ロータリーより愛を込めて
駅前ロータリーは急ぎ足
ドラムの音が止まった。聞こえなくなった。
「わわわ」
今までいい感じで叩いてリズムを刻んでいたドラムのツバサの声が聞こえた。
なんだ?どうしたんだ?俺は振り向いてツバサを見た。
夕暮れになりつつある中で北風がさらりとツバサの髪を通り過ぎてゆく。
やさしい表情とびっくりしたかたまった表情がかさなって奇妙な顔、っていうか間抜けな顔になってるぞ、ツバサ。
「なんだよ、なんだよ!なにやめてんだよぉ~おめぇ、まじめにやれよぉ~」
ベースギターのナオトがかっこつけた顔から力が抜けた感じで吠えた。ちょっと負け犬みたいに吠えた。
ツバサの目線の先、正面の大通りにかかる歩道橋に俺の目が釘付けになった。
そこに中学生くらいの女の子が何かに引っ張られてるみたいに、歩道橋の柵に身体半分乗り出して揺れている。風に吹かれる木の葉のようだ。
鉄棒している訳でもないだろうし、なにやってんの?あぶねぇじゃんか。
揺れているのが自然なことのように北風が吹きぬけてゆく。
(おい!ナオト正面!)
俺はベースに目で合図を送った。俺の目線にナオトが歩道橋を見て、驚いた顔。
せっかく俺が黙って合図を出したのに、ナオトはやっぱり口を開いた。
「まずいよ!やばいよ!自殺だったら、どうするんだよ!俺、人が落ちるとこなんて見たくねぇよぉ~」
こいつはやっぱりおしゃべりだった。ナオト、うるせぇよ!
さっきまでのかっこいいベースギターは、おろおろしてる。気が小さいって、ばればれだぜ、ナオト!
「な、な、なんとか、ししたほうがいいよね」
ツバサはどもって、かたまったままピクリともしないしドラムのスティックも落としちまいそうだ。
その女の子はゆらりゆらりと風に吹かれるように身体を宙にゆらして、あとちょっと重心が前にかかったら下の通りに頭から落ちてゆきそうだ。
すると片足を歩道橋の手すりにかけると、ひょいと身体を持ち上げて手すりに腰掛けた。
飛び降りる?
それとも、この北風にのって空を飛ぶのかな。
長い髪を風にゆらして空を見上げて胸をはるその姿は、今まさに飛び立つ雛鳥みたいにも見える。
「ど、ど、どうするの?なな、何かし、したほうがいいよね?」
ドラムを叩いていたツバサの色白でやわらかい表情がますます緊張して聞いた。
まったくこいつはあがり症で、ちょっとの事ですぐ緊張しまくる。そして、どもっちまうんだ。
まあ今の状況はちょっとの事って訳にはいかないけど。
「どうするんだよ、リュウノスケ!止めんのかよ!」
今にもベースギターを置きかけて走り出しそうなナオト。思いつくとすぐつっぱしっちまうから始末が悪い。 正直に言おうナオト、お前が言っても無駄だと思うぜ。
その時、少女はからだをゆっくりそらした。そして、両手を空に向けた。
あぶない。
俺らがみんなそう思った時遠くの方から、ほんと遠くの方から旅してきたみたいな風が吹いてきた。
なんで遠くの方から吹いてきたって思ったかって、今まで吹いていた風と匂いが違ったからだ。
冷たくてとがった今までと違う、やわらかくて何かの花の香りがするような風。
泳ぐ髪を手でかきあげながら、笑ったように思えた。
そうして、向きを変えると歩道橋にトンと足をつけた。
長い髪はやわらかい風に吹かれて、彼女はじっと立っている。彼女の周りから危険な気配が消えた、そう思わせるぴんと張ったまっすぐな背中。
俺らは止めていた息を、ゆっくりと吐き出した。しばらくは大丈夫だろうと思った。
まだ日が落ちきっていない空は淡い紺色になりつつあって、白い月が張り付いている。
その方向に顔を向けて少女は、手を伸ばす。長い髪がさらさらと流れていく。
そこだけ切り取って、箱に入れておきたいようなワンシーン。
振り向いた俺にツバサがドラムのスティックを叩いて見せた。
ベースのナオトはかっこいい顔でウィンクなんかしながら親指を立ててみせる。かっこつけすぎだぜ。
安心して俺らは、もう一度最初から演りなおした。
広い駅前のロータリー。
ここに立って俺の頭の中を、いろんな言葉がくるくるまわっている。
息を吸い込んで、腕を振り下ろす。
ギャンという音が、思ったより大きく高く空に舞い上がった。
俺のギターの音はあたりにぱぁっと散っていく。
会社帰りのサラリーマンは急ぎ足で通り過ぎる。
俺たちのことをちらっと横目で眺めながら、興味もなさそうに家路を急いでいる。
振り返るやつもいるけれど急ぎ足は立ち止まる事が許されないようだよね。意思とは関係なく家路に向かってロボットみたいに四方に消えていく感じ。
そう、この時間。地球のすべての時計が動き出したような忙しい夕暮れ。アップテンポに時計の針が回っているような気がするのは俺だけなんだろうか。
闇に暮れる前にどこかに隠れなければ、飲み込まれてしまうようなあせり。
まわりの急いでいるそいつらの身体をすりぬけて、小さなシャボン玉のようにあちこちで俺らの音が破裂している。
立ち止まった、何人かの人。いくつかの拍手の音。それも、すぐに消えて誰もいなくなる。
次の電車が着くまではしばらくの間人影も消える。
それでもなんだか、心地良い。
俺らの身体から何かが、最大のボリュームになって駆け抜けてゆく。自分の音が意思を持って、羽ばたいているような気がする。
冷たい風も音に合わせてるみたいに聞こえてくる。
ふと、横を見るとベースギターも満足そうだし、後ろのドラムは微笑がこぼれている。
みんな、いい顔してるじゃんか。
そして、歩道橋の少女は空を見てる。
路上ライブをやろうと言い出したのは、もちろんベースギターのナオト。
『人に聞いてもらうって、どんな事なのかわかんないうちは音の本質がわからない』
そう兄貴に言われたからと、はりきった企画。俺も反対する理由もなかったので、話に乗った。
三曲目の終わりごろ、少し周りを見渡して音の行方を見つめてみた。
たまに立ち止まる人もいるけれど、ロータリーには俺たちだけで頭の上を寒い北風が通り抜けていく。
駅からまっすぐにのびたこの大通りはまだその先が通行止めになっていて、行き交う車もまばらだった。
そして、何もなかったところに突然、真新しい歩道橋が現れた。
だから、通る人もほとんどいないし、あの子に気づく人もない。
ロータリーに人が降りてきた。急行が着いたのか。さっきよりもたくさんの人が通り抜けていく。
彼女のいる場所は、別世界の向こう側みたいに見える。
「つぎ、いくぞ」
俺は、二人に合図した。ドラムのツバサが落ち着きをとりもどしてうなずいた。まっすぐ前をむくと息を吸い込んで、スティックを上げた。
チッ、チッ、チッ、というツバサの音を合図に俺のギターが歌いだす。ナオトのベースが腹に響く。心地いい音が重なり合って、自分らのまわりに充満する。空気にふれてとけだすように、散ってゆく。
春の風に気がついてよ
君のそばに吹く風に気づいてよ
その頬をなでるやわらかい嵐
春の風に気がついてよ
君のそのうでにからまるよ
その瞳にうつるあたたかい嵐
俺は歌いだした。まるで彼女に選んだような歌のような気がして、その歩道橋に向かって声をあげた。
別世界の向こう側まで届くように。
音っていうのは、どのくらい遠くの方まで飛んでいくんだろう?
音と一緒にどこまで発信したやつの気持ちを、連れて行ってくれるのかな?
音が弾けて飛んでいく。だだっぴろい空間でどんな風に広がってどんな風に弾けるんだ
ろう?
そして俺の音は、誰かの心に弾いて届くんだろうか?
空に向かった手が固まって動かなくなり、少女は俺の歌を見つめているように思えた。音は彼女に届いたのだろうか。彼女の何かを弾いて響いたのだろうか。
今日の俺らの路上ライブは、この曲が最後だった。
片づけをしながらナオトが、こそこそと俺につぶやく。
「リュウノスケ、あいつまだ動かないぜ!何考えてんだかなぁ、今の中坊はよぉ~」
ナオトの不自然な動きは、おかしくて笑い出しそうになる。こいつなりに、気をつかってるんだろうな。
「な、な、何の話?さ、さ、さっきの子大丈夫かな」
どもりっぱなしでツバサが、あせった顔で俺を見る。
「片付けたら、歩道橋の向こうの焼肉屋に行こうぜ!」
俺は通りの向こう側を指差す。
「や、焼肉?ぼ、ぼく最近肉食べてないんだぁ~うれし~なぁ~」
「ツバサおめぇ~、肉食ってねぇの?ドラムなんて肉食わなきゃ叩けねぇぜ~。肉食になれよツバサ、いつまでも草食ってんじゃねぇぞぉ」
ベースギターをケースカバーにしまいこんで肩にかけたナオトが、ツバサにけりを入れるまねをした。
俺らは結構な荷物を、ナオトの軽のワンボックスにしまった。ナオトが乗り込もうとしたのを俺が止めた。
「車出すのは、後でいいよ、歩いていこうぜ!」
ロータリーのすぐ脇のコインパーキングに車を置いたまま、なんだか訳がわからないと言う顔のツバサとナオトを連れて俺は歩道橋の階段を上がった。さっきの少女がいた場所。
焼肉屋は歩道橋を渡った向こう側で、いつにもなくさえない看板が風に揺れて見えていた。
風は冷たかったけど、俺らはやりたい事をやった後の充実感を味わって心も身体も熱かった。
駅からこの歩道橋までは昔からあった通りで、そこから先は計画道路の四車線がまっすぐに続いてる。
でも、それは遥か向こうの方に立ててあるパイロンで通行止めになっている。道路になっていない不思議な空間が広がっている。
まだこの道がつながるには時間がかかるだろう、新しく植えられた並木がほそぼそと風にしなって音をたてている。片側の更地には建設計画の立て札がいくつか立っている。
歩道橋の階段を上がると、そこからは駅前のロータリーが一望できる。今また急行が着いたらしく、都心からの帰りの人達がばらばらとロータリーに現れた。急ぎ足の親父やお姉さん、そんなに急いで家に帰らなくちゃいけないのかな。ゆっくり、まわり見るのもたまにはいいんじゃないの?
「歩道橋ってさ、大きなダンプカーが通ると揺れるんだよね~」
ツバサがぴょんぴょん飛び跳ねる。普通にしゃべってるな、リラックスしてるんだ。俺はくすっと笑った。無邪気なこいつのそんなとこは、小さい時から変わってない。
「ツバサお前こどもみたいなことするなよぉ~。行き止まりのとんがったこんな道に大型は、入ってこねぇ~ぜ」
ナオトのでっかい声が静かなアスファルトに響いた。
さっきの少女は、身体の上半分を手すりの向こう側にだらんとたらして、髪の毛が風に木の葉のように揺れている。
俺も大きな声を出す。
「よう~、こんなとこに洗濯物が干してあるぜ」
そう、まるで洗濯物みたいだった。疲れた洗濯物ね。
「うひゃひゃ、ほんと、せんたくもんだぜぇ~おっもしれぇ~」
ナオトが笑う。あんまりかっこよくない笑い顔、本人は知らないだろうがね。
「ど、どうしたんですか?ぐ、具合でもわ、悪いんですか?悪いんだったら」
どもりながら、ツバサが心配そうに柵の間から少女の顔をのぞきこんだ。
とたん、バサッと髪を振り上げてこっちをにらみつけるように俺の正面を向いた。
「あんたらのバンド、うざい!」
北風が音をたてて、歩道橋を渡っていく。
もうすぐ春が来るとは思えないほど、今年は寒さが続いている。
一瞬、みんななんて言ったのか理解できなくて固まっていた。
うざい?うざいって言ったの?俺らのバンド、けなされてる訳?
ナオトが赤くなってうなった。
「るせぇな、このガキ!おめぇに何がわかんのよ!」
口は悪いがそれほど怒ってはいないんだけど怖かったりするんだよね、ナオト。
少女の髪は、さらさらと冷たい北風になびいた。
「あんた、二曲目の曲覚えられてなかったでしょ!」
ナオトがひるんだ。たしかに、ナオトは二曲目の曲がうまく弾けなくて苦戦していた。おもしろいね、ナオトの顔が引きつってるぜ。
「それからあんた、スローな曲になると、走りすぎ!」
ツバサに向かって指差した。
「え?あ、す、すみません、ごめんなさい」
そうそう、ツバサはスローな曲でだんだんテンポが速くなってしまうくせがある。びっくりしてぺこりと頭を下げた。
こいつの耳はすごいね。俺らの曲ちゃんと聞いてたんだ。
「あんた!」
俺のほうを向いた。あれ、やっぱ俺にも悪いとこあるんだ。
おもしれぇな、こいつ、拾い物した感じ。
俺はこの子がなんて言うのか、ちょっとわくわくした。
「最後の曲、あたしに歌った気になってんじゃないわよ!一番腹たつ!」
あ、そういうこと。技術面じゃないのね。ちょっとがっかり。
少女の目はまっすぐに俺を見ていた。まっすぐの瞳に懐かしい何かがあるような気がする。
強気の瞳の奥の表情に何かが見つけ出せそうで、うれしい気持ちにさせられる。
とりあえず、最初から用意してあった言葉が口から滑り出た。
「あのさぁ~、俺らそこの焼肉屋行くんだけどさ、おまえも来いよ」
三人が、いっせいに俺を見た。何言ってんの、って顔で。
こんな時、少しだけ嬉しくなるんだよね。俺はナオトみたいにおしゃべりじゃないけど、みんなが面食らったような顔を見るのが好きなんだ。
人って、意外なこと言われた時ってさ、素の自分の顔をするのよね。
ナオトは、喧嘩っぱやいし口悪いし目つきも悪い。だけど、今びっくりして目を見開いて俺を見ているナオトは優しい表情をしている。
ツバサはいつも下向きながら上目遣いで人を見るし、すぐ硬くなってどもる。でも、今はまっすぐに俺の目を見て、なかなかのイケメンだろ?
