校球児が聞いて呆れるな。下手をしたらチーム全体が大会出場禁止になってもおかしくないところだぞ」

「わかっています。でも、やめられなくて……」

 そこには、さっきまではきはきと答えていた球児としての小浜の姿はなかった。

「さっき私が推理した通りなのか?」

「はい……。五時間目に二年生の三・四組が体育だって事は知っていたから、五時間目が終わってトイレに行くふりをして更衣室の所に行ったんです。でも、気付かれて……慌てて備品庫に隠れました」

「そして、六時間目になってから脱出して教室に戻った?」

「そうです。だから、あの時自分は昇降口にいたんです。でも……」

 そこで小浜は声を張り上げた。

「でも自分はやっていない! 確かに覗きはしたけど、槙島先輩を殺してなんかいない!」

 だが、この訴えに斎藤は首を振った。

「どうかな。六時間目になってからの五分の間に毒入りチョコを被害者の下駄箱に入れるチャンスがあったのは事実だ。それを否定する証拠はまだ出ていない。それに、嘘をついた君の証言を簡単に信じるわけにいかないのも事実だ」

「そんな……これは本当なのに……」

 そう言ってうなだれる小浜を、榊原と斎藤は黙って見つめていたのだった。


「小浜の荷物から、榊原さんの言うように光ファイバー式のチューブカメラと備品庫の合鍵が見つかりました。覗きの一件に関して小浜は間違いなくクロですね」

 小浜の尋問から数分後、面談室で斎藤はそう榊原に報告していた。時刻は午後七時に近づいている。容疑者たちを引き留められるのはせいぜい八時か九時頃までで、時間はあまり残されていない。

「だが、根本的な話は解決していない。問題は、誰が被害者の下駄箱に毒チョコを仕込んだのかだ」

「絞り込むのが難しすぎますね。これが準備に五分かかるような犯行ならまだ何とかなりますが、この犯行はチョコを置くだけですから十秒でも隙があれば実現できてしまう。秒単位でアリバイを確定させるのは事実上不可能です」

 斎藤は、そう言ってからジッと榊原を見た。

「榊原さん、改めて聞きますが、あなたはどう考えているんですか? あの七人の中に、怪しい人間はいなかったんですか?」

 その問いに対し、榊原はしばらく黙り込んだ後、ポツリとこう言った。

「……一応一人、怪しいのではないかという人間はいる」

 その言葉に、斎藤はピクリと眉を上げた。

「本当ですか?」

「あぁ。だが、これは現時点では、今までの証言を聞いた上で消去法から怪しいと判断しているだけだ。十中八九、そいつが犯人だろうという事を私は確信しているが、追い詰めるには材料が少なすぎる。残念だが、この状況では推理をぶつけてもそいつを追い詰める事はできないだろう。むしろ警戒されて取り返しがつかない事になりかねない」

 それでも、この状況で容疑者を絞り込めているだけでも相当なものである。斎藤は改めて榊原の推理力が恐ろしくなった。

「誰なんですか、そいつは?」

「……悪いが、現段階ではまだ言えない。あと少し、何か決め手がいる」

 榊原は厳しい表情でそう言った。しばらくその場を沈黙が支配する。

 と、その時部屋がノックされて誰かが入ってきた。

「失礼します」

 新庄だった。斎藤と榊原が顔を上げる。

「戻ったか。で、どうだった?」

「ひとまず、あの七人に関して調べられる限りの事は調べました。これが役に立つかは未知数ですが……」

 と、そこへ新庄の後ろからさらに人影が入ってきた。それは、被害者について調べていた竹村警部補だった。

「一通り調べてきましたよ。なかなか大変でした」

 さらにその後ろから、二人に比べて小柄な影……榊原に何事かを頼まれていた瑞穂が顔を見せる。

「先生、言われた通りやってきましたぁ」

 ひとまず三人には部屋に入ってもらい、ここで改めて情報交換という形になった。最初に被害者について調べていた竹村が報告を始める。

「被害者の女性関係ですが、こいつは相当なたらしですよ。高校入学後の二年間だけで五人の女子生徒と交際しては別れてを繰り返しています。それだけに恨んでいる人間も多かったようですね」

