5-24 母の想い、受け継がれていく気持ち
わらわが選んだ道は、間違っていたのだろうか……。
遠い昔、わらわの一族はフェルスと呼ばれておった。
大地から、山から、空から自然の力を身体に取り込むことで成長し、長い時を生きる不死鳥の末裔。生物であって、生物ではない。わらわたちの身体は、エネルギーそのものだ。
自然の繁栄と共に生き、自然の衰退と共に滅びる種族。わらわの母も、一族の他の者たちもそうであった。今は数えるくらいしか残ってはおるまい。いや、素直にわらわたち4匹しか残っていないと認めるべきだろうか。
それは、ある日、突然のことだった。
それまでは天空を悠遊と泳いでいた、わらわの一族は1匹また1匹と姿を消していった。原因は気脈の力が弱まったことに起因しているのだが、理由はわからなかった。
一族の者たちは最期に何も言うことなく、徐々に空に溶けて逝った。彼らにとってみれば生死は概念の外側、特に何も思うことなどないのだろう。
そして、ついに、わらわたちの順番が回ってきたようだった。身体に力が入らぬし、もはや空を泳ぐこともできない。それは母も同じことで、わらわの隣で地に伏して、最期の時を待っているようだった。
だが、一族の者たちと、わらわには1つだけ異なっていることがあった。
それは……恐怖。死ぬことへの恐怖が、わらわの心の中にはあったのだ。
自然と共に生き、そして滅びる宿命とするならば、わらわたちは何のために生まれてきたのか。生命の営みから外れ、生物という概念ですらなく、特に役割もなく空を泳いでいるだけの存在に、一体何の価値があるというのか。
もしかしたら、一族が忘れている何かがあるのではないか? そう考えた瞬間から、わらわの心には死に対する恐怖があった。
わらわは母に素直に打ち明けた。死ぬのが怖いと。
母は不思議そうな顔をしていたが、最期の最期に、自分の力をわらわに与え、何も言わずに消えていった。それが母のわらわに対する最期の愛情だったのかもしれない。
娘が父を探したいと言って巣を抜け出そうとした時は、何を気が狂ったことをと思って荒れ狂ったものだ。しかし、今になって思えば、あの時の母もわらわに同じことを思っていたのかもしれない。
母から幾ばくかの時間をもらったものの、力が身体から失われていく感覚が消えたわけではなかった。むしろ、より一層、それが顕著に感じられるようになってしまった。
さらに孤独になったことで、恐怖と焦りが時間を追うごとに募っていった。母から託された力を無駄に浪費しているという想いが、いつまでも拭えない日々が続いた。
どれくらいの時間が経っただろうか。
1年か、10年か、100年か、或いは僅か10日だったのかもしれない。
一族の衰退と同様に、それは突然やってきた。どうしてそうなったのか、理由はわからない。だが、確実に何かが変わったのがわかった。
それからは力の集まる場所を求めて、ある山に降り立った。力の流出は止まったものの、しばらくは竜脈で力を蓄える必要があったから。
根気強く力を蓄えたことで、幸運にも子を授かることができた。しかも、3つもだ。わらわと同じ、灰色の毛並みの子が2匹。1匹だけは見たこともない色をしていたが、可愛い我が子に違いない。
我が子が少し育ったある日、変わった色の子が自分の父親の事を訪ねてきた。
なぜ、そんな疑問を持つ? わらわの一族は単独で子を産む。生殖ではなく、自然の力を集めて、自分の分身を作る行為なのだ。他の2匹の子たちも、なぜそんなことを? という不思議そうな顔をしている。
娘の1匹と口論になった。しかも、わらわの目を盗んで巣から脱走しおった。馬鹿娘め。脱走に気づいた時には怒りで目の前が真っ赤になったわ。
その後、脱走した馬鹿娘が泣いていた声を聞いた瞬間から、怒りに身を任せていてあまり覚えていない。愛する我が子に何をしている!
ひと悶着あったが、誤解だったことがわかった。人間という人型は、馬鹿娘を保護して連れてきてくれたそうだ。感謝の言葉しかない。
馬鹿娘を連れ帰るついでに人間たちを巣に招いた。馬鹿娘が、どうしても連れていけと五月蠅かった。前より自己主張が激しくなったのは、ちょっとは成長した証だろうか?
とある人間に懐いてしまった、1匹だけ毛並みの違う我が娘を見る。人間を父と呼び、人間の食べ物を欲しがり、人間と戯れて、人間と共に寝る。
わらわには、この子の行動が、理解できない。
しかし、わらわは、一族に生への執着と役割を探すという概念をもたらした。もしかして、この子にも何か使命があるのではないだろうか? この、わらわたちから見たら奇妙な行動も、わらわたちが思いもよらなかったような意味があるのではないだろうか?
とある人間に抱かれて、幸せそうに眠る我が娘を見て、わらわは少しだけそう考えた。