そして、このきつい言葉を連発する少女は、あっけらかんとして幼い顔。まだまだ子どもの顔にもどっちゃうね、中学二年生くらいかな。目じりがすっとしてきつそうにも見えるけど瞳はあったかいものがたっぷり詰まってる。
はは、この子は死のうなんて思わないわ。
ただ、口元はゆがんだまんまだけどな。
「ふぅ~ん、おごってくれるんだ。行ってやってもいいけど?」
北風は、ブルッとするくらい冷たく吹いて彼女の長い髪をなびかせた。
「おお、俺バイト代はいったばっかだからおごってやるから来いよ」
へって顔で俺のこと見てたツバサが
「わぁ~~い、リュウちゃんのおごりだぁ~~行こ行こ!」
いつも財布の中身が軽いツバサが喜んでる。いつもほこりとレシートしか入ってないからね、こいつの財布。
歩きながらナオトに言う。
「あ、ナオトは自分で出してね」
「何でだよ、俺の分もだせよぉ~」
って言うけど、いつも金には困らないナオト。いつでも自分の分は自分で払って腹一杯食うんだよな、俺たちの懐具合考えてくれちゃうんだろうけど。その方が思いっきり食えるからとか何とか言いながらね。こいつの優しいとこだろうな。
こいつは、家が事業やってて末は社長って身分だからね。
俺とツバサとはちょっと違う。親は仕事を覚えて欲しくて高額でバイトさせてるけど、本当は俺らとつるんで足並み揃えたくてバイトしてるだけなのよね。
「きみ、名前なんて言うの?」
ツバサが、ふくれっつらでついて来た彼女に聞いた。ツバサがどもんないで話してるなんて、なんでだ?
「さらさ」
空を見上げながら、答えた。
「更科のさら、沙羅双樹のさ」
ナオトが『どんな字』って顔して、首をかしげた。
「ふん、あとで書いてやるよ」
「ちぇ!チュウボウのくせになっまいきな女だぜ。さらなんとかってなんだそりゃ?」
ツバサが嬉しそうに
「ぼく、わかるよ。書けるよ書ける」
ツバサはどもりもせずに、うれしそうにステップふんでついてくる。
焼肉屋は、夕食時だけどそんなに混んでなかった。
昔からある焼肉屋で学生には嬉しい、量たっぷりの安い店だ。肉もうまい。
通りが大きくなって開通したら、きっとここは人でいっぱいになっちゃうんだろうな。
今はちょっとこきたない店だけど、そのうち大きくなって綺麗になって、こんな値段で食えなくなっちゃうのかもな。
便利になるってなんだろうって、時々思うことがあるね。
目の前に広がっているこの大きな道路は、その前は細い抜け道だった。
それなりに地元のやつは知ってたから、人の通行量はそこそこあったし、特徴のある店がぱらぱらとあったんだよね。
煙をもくもくだしてる焼き鳥やとか、関西のうどんやとか。みんな、それぞれこ汚くて安かったしうまかった。でも、焼肉屋のある側は歩道があったからかそのまま残ったのに対して、向こう側の店は全部立ち退いて景色も変わった。
俺が小さい頃から、変わらなかった景色は一変した。
それが便利になったというのならそうかもしれないけど、俺はなんにもいい事がないように感じちゃうんだ。
町が栄えるのってどんなことなんだろうか。
チェーン店がたくさん並ぶ事?車の交通量が増える事?それってみんな幸せに思うことなのかな。
俺は、前の通りが好きだった。
「上カルビ、上ロース、ハラミ、ミノ、タン塩」
更沙は、慣れた手つきでメニューを指差した。
「おまえ、ここ来た事あるの?」
俺の質問には答えないで
「はやく、注文しなよ」
ツバサが嬉しそうに、「同じもの」と言った。なんで、こんなにこいつ嬉しそうなんだ。それにどもらない。
ナオトは人一倍大食いなので更に何か頼んでいた。やせの大食いっていうの、こいつのことだよね。
俺たちは運ばれてきた、山盛りの肉をジュウジュウ言わせて焼きながら食べた。
誰も、何にも言わずもくもくと焼いては口に運んでいく。
うまい肉は腹の中に、簡単に入っていく。
ビールを飲み干してナオトが口を開いた。
「ライブ後は、酒がうまいぜ!」
「更沙ちゃんは、お酒飲めないからね。中学生でしょう?」
ツバサも可愛い顔には似合わず、酒は強い。
でも俺たちは、ビール一杯だけって決めてるんだ。思いっきり飲むのは、自分らの曲に演奏に十分満足できた時って決めてたから。
俺のジョッキも残りわずかになった。
「中学生って、なんでお酒飲めないの?二十歳からっていうけど、中身が全然成長してなくても年さえ食ってればいいって事なの?結局、人間って見た目ってこと?」
オレンジジュースを飲み干して、どんとテーブルに置いた。
おもしろいね。そういやそうかもしれないね。身体がでかくても小さくても二十歳からってのは不思議だよな。二十歳だっておとななやつもいれば小学生みたいに成長してない幼いやつだっているのにね。おとなって枠で一つになっちまう。
「おっまえ、ひねくれてるねぇ~。クラスとかで浮いてねえ?他に判断材料がないんだからしかたねぇだろうがよ」
ナオトの言葉がピンポイントだったらしく、瞳をかっと見開いた。
あわててグラスをテーブルに置いて、ツバサが話題を変えようとどもる。
「さ、更沙ちゃん、ここ来た事あるの?な、なんだか慣れてるみたいだったよね」
さっき俺が質問した時は、しかとだった更沙は今度は答えた。
「通りの向こう側に由梨花の家があったから」
更沙は悲しそうな表情でつぶやいた。
通りの向こう側にはたしか大きな家が何件か建っていた。
「よく、家族揃って一緒にここで食事した」
ああ、更沙の友だちの家は立ち退きにあったんだ。
今は、再開発のための更地がところどころに広がっているだけのしけた景色。
「でその子は、今どこに住んでるの?」
俺の質問にも素直に答えた。
「都内」
いつになく、ツバサがおしゃべりだ。
「さ、さびしくなっちゃったんだね」
「寂しいって言うか、、だって喧嘩してる途中だったんだもん。原因もわかんないままだったんだよ!」
ナオトが、まだ腹一杯じゃないらしく冷麺を注文すると言って手をあげた。良かった、こいつまでおごるって言わなくて。
「喧嘩の答えが出したかった訳ね。どっちが正しいか、とか?あ、おね~さ~ん、れ~めん一つ持ってきてくんな~い、とびきりうまいやつおねが~い!」
「そうだよ。なんで怒ってるのかわかんないまんま、いなくなっちゃうなんて卑怯じゃんか!」
ほうっとナオトが腕組みをする。更沙の目元が赤くなった。
「れ、連絡取る事って、でできないの?」
あれれツバサ、どもっちゃってあせりまくってる?
更沙は話し始めた。
クラスで人気者の由梨花って言う友達となぜか理由もわからずに仲たがいしてしまったこと。その子がそのまま、転校してしまったこと。クラスメートに自分が泥棒だと思われてるかも知れないということ。もしかしたら、これからいじめにあうかもと。
「べつにいじめられるとか、そんな事はあたしどうでもいいんだ。人に弁解とか説明とか苦手だしうまく伝えるのってできないんだもん」
「やだねぇ~~、女子ってどうしていじめとか嫌がらせするんだろうなぁ~、わっけわかんねぇ~って」
ズズズゥ~っと音をさせて、ナオトが冷麺をうまそうにすすった。
「ぼ、ぼくだって中学の時、いじめとかにあったよ」
ありゃ、その話いくんすか。ナオトが嬉しそうに、にやついた。
「そうそう、リュウノスケにね!」
さらに、ずるずる音をたてている。顔がにやけてるぞ、ナオト。
「ち、ちがうよ。じ、女子にだよ。リュウちゃんじゃないよ!」
俺は話を肝心なところに持っていくことにした。
「更沙、お前さぁ~キーボードやらない?」
みんなが、いっせいに黙って手を止めて俺の顔を見つめた。
いいね。話題変更、大成功。
ってもともと俺は更沙をバンドに誘おうと思ってたわけだから、なんにも後ろめたいところはないんだけどさ。
あの時。路上で最後の曲を奏でた時。
更沙は歩道橋の上で、身体中で耳を澄ませているようだった。
空に向けた両手が、月をつかもうとしていた。そして、その指は俺たちの音にあわせて、キィを叩いているように見えた。曲が終わるまで、音が消えるまで。
俺たちの元いたキーボードは、ナオトと衝突して辞めた。いいやつだったのか、と聞かれればまあそこそこと答えるけど、実は俺らがバンドを始めるとすぐ入れてくれと言って来たやつで、入れない理由もなかったのでオーケーした。
いさかいがなんだったのか、俺もツバサも知らない。けど、辞めたいって言うやつに辞めるなっていうほどやつの事を知らなかった。
キーボードがあるのとないのでは、音を出していてもまったく違う。メロディの厚くない音は、安っぽかったしつまらなかった。
今、俺らの音を作るのには、キーボードが不可欠なんだ。
「だからさ、もう一回言うけど一緒にバンドやんない?」
更沙もぎょっとした顔をしていた。
誰も何もいわなかった。うつむいて考えている更沙。
ナオトは何かにうなずきながら、まだなんか食うつもりだろうか、手を上げた。
「すいませ~ん、ここ、アイス四つもってきて~」
こっちに顔を向けると
「まあ、デザートは俺のおごりってことで!おい、ツバサよろこべよ」
「ご、ごちそうさま、う、うれしいな。デザート」
ツバサの半べそかいたような笑顔を見ながら、更沙が立ち上がった。
「ごちそうさま、あたし、帰る!」
まあ、腹も一杯になったから変な気は起こさないな。いや、でもこいつは死のうなんて思うだろうか。表情は、かたくなだけれど意思の強さとしなやかさが感じられるのは俺だけかなぁ。
「おい、土曜の五時からエムハウスのスタジオで練習するから来いよ!」
俺の言葉は更沙の後姿に届いたふうだったが、そのまま何も聞こえなかったようにドアを開けると夜の冷たい風の中に消えていった。風が更沙の髪をなでていた。
残された俺たちは、一つ残ったバニラアイスを手もつけずに溶けるのを見つめていた。
凍るような風の音がビリビリと伝わってくるみたいで、暖かい店の窓ガラスは結露した雫がツゥーっと幾つも筋を立てて流れていた。
歩道橋の上から ~さらさ~
歩道橋の下には時折、小型のトラックが走っていく。向こうから現れたライトの色は小さくて悲しくて蛍の光みたいにゆれて見えた。
そっか、あたし泣いてるんだ。ばっかみたい、ライトがゆれて見えるのは、あたしの視界が半分以上水没してるからなんだ。
できたばかりの四車線の道路はまっすぐ駅から延びている。昔は狭い道路わきにベンチがあったんだ。
行き止まりの道には思えないほどりっぱなでっかい道路。ロータリーには家路をいそぐお父さんたちの姿が見えている。
良かった。パパは今日仕事で遅くなるって言ってたっけ。
サラリーマンは、み~んな忙しそうな歩き方だな。しゃかしゃか、音がするみたい。みんなどこから来てどこに行くんだろう?そんなに急ぐのには訳があるのかな。
突然飛び込んできた音が、耳元で弾けた。ギターの音?
