第二章「尋問①」
それから三十分後、新庄たちの捜査によって、六時間目に少しでもアリバイがなかった生徒や教師がピックアップされた。人数は松北を合わせて全部で七名。それ以外の生徒たちにはひとまず帰宅の許可が出され、問題の七人は全員会議室に集められた。
「幸いな事に、この時期ですから三年生は受験まっただ中で校内には誰もいなかったそうです。よって、一、二年生を調べるだけで済みました。結果、二年生三人、一年生三人、教師一名が該当しています」
「それが……彼らという事か」
新庄の言葉にそう答えると、榊原は目の前にいる七人に目をやった。突然この場に呼ばれた彼らは、状況がよくわかっていないのかどこか不安そうな表情を浮かべている。
「では、順番に名前と学年を言ってください。その後で一人ずつ事情聴取を行います」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! 何で俺たちが疑われないといけないんですか!」
斎藤の言葉にそう反応したのは、一番右端にいた背の高い男子生徒だった。
「君は?」
「高井戸です。高井戸勝人。二年生です。それより質問に答えてください」
男子生徒……高井戸はそう不満そうに言った。
「知っての通り、本日午後三時頃、この高校の二年生だった槙島光太郎君が何者かに殺害されました。下駄箱に入れられていたチョコレートに毒物が混入されていたようで、我々はこの毒入りチョコが六時間目に下駄箱に設置されたと考えています。なので、六時間目にアリバイのない皆さんにこうして集まってもらったというわけです」
「いや、そんなこと言われても……」
と、そこで隣に座っていた度の強い丸眼鏡をかけた少女がおずおずと手を上げて今にも消え入りそうな声で発言した。
「あ、あの……私……困ります……そんな、疑われるなんて……」
「心配せずとも、容疑が晴れ次第解放する。それより、君は?」
「あ、えっと……その……国木田彩奈……です……。二年生、です……」
最後は消えそうな声になりそうになりながらその少女……彩奈は自己紹介する。どうやら人見知りな性格らしい。斎藤は手元の資料を見ながら確認する。
「高井戸君は二年三組、国木田さんは二年一組で間違いないね?」
「あ、あぁ」
「はい……」
「ちなみに、高井戸君は将棋部、国木田さんは文芸部の所属か。午後三時半頃はどこに?」
「俺は部室です。校舎横の部室棟に将棋部の部室があるから、職員室で鍵を借りてそこに。何なら、部員に確認してくれたっていいですよ」
「残念ながら今回は毒殺。事件当時のアリバイは無意味だ。むしろさっきも言ったように六時間目のアリバイの方が大切でね。で、君は六時間目に一度教室から出ているようだが、その理由は?」
「と、トイレですよ! 今朝からちょっと腹の具合が悪くて……」
高井戸は必死に言う。斎藤は頷きながらそれをメモすると、すぐに彩奈に視線を向けた。
「君は? 午後三時半には何を?」
「え……あの……私は図書室に……私……図書委員もやっていますから……」
「君も六時間目に教室を出ているようだが、その理由は?」
「それは……気分が悪くなって……保健室に行っていたんです。私、少し貧血気味で……普段からよく行くんです……」
「なるほど」
斎藤は小さく頷くと、次いで彩奈の隣に座っているもう一人の二年生の少女へと目を向けた。
「では、次に君だ。名前と学年を」
「あぁ? 何だよ、あたしが犯人だって言いたいのかよ!」
少し目つきの鋭いその少女は、斎藤を睨みながらそう啖呵を切った。見ると、肩くらいまでかかる髪を少し茶色に染めており、スカート丈も少し短い。化粧も濃いようで、その態度と言い、あまり真面目な生徒には見えない。が、斎藤はひるむことなくじっと相手を見据えながら同じ言葉を繰り返す。
「名前と学年を」
「……ケッ、野塚和菜! 二年四組! これでいいかよ!」