「外面と内面は違うって事だな。まぁ、いじめを主導していた時点で世間一般に知られているような人柄だけじゃないっていうのはわかっていたが……」

 斎藤がそうコメントする。

「その五人の女子生徒からも話を聞いてきましたが、評判は散々ですね。おまけにそのうちの一人は自殺未遂までやって他校に転校しています。何でも、この学校の自転車置き場の自分の自転車の前で手首を切ったそうです」

「自殺未遂って……よくそれで問題にならなかったな」

「それですが、学校側がもみ消した気配が濃厚です。問題の自殺未遂が起こったのは半年前……つまり、昨年の夏の甲子園の地方大会の時期。ちょうど、弱小野球部だった共栄高校が被害者の活躍でベスト4にまで上り詰めようとしていた時期です」

「なるほど……そんなところでエースピッチャーの不祥事が出たら、せっかくの快挙が台無しになるかもしれなかったという事か」

「ちなみに、槙島の担任教師の安川はこのもみ消し工作にかかわった疑惑があります。他の教師の話を聞く限り、こいつは事なかれ主義の権化みたいなやつで、あまり評価はよくありませんね」

「そうか……」

 竹村の言葉に斎藤が考え込む。と、ここで榊原が竹村に尋ねた。

「その自殺未遂をした生徒の名前は?」

「やっぱりそこが気になりますよね? もちろん調べました。名前は木鳩恵麻。現在は母方の実家がある北海道旭川市の高校に通っています。チアリーディング部の一年生で、その縁で槙島と知り合ったという事です。彼女自身が本件にかかわっている可能性は低いと思いますが……毒殺ですからその辺は何とも言えません」

 ただ、と竹村は言い添えた。

「その木鳩という女生徒ですが、この高校に通っていた当時のクラスは一年二組です。それだけが少し気になりますが……」

「一年二組……松北泰助と日高茉優と同じクラスだな。この二人と関係はあったのか?」

 この質問には容疑者を調べていた新庄が答えた。

「竹村からこの話を聞いて探りを入れたところ、日高茉優の方につながりがありました。日高茉優と木鳩恵麻は北場中学という同じ公立中学出身で、しかも中学時代は同じ部活の所属です。文学同好会とかいう同好会だったそうですが……。ただ、高校入学後に両者が別の部活に入って以降、同じクラスとはいえ表立っては特に話すような事はなかったというのがクラスメイトの弁です」

 ちなみに、と新庄は言い添えた。

「その日高茉優と木鳩恵麻のいた北場中学校ですが、もう一人関係者の中に出身者がいました。二年一組の図書委員・国木田彩奈が同じ中学の出身です。ただ、北場中学校はこの共栄高校と同じ大田区内で、近い場所にあるという理由からここを進学先にする人間が多いらしく、単に同じ中学だからと言ってそれが共通項になるかどうかはわかりません」

「何にせよ、国木田彩奈は日高茉優の中学時代の先輩になるわけか」

 榊原は少し考え込んだ。と、ここで竹村が口を挟む。

「それと、被害者の事を調べているうちに、少しきな臭い噂を耳にしました」

「と言うと?」

「今から二週間ほど前、この学校の近くの路上で一人の老人が倒れているのを通行人が発見。病院に搬送されたものの死亡したという事件が起こっています。死亡したのは黒野豊子という六十五歳の老婦人。変死なので司法解剖が行われたんですが、結果、死因が自転車による轢き逃げである事が判明しました。犯人はまだ見つかっていません」