なんだろう?あたしは、今までぼぅっとして二重に見えていた目の前の景色に視点を合わせた。
ギターの音、ベースの響き、ドラムの低音のリズムが駅前に漂っていたぼわんという空気を切り裂いた気がした。
あ、路上ライブなんだ。
狭いロータリーのすみっこに三人の人影が見えた。たどたどしい音が流れ出す。
主旋律が聞き取れると、音質の悪いスピーカーから歌が聞こえる。
ふふ、へたくそ。
へたくそなのは、確かだった。
三人とももうちょっと、今一歩ってとこ。
それでもなんだろう、耳障りではなかった。むしろ心地いい。
『さらさ、ごめんね。こんな事になっちゃって』
由梨花の声が耳の奥でくすぶっている。
なんで、こんな事になっちゃたんだろう。
あたしは、ずっとずっと由梨花と一緒にいられると思っていたのに。
二日前の曇り空の日。体育の授業に行く前に忘れ物を取りに行った教室。
床に落ちていたピンク色のお財布。
『なにやってるの~早くおいでよ~』
迎えに来た由梨花があたしをつっついたの。「あ、これ誰のかな?」
あたしの手にある物を見つめて低い声で言った。
『それ、柳のだ。この間みたもん』
それからあたしは柳美奈の机にその財布を置こうとした。でも、由梨花が言ったんだ。子供の頃からいつも一緒にいる大好きな由梨花。思ってもいない言葉だった。
『捨てちゃいなよ。廊下のゴミ箱にそれ捨てちゃいなよ。わたし柳のこと大っ嫌いなんだ』
そして、いつものやさしい由梨花じゃないような言葉が飛び出した。
『あんなやつ、少し悲しい思いしたほうがいいんだ。いつでも優等生づらして大っ嫌い!』
柳はいつも人とは話もしないし、物静かで教室の隅で本を読んでいる。そんな彼女を、嫌いとも好きともあたしは思ったことなかった。
でも、クラスの女子は良く彼女の悪口を言っていた。
「頭いいと思ってすかしてんじゃないわよ」
まあ、あたしも人と話すことがにがてだし、思ってることがうまく人に伝わらないから同じようなもんだけどさ。
あたしには由梨花がいつも一緒にいたから、一人じゃなかった。そこだけが柳と違うとこだったんだと思う。他は柳と大して変わらない、人と話さないとこ、あんまり笑わないとこ。
だけど由梨花は人気者だったから、孤独を感じた事も一度だってなかった。
由梨花は、あたしが考えてる事すぐにさっしてくれたしわかってくれた。
幼なじみで親友の由梨花の激しさに、あたしは面食らったの。
そんな由梨花を見たことなかったから。そして、言われたとおりに柳の財布を廊下のゴミ箱に落とした。そのこと自体はたいした事じゃない気がしていた。由梨花のことだけが、気にかかっていたから。
どうしてあたしはあの時、由梨花に聞かなかったんだろう。『どうしたの?』って『何があったの?』って。
由梨花のことだけが、一番ひっかかってたっていうのに。
やわらかいメロディがロータリーからかすかに聞こえている。電車の音、駅のアナウンス。雑踏の中でようやくさがしていた声が聞こえたみたいに、あたしは耳を澄ませる。
あれ、なんだっけ。
うまくはないんだけど、心のどこかにしみてくるその音。いつまでも触れていたいと思わせる、あったかい声、音。
歩道橋の手すりに腰掛けて、ああここから落ちたら死んじゃうかもって思ってたのに。
何もかもが嫌だなって思っていたのに。なのに今、この曲を聞いていたいと思ってる。ほんとに変だよね、おかしいよね。
そしてその時、あたしの髪がやわらかい風になびいた。
この風、冬の風じゃない。
そう、冬が行ってしまう頃由梨花とはしゃいだっけ、『風が変わったよ』って。
『風の色が変わったね』って。
胸の奥のほうで熱いものが沸いてきた。
由梨花が思い出になってしまった今、一緒に感じることはできない。そして、これからも。
胸の奥から熱いなにかがこぼれて落ちた。
あたしは手すりから身体を持ち上げて、くるっと向きを変えて歩道橋に降りた。風が身体をなでていく。
あれ、月が出てるんだ。
月が潤んで大きく見える。
そう、由梨花とよく月がでるまで話したっけ。
この歩道橋ができる前、ここは狭い道路にかかる白と灰色のはげかけた模様の横断歩道があった。
そして、その横に何にもない小さな公園と入り口にあるベンチ。中学校からの帰り道、由梨花の家の横にあるこの公園は二人の憩いの場所だった。
いろんな事話したな。あたし、パパにいつもしかられて怒ってたし、なだめるのはいつだって由梨花だったよね。
小さい時から一緒にピアノ習ってたから、好きな音楽も似てたっけ。
あたしのまわりでおどってる音符たち、由梨花と一緒に聞く事ができたらどんなに楽しいだろうな。
駅前では、曲が終わったみたいで雑音が響く。
少しして、走るようなドラムの音、ギターの軽やかな旋律。
こんどはちょっとテンポの速い曲。そこから急にスローに変わる。
あたしはさびしい心に聞かせるように、耳を澄ませた。
背の高い人はギターをひいてるみたいね。ボーカルもギターの人だ。
ベースの音が気持ちいい。こっちはちょっと茶髪のおにいちゃんだね。ノリノリから弾んで、スローでは低い音を刻む。
ドラムは下向いたふっくらした顔のおにいさん。良く顔が見えないけど、アップテンポは得意みたいね。楽しそうに首を振ってリズムの中にいる。
いいな、三人とも仲間なんだろうな。
仲間、あたしには、きっと一生できないんだろう。
仲間どころか今のあたしには、友だちさえいないんだものね。
人と話すのは小さい時から苦手だったし、気が聞く台詞なんかも言えなかったっけ。
あたしの大きなコンプレックス。でも小学生の頃、ピアノ教室で由梨花の人懐っこい笑顔に出会ってからは一人じゃなかった。
学校でも塾でもピアノでも、由梨花が側にいた。大切な大好きな友だち。ずっとずっと、一緒に居られると思ってた。
由梨花とだけはうまく話せたし、ぼそぼそとなんでも話したっけ。素直な気持ちのまんま、本当の自分を隠さずにさ。
その度、由梨花はニコニコしてうんうんってうなずいてくれたの。
由梨花はクラスでもどこでも友だちがたくさんいて、いつか離れていってしまうんじゃないかって本当は不安だった。
この公園で暗くなるまで、いろんな事を話したね、あたしたち。かわいかったよね。いつまでもいつまでも、一緒だと思っていた。
二人とも休まずピアノ教室には通っていたんだ。音楽、大好きだったから。
『来年のクリスマスには、二人でピアノの連弾をしようね』それが、この公園での最後の言葉になっちゃったんだよね。あの時のあたし達はもう、どこにもいない。
目尻から、あったかいものが流れてきた。風に吹かれた冷たい頬に一筋の思い出がゆっくりあごのとこまで伝って落ちる。
やわらかな音が身体をなでる。
あたしは、ふぅっとため息をついた。
昨日、由梨花は転校して行った。友だちが一人もいないあたしを残して。
二日前の放課後、クラス全員残らされた。
「だれか、柳さんのお財布見た人はいないの?」
先生は、ちょっと苛着いているみたいだった。
静かになる教室。どうしよう。あたしは、どうしていいかわからなくなって、由梨花の方を向いた。
由梨花と目は合わなかった。そして、由梨花の手がすっと上げられたんだ。
『先生、桐嶋さんが廊下のゴミ箱に、なんか捨ててたの見ました』
いっせいに振り返るみんなの視線。
あたしは、かぁっとなった。胸の奥がどきどきして痛んだ。
先生が廊下の遠い隅に置いてあるゴミ箱まで歩いていった音がパタパタと響いていた。
お財布は、みつかるだろう。そしてあたしはいたずらした犯人、それとも泥棒かな。
クラスの生徒は釈放された。
あたしは、一人放課後の教室で先生と向き合っていた。
一言も話さないあたしに、先生はいいかげん切れそうだったっけ。
「理由は、なんなんですか?何にも言わなくちゃわからないわ!」
帰ると、親に電話がかかっていた。あたしは、何一つ言い訳をしなかった。由梨花と話がしたかった。
だけど次の日、由梨花はみんなの前に立って、
「みんなと別れるのは、本当に寂しいです。私のこと忘れないでくださいね」
そう言って、クラスメートに囲まれていたの。その人ごみの中の由梨花を、あたしは黙って見ているだけだった。ようやく廊下に出て帰る由梨花に声をかけたけど、何て言っていいかわかんなかった。そしたら、由梨花は
「怒ってるの?そう、更沙とは喧嘩したまま別れようよ。あたしは、それでいいから!」
「喧嘩って、なんで?怒るも何も、全然わかんないよ。由梨花」
『ごめんね、こんな事になっちゃって』
そのまま。そのままあたし達は、別れた。
立ち退いた由梨花の家は、家族中で付き合っていたわりにはパパもママも知らないと口を閉ざした。
君のそばに吹く風に気づいてよ
誰かがささやいたように聞こえた。耳元でやわらかくやさしく、あったかかった。
あれれ、なんだろう。目から雫が落ちてきた。
なんで、泣いてんのよ。
春の風に気がついてよ
まだ、春は遠いよ。なんでそんなにやさしく歌うのよ、また涙が出てくるじゃんか。
嵐の中で笑って
一緒にいるよ、微笑んで
なんで、こんなへたくそな歌であたし泣いてんだろう。
ばっかみたい。
あたしは、上を向いた。月が手の届きそうなところに見えた。
見上げるときは楽しいときばかりだったこの月を、つかまえたいなと思って手を伸ばした。
風はまた冷たい北風に変わったけど、不思議と嫌じゃなかった。
耳元に心地よい音がゆれて通り過ぎて行った。あたしの目から涙は流れていたけれど。
スタジオの奇跡
俺がスタジオのドアを開けると、もう二人は来ていた。駅から一本道を入った路地裏にある古いビルの地下。昔からあるこのスタジオは、その昔は、ここいらからメジャーデビューしたバンドなんかが良く使ってたらしい。
今朝、外は冷たい雨が降っていたのでベッドから外にでるのが、ちょっと億劫だった。
俺っていつも、楽しみにしているイベント前日とか、な~んかいやだなぁって思っちゃったりするんだよね、なんでだろう。行けば、やっぱ良かったって思うし楽しいんだけど、寸前やだなって思うの、変なやつ、俺って。
ドアを開けてこいつらの顔見た俺は、もう今はやる気満々って感じなんだけどね。
「おお~、今日は汗かくぜ~!」
ナオトはにやついて「あったりまえじゃん」と親指を立てた。
ツバサは「わ~い!」っと大きな声をだした。お前は小学生かっつうの。
俺たちが自分が生きてるって実感できる、いつもの空間が広がっている。空気がピンと張りつめてる。
弦をはじくと、ギャギャギャ~~って生きてる音が響いてくる。
初めてつくった自分らの曲を演奏する。
幼さだけの簡単なコードしか使ってないばかみたいな曲。だけど、いつも俺たちはこの曲から始める。俺たちが、バンド結成したきっかけになった曲だから。
俺たちが俺たちになった曲だから。
高校の文化祭。
文化委員になっちまった俺は、バンド一つも出ない文化祭になりそうでいい加減やる気もなくしていた。
進学校だからか文化部はたくさんあって出し物も多いけどバンドの一つもなくてさ、その頃ギターにはまってた俺は、文化祭って感じしないじゃんって思ってた。
ポスター貼っても誰も見向きもしなくて、ああ、つまんねぇのって思ってたのね。
そこにナオトが兄貴からベースギターをもらったってやってきた訳。ナオトの兄貴は何とかってバンドのベースやっててそれが自慢の種だったから、そりゃもううれしそうでさ。
年季の入ったベースギターは、めっちゃいい音で鳴いた。
そんな有頂天になってるやつがそばにいりゃ、とりあえずバンドでもやるかって話になるよな。
小さい時から一緒のツバサが、バンドやるなら一度でいいからドラム叩いてみたいって言ってたの思い出してさ、声かけたら二つ返事が返ってきた。まあ、興奮してどもっちゃったんだけど。
高校三年の文化祭。俺たちは、へたくそすぎるくらいへたくそなバンドを結成した。
少しずつさまになってきたこの頃、けっこうアップテンポの曲が増えた。
ナオトが兄貴のベースのまねして作った曲を弾きだした。
「お、いいね!」
先行するベースに合わせてつばさがドラムを叩き、俺のギターがかぶさっていく。
足でステップ踏んで、ギャ~ンとわめく。
三人はそのまま、曲の中にのめりこんで行く。テンポが弾んでからまって一つの音になるころ、俺たちは身体中で音を感じていた。
「さいこう~~!」
ナオトが汗を流しながら、目をキラキラさせる。きつい目つきはどこにもなくて、少女漫画の主人公かって感じ。
「き、もちいいね~、ぼくこの曲だいすきだ~」
ツバサがうっすらと赤い顔をこっちにむけた。
「おう!」
俺は答えた。いいね、三人が一つになるって感じ。ほんと、最高。
ちょっと水分補給するのにギターを置いた。耳がわ~んとなっている。空中に浮いてるみたい。夢の中にいるようだ。
ふと、髪を風になびかせた更沙の顔を思い出した。やはり来ないのだろうか。
ナオトも同じ事を思ったのか
「そうそう、この間のさ、焼肉屋行ったとき話に出た更沙の友だちの家さ。結構この辺では知られててさ。事業に失敗して夜逃げ同然で引っ越してったんだってさ」
ふ~ん、なるほど。ナオトのうちは、手広くいろんな事をやってるらしいから、そんな情報も入ってくるのかもね。
「こ、こないのかな、やっぱり」
ツバサがつぶやいた。
言いだした俺だけじゃなく、みんな期待しちゃってるわけ?