少女……和菜はふてくされたようにそう吐き捨てた。
「資料によれば、部活などは入っていないようだね」
「部活? んな、かったるいもんに入るわけがねぇだろ」
「今日の六時間目……というより、昼休みが終わってからずっと、君は授業にいなかったと教師は証言している。どこにいたんだね?」
「放課後までずっと屋上でさぼってた。あんなだるい授業なんかやってられるかってんだ」
「証人は?」
「いねぇよ! あたし一人だけだ!」
和菜はなぜかイライラした様子で叫ぶ。斎藤は黙って首を振ると、続いて一年生組に目を向けた。
「では次だが……松北君、一応、君も改めて名前と学年を」
「あ、はい。松北泰助、一年二組。科学部所属です。六時間目はトイレで一度教室を出ました」
松北は慌ててそう答える。事前に一通り話を聞いていたので斎藤は彼に対しては軽く頷くだけで終わり、続いて他の二人に矛先を向ける。
「いいだろう。では、残りの二人の名前と学年を」
「はい! 自分は小浜幹也と言います! 一年五組で、野球部に所属しています!」
まず、坊主頭の少年……小浜がきびきびと自己紹介した。
「野球部……という事は、被害者の槙島君とは?」
「槙島先輩は部の先輩です! 先輩を殺した奴は許せないです!」
小浜は拳を握りしめながら悔しそうに言う。が、その態度がどこか芝居がかっているように斎藤には思えた。
「先生に聞いた話では、君は六時間目の授業に五分ほど遅れてきたそうだね。その理由は?」
「トイレが少し長引いてしまっただけです! 別に他意はないです!」
「午後三時半頃はどこに?」
「部活があるのですぐに教室を飛び出しました! そしたら昇降口で大騒ぎになっていて、何事かと思ったら先輩が倒れているのが見えたんです! 自分、何が起こったのかわからなくて、その場から動けなかったです!」
「そうか……。では、もう一人の君は?」
斎藤がもう一人の一年生に顔を向けると、そのどこか気の強そうな少女は髪をかき上げながら質問に答えた。
「日高茉優。一年二組です。正直、こんなところに連れて来られて迷惑しています。何でたまたま教室の席を外しただけで容疑者にならないといけないんですか」
「その事だが、なぜ席を外したのか教えてくれないか?」
「理由を言わないといけないんですか?」
「お願いします」
茉優はしばらく斎藤を睨んでいたが、やがてため息をついてこう言った。
「あの時間、うちの教室では生物の授業をしていたんです。そこでカエルの解剖のビデオを見せられて、ちょっと気分が悪くなっただけです。トイレに行ったらすぐに治りましたけど」
「ちなみに、部活は何を?」
「……ミス研、つまりミステリー研究会です。午後三時半頃は部室棟の部室にいました。職員室で鍵を借りたから先生に聞いてもらえればわかります」
その言葉に、後ろで控えていた瑞穂が思わず顔を上げる。瑞穂自身ミス研の所属……というかミス研の部長なので、何か琴線に触れる事があったのだろう。
「わかった。さて、最後は先生、あなたですね。名前と担当教科をお音がします」
斎藤はそう言うと、この中で唯一の教師である七人目に顔を向けた。
「わ、私は安川則勝です。二年四組の担任で、化学を担当しています」
安川は神経質そうにそう言うと、せわしなく両手の指を絡ませた。
「あなたは六時間目、授業には入っていなかったそうですね」
「そ、そうです。ちょうど巡回の時間だったので、校内を見回っていました。だから、アリバイはありません」
実際、他の教師はその時間授業していたり複数人で職員室にいたりするなどのアリバイがあった。アリバイがなかったのは、当時校内を巡回していたこの教師だけだったのである。
「午後三時半頃はどうですか?」
「その頃は、職員室で期末テストの問題を作っていました。で、騒ぎになったので駆けつけたらあの有様で……あぁ、どうしてこんな事になってしまったんだ!」