「自転車の轢き逃げ、ですか?」

 あまり聞かない犯罪に瑞穂が戸惑ったように聞く。が、榊原がこれに答えた。

「免許なしで気軽に乗れるから忘れがちだが、自転車だって立派な車両だ。ある程度の速度で走る自転車が老人や子供みたいなか弱い人間とぶつかれば、時として死亡事故が発生する可能性はある。実際、それで自転車を運転していた未成年者が逮捕される事件も今までに何度か発生している」

「事故で人が死ねば刑法上の罰則が適用されるのはもちろん、ひどい場合は数千万円の民事賠償金の支払いも請求される。そういう意味では通常の自動車による交通事故となんら変わりない。自転車も運転する際は自動車同様の注意が必要な乗り物だって事だ」

 竹村が補足するように言う。と、斎藤がその先を促した。

「で、その轢き逃げ事件がどうした?」

「それなんですがね、轢き逃げって事が判明して所轄署が周囲への聞き込みをやったらしいんですが、そしたら事故当時に現場から走り去る怪しい自転車を目撃したっていう証言がいくつも出てきたんです。で、その証言によると、問題の自転車には野球帽をかぶった若い男が乗っていて、しかも前のかごに『共栄高校野球部』を書かれたバッグが積まれていたとか」

 その言葉に、斎藤が反応する。

「つまり、問題の老婦人を轢き逃げした犯人が、共栄高校野球部の誰かである可能性があるわけか。事件関係者の中で可能性があるのは、被害者の槙島光太郎と、一年生の小浜幹也の二人だけだが……」

「いや、元野球部の高井戸勝人もバッグと帽子そのものはまだ持っているだろう。可能性を捨てるわけにはいかない」

 榊原がそう付け足す。と、そこで新庄がこう発言した。

「ところが、その三人のうち自転車通学をしているのは槙島光太郎だけです。高井戸勝人と小浜幹也は自宅が遠く、双方ともに電車通学をしています。しかもさらに調べた結果、槙島は事件の三日後に自転車を修理に出している事が判明しました。自転車が壊れたと不満げに言っていたのを何人かの野球部員が聞いています」

「それは……かなり怪しいな」

 斎藤がそうコメントする。

「もっとも、現段階ではあくまで疑惑に過ぎません。ただ……この亡くなった黒野豊子という老婦人ですが、元中学の教師で、事故当時は保護司を務めていたそうです」

「保護司って……元受刑者とか非行少年とかの更生を担当する人の事ですよね?」

 瑞穂が確認するように尋ねると、榊原が頷いた。

「あぁ。一応国家公務員になるが、無給だから実質ボランティアの形に近い。基本的には元教師みたいな人間がやる事が多いそうだ」

「彼女は保護司としては有能で、何人もの非行少年を更生させてきた実績を持っています。で、彼女の担当してきた非行少年のデータを確認したんですが……その中に『野塚和菜』の名前が確認できました」

 その言葉に、榊原の表情が険しくなった。

「そう言えば、野塚は中学時代に深夜徘徊で何度か補導されていたな。もしかしてその縁で?」

「そのようです。そもそも残された親族の話によれば、黒野豊子が事故当時現場にいたのは、この高校に通っている野塚和菜に会いに行くためだったのではないかという事です。もっとも、当の野塚本人がこれを知っているかどうかはわかりませんが……」

「槙島が起こしたかもしれない事故の被害者が、野塚和菜とつながりがあった……という事か」

 何だか、聞けば聞くほど人間関係が複雑になっていく気分である。

「俺からは以上です。後は新庄から」

 竹村がそう言って後ろに下がる。だが、新庄の表情は芳しくなかった。

「容疑者七名に関する情報を集めましたが、正直、竹村の報告と似たり寄ったりですね。七人の容疑者の間にも、同じクラスや部活だったとか担任だったとかなど必然的なものを除いてほぼ繋がりらしいものはありません。はっきり言って、共犯の線は限りなく薄いと思います」