「来るよ」
ふと、俺の口からそんな言葉が出た。
「そうか」
「そうだね」
なぜだろう、二人とも当たり前のようにうなずいている。
何かが、俺たちを結び付けているのだろうか。不思議な確信が胸の中に広がっている。
「つぎ、何いく?」
おれの言葉に二人が宙を見た、その時。
ドアが開いた。
更沙が立っていた。
更沙は、ニットキャップをふかくかぶり、よれよれのジーンズは膝に穴が開いていた。
黄緑色のダウンジャケットをぬぐと、だぼっとしたこげ茶色のティーシャツを着ていた。
この間、歩道橋の上で見たおとなしい感じの紺色のコートやチェックのパンツ姿とは、別人みたいに見えた。
「それで、あたしは何やるの?」
更沙は、初見であの時俺らが演奏していた曲を、キーボードで弾いて見せた。
ツバサは感激のあまり、
「さ、さ、さ、さらさちゃん、すす、すごい!」
って、お前どもりすぎだぜ。まあ、俺もちょっとは驚いたけどね。
「おまえ、生意気なとこさしひいても、あまりがあるじゃねぇか!少しぐらいだったら生意気でも許してやろうって気になるぜ」
ナオトは褒めたんだと思う。たぶん。
「冗談じゃないわよ。差し引かないでよ、あたしはあたしなんだから!」
少しむっとして、だけどナオトをまっすぐに見つめて、更沙は答えた。
こいつ喜んでる、そう思ったのは俺だけじゃなさそうだった。
気がついたら、俺らはたいしたバンドになってた。なにせ更沙のキーボードは最高だった。
曲調をつかんですぐに音にする。
簡単なコードからちょっとしないようなコードを使ってみたり、ツバサもナオトも興奮した顔をしていた。
でも、きっと俺が一番驚いた顔をしていたと思う。
最初からメンバーだったんじゃないかと思うほど、俺たちの音になじんでいたから。
「どうよ、どうよ?更沙!最高じゃん?俺ら最高じゃん?」
ナオトがでっかい声で、更沙に言った。
「すすごいよ。さ、更沙ちゃん」
ツバサが、もっと何かを言いたそうに口をぱくぱくしている。金魚かっつうの!
「おまえ、俺らのバンドのキーボードに任命するぜ!」
俺もいい気分で、笑った。
更沙は気持ち良さそうな顔を、こっちへ向けて
「まだ、入ってやるって言ってないよ!」
おお、そう来ましたか。こいつの性格からして素直にメンバーになるとは思ってなかったけど、やっぱな。
「じゃ、ま、臨時でという事でどうでしょう?更沙くん!」
仰々しく、俺は更沙に手を差し出した。
びっくりした顔の二人のメンバーが、息を止めて俺の差し出した手を見つめる。
それを見て、更沙が少しあせった表情になって鍵盤の上のすっとしたきれいな手を出して俺の手を握った。
「やったぁ~」
「オ~ライ、オーライ!」
二人の声が喜んではずんだ。
「やっぱ、おまえピアノやってたんだな」
俺の言葉に、うなずいた。
スタジオの中で演奏したときの、不思議な空中遊泳を楽しんでいるような表情だった。
つっぱっている時の顔とはちがった素の中学生の少女だった。
俺らは、少しお兄さん的なあったかい気持ちで見つめた。新しい幼いけどたのもしいメンバーを。
次のスタジオまでは一週間あった。
だいたい、一週間か二週間ペースで俺らは集まる。
みんな一応大学生だけどバイトもしないとふところ具合が心配なので、結構時間が作れなかったりするんだよな。
まあ、ナオトだけは別格だけどね。
俺は、コンビニで「いらっしゃいま~せ~」とか言いながら賞味期限切れの弁当を楽しみにバイトに励んでいるし、ツバサはピザ屋で最近はピザ生地を作らせてもらえるようになったって嬉しそうに仕事している。
「社会人ってつまんねぇ~よ~」
っていつも、ぶうぶう文句言いながら親父の子会社でバイトさせてもらってるナオトが一番部のいいバイトなのに、不満顔ってのも面白い話だよな。
まあ、やる事ってコピーとったりパソコン入力したりって言ってたけど周りはきれいな若いおねえさんが多いみたいだから、不満いうんじゃねぇよ、って感じ。
俺なんて、男ばっかだし店長のおじさんはおっかないし人使い荒いのよね~。
ここんとこ、バイトばっかしてると大学の講義中熟睡ってこともしばしばで、やばい。
そもそも、ギターの練習する時間作るのが一番大変だし新しい曲もつくりたいし。
そうして、俺らの不満はある一点に向かっていくわけ。
そう、メジャーデビューして音楽でメシ食っていけたら、って事。
特に、ナオトは真剣に最近そう思ってるらしい。
そもそもナオトの二番目の兄貴ってのが、あっちこっちのメジャーなバンドに入ったり出たりのやつだから、ナオトは親父の会社なんかじゃなくてそっちで生活したい訳ね。だけど、一番上の兄貴はもうすでに大学出て親父の会社のいいとこでサラリーマンやってて、二番目がそんなだから、親は一番下の末っ子のナオトは絶対に会社に入れときたいみたいでさ。
親父の圧迫に日夜ビクビクしてるのね。でもさぁ、まだまだ一人で生活できるほど稼げるわけでもないしさ、親のすねかじってる間は仕方ないよね。
まあ、まずは大学出なくちゃ始まらないって感じっすかね。
な訳で、一週間後俺らは集まった。
更沙も時間には来ていた。何の違和感もなく更沙のキーボードはなじんでいたから不思議だ。
おやおやこいつ、まじ俺らのバンドには必要不可欠だわ。
そう思ったのは、俺だけじゃなかった。ナオトもツバサも特別な表情で、最高の出来にみんな酔ってた。
汗ばんできた頃、ツバサはもう汗がしたたるいい男って感じだったけど、持ってきたポカリなんかを飲んで休憩した。更沙もジュースを飲みながら俺の目を見て言った。
「聞いて欲しい事あるんだ」
もちろん俺は気軽に答える。
「いいぜ!バンドのメンバーの話は喜んで聞くさ」
「みんなを見てて一緒にいたら、あたし由梨花がなんであんな事言ったのかどうしても知りたくなったの」
ツバサが真剣な顔をして耳を澄ましていた。ナオトが
「そいつの家の事、ちっとは知ってるぜ~」
そう言いながらこの間俺たちにした話をした。更沙はナオトを瞬きもせずに見つめた。
そして、ため息をついた。
「そんな事、あたし知らなかった。なんで話してくれなかったんだろう?」
唇をかんで本当にくやしそうにうつむいた更沙は、痛々しくてみんなな何て言っていいかわからなかった。
突然、ツバサが目を輝かせた。
「会ってくれば、会って来ればいいよ」
どもらなかったけど、二度言った。
「知らない。住所知らないもの」
でっかい口開けてナオトが笑った。渋い男目指してたんじゃなかったっけ?ひでぇ崩れた顔してるんだけど。
「はははぁ、親父に聞けばわかるぜ、たぶん絶対わかると思うぜ!」
ふだん世話にはなりたくないとか何とか言ってる割には、簡単に頼るのね、ナオト。
「ほんと!?」
更沙は、今日一番の輝いた表情で立ち上がった。
「おう!」
下あご出して親指たてて、ナオトかっこいいじゃんか。
それから、俺らはスローな曲、アップテンポの曲と、この間より充実した空間を泳いだ。
音の洪水の中、泳いで泳いで泳ぎ疲れて、スタジオから出るころには、いい気分でびっしょり汗かいたシャツを着替えた。更沙はトイレで着替えてたっけ、あいつもいい汗かいたみたい。
その日は次回の予約をして、解散した。まあ、みんなバイトやら大学の講義やら忙しいからね。
次の回までに、由梨花の住所を持ってくるというナオトの顔を食い入るように見てたっけ、更沙。
汗かいた後に吹く風が、しめった春の風のように感じたのは俺だけだったかな。
もうそろそろ、春一番がふくのだろうか。
次のスタジオでナオトは、住所の書かれた紙を更沙に渡した。
「うそ、福島県?都内じゃないの?みんなには都内だって言ってたのに」
どうも、そんな感じだろうな。
由梨花ってやつは、家の事情がそんなだからかっこつけたんだろう、都内って言ったのかもね。
「行ってみるの?遠いぜ福島って」
俺が聞いたら、ちょっと黙った。
「ひゃははは、いいニュースがあるんだぜ!」
なんだこいつは、ってみんな思った、多分絶対に。またまた、顔一杯口にしてナオトが声をあげてたからね。ひどいよ、この顔、だれか鏡見せてやれよ。
「なんなんだよ!ニュースって。早く言えよ、もったいぶらねぇで!」
ちょっと、むかついて俺が言うとナオトはあわてて
「ああそうなのよ、兄貴がさぁ、福島のライブハウスでなんかライブやるのよ。で、俺らも出てみないかって二三曲やらしてもらえそうなんだけど、どう?」
「わ~~、わ~~やる、出る出る~」
もちろん、ツバサが騒ぐ騒ぐ、小学校の遠足かっつうの。俺もさすがににっこり微笑んだけどよ。
「オ~ケ~、いつよ?」
日にちは一ヶ月くらい先だったけど、更沙は福島にいける事を喜んでいるみたいだったからみんな一致で出る事になった。
そこからは、ハードスケジュールでがんばる事を誓ったのよ、全員。
俺は、メンバー唯一宿題を出された訳。一曲でも新曲を作ること、オリジナルだ。
これは、ちょっとやばかった。大学の講義も福島なんか行く訳だからして出られないし、代返頼める講義ばかりじゃないのよね。ってことは、大学も行かなくちゃなんないから時間が足りない。
さて、いつ曲作れっつうのかね。まあ、腹をくくってがんばりますか。
その日のスタジオの帰りは、春一番が吹いていた。背中に背負ったギターが風にあおられて持って行かれそうになって、ふらついた俺を見て更沙が笑った。
いつも張りつめた表情ばかりの更沙が、まるで菜の花みたいな顔で笑った。
風に吹かれて長い髪がゆれた。菜の花がまちわびたようにゆれたように思えた。
こんな顔をいつも見ていたいね。俺もちょっと見とれて、照れて笑った。
春を待つ、わくわくした期待と予感の入り混じった不思議な思いが胸いっぱいに広がっていた。
一人ぼっちの教室で ~さらさ~
由梨花が転校してから、あたしは一人を嫌って言うほど感じながら過ごした。
いつでも、何人かの友だちを連れてあたしのそばにいた由梨花は、もういなかった。
考えてみると、なんのとりえもないあたしの側に人気者の由梨花がいた事の方が不思議だったのかもしれない。ただ、寂しさをそれほど感じなかったのは、教室にもう一人周りを拒絶している影がいたから。
柳美奈は、いつも一人で本を読んでいた。たまに、周りの女子から嫌がらせのように読んでいる本をはたかれて『あら、ごめんね~、人がいるのわかんなかった~。影薄いんだも~ん』なんていわれたりした時も、黙って落とされた本を拾っていたんだ。
あたしの方は、由梨花が転校していった翌日まず学校に行ったら上履きがなかった。他にも、消しゴムがなくなってたりシャーペンがなかったり、教科書がゴミ箱の中に入ってたりした。
けど知らん顔して体育館履きを履いてたし、机の落書きも気がつかない振りしたしゴミ箱の中から教科書を拾った。
我ながら、そこまでの悲壮感がなかったのは不思議だった。
そうしているうちに、三日すぎたあたりからみんないじめるのを忘れたみたいだった。
反応が少なかったから面白くなかったのかもしれない。
だけどあたしが悲しかったのは、相変わらず誰とも話をすることなく一人ぼっちだった事より由梨花がいない事だった。
そんな時、柳を見ることが多くなった。
彼女は難しい本を読んでいたし、先生も一目置くほど勉強ができたから期待値が高かったのかもしれない。
かなり、特別扱いされてたんだと思う。
問題集も他の子と違うものを渡されてたし授業中でも、なんだかわかんない難しそうな参考書を読んでても何も言われなかったから。
きっと、すごい学校に進学すると思われてたんだろうな。この学校からじゃ考えられないくらいのすごく頭の良い学校。
そんな意味で、あたしと違って柳美奈はおとなしいわりには目立ってたんだ。
『あんなやつ、少し悲しい思いしたほうがいいんだ。いつでも優等生づらして大っ嫌い!』
由梨花の言葉を思い出した。
あたしの大好きな由梨花は、そんな事を言うような子じゃなかった。今までだって人の事を悪く言ったり嫌いって言う事なんてなかったのに。
だから誰からも好かれてたし人気があったの。そんな由梨花が好きだったし、そんな風になれたらっていつも思ってた。
絶対、あたしは由梨花にはなれないってわかってたけどさ。
あの時、あたしは面食らってしまって由梨花の言うまま柳の財布をゴミ箱に落としたけど、後悔していた。なんであたしは由梨花がそんな事を言うのか聞かなかったんだろうって。
由梨花が何を考えて、なんでそんな事をいうのか、本当のことが知りたかった。
だけど由梨花はあたしの声が届くところにはいなくて、今由梨花が何を思ってどうしているのかさえわからない。
そんな事を考えちゃうと、胸の奥で何か熱いものが膨らんできてどうしていいかわからなくなる。
ある日の音楽の選択授業。柳も一緒の教室だった。
ペアを組んで、楽器の演奏をしなくちゃならなくなった。
今まであたしは、必ず由梨花と一緒だったからなんの苦労もなくペアを組んでたし他の子の事なんか気にした事もなかった。
でも、ペアを組まされるって事は、学校生活においてすごく勝負しなくちゃいけない場面なんだって事を思い知ったの、その時。
先生がペアを組んでやってもらおうって、言いはじめた時から教室中がざわめいた。
残っちゃいけないってみんな必死で自分の相手を探すの。でも、相手もそこそこ出来るやつじゃなくちゃ困るからいろんな思惑が動いてるのがわかった。
笑っちゃうよね、たかが中学の音楽の授業だよ。
適当に誰かと組めばいいじゃんか。別に、残っちゃったら残っちゃったでいいやって思って見てると、それぞれの気持ちが手に取るようにわかっちゃって面白いくらいだった
。
そうして、ほとんどがペアをつくって落ち着いた頃、あたしと柳が残ってた。
「じゃあ、一緒に」
柳美奈は、あたしに向かってそう言って楽譜を渡した。
柳美奈が手に持ってたのは『美しき青きドナウ』だった。ああ、これ昔由梨花と一緒に演奏した事がある曲だ。そう思うと、すごく懐かしく胸が痛んだ。
あたしは自分の出来るのはピアノだけだと言ったら、柳はうなずいてバイオリンを持ってきた。ピアノとバイオリン、ちょっとした演奏会なみの発表になった。
柳は小さい頃からバイオリンを弾いていて、ピアノも出来るって言った。でも、バイオリンが一番好きだって、ぼそぼそとつぶやいていた。
柳と話をするのは初めてで小さい声は良く耳を澄ませなければ聞こえなかったけど、メガネの奥の瞳には意思がはっきり感じられたし、しっかりしたしゃべり方だった。
嫌いじゃないなって思った。
由梨花は柳のことをどう思ってたんだろう。この子は由梨花が嫌うような一面を持っているんだろうか。
ピアノとバイオリンは、いい感じにかぶさって教室に響いた。
単音ではない音が身体に絡みつくのは気持ちが良かった。由梨花がいなくなってから忘れていた感覚。
音楽の発表は終わってしまって、先生からは『ブラボー』なんて言葉までもらえたのは柳効果だったかもしれないけど、もっと演奏していたいな、なんて思ったんだ、その時。心地よかった。
そう、頭の中のどこかでふと声がした。
「更沙、お前さぁ~キーボードやらない?」
なんだっけ?この言葉。
音を泳いで ~さらさ~
柳美奈と奏でた音楽の甘い感覚が忘れられなかった。
柳美奈の存在は、あたしの中で大きくなっていった。
そう思って見てみると、柳はいつもどんなに意地悪な事を言われてもたじろがない。
しゃんとして背筋を伸ばして、跳ね返してしまうように感じた
。
二人で演奏したって事があたしの中であったからなのかな、あたしは柳美奈に話しかけちゃったの。
「どんな、音楽が好き?」
柳美奈は、難しそうな本から顔を上げてあたしを見た。
「なんでも。クラシックは基本、ロックも意外だろうけど聴くわよ」
人に話しかけるなんて、あまりしたことがないから後が続かなかった。
柳は黙ったけど、もう一度顔を上げると
「あなたもそうでしょ?たぶん、好みは一緒だと思うわ」
なんて意外な事を言った。あたしの好みなんて何でわかる訳?あたしがけげんそうな顔をしていると
「由梨花に聞いてるから」
って思いも寄らない言葉が柳の口から聞こえたんだ。
「えっ」
って言ったきりあたしは固まっちゃたよ。
だって、由梨花と柳美奈は友だちだったの?一度もそんな事聞いた事がない。
話してるとこだって、あたし見た事ないよ。
あたしの驚いた顔を見ると面白そうに柳美奈はつぶやいた。
「もっとも、一方的に由梨花がしゃべってることの方が多かったけどね」
どういうことなんだろう?学校にいるときは、いつでも由梨花は一緒にいたのに。
「親が同級生だったらしいよ。それだけ」
あたしが不思議に思ってるのを、察知したのか柳美奈はくすっと笑った。
あたしが知らないところで、二人は話をしていた?あたしの話を?