安川はそう言うと頭を抱えてしまった。
「では、自己紹介がすんだところで、これから一人ずつ事情聴取をさせてもらいます。名前を呼ばれたら隣の面談室に来てください。終わっても許可があるまではここで待っているように」
そう言うと、斎藤たちはいったん部屋の外に出て今後の方針を確認しにかかった。
「尋問は私と榊原さんでやりましょう。新庄はこの七人に対する情報を集めてくれ。やり方は任せる」
「了解です」
新庄は頷くと、そのまま去っていった。一方、榊原は瑞穂にこう話しかけていた。
「瑞穂ちゃん、少し調べてほしい事がある」
「何をですか?」
そのまま何やら榊原が耳打ちする。それを聞いて、瑞穂はなぜか戸惑いながらも頷いた。
「わかりました。やってみます」
「頼む」
かくして瑞穂が見送る中、面談室には斎藤と榊原が入ったのだった。
面談室では斎藤が正面に座り、榊原は斎藤の斜め後ろに立つ形になった。そうしているうちに、一人目の容疑者……高井戸勝人が中に入ってきた。
「どうぞ、座ってください」
斎藤に言われて、高井戸は渋々と言った風に着席する。準備は整った。
「では、早速だがいくつか質問をさせてもらう」
「それはいいですけど……早くしてくださいよ。疑われるのは気持ちのいいものじゃないですし」
少し不平を言いながらも、高井戸は姿勢を正した。それを受けて、まずは斎藤が質問を開始する。
「では、遠慮なく。まず、君と被害者の関係について聞こう。君は被害者の槙島光太郎君を知っていたかね?」
「……まぁ、知っていましたよ。野球部のエースで有名な奴だったし……」
「個人的には? 彼と何か付き合いがあったとか」
「はぁ? そんなのあるわけが……」
と、ここで榊原が唐突に後ろから口を挟んだ。
「一応言っておくが、後で調べて君の発言が嘘だとわかったら、その分疑いが増す事になる。警察は君が思っている以上に優秀だ。その点、よく考えた上で発言するように」
「な、何だよ。どういう意味だよ!」
「言葉通りの意味だ。私は忠告しただけだよ。割り込んで失礼」
そう言うと、榊原は黙ってしまった。斎藤も心得たもので何も言わない。何とも重苦しい沈黙がその場を支配する。
が、最初に音を上げたのは高井戸の方だった。
「……わかったよ! 確かにあいつを知っています」
「関係は?」
「それは……ちょっと言いにくいんだけど……」
そう言いながら高井戸は頭をかいていたが、やがて何かを決心したかのように言った。
「俺、実は一年前まで野球部にいたんですよ。ピッチャーでした」
「野球部のピッチャー、ね。確か、槙島君も野球部のピッチャーだったな。それで君もピッチャーだったという事は……」
「あぁ、そうですよ。一年の頃、俺はあいつとライバルでした。野球部のエースをめぐってね。でも、俺はそれに負けました。その上、無理がたたって利き腕を怪我して……。だから、この際だと思って野球を辞めて将棋部に入ったんです。もう一年も前の話ですよ」
「野球部を辞めて以降の関係は?」
「別に。クラスも違ったし、すっかり疎遠になりました。俺は俺で将棋にすっかりはまって、最近は野球部を辞めてよかったと思えるようになってきたんです。多分あのままだったら、野球以外考えられない人生になっていたと思うし」
高井戸はそう言って首を振った。
「最後に会ったのは?」
「えっと、それは……その、今日の五時間目に」
「五時間目、というと体育の時間だね」
「うちの高校、体育は二クラス合同なんですよ。二年生の場合、三組と四組が合同体育だったから、授業であいつに会う事はよくありました。まぁ、話はしなかったけど」
「長距離走だったそうだが」
「えぇ、まぁ。かなりきつかったですよ。野球辞めてからジョギングくらいしかしていないから」
「その時、槙島君に何にか変わった事は?」