「その辺は尋問で本人たちが言っていた通りって事か。で、個別にはどうだ?」

「順を追って説明すると、まず高井戸勝人は両親との二人暮らしで、父親は元プロ野球選手ですね。もっとも、一年目に三回ほどピッチャーとして投げて以降は二軍暮らしで、五年ほどしてあっさり辞めてからは実業団野球の監督をしているそうです。それだけに息子の高井戸は期待されていたそうですが、彼が入ったのは当時弱小だったこの共栄高校で、しかも結局野球部を辞めてしまったものだから、両親からの風当たりは強かったようです。もっとも、将棋部では腕があったのかなかなかの成績を残しているようですが、プロ棋士になる事は考えていないようですね。ちなみに将棋部内では彼の経歴……つまり槙島にピッチャーの座を追われた事に同情している人間が多いらしくって、元ピッチャーの割に威張ったところがないとかで結構評判はいいようです」

「槙島との関係に関しては?」

「部を辞めてからは没交渉と言うのは本当みたいですね。本人も将棋に熱中していて野球に執着はないみたいです。ただ、それだけに辞める前まではかなり言い合いをしていたのは事実のようです。これは複数の生徒が証言しています」

「そうか……。では、国木田彩奈は?」

「彼女はクラスでもおとなしい生徒だという認識です。要するに文学少女タイプですか。暇さえあれば色々な本を読んでいる事が多いらしいですが、そういう性格なので友人は少ないらしいです。一年生の頃半年ほど保健室登校をしていた事もありました。家族は父親一人の父子家庭で、母親は彼女が小さい頃に病死。その父親は自宅のある大田区の区役所勤務で、遅くに帰ってくる事が多いらしいですね。で、被害者との関係ですが……事件の一週間前に図書室に被害者と別の女生徒が一緒にやってきたのをカウンターからジッと見ていたという証言が得られました」

 この言葉に瑞穂が首をかしげる。

「図書委員だから図書館内の人間を見るのは当たり前じゃないんですか?」

「普通はそうだ。だが、その何日か前にも被害者は図書館に来ていて、この時受付カウンターにいた彼女にこっそり何か紙きれを渡すのを見た生徒がいるんだ。その紙には何か書かれていたみたいで、それを読んだ被害者の顔が真っ赤になったのをその生徒が見ていた」

「それって……ラブレターか何かですかね?」

 瑞穂の問いに新庄は頷いた。

「被害者は女性を口説くときにそういう手段をとる事が多かったという情報もある。その可能性は高い」

「で、その翌日に別の女性を図書室に連れ込みか。それはこじれる事になるかもしれないな」

 竹村がため息をつきながら言った。一方の斎藤は厳しい表情だ。

「少なくとも、そんな話はさっき出ていなかった。後で確認する必要はあるな。ちなみに、その被害者と一緒にいたという女生徒は?」

「貝原創子という二年二組の生徒ですね。話では、被害者とは一ヶ月ほど前から付き合いがあった様子です。被害者が死んだと聞いて呆然自失状態でしたが」

 そうこうしているうちに、新庄は三人目の野塚和菜の情報へと移っていった。

「野塚和菜は中学の頃から補導歴があります。両親は完全に放任主義で、はっきり言って家庭としてはすでに終わっていますね。ちなみに、問題の自転車事故で死んだ黒野豊子はこの頃に彼女と知り合っています。近い人間の話だと、彼女も豊子のいう事だけは素直に聞いていたようです」

「学校での態度は?」

「入学直後は豊子の言葉もあったためかそれなりにおとなしくしていたようですが、昨年四月頃に二度目の深夜徘徊による補導を受けてからまたひどくなったようですね。今はさぼり、遅刻の常連で、豊子も嘆いていたというのが近所の人間の証言です」