「あなたが思うほど、話した事はないわ。たぶん二回くらいかしら、放課後図書室に来て一方的に話をして返事も待たないで消えたからね」
なんの話をしたんだろう、由梨花は。なんの話をしたのか聞いていいものか、あたしが躊躇していると
「思ったとおりのリアクションするのね。あとは、ノーコメント。この本今日中に読んでしまいたいから一人にしてくれるかしら?」
あたしは何にも聞けずに「ごめん」って言って柳美奈の机を離れた。
由梨花は柳美奈を嫌いだって言った。あたしの知らないところで二人は話をしていた。
そうして、由梨花は柳のお財布を捨てた犯人があたしだとみんなに告げた。なんで?どうして?
由梨花のこと、友だちだって思ってた。大切な大好きな友だちだって思ってた。
たくさんの事、聞いてみたい事があたしの中で渦巻いてる。
どうして、由梨花ここに居ないの?このままじゃ、あたし前に進めないよ。
あたしのどこか、気に入らないとこがあったんだったらはっきり言って欲しい。
嫌いなとこがあったんだったら教えて欲しい。
なのに、どこにいっちゃったのかもわからないなんて、もう出口が見つからないよ。
気がつくとあたしはぼぅ~っとしてそんな事ばかりを考えていた。家にいても学校にいても、ピアノ教室に行ってさえもその気持ちは強くなるばかりだった。
そんな時、「更沙、お前さぁ~キーボードやらない?」
もう一度頭の中で声が聞こえた。
そうだっけ、そんな言葉をかけられたっけ、すごくすごく悲しい気持ちの時に。
忘れてたけど引っかかってた不思議な言葉だった。
そうして、あたしはこの間の変わったお兄さんたちのバンドに会いに行ってみる事にするの。自分でもびっくりしちゃう行動だった。
初めてレンタルスタジオってところに行った。
入り口は狭くて暗い感じでここに人がいるんだろうかと不安で階段を降りていったんだ。
だけど、不思議なことに入り口のカウンターのおじさんはめちゃめちゃ愛想良くあたしを案内してくれた。
「リュウちゃんに聞いてたよ。中学生の女の子が来たらまっすぐに何にも聞かないで連れてきてってね」
あたしは、ニコニコ顔のおじさんについて行った。不思議にやさしさのオーラがにじみ出てるみたいで、不安はなくなっちゃってたの。
ドアを開けたとこからは、もうあたしはこのバンドのメンバーになっちゃってた。
中の部屋は防音の壁に囲まれて機材と人四人入ったら一杯一杯で、はじっこにあるソファーと荷物を置くためのスペースだけしかなかった。
不思議な気持ちで、キーボードの前に立った。そこいらじゅうにコードがうにゃうにゃとあってふんずけないで歩くのは無理そうだなぁなんて考えて見ていた。
バンドのお兄さんたちはそれぞれ、自分の音をチューニングしてるみたいでぶつぶつつぶやいたりしてた。
それから、ギターのお兄さんは振り向くとウィンクして右手を振り下ろした。それを合図にあたしの周りは音の洪水になった。耳からだけじゃなく身体全体が耳になったみたいに響いてくる音。
あ、でもこの曲は知ってる。そう思うと同時にあたしの指が鍵盤の上で歌いだした。
耳の中までわぁ~んと音が流れ込む。
それは、ものすごい快感だった。何て気持ちいいんだろう。音の洪水、そうその中を泳いでいるみたいだ。
そうして、あたしはバンドのメンバーになった。っていうかメンバーみたいになった。
本当はバンドのメンバーになっちゃってもいいなって思ったんだけど、頭の片隅に由梨花と一緒に演奏しようって言葉が引っかかって残ってたから。
それでも、みんな嬉しそうに奇声をあげたりして喜んでくれたのが、くやしいけど嬉しかった。
あたしの仲間?
そんな言葉もあたしのどこかに生まれてきているのを感じた。
あたしの頬の筋肉が自然と緩んでくるのを、一生懸命に力をいれてブスっとした表情をつくって見せた。
何回かバンドの練習に顔を出すようになったあたしは、心の均整が取れてくるのを感じていた。
どんなことがあったって、平気。音の洪水の中に浸って泳ぐだけで、あたしはあたしを取り戻したから。
そうしているうちに由梨花の気持ちを、本当のことを知りたいって思うようになった。
あの時、由梨花に何があったのか。あたしにはしてあげられる事はなかったのか。ううん、きっとあの頃のあたしには、なかったのかも知れない。大好きだったのに、何にもしてあげられないあたし。謝りたいな。気づいてあげられなかったあの頃のあたしを許して欲しい。
そんな願いがかなうかもしれない。由梨花に会えるかもしれない。
そう思ったのは、バンドのメンバーに由梨花へのあたしの気持ちを伝えてから。
バンドのナオトってベースギターは、ちゃらちゃらして目つきも悪いけど思ったより優しいのかもしれない。
由梨花の家が引っ越した理由とか引越し先の住所とか調べてくれちゃって、あたしに仕方なさそうに教えてくれた。
他のメンバーを見てるとナオトは、そういう態度がフェイクだってわかっちゃったんだけどさ。
そんな中身まで見えてくると、心のどこかであったかい何かが生まれてきたみたいだったの。
さらに、由梨花の引越し先の福島にライブにいく事になった。
あたしの心の中は、おもいっきり嬉しさとわくわくで一杯になった。
由梨花に会える。由梨花に会って話そう。少しでもいいから由梨花の気持ちを理解したい。
そうして、このメンバーと一緒にライブを成功させたい。
みんなで喜んで充実感を味わいたい。
あたしは親にうそまでついて、福島に向かう車に乗り込んだんだ。
ワンボックスの車の中で
寝ずに書いた曲が、出来上がった。
なかなかの出来だったが、ナオトのベースがなかなか出来上がらなくて心配した。
ツバサのドラムはさっさとテンポを決めていろいろアレンジを加えていたので心配なかった。更沙はこれまた、まったく不安一つなくコードもアレンジもうまく重なってきた。
ナオトは、考えに考えぬいて走りすぎたり、ちょっとちがうんじゃないかとみんなに言われて落ち込んだりしていた。
みんなが、まあツバサと更沙だけど、首をかしげるのもわかるんだよな。
いつも的確なベースに、たまに走るけど落ち着いてかぶさってくるそんないい感じの音出してたからさ。
だけど、ナオトはいつもと違うわけよね。何がかって、今回路上ライブとかと違うから。
一番意識してるのは、兄貴に自分の価値を測られちゃうんじゃないかって事。
こいつはかなりの兄貴信者で、小さい頃から兄貴のやる事ばかりを追いかけてきたわけだ。
だから、なおさら兄貴に認めてもらいたいって言うか、少し緊張はいっちゃってるんだよね、きっと。
一番上の年の離れた成績優秀な兄貴と、みんなに反発しても自分の道を行く二番目の兄貴。
憧れて追いかけて、そんな兄貴みたいなベーシストになりたくてがんばってるナオト。
かっこいいヒーローの前で一緒のライブに立てる。
こいつの気持ちを誰かほぐしてやってくれないかな。俺は、頭を抱えていた。
突然キーボードの不協和音がスタジオに響いた。
「ばかじゃん!なに表に立つことばかり考えてんの?ベースがしっかりしなきゃ、まとまんないじゃん!」
でかい声。更沙がナオトをにらんで立っていた。
「も、もうすぐうまく音出せるよ。し、心配しないで、だ、だ、大丈夫だよ。さらさちゃん」
争うのが嫌いなツバサが、あわてておろおろと情けない声を出した。
「すまん」
ナオトが文句もいわずに謝った。ナオトのふわふわしていた何かが落ちてきた気がした。
「おまえさぁ、いつものままがいい味でてるってわかってんのかよ」
俺が言った言葉を、ナオトは噛み砕いているみたいに口の中でぶつぶつつぶやいていた。
ふっと顔を上げた。
「もう一度、やろうぜ!」
腹が決まったみたいだぜ。サンキュー更沙、今みたいな台詞は俺もツバサも言えないわ。
ナオトはしっかりしたいい表情で、音を泳ぎだした。
俺らのオリジナルのライブに持って行く曲が、出来上がった。みんな気に入っていたし、なかなかの曲だった。
ちょうど、俺らみんな春休みに入る頃にライブの日程が組まれていた。大学は休みだったが、更沙は、まだ学校があった。
「学校なんて、行かなくってもいい」
そんな言葉をぽつんとつぶやく更沙にナオトがはしゃいだ声をあげた。
「そんでもって、いろんな情報が集まっちゃったわけよ。へっへ~」
また、もったいぶってこの言い方。
「はやく、話せよ!なんだよ」
「どうした、したの?な、なにがわかったの?」
俺たちにまあまあと、手を振りながらナオトはしたり顔で説明した。
「親父の会社の職人さんがさ、良く出入りするとこ行ってさ、俺、コーヒーなんか差し入れしちゃってよ」
なんだ、こいつは。なにがわかったのか、さっさと話さないと俺まじ切れそう。
俺の顔見てあわててナオトが言った。
「由梨花ってやつの家の事だって。親父が結構ぼんぼんでさ、かなりやばい金儲けの話にのっちゃってそんではじけちゃったみたいだぜ。で、その差し押さえなんかで出てきたのが柳ってやり手の弁護士だって話。あれ、柳って聞いたことあったっけって俺思ったわけよ」
じっとナオトの口元をにらむようにして見ていた更沙は
「クラスの柳、そういえば父親弁護士って聞いたことある」
うれしそうにナオト。
「な?な?やっぱそうだろ?だから、由梨花が財布捨てろって言ったのよ、きっと」
「じゃ、どうしてあたしが捨てたって言ったんだろ?」
少し引きつって笑うナオトは、中身が全部透けて見えてるみたいだぜ、ほんと。
「それは、うぅ~ん、わかんねぇ~」
まあ、こいつなりに更沙のこと心配して話聞きだしてきたって事は認めておこう。
「まあナオトのおかげで、一歩は先にすすんだじゃんか。事実捨てたのはお前なんだし、後は直接聞いてみるんだな」
心配そうにみんなの顔を見ていたツバサが何度も首を振って
「そう、そう、そうだよ。福島行くんだから、会うといいよ。きっと会えるよ」
最近、こいつスムーズにしゃべる時多くない?