「知りませんよ。疎遠になったって言ったじゃないですか。同じ授業でも、わざわざあいつの事なんか見ていないって」
「……いいだろう。では六時間目の事を聞くが、君は途中で教室を五分ほど抜け出ているね」
その問いに、高井戸はため息をつきながら答えた。
「さっきも言った通り、トイレに行ったんですよ。体育の授業が終わってからちょっと腹の調子が悪くなって」
「教室を出たのはいつ頃?」
「そんなの覚えていませんって! ええっと……多分、授業のちょうど真ん中あたりだったと思うけど……」
「六時間目が始まるのが午後二時二十五分。授業は一時限五十五分だから、その理屈でいくと二時五十分頃という事になるが」
「多分……その辺だった……はず……」
何とも自信なさげに高井戸は言う。
「じゃあ、トイレに行った際に、何か変わった事は?」
「……いや、誰にも会わなかったけど」
「間違いない?」
「もちろん。俺は二階のトイレに行っただけだったから」
「二年生の教室は二階だそうだな。つまり、君は一階に行っていないと?」
「今にも漏れそうだったのにわざわざ遠い一階のトイレになんか行かないですよ! そんなのわざわざ聞かなくてもわかるでしょう!」
「一応の確認だ。えっと、榊原さんから何かありますか?」
斎藤が尋ねると、榊原は頷いて前に出た。
「では聞くが、さっきの部屋で会った他の六人と面識は?」
「面識って……野球部の小浜は知っていますよ。まぁ、あいつが入部する前に辞めたから向こうは俺を知らないかもしれないけど、中学ではそれなりにできるって有名だったから。あと、安川先生は化学の授業を受けてるから当然知ってます」
「他のメンバーは? 同学年だったら名前くらい知ってるんじゃないか?」
「さぁ……。国木田とかいう子は同じクラスになった事もないし、よく知らないです。野塚って子は……屋上でよくさぼってる女の子がうちの学年にいるって話は聞いた事があるけど、それが彼女だっていうのはさっき初めて知りました。一年連中に至っては全く知りませんね」
「……いいだろう。では、君はこの事件についてどう思っている? 例えば、君の主観で誰が犯人だと思う?」
「知りませんよ! あいつの今の交友関係なんかわかりませんし」
「君が野球部を辞めるまでの間はどうだ?」
「……ま、人気者ってやつは、必ずどこかで恨まれるものだと思いますよ。俺に言えるのはそれだけです」
高井戸は首をすくめてそううそぶいた。
「では最後にもう一つ。今日はバレンタインだったそうだが、君はチョコをもらったか?」
「は? 何でそんな事を?」
「ただの確認だ。どうだね?」
「……部活の女の子からは義理チョコをもらいましたけど、それ以外は別に……悪かったな!」
高井戸はふてくされたようにそう言ったのだった。
「あ、あの……呼ばれたから来たんですけど……」
高井戸の次に入ってきたのは国木田彩奈だった。どこかビクビクしながら部屋に入ってくると、なぜか少しよろけるように椅子の傍までやって来て、そのままぺこりと頭を下げて椅子に腰かける。
「大丈夫かね? 少しふらついているようだが、体の調子でも?」
「あ、いえ……。実は数週間前から初めて眼鏡をかけ始めたばかりで……まだ距離感がつかみきれていないんです……その……ご心配おかけしてすみません……」
彩奈はそう言って再度頭を下げた。斎藤は一瞬彼女の様子を観察した後、これは余計な遠回りはしない方がいいと判断して即座に質問を開始した。
「早速だが、被害者の槙島光太郎君の事について何か知っていたかね?」
「えっと、その……名前くらいは知っていました……有名な人でしたから……」
「有名というと、野球部のエースピッチャーだったからという意味かね?」
「そう……です」
「彼と直接話した事は?」
「それは……何度か図書館に来たことがあるので、その貸し出しの時に話した事はありますけど……個人的にはありません」
「あぁ、そう言えば君は図書委員だったね」