「槙島とのかかわりは?」

「これについては今のところ確認されていません。知らない、と言うのは本当なのかもしれませんね。というより、むしろ槙島の方が彼女を避けていた節があります。いくら女たらしの被害者でも、学校一の不良少女と付き合うのはエースピッチャーとしての世間体的にまずいんでしょう。今年になって同じクラスになったのをぼやいていたと何人かの野球部員が証言していますしね」

「そうか……」

 どうも彼女については情報が曖昧である。次いで、話は一年生組に移っていった。

「日高茉優はクラスの中でも中心にいる人間ですね。何でもはきはきと物を言えて、成績も優秀。友人も多いようです。一時、学級委員長候補にも推薦されたそうですが、部活に集中したいからと言って本人が辞退しています。家族は両親と兄二人の大家族で、父親は厚生労働省の官僚、兄二人はそれぞれ大手商社勤務と早応大学法学部の学生です」

「かなりのエリート一家だな。槙島との関係は?」

「今のところ直接的なものは何も。さっきも言ったように中学時代の同級生だった木鳩絡みで間接的なつながりはありますが、そもそも入学後は彼女と木鳩自体が没交渉で、ここから繋がりをたどるのは難しい可能性が高いです。ただ……彼女自身は被害者に対してあまりいい感情を持っていなかったようですね。友人に対して槙島の事を『目立ちたがり屋でいけ好かない』と言っていた事があったそうです」

「辛辣だな」

「その友人は彼女らしいと言っていましたよ。何というか、男子全般に対していい感情を持っていない様子です」

「……松北泰助に関しては?」

 斎藤の問いに新庄は淡々と事務的に続けた。

「彼が槙島にいじめられているという噂は校内ではそれなりに広まっていたようです。でも、巻き込まれるのを恐れて誰も言い出せなかったとか。学校も見て見ぬふりをしていたみたいですね。そのせいもあってか、友人らしい友人もいないようです」

「それはそれで問題だが……学校側の対応に関しては後でしかるべき部署に通告するとして、今は事件の事だ。他に何か情報は?」

「家族は両親二人で、父親は桜森大学の理学部教授。母親は薬品会社勤務です。自宅にもその関連の本は多く、少なくとも薬品に関しては人並み以上の知識はあります」

「……瑞穂ちゃん、君は彼とは中学時代の同級生だったね? 彼の人柄についてはどう思う?」

 急に榊原に振られて瑞穂はどぎまぎしながら答えた。

「えっと……こう言っては何ですけど、あんまり目立たないポジションにいたと思います。でも、理科の時間だけはすごく生き生きしていて、それが印象に残っていたかな……。あ、あと、ああ見えて意外に運動神経がよかったと思います」

 思わぬ話に榊原は眉をひそめる。

「確かかね?」

「はい。体育祭の時に一〇〇メートル走に出たんですけど、陸上部を抜いて一位だったんでみんなびっくりした記憶があります。インドア派のイメージがあったから、ちょっと意外でしたね」

「そうか……」

 榊原は何事か考え込み始めた。その間に斎藤が話を先に進める。

「小浜はどうだ? こっちで調べた限り、奴は覗きの常習犯だったわけだが」

「いや、こっちで調べた限りは典型的な野球少年ですね。中学時代は部のレギュラーとして活躍していますし、悪い噂も聞きません。その話が本当なら、覗きを始めたのは高校になって以降です」

「槙島との関係は?」

「部内の人間によれば表向きは良好だったようです」

「表向きは、か。という事は裏があるのか?」

「何しろ小浜もピッチャーですからね。槙島は高井戸と熾烈なレギュラー争いをして勝ち残っていますから、内心穏やかな気持ちじゃなかったんじゃないかというのが一部の部員の意見です。その部員曰く、槙島は実力はともかく人間的にはあまり信用できない人間だったとか。表立っては言えなかったようですがね」