「うん、そうする」
上を向いて力いっぱい、更沙はめずらしく声を大きくした。
そんなこんなで、新曲も仕上がって準備も整ったところで金曜日の夜中、俺らは出発した。
ナオトはワンボックスの車を借りてきたから、余裕を持って荷物も積み込めた。
それでも、後ろの席は小さくなって座らなくちゃならなかったけど。
「おぉ~い!そろそろサービスエリアだぜ~俺休憩してぇんだけど~」
運転しているナオトの声に、爆睡中のみんなが飛び起きた。
「ご、ごめんよナオトばかりに運転させちゃって。ぼく免許持ってないから、なのに寝ちゃって」
ツバサが気にしてる。俺は、ここから運転代わるつもりだったからゆっくり眠らせてもらったけどね。
「次俺、運転すっから」
嬉しそうにナオトは、
「じゃ、ここで何か食ってもいい?俺、腹減っちゃった~ぺっこぺこだぜぇ~死にそう~」
食ったら寝てろって。
みんなで、早いけど朝飯食うことになった。例によって、ナオトは三人前くらい食っていた。
蕎麦にお握りにホットドッグ。まだ食いたそうなナオトを引きずって車に乗せた。
もうすぐ、夜明けだった。
東の空が明るくなっていて、澄んだ青空が寒そうに北へ向かう俺たちを歓迎しているみたいに見えた。
冷たい風に当たって、たっぷり睡眠をとったメンバーは、眠気も覚めて新曲を口ずさんでハッピーな空気で車内が満ちていた。
ゆれるよ、ゆれる、north wind
待ってるよ、待ってspring wind
きっと来るよ、きっとsouth wind
飛ばされないよ
迷わないよ
立ち止まらないよ
車内は、大合唱だ。もう、小学生の遠足かっつうの。
「この歌、あたし好き!」
俺の運転席に身を乗り出して更沙が言う。
「こりゃ、どうも。光栄です」
「リュウノスケ、はっきり言ってお前は天才だ!俺らは天才バンドだぁ!」
ナオトは夕べから寝てないのに、大丈夫なのかねハイテンション。
確か、酒は飲ませてないはずだけど。助手席に座らせなけりゃ良かった、うるせぇよ。
「いつも、リュウちゃんの作る曲は最高なんだよ!」
こりゃまた、どもってないツバサは、どうしちゃったの?って感じ。
高速は車も少なくて、運転は単調だったけど結構楽しかった。
仲間と一緒の時がやっぱ一番じゃん。
この曲はあの時浮かんだんだ。風に吹かれる更沙が菜の花みたいに笑った、あの時。
こいつ、話べたでいろんな事腹の中に思ってるくせに、言葉にできないでもがいてる。
いいや、ってわりきっても何かが動いてる。
そんな自分が嫌いだって思ったり、どこかに自分の居場所がないかってさがしてる。
全部、俺に重なって見えた。
大合唱も終わって、交通情報でも聞いてみるかとラジオをつけたのがやぶへびだった。
『中学生がマンションの屋上から飛び降りたらしく、警察ではいじめで自殺の可能性も調べています』
やべっ。へんなニュースが流れて空気が色を変えた。
「なんで、死んじまうのかね~。死んだ気になれば何だってできるんだけどよ~、そこには気づかないんだよな~やっぱ」
まともな意見だナオト。そこまでにしとけ。
「そうそう、ツバサもひどかったのよ、いじめにあってさ」
ほら、来た。
「そ、そんなことないよ」
「なんで?なんでいじめにあったの?」
ツバサの言葉は耳に入らないのか、更沙はナオトのいる助手席に身を乗り出して聞いた。
「え、ほら、女子ってさ、からかうじゃん、ツバサ結構顔かわいいし、気、弱そうでしょ?で、ツバサがからかわれるとかっこいいリュウノスケが助けてやる訳よ。『やめろよ』ってね」
「そしたら、それで終わりじゃないの?」
不思議そうに首をかしげる更沙。
「そう、それで終わってたわけよ。リュウ様かっこいいって」
俺の胸の奥で何かがひりひりしていた。
ツバサは臆病で俺の後をいつもついてくるような子供だった。
小さい時から、俺はいじめられるツバサをかばってやっていた。
ツバサもそれが当たり前のように生きてきていたんだ。
中学校の二年生の頃。
俺はもともと背は高い方だったが、どんどん伸びてるのがわかった。
同時に、思春期じゃん。カッコとかつけたがる時期なんだよね。
俺も、背が伸びるし周りの女の子なんかが騒ぐのもいい気分になっていたし。
ツバサは相変わらず、弱弱しくって恥ずかしがりやだった。女子にからかわれるのもしょっちゅうだったし、たまに馬鹿にされたりもしてた。
でも、いつも俺が表に立っていたから守られてる感じだったわけ。
女子はクラスで一番背が高くて、そんなにおしゃべりでもない俺のことを、リュウ様なんて呼び出した。
俺も、それなりにカッコつけてたから、いいんじゃんってな感じでリュウ様をやってた訳ね。
俺の中で、ベクトルが狂った時期だったのかもしれない。
俺の横で、おどおどしてどもったりなんかしてるツバサにいらいらしだしたのは、その頃だ。
いじられて助けを求めるツバサに、知らん顔し出した俺はみんなで町に繰り出してはきゃーきゃー言われるのを楽しんでいた。
『ツバサくんって、リュウ様がいないとなんにも出来ないんだよね』
誰かが言った。
俺は、次の日からツバサを無視し始めた。逆にツバサのいじめに参加しだした。
クラスでは徐々に、ツバサのいじめがエスカレートして行ったんだ。
クラス発表の代表には、ツバサを推薦した。人前でどもっちまうあいつの事を知っていたのに。
どもって話一つできないあいつを見て、クラス中で笑ってた。
ひどいやつだったと思うね、思い出すと胸の奥が火傷したみたいにひりひり痛む。
「だけど、リュウ様はツバサがからかわれても助けてくれなくなっちゃうんだよな~。俺、隣のクラスでこいつ、悪魔かと思ったんだぜ~」
ナオトが言った言葉が、俺を貫いた。悪魔、ねぇ。
「そんなことないよ。リュウちゃんはいつまでも一人で生きていけない僕のこと考えてくれたんだよ」
すんなり口から出たツバサの言葉が、さらに俺を一人にさせる。
黙ったまま、握るハンドルが汗ばんでる。景色は明るく遠くの方に山が見えている。
「俺の過去をそんなにほじくって事故っても知らねぇぞ!」
更沙が後ろの座席に深くもたれて
「ふぅ~ん、触れられたくない過去ってやつなんだ」
そうだよ。俺の人生の中であの頃の俺が一番大嫌いな俺なんだから。
「で、なんで悪魔がかわったの?」
更沙が厄介な事を聞き出した。それに答えるナオト、いいかげんにしろよ。
「そうそう、クラスの何だっけ、発表があったわけよ。で、ツバサがしどろもどろで固まっちまってた訳ね。で、悪魔のリュウ様が『何か、言えよ!』って全校生徒の前でどなったのよね~」
ああ、俺は悪魔か。まあ、否定はしないが。
「体育館が、爆笑の嵐って時よ~。死んでたツバサが甦ったのよ」
おしゃべりナオトは、おもしろそうに真剣に話している。興味津々の更沙。
周りの景色は、緑濃くなってどんどんすがすがしさを増しているのに、車の中はひどいもんだよ。
「叫んだのよ。『僕は、ちゃんと一人で立つことが出来るんだ』ってね」
「ふぅ~ん、すごいじゃん」
更沙の言葉を聞いてツバサが目を輝かせていた。
「そう、そそれまでの僕は自分でも大嫌いな僕だったんだよ。リュウちゃんの影に隠れて助けを求めて生きてたんだ。でも、リュウちゃんはそれじゃいけないって教えてくれたんだよ」
ツバサが、おしゃべりになった。
まあ結果的に、そんな解釈もあるかもしれないけど、なぜかその頃の事は思い出すと痛むものがあるのよね。
ツバサにいらいらしてたのは確かだったけど、自分は何様なのよって俺のどこかで声がするんだ。
ツバサの良さは、小さい時から一緒だった俺が一番良く知ってるのにってさ。
いつか、ツバサは気づかなくちゃいけなかったのかもしれないけど、そう考えて選んだ方法ではなかったし、もしツバサが押しつぶされちゃってたら、と考えると身体中が凍りついてしまいそうになる。
「だから、リュウちゃんは僕をちゃんと助けてくれたんだよね」
くったくないツバサの笑った顔がバックミラーで眩しく輝いてる。
「ふぅ~ん、なるほどね~」
更沙が窓の外を眺めながら、何を考えてるんだかわからない顔でうなずいている。
静かにエンジンの音が聞こえている。道は緑一杯の中にまっすぐに伸びている。
ゆれるよ、ゆれる、north wind
待ってるよ、待ってspring wind
きっと来るよ、きっとsouth wind
飛ばされないよ
迷わないよ
立ち止まらないよ
更沙が透き通るような声で歌った。みんな、それを聞いていた。
もうすぐ、福島だ。
俺たちの音
福島の市内にあるライブハウスは、すぐに見つかった。
ちょっとした路地を入ると意外に大きな看板がかかっていた。
その前のホワイトボードには
『DIGGIY ZOON、らぶすねぃく、他』
と書かれていた。
「俺たちって、やっぱ他ってやつよね~」
ナオトが覗き込んで、面白い顔をした。
『DIGGIY ZOON』のベースはナオトの兄貴だ。この間、テレビにも出たって聞いたけど見てないし曲もまだ聴いたことはなかった。
ナオト的には、人気急上昇中だそうだ。俺はそういうことにはうといから、良くわからないけどね。
「これが、かっけぇ~のよぉ~!」
ナオトの感性は信じられるんだけど、こと兄貴が絡むと理性を失うから自分の耳で聞いてみないことにはわからないな。
「へぇ~~、た楽しみだな~、はやく聞きたいな」
ツバサがぽわんとした顔をする。
「あのねぇ~、聞く前にあたしたち演奏するんだと思うよ!わかってんの?」
更沙の言葉に、急に顔色が青くなってるよツバサ。しっかりしてくれよ。
俺たちは、午後六時半からのスタートには十分すぎるくらい前に楽屋に入れてもらった。
まだ、誰もいない狭い楽屋に、とりあえず荷物を入れた。
もう一つのグループと一緒に一部屋でスタンバイという事だった。
とにかく、メインのアーティストが使うリハの時間以外でリハーサルしておいてくれという事だったので、まだ昼前だったけどリハ演奏してみる事にした。
とっかかりはまずまずだったし、みんな疲れてるのも忘れて演奏した。その頃には関係者の人がぽつりぽつりと現れたり消えたりしていた。
一通り演奏も出来たし、俺たちは町に昼飯を食いに行く事にした。
「俺ら、客のいるライブハウスで演奏するんだなぁ~」
オムライスの大盛ってやつを注文して、半分食べたところでナオトが宙を眺めながらつぶやいた。
「でで、も僕たちが目当てじゃないからお客さんたち。聞いてないかもしれないよ」
ツバサにしては、めずらしく落ち着いた意見だ。こっちは普通のオムライス。めちゃくちゃ小さく感じるけど、ツバサこれで腹一杯になるのかね。
「そういうやつらに、聞かしてやるんじゃんか!びっくりさせてやるんじゃんか!」
意気込みが違う更沙は、そうかこれから転校していった友だちに話をつけに行くんだっけ。
更沙の食べているスパゲティーカルボナーラはうまそうだった。こっちにしたほうが良かったかな?