斎藤の言葉に、彩奈は頷く。
「私はよく知らないんだが、図書委員会と言うのは具体的にどんな仕事をするんだね?」
「その……昼休みと放課後に図書室を開けて、本の貸し出しを行うんです。授業が終わったらすぐに職員室で鍵を借りて、そのまま時間が終わるまでカウンターで受付をします。あとは、新刊が来た時の本の整理とかです」
と、ここで急に榊原が割り込んだ。
「被害者が図書室に来たことがあると言っていたが、具体的には何回くらい?」
「えっと……三回くらいだったと思いますけど……」
「何の本を借りたか覚えているか?」
「多分……現代文か何かの課題図書だったと思います。詳しくは覚えていませんけど……」
「さっきの話だと、ここの学校の図書室は昼休みと放課後に開けているそうだね。彼が来たのはどっち?」
「それは……昼休みだったと思います……」
「なるほどね」
榊原はそこで一息つく。彩奈がホッとしたような表情を浮かべるが、そこでいきなり榊原が再度切り込んだ。
「随分よく覚えているね」
「……え?」
「いや、普通覚えていないだろう。名前しか知らないような男子生徒がいつどの本を何回借りて行ったかなんて。図書室を利用する生徒は彼だけじゃないはずだし、思い出すにしても普通はもっと悩むはず。なのに、君はその質問に対して特に迷う様子もなくスラスラと答えた。なぜだね?」
「あ……その……」
思わぬところを突かれて、彩奈はしどろもどろになる。助けを求めるように正面の斎藤の方を見やるが、斎藤も心得たもので黙って何も言おうとしない。しばし沈黙が部屋を支配したが、やがて観念したのか彩奈は顔を真っ赤にして振り絞るように言葉を発した。
「……わ、私……その……槙島君の事が……好きで……もちろん……片思いですけど……」
「名前を知っていただけじゃなかった、という事だね?」
「は、はい……その……一目見てかっこいいと思って……図書室に来る槙島君だけが楽しみで……」
そう言いながら次第に俯いて、最後はゴニョゴニョと何を言っているのかわからなくなる。と、ここで榊原がすかさず切り込んだ。
「チョコを贈ろうと思わなかったのかね?」
「は……はい?」
「今日はバレンタインだ。だったら好きな男の子にチョコを贈ろうとは思うのが普通だと思うが」
「そ、そんな、とんでもないです……私なんかが槙島君にチョコを贈るなんて……」
「持ってきていなかったと?」
「私……チョコを贈るような相手はいませんから……」
彩奈は寂しそうに言った。が、正面の斎藤は追及を緩めなかった。
「つまり、被害者の下駄箱にチョコを入れた事もない、と」
「も、もちろんです! 私、そんなの知りません!」
「君は六時間目に保健室に行ったという事だが、具体的な時間は?」
続く斎藤の質問に、彩奈は考え込んだ。
「えっとその……多分、授業が始まって十五分くらいした頃だと思います、私……普段から貧血気味で保健室にはよく行くので……昨日も、授業中に気分が悪くなってお昼から保健室にいました……」
「十五分と言うと、午後二時四十分頃か?」
「はい。それからずっと六時間目が終わるまでは保健室のベッドで寝ていました。その後で図書室へ行ったんです。その……保健室の上里先生に聞いたらわかると思います」
「……保健室があるのは一階。二年生の教室から保健室に行こうと思ったら途中で昇降口の前を通る事になるが、その時何か見ていないかね? 何でもいいんだが」
「えっと……気分が悪くてそれどころじゃありませんでしたし……何も見ていません……」
彩奈は小声でそう言った。
「では、保健室で何か変わった事は?」
「……特になかったと思いますけど……私、ずっとベッドで寝ていましたから」
「保健室にはその上里先生と二人きり?」
「いえ……確かもう一つのベッドに別の人が寝ていたと思います。誰なのかは知りませんけど……」