「ひどい言われようだな。小浜が実際のところどう思っていたのかが問題だが……あの様子だと本当のことは言いそうにないな」

 最後に教師の安川である。

「さっきも言ったように典型的な事なかれ主義の教師で、被害者が行っていた各種いじめを黙認していた節があります。教師としてはあまり誉められた部類の人種ではありませんね。一応名門の東城大学理学部の博士課程を卒業している秀才ですが、大学への就職がうまくいかなくて教師になった口ですね。なので、モチベーションは最悪と言ってもいいのではないでしょうか。奥さんはいますが子供はおらず、家庭はかなり冷え込んでいるようです」

「生徒の評判は?」

「あまりよくないですね。経歴が経歴ですから教え方そのものはうまいんですが、さっきも言ったように事なかれ主義でモチベーションが低いので生徒とのかかわりはあまりよいとも言えず、授業はともかく個人的に付き合いたくないというのが生徒の評価です」

「槙島との関係は?」

「クラス担任になりますが、先のいじめを黙認していた事もあってかどこかはれ物に触るような感じだったと言います。多分、本人も積極的にかかわりたくはなかったんでしょう。槙島も下手に突っついておかしなことにならないように、距離を取っていたようですが」

「そうか……」

「私からは以上です」

 そう言って新庄は下がった。残すは瑞穂の報告だけである、

「榊原さん、彼女に何を指示したんですか?」

「いや、ちょっとした事だよ。で、どうだったね?」

「……正直、自分でも何でこんな事を知りたいのかわかりませんでしたけど……一応調べてきました」

 そういうと、瑞穂は一枚の紙を差し出した。そこにはこう書かれていた。

『ごみ収集スケジュール表』

 斎藤たちも何が何だかわからず瑞穂を見やるが、瑞穂は疲れたようにコメントした。

「苦労しましたよ……二十三区のごみ収集スケジュールを調べてこいなんて」

「すまないね」

「でも、何でこんな事を?」

「まぁ、ちょっと考えがあってね。それより、この高校のある大田区のスケジュールは……」

 榊原が確認すると、大田区の今週の収集スケジュールはこうなっていた。


・二月十一日(月)……燃えるゴミ

・二月十二日(火)……燃えないゴミ

・二月十三日(水)……資源ゴミ(缶、瓶等)

・二月十四日(木)……燃えるゴミ

・二月十五日(金)……その他ゴミ


 それを見やると、榊原は小さく笑った。

「なるほど、ね。これなら何とかなりそうだ」

「あの……意味がわからないんですが」

「すぐにわかる」

 瑞穂の問いに榊原はそう答えた。と、そこで斎藤の携帯が鳴った。

「私だ。……そうか、わかった。引き続き調べてくれ」

 会話は短かったが、その表情は緊張に包まれていた。

「鑑識からです。凶器のチョコに含まれていた水酸化ナトリウムを調べた結果、化学準備室に保管されていた水酸化ナトリウムと成分が一致。さらに、記録ノートに記載されていた分量と比べても、保管されている量が明らかに少ないそうです」

「という事は……」

 斎藤は頷いた。

「凶器の水酸化ナトリウムはこの学校の化学準備室のものであると見て間違いはなさそうです。つまり、犯人はどのような手段をもってしてか、学校の水酸化ナトリウムを盗んだ事になります」

 その情報に榊原はしばらく何かを考えていたが、やがて深く頷いて、不意に斎藤の方を見やった。

「斎藤、この後会議室で関係者全員と話をしたいんだが、構わないか?」

「それはいいですが……もしかして、榊原さん」

「あぁ。ひとまず、材料はそろったと考える」

 その言葉に、その場にいた全員が緊張した様子を見せる。その視線を背中に受けながら、榊原は真剣な表情でこう宣告した。

「さて、ここからが勝負だな。この持ち手でどれだけ犯人を追い詰められるか……まぁ、一つ頑張ってみるとするか」

 それは、榊原の推理が完成したという合図に他ならなかったのであった……。

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