「それ、一口くれない?」
ぺペロンチーノを食べながら俺は、更沙の方に手を伸ばした。
「やだ!自分の食え!」
こいつはけちだねぇ~。
「けち!おまえさぁ~、なんか戦闘モード入ってねぇ?そんなんじゃ、うまく話せねぇよ~」
「ふん、一口だけだからね!」
「お、さんきゅ~、まあ相手の話を聞くつもりで行けよな。詰問は無しな!」
やっぱ、カルボナーラにすれば良かった。
そこから、通り三本くらい西に行ったところのマンションに更紗の友だちの由梨花ってやつが住んでるらしかった。いきなり行って、会えるかどうかはわからないが更沙の気持ちが前向きになってるのだけは確かだった。
ゆっくりお茶してる俺らにひきつった笑顔で手を振って、更沙は店から出て行った。
再会 ~さらさ~
福島までの車の中は、まるで小学校の遠足みたいだった。
みんな年上には思えないほど、幼稚で気楽で優しかった。
車の中で不思議な話を聞いた。
ツバサをリュウが中学生のときに、いじめてたって。
そこにいろんな気持ちが絡まりあってるみたいで、あまり人の事に興味を持たないあたしが二人の心の中をのぞいてみたいって思ったの。
彼らには彼らだけにしかわからない何かがあるのかもしれない。
でもちょっとでいい、その気持ちわかりたいと思った。
その時を乗り越えて今目の前の二人がいるんだものね。
その気持ちがあったからの二人なのかもしれないなって、かってに思ったりしちゃったんだ。
人の気持ちも感じることも、わかった気がしてても本当はわかんないものなのかもしれないって。
ふと、由梨花の顔がちらちら浮かんできたりした。
車はもうすぐ福島に着こうとしていた。
町の大きさは思ったより都会だった。
周りに山が見えてるけど空気がきれいとか、そんなには感じなかった。ビルが立ち並ぶ中に入っちゃったら、東京だって言われたってわかんないなって思った。
でも、来たんだって胸いっぱいに気持ちは広がってた、たぶんみんな。
ライブハウスっていうのはビルの地下にあって、ちょっとしたレストランくらいの大きさの店だった。
あたし達四人が拡がってちょうど位のステージがあって、二メートルくらい先に客席になるらしくポールが立っていてロープがはってあった。ステージに上がってこれないようになんだろう。
あたしは小さな体育館みたいなのを想像してたから、暗い客席を見つめてたいした事ないなって思っちゃたんだ。
うん、駅前でライブとそう変わらないじゃん。
三曲リハーサルをして、まずまずだなって事でみんなで昼ごはんを食べに外に出た。
ライブが始まるのは夜の六時半くらいだから、時間は十分にある。
あたしは由梨花の家の住所の書かれた紙を握りしめてメンバーに手を振って、店のドアを開けて町に出た。
今日はいい天気だった。遠くの方の山は薄く空に浮いて見えた。
でもやっぱり、町の様子はあたしが住んでる町とそう変わりないよ。商店街の裏はもう住宅が広がっている。
パソコンで調べておいた路地をぬけると、あった。
ナオトにもらった紙に書いてあった住所のマンション。
四階建てのこじんまりした建物のベランダには洗濯物が風に吹かれてサワサワゆれている。
あ、ピアノの音が流れてくる。由梨花かな、この音由梨花なのかな。
そう思ったけど、ピアノの音はバイエルンだった。
一生懸命がんばって練習してる音。まだまだ、曲が弾けるのが楽しくなってきた頃のふわふわした旋律。
あたしは、ポストの苗字を確かめてぎゅっと手を握った。
会えるかもしれない、由梨花に会えるかもしれない。
そうだ、会ったらなんと言おう、まだ何にも考えてなかったよ。
本当に会えるかもしれないと思ったら、胸がどきどきしてきた。エレベーターの前でボタンを押そうとしたまま考えていると、チンと音がしてエレベーターの扉が開いた。
中からあたしの肩めがけてピンク色の髪の毛が突進してきた。つんつんとディップで固められた頭は化粧品の匂いがした。
「いたっ!」
「ごめん!」
二人同時に声を出した。
「えっ」
「はっ?」
もう一度二人して声をあげた。
あたしがわかったのと同時に相手もわかったらしかった。
信じられなかったけど、ピンクの頭は由梨花だった。
あたしは、驚いて声が出なかった。
「さらさ、どうしたの?こんなとこまで何しに来たの?」
良く見てみると、由梨花のさらさらヘアーはピンク色の綿菓子みたいにウェーブがかかって天辺はツンツンと立っている。大きな瞳の周りにはアイシャドーがこれもピンク色にぬられていてマスカラで黒くカールしたまつ毛がお人形さんみたいに見える。
薄紫色の唇は、なつかしそうに微笑んだ。
「あ、私あんまり時間無いんだ。こっち来るんなら連絡してくれれば良かったのに。あ、連絡先おしえてなかったっけね」
微笑んだその顔の向こうには昔のままの由梨花がいた。すごくなつかしい大好きな由梨花が。
由梨花が指差した先にはマンションの中庭の公園とベンチが、ここだよと言っていた。
二人でベンチに座ると、ついこの間が遠い遠い昔の事のように思えて悲しかった。
「あたしね、こっちに来たついでにね。由梨花に聞きたいなと思って」
「ごめん!忘れて欲しくなかったんだ、私のこと」
「え?」
良く意味が飲み込めなくて聞きかえしたあたしの顔をじっと見つめて
「だってさ、柳美奈が離れたらきっと更沙は私の事忘れちゃうって言うからさ」
まだ、何を言いたいのかわからない。
「私ってさ、八方美人だったじゃない?みんなに気を使ってみんなが喜ぶ事言ってね」
八方美人、そんな事ないのに、由梨花はそんな風に感じてたのかな。
「自分を殺すって言うの?そんな生き方してきたの、小さい頃から。いい子ちゃん演じてきたの。自分の意見なんて言ったことないの」
黒いスリムのジーンズをぱたぱたと叩いた。ピンクのサンダルを脱いで両足を前に伸ばして大きく伸びをすると白いジャケットがふわりとめくれた。ラメの入った黒のタンクトップが中からのぞいた。
おとなしいかわいいファッションの由梨花しか知らないあたしには、今のほうが演じてるように感じちゃうのにな。
「ずっとずっと、更沙は私の理想だったんだ、考えた事ないでしょう?」
いつでもどんな時も自信に満ち溢れて誰からも好かれていた由梨花の言ってる事を、あたしの頭は理解できなかったの。うなずかないまま、じっと前を見ていた。
「自分の肌で感じた事を信じてて、人にへつらう事もおべっか使う事もなかったよね、更紗は。それに比べて私は人の目が気になって気になって、相手が私のことどう思ってるのか嫌われやしないか、そんな事ばっかりが気になっちゃってたの。おかしいでしょ?」
あたしは、唇をかんで首を振った。そんな事ない。
「柳美奈は更沙に似てる気がしてた。あ、もう知ってるだろうけど私の家って破産ってやつで大変だったのよ。で、いろいろと少しでも生活できるようにしてくれたのが柳美奈のお父さんでさ。娘と同級生がいるんで人事に思えないって。まあ、感謝はしてる。でも、柳美奈は言ったのよ。『八方美人のあなたの事はすぐにみんな忘れてしまうよ』って。でも、私は更沙に覚えていてもらえればそれでいいって思った」
やっぱりあたしの頭は、ついていけないで困っていた。
「柳美奈はもう一つ言ったの『桐嶋更沙は私に似たものを持ってる。好きだな』って。転校する事が決まった私はどうしても更沙に忘れて欲しくなかったの、わたしの事」
忘れるはずないのに。
「怒ってもいい、恨んでもいいって思ったんだ。ひどい事しちゃったのにね。でも謝らなくていいかな?だって、こうしてここまで来てくれて、本当に信じられないくらいうれしいもん」
由梨花の目から涙がこぼれた。我慢してたから大粒になっちゃって、マスカラがとけて黒い涙。
あたしの中からも熱いものがこぼれてきちゃったよ。胸の中まで熱くなっちゃった。
「あ、もうこんな時間。私行かなくっちゃ。わぁ~化粧し直しだなこりゃあ」
ピンクのバックの中から鏡を取り出して眺めて、あたしにウィンクをした由梨花は昔と何かが違っていた。
化粧した顔の奥のほうで何かが変わってるのがわかった。
「じゃ、今日はすっごくいい日になりそうだよ、更紗に会えたから!私、昔の八方美人はもう捨てちゃったから今だったら更沙の本当の親友になれると思う!」
そう言うと、大きく手を振ってピンク色の頭を揺らして町の方に走っていった。
なんだか、嵐が去ったみたい。でも、いろんなものを連れて行ってくれた。引っかかっていた何か、わかんなかった何か、会いたかった熱い気持ち。
良かったな来てみて。ナオトに感謝しなきゃな。
ああ、そうだ。あたしも時間そんなになかったんだった。
あたしは急いでライブハウスに続く道を走った。
路地から通りに出て角を曲がる。曲がった先のきれいなビルの入り口には、まだ開場には三時間前だって言うのに人が並んでいた。急いで手前の路地からビルの裏手にまわった。非常用の地下入り口があってあたしは駆け下りた。
午前中に通された楽屋は人も物もいっぱいで、あたしたちのバンドのメンバーはいなかった。
そういえば、あたしたちのバンド名ってなんなんだろう?誰かに聞いてみようとしてあたしは呆然としていた。入ってきたお兄さんがあたしの顔を見て
「ああ、あんた『竜の翼』のキーボードね、まだこの上の階でのんびりしてていいよ。メンバーもそこにいるよ」
知らなかった。『竜の翼』ってそのまんまじゃんか。一度も聞いたことなかった。ふぅ~ん、竜の翼ねぇ~。
あたしは、階段を上がって三階のスタッフルームと書かれている部屋に入ろうとした。
中から、聞こえてきたのはナオトの怒鳴り声だった。
どうしたの?あたしは急いでドアを開けた。
ナオトが知らない人の胸ぐらをつかんでいて、リュウが右手を振り上げて殴るとこで、何がなんだかわかんないままあたしは叫んでいた。
トラブル
楽屋には機材を運び込む人やらギターを下げた人がたくさんいた。
ナオトが奥のスタッフらしい人と話をして、俺らは三階のスタッフルームと書かれている部屋に入っていった。
ドアには『竜の翼』と書かれた紙が貼られてぺらぺらとゆれていた。もうひとつ貼られている紙には『ブラッククロウ』とあって、メインの他ということがわかった。
入っていくと、ごちゃごちゃと物置のように奥に物が積み上げられていてテーブルと椅子がいくつか置いてあった。
ソファーがはじに置いてあって、そこには黒い皮のパンツ姿の男が横になっていてそばの椅子には黒いティーシャツとジーンズの男が二人いた。
「ちぃ~す」
「ここ、こんにちわ」
「うっす」
ギターを抱えて入っていく。横になった男がサングラスをちょっとはずしてこっちをみながら手を振った。他の二人も「おぅ~す」とか言葉にならない声を上げて頭を下げた。
と、突然横になっていた男が身体を起こすと
「あぁ~~?」
と、声を上げながら黒いサングラスをはずした。
「ナオトじゃんか」
ナオトが椅子に腰掛けようとしていたが、びっくりした顔で立ち上がって振り返った。ナオトの顔が引きつっている。
誰だっけ?この声、聞いたことがあったけどナオトの友だちだったかな。俺は腰掛けてそいつの顔をよくみてみた。
「おお、リュウノスケにツバサね。『竜の翼』ってお前たちだったんだ。まんまじゃねぇか」
そうだ、こいつは俺らのバンドの元キーボード。
名前は、なんっつったかね?ナオトがつれてきてナオトが追い出したやつだ。
何回か一緒にやった。悪くなかったんだがいつのまにか消えてたから、名前も覚えてないな。向こうは良く覚えてるもんだ。感心だね。
「今、俺たち『ブラッククロウ』は『DIGGIY ZOON』にメッチャかわいがってもらってるのよ」
なんて偉そうに言う。
けっこう鼻にかけたタイプだったのね、こいつ。他のやつは小さくなっててこのバンドしきってるのがこいつだってのは明白だった。
「た竹本くん、だったよね、よね」
ツバサが俺にささやいた。ツバサ名前おぼえてるんだ。俺はどうも人の名前覚えらんなくってやばいよ。
「あ~らら、ツバサまだ、どもっちゃってるの?歌うときはどもんないのになんででしょうね~」
こいつは、かなりうざいって事も判明しちまったな、まだまだ時間あるのに一緒にいるのはやばいっすね。
出てってもいいけど、更紗が来るまではここにいてやんないとな。
ふと更紗の顔がちらついて、気持ちが遠くのほうに飛んだ。
あいつ、友だちに会えたかな。すっきりするといいんだけどな。
ほかの事に思考回路を使おうと試みた訳じゃなかったんだけどね。
だけどやっぱり、こいつは思った以上にうざかったのよ。まずいな。
「リュウ様は、今日はお付の者もなしにさびしくないですかぁ?」
黙ってギターを出してチューニングをしてみる。
「だいたい、いじめっ子といじめられっ子が一緒にバンド組んじゃうなんて誰も想像してないからね~」
「おい!タケ!」
ナオトが怒りに震えてる。なんだか、車の中で散々人の過去ほじくりだして言ってたのと変わんない事言ってるのにね。このくらいだったら俺はオーケーだよ、タケ。
「どもってても、りっぱだったよな。ツバサの演説『僕は一人でも立っていられます~』ってな」
俺の身体が跳ねた。空を切って右手がタケの顔めがけた。横でナオトの手がタケの胸ぐらを掴みにかかっていた。
「のやろぅ~」
殴った。気がしたがタケの顔には当たらなかった。大切な声が聞こえた気がした。柔らかい髪の毛がふわんと俺の顔をなでてすぅっと落ちていった。タケの胸ぐらをつかんだナオトが大声を上げた。
「さらさ!ばかか、おまえ!なにやってんだ!」
ツバサがくずれおちる更紗の身体を抱いた。
更紗の頭を俺は殴っていたんだ。どうしてこんなところに割って入ってくるんだ。
「だいじょうぶかっ!」
こぶしを振りぬく最後にちがうと思ったからか、腕は伸ばしきっていない。
力も思いっきり入ってはいないと思う。だけど、男のパンチを頭に食らってかよわい女の子が倒れない訳がない。
更紗はゆっくりと目を開けた。
「いたいよぉ~、リュウ。何やってるのよ、もう!」
更紗が自分の頭を痛そうにさすって、びっくりした顔をする。
「ひどいよ!たんこぶができちゃったじゃんか!どうしてくれるのよ!」
いつもみたいに、キッとにらみつける俺の大好きな表情。大丈夫みたいだ。俺もナオトもツバサもへなへなとそこに座り込んだ。
突然の惨事に、さっきまでふてぶてしい表情だったタケが真っ青になっていた。
女の子が殴られる瞬間を目の前でもろに体験しちゃうんだから、まあ普通の神経してればびびるよな。
どうしたらいいかわからないって感じで、俺たちが抱きかかえる更紗の顔を心配そうにみつめて動けないままだ。
「だ、大丈夫か?俺がけしかけたから。け、怪我とかしてねぇかな」
ツバサみたいにどもってるじゃん、タケ。
心底悪いやつじゃないのかもね。まあ、まがりなりにもナオトが連れてきたやつだったしな。
「すまん、ほんとに、わりぃ!女の子がメンバーにいるなんて思ってなかったし。俺、一発殴られてもいいからリュウに思い出してもらいたかったって言うか。昔、ハブにされちゃったうらみつらみがつい出ちゃったっていうか」
タケが口元に手を当てて驚いたままの顔で、申し訳なさそうに更紗に頭を下げた。
ちょっと待て。ハブられた?