何とも曖昧な話だった。斎藤は首を振りながら榊原を見る。
「榊原さん、他に何かありますか?」
「では、さっきの部屋にいた他の六人に見覚えは?」
高井戸と同じ問いを彩奈にもぶつけるが、その答えはこれまた歯切れの悪いものだった。
「え……えっと……安川先生は化学の担当ですから知っていますけど……他の人は……」
「図書館にも来ていないと?」
「さ、さぁ……急に言われても……調べてみないとわかりません……」
「被害者の槙島君の事はすぐにわかったのに他の人の事はわからない、か」
「それは……さっきも言ったみたいに彼の事が好きだったから……」
少し意地悪な榊原の問いに、彩奈は顔を真っ赤にしながら俯いた。
「……まぁ、いい。それはこっちで調べよう。要するに他のメンバーに関してはよく知らない、という事で構わないね?」
「は、はい……同じクラスになった事もありませんし……」
彩奈は気弱そうに頷いた。
「では、君の主観で構わないから、この事件についてどう思うか教えてほしい。具体的には、誰が犯人だと思うとかだが」
「わ、わかりません……私、そういう事を考えるのは苦手です……」
最後の最後まで、彼女は怯えた表情を崩す事はなかったのだった。
「で、何を聞きたいんだよ。 あたし、警察って大っ嫌いなんだよね」
部屋に入ってくるなり、開口一番、野塚和菜はそう啖呵を切って正面の斎藤と榊原を睨みつけた。彩奈への尋問が終わり、続いて呼んだのが事件当時授業をさぼっていたという野塚和菜だった。
「……ひとまず座りなさい。場合によっては話が長くなる」
「面倒くせぇな。早く済ませてくれよ」
和菜はあからさまな敵意をにじませながら、椅子にふんぞり返るように腰掛ける。それを見ると、斎藤はしばらく彼女を観察するように見た後、おもむろに口を開いた。
「尋問をする前に、少し君の事を調べた。警視庁のデータベースに問い合わせたところ、補導歴があるようだね。渋谷での深夜徘徊が三回。間違いないかね?」
「ねぇよ。でも、それが事件と何の関係があるんだよ? 補導の前科があったらあたしは殺人犯か?」
「あくまで確認だ。他意はない」
「けっ、警察っていうのは前科でしか人を見られないのかよ」
和菜はふてくされたように言うが、斎藤は無視して質問を開始した。
「さっきの話をもう一度確認するが、君は昼休み以降授業には出ておらず、ずっと屋上でさぼっていた。これで間違いないか?」
「ねぇ。同じ事を二度と言わせんなよ!」
「その間ずっと屋上に?」
「そうだよ! 文句あるのかよ?」
「……学生が授業をさぼって屋上にいる時点で、文句は山ほどあるがね」
不意に隣で榊原がそう呟く。和菜はじろりと睨んだ。
「あぁん? 何だって?」
「文句があるかと聞かれたから答えただけだ。まぁ、今はひとまずその件はいい。事件の話をしようか」
「うるせぇよ。何なんだこのオヤジ」
和菜は突っかかろうとしたが、その前に斎藤が絶妙なタイミングで切り込んだ。
「被害者・槙島光太郎ついて知っている事は?」
「……知らねぇ」
「同じクラスだろう。知らないはずがないじゃないか」
「知るかよ! クラスの連中の顔なんか覚えてられるか!」
和菜は茶色に染めた髪の毛をかき上げながら強い口調で言った。が、これで動じるような斎藤や榊原ではない。自分のやり方が通じない事に、和菜はかなりいらついているようだった。
「気に食わねぇ。何すました顔してんだよ!」
「生憎、君なんか足元にも及ばないほど恐ろしい殺人犯と何人も対峙してきたからね。はっきり言って君の上っ面の脅しなんかまったく怖くない」
そう言ってジッと和菜を睨む斎藤に、和菜は一瞬気後れしたように体を引いた。その瞬間、榊原が間髪入れずに質問をぶつける。
「屋上で何をしていた?」
「は?」
「いや、まさか屋上で何もせずにボーっと景色を眺めていたわけじゃないだろう。昼休みが終わってから二時間以上、たった一人で何をしていたと聞いているんだ」
「……寝てた」
和菜はそう答えたが、その前に少し言いよどみがあったのを榊原は聞き逃さなかった。
「そうか。なら、屋上を調べても文句はないね?」
「は、はぁ? 何でそんな事……」
「調べられて困る事でも?」
「何もねぇよ!」
口ではそう言っているが、彼女の態度に斎藤と榊原は何かを感じ取っていた。
「じゃあ、君の所持品を調べさせてもらっても?」
「何でそうなるんだよ! あたしは認めねぇぞ!」
そう言った瞬間、不意に榊原が厳しい口調で言った。
「君、いい加減にしろ」
「な、何だよ」
「これはいつもみたいな素行不良の取り調べじゃない。殺人事件の尋問なんだ。君が拒否するなら、所持品検査の令状を取るくらいの事はこっちもできるんだぞ」
「れ、令状って、そんな大げさな……」
「そう、大げさだ。こっちもそこまでの事はしたくない。冗談だと思うかね?」
冷静にそう言われて、和菜は急に落ち着きをなくしたかのように斎藤と榊原を見やる。ようやく、自分が今相対している相手が、普段自分が付き合っている連中とはかけ離れた人種である事に気付いたようだった。そしてそれは、自分の今までのやり方が全く通じないという事がようやく理解できたという事でもあった。
「あ、あたしは……」
和菜が何かを言おうとしてすぐに口をつぐむ。だが、和菜が次の言葉を発する前に榊原は小さくため息をついてこう言った。
「タバコか?」
「え?」
「君、屋上でタバコを吸っていたのか?」
その瞬間、和菜の顔色が変わった。
「ど、どうして……」
「さっきの反応からして、君は屋上を調べられる事や所持品検査をさせる事を嫌がっていた。となれば、それは屋上に証拠が残るもので、なおかつ所持品検査されるとまずいものだ。そうなると考えられるのはタバコか薬物だが、君の血色や言動は薬物をしているようなものではない。とすれば、残るはタバコじゃないかと推理したまでだ」
そう言われて、和菜はしばらく逡巡していたようだが、やがてふてくされたように机の上に何かを投げ出した。それは、ライターとタバコの箱だった。
「何でわかるんだよ……」
「やっぱりそうか」
榊原が深いため息をつく横で、斎藤が改めて質問を開始した。
「説明してもらおうか」
「そこのおっさんの言う通りだよ。あたしは屋上でこいつを吸っていた。でも、人殺しなんかしてねぇよ」
「二時間ずっとタバコを吸っていたのか?」
「そうだよ。缶コーヒーの缶を灰皿代わりにしてた。それがまだ屋上に残ってる」
「遺体発見まで一歩も屋上から出ていないと?」
「あぁ、そうだよ! 第一、槙島なんて奴あたしは知らないんだ! 確かに同じクラスだったのかもしれないけど、席も離れていたから話した事もない! これは本当だよ!」
和菜は必死だった。斎藤が横を見ると、榊原は黙って頷く。これはクラスメイトにでも聞けばすぐにわかる話だ。つまり、嘘をついてもすぐにわかってしまう。そうなると、この話は本当だと判断できると榊原は判断したのだろう。
「わかった。その点については後で確認する。榊原さん、他に何か?」
「では、さっきの六人の中に知っている人はいるかね?」
この問いに、和菜は警戒気味に答えた。
「センコーの安川は担任だから知ってる。でも、あとは知らない。本当だって!」
「なるほど。では、今日はバレンタインだが、君は誰にもチョコをあげなかったのかね?」
「あげる奴なんかいねぇよ! それに……」
「それに?」
「……あたし、料理下手なんだよ。チョコなんか作れねぇよ」
和菜は嫌そうな表情でそう告白した。が、榊原は一切容赦せず、冷静な表情のまま最後の質問をぶつけた。
「そうかね。では、君はこの事件の犯人が誰だと思う?」
「知らない! 槙島がどんなやつなのか知らないのに答えられるわけがないじゃないか! もう勘弁してくれよ!」
そういうと、和菜は頭を抱えてしまったのだった。