俺、こいつのこと覚えてないけど、ハブっちゃってたっけ?
そんな記憶はどこにもないんだが。
俺は、記憶の糸を手繰り寄せた。
ええと、あの頃。
ツバサが俺らのいじめから立ち上がって独り立ちして、俺はみょうに自分の嫌な部分に自己嫌悪に陥ってた高校の時、ツバサとまともに話もできなくなってて。
ナオトがギター持ってきてバンドを組んでツバサに声をかけた。
ツバサを追い込んだ過去を一生懸命心のどこかにしまいこもうと俺は必死だった。
ナオトがそんな二人の間のクッションになってくれてたんだ。
俺とツバサの仲がようやく昔に戻った頃だ。
バンドの中でようやく普通にツバサと笑えるようになった頃。
そうだ、そんな頃タケは入ってきた。
「俺、ナオトの兄貴のファンで、リュウノスケとも一緒にやりたかったからさ」
後から入ってきたこいつには居場所がなかったのか?
俺の知らないところで傷つけてたのか。
なんだか、なさけねぇな、俺。
ああ、まだまだ修行がたりねぇよ。
こいつにも悪いことしてたのかもしれないと思うと、悔しい思いで一杯になった。
「ハブられたって、文句言ったらナオトに殴られちまってよ。もう少し我慢してろって怒鳴られて、そんなら辞めるって言ったら出てけって言われたんだ。まだ、青かったよな俺さ」
タケの言葉に苦い顔をしてナオト
「悪かったな、もう少ししたらお前の良さもわかりあえたのかもしれねぇのによ。俺あせってたんだ」
結局、俺とツバサの事を思いやって起こったことだったって訳なのか?
悪いのは俺なんじゃないのか?今まで、何一つそんなこと考えたことも無かった。
自分の知らないところで、見守ってくれている気持ちがあるんだ。
人は人の痛みがどれくらいわかるんだろう?
痛いなって想うその想いに色づけられた肉片まで一緒に感じられることはないんだろうな。
そう思うと、人を傷つけることの恐怖にとらわれてしまいそうになるよ。
だけどさ、人は勝手なもので自分の痛みを他人にもわかってもらいたいって思うんだ。
そうして、わかってくれないことを恨んだりする。所詮、人の痛みは自分のそれとは同じとは限らないのにね。
タケにも俺、悪いことしてたんだな。
更紗は、たんこぶを冷やしながら由梨花に会った話をした、うれしそうに楽しそうに。
それが俺の気持ちを静めて優しいものにしてくれた。
まずいことに、更紗のたんこぶは結構な大きさになってた。
「切れてたら流血もんだったね」って更紗は笑い飛ばしてくれた。俺の心はめちゃめちゃ痛かったけどね。
ツバサが薬局で氷嚢と氷を調達してきてくれた。冷やすと、更紗は「寒くなるよ」って震えてた。
じきに会場だ。ライブ会場に客が入ってくる。更紗のたんこぶは少し小さくなっていて
「もう平気だよ、それよりみんなしっかりやろうね」
少し緊張した表情は、きりっとして澄んだ瞳が輝いていた。
三人とも、そんなことの後で緊張することを忘れてたみたいだった。しっかりしてるのは更紗だったみたいね。こいつ、俺らのバンドには必要不可欠な存在になってるよな、もう。
いよいよ、会場のざわめきが聞こえるスタンバイの部屋にうつる。
俺らのバンドがしょっぱなを飾る。三曲演らしてもらう。
「どどきどき、ししちゃうね~」
「たいした大きさの場所じゃないから大丈夫だよ。あたしもっと大きなホールでピアノの発表会やったけどたいした事なかったからさ」
「でも、『DIGGIY ZOON』とか俺たちの演奏聞いてんだぜ!」
ナオトは、あくまでもそこんとこが重要みたいね。
「まあ、ロータリーで演るのと変わりないさ!」
俺は自分自身に言った。
そう、俺たち目的で来たやつらじゃないけどそいつらに俺らの音が届けばオーケー、響けば大成功って感じじゃないの?
「まあ、気合も気持ちも入れて行こうぜ!いつもみたいにさ!」
「おぅ!」
「うん!」
「わわかった!」
俺らはひとつだった、確かにその時。
ステージへ
開演時間が来た。
小さなステージに出て行く。
オレンジ色に照らされたその場所はさっきまで見ていた小さなステージとは思えないほどにでかかった。
ステージ中央にあるスタンドまでどれ位あるのか、遠い場所まで長い距離を何歩も歩いた気がした。
がやがやという人の気配とわぁといううなり声みたいに聞こえる歓声。
すぐ目の前に人がいて俺らを見ている。
息を大きく吸い込んでナオトを見る。硬直した表情のイケメンのナオトがいて瞳が輝いている。『オーケー、いつでも来いよ!』と言っている。
振り返ってツバサを見た。下唇を噛みしめてやる気まんまんだ、ツバサいい顔してる。
右後ろに身体をひねらせて更紗に視線を移す。
いままでで一番のいい顔。曇りひとつないまっすぐな瞳がきらきら光ってる。
俺を落ち着かせるように、にっと口元が笑って親指を立てた。
ナオトとツバサも親指をたてて笑った。
「よし!」
心の中で俺はつぶやいた。全員がすっと自分のパートと同化するのがわかった。
ツバサのスティックの音が軽快に響く。胸の奥に大きく響いてわくわくする。
俺らの音が小さな粒子に乗って飛び散って行く。四方八方に、生きて意志を持って自由に気ままに、はじけて絡まって重なって。
ゆれるよ、ゆれる、north wind
待ってるよ、待ってspring wind
きっと来るよ、きっとsouth wind
俺らの音を聞いている音がしているようだった。
目の前に立っている大勢の人たちが耳を澄ませている音が。そんな音ってあるのかなって気がして、不思議だったけどたしかに聞いてくれている音がしている。
響いているのがわかる気がして、身体中が熱くなる。俺らみんな一つになって音が巡って弾けている。
飛ばされないよ
迷わないよ
立ち止まらないよ
ここにいるよ
手をのばしてsweet wind
曲が終わると、ものすごい音がした。
わ~んという意思のある響く音。拍手の音と一緒にピィピィという音、何か叫んでいる声も聞こえた。
それが、俺たちが初めてステージに立った瞬間だった。
俺たちの忘れられない一瞬になった。自分らで飛ばした音が弾けて膨らんで俺らの元に返ってきた瞬間だった。
俺もナオトもツバサも、そして更紗も瞳がダイヤモンドみたいに輝いて笑った。
自分で出した音は、何かに跳ね返ってちゃんと自分のもとに戻って来るんだ。その大きさに気づいた瞬間でもあった。
家出 ~さらさ~
あたしたちの初めてのステージは、すごく熱かった。客席からあふれるほどの拍手や声援は胸の中に大きく響いて残った。
リハーサルとは全然違って大きなステージが、あたしたちを迎えてくれた。
そして昼間たいしたことないな、なんて思った場所とは思えないほど人の熱気で熱くなっていた。
こんなにたくさんの人が入れるんだって驚いて心臓がどきどきした。
興奮して大きな声をあげるナオト、いつもと違ってまっすぐ前を向いてドラムを叩くツバサ。
いつもより強い気持ちを感じるリュウの艶のある声。
自分でも信じられないくらいに滑らかに鍵盤をすべってリズムにのったあたしの指先。
本当に最高だった。
最高のバンドだったよ、あたしたち。
そうして、最高の音を出し終えたあたしは楽屋に戻ったことさえ夢の中の出来事みたいだった。
みんな、エネルギー使い果たしたって感じで、なんだかぬけがらみたいだったよ。
そう、だから最後になにか大切な声を聞いた気がしたけどそれがなんだったのかあたし、わからなかったんだよね。
その瞬間、何かが稲妻みたいに走ったんだけどもう、すぐに頭の隅に追いやられちゃって。大切な何かだってわかってたくせに。
あたし達が帰る車の中でぐったりしてたのは、もう当然のことで、ただただ家に帰らなくっちゃって感じだったの。
周りは、時間さえわからない夜の闇に包まれて静かだったし、土曜日だったから人も車も少なかった。
ナオトは何しゃべってるんだかちんぷんかんぷんだったし、ツバサはちっともどもったりしなかったし、リュウはまっすぐ前を見て運転するだけで一言もしゃべらなかった。
あたしは、思考回路がショートしちゃってるみたいでな~んにも考えられなかった。
でも、みんな気持ちいい顔してた。
そして、気がつくともう東京だった。
みんな、ぬけがらみたいに手を振って別れた。
だから、そんな事が起きるなんて想像してなかったんだよね。あたしは、ただ布団の中にもぐりこんでたっぷり眠りたかっただけだったんだもの。
家についてドアの鍵を開けて、そうっと中に入った。夜中じゅう車に座ってたから、腰が固まっちゃってるみたいだな、なんて思いながらパパとママを起こさないように階段を静かにあがっていって自分の部屋に入るとベッドにもぐりこんだ。
朝の七時くらいだったと思う。
遠くのほうで電話の音がしてた。
うるさいなぁ、頼むから寝かしてくれよ、って思って布団をかぶった。
「さらさ!大変よ!」
ママがドアを開けた。なに?何だって言うの?
「休みなんだから寝かしてよ!」
あたしは、機嫌悪そうにもぐって顔を出さなかった。
「由梨花ちゃんが家出したって、あなたに会いに行くって置手紙残していなくなったって。今、由梨花ちゃんのお母様から電話があったの!」
うぅん、何言ってんだろう?ママおかしいんじゃないの?由梨花だったらさっき会ったばっかりじゃんか。
だいたい福島って遠かったよ、思ったより。
「もう更紗ったら、寝てるなんて、仲良しだったじゃないの。だいたい、お家が大変だったようだけど引越し先だって教えてもらってなかったし、挨拶だってしないで行ったのに、いきなり家出したから連絡してくれなんて言われてもねぇ。うちに来られても困っちゃうわよね~」
ドアが閉まった音がそこら中に響いていた。ママのいらいらしたスリッパの音が遠くのほうに消えていった。
動かない頭が動き出した。
何言ってんの?由梨花の家が金持ちだったから自慢そうにしてたじゃんか、いつも。由梨花の家と肩を並べるのがステータスみたいに思ってたくせに。
大変になったとたん、そんな言い方するなんてサイテーだよ。
なんだっけ?家出?由梨花が?
ええと、あたしに会いに来るって?
昨日、会って話したときには時間がないって言ってなかったっけ?
脳裏に由梨花の姿がにって笑って、ピンク色の髪の毛がゆれて踊った。
そうだ、なんだっけ。
声を聞いた。由梨花の声を。
だけど疲れてるからか、あたしの頭はまた停止した。
そうして、深くてあまったるいももいろの綿あめみたいな夢の世界に落ちていった。
夢の中で由梨花が言った。
『ねぇ、ピアノの連弾しようよ!あとそれから、ピアノのコンクールもうすぐだよ!練習しようよ、課題曲できるようになった?わたしは更紗みたいに簡単に弾けるようにならないんだよね。たくさん練習しなくちゃだめなの。自由曲はどうする?決まんないとでられないよ。どうしよう?ねえ、更紗どうしよう?』
夢の中で由梨花が困っていた。
遠くのほうで、音がした。ええと、この音はそうそうドアのチャイム。
ああ、誰かが来たんだ。
あれ、由梨花?由梨花があたしの家に来るって言ったって?
そうだ、家出したって言ってた。電話があったって。
あたしの身体の中の血が熱くなってかけ巡るのがわかった。
頭がしゃきっとなって、あたしは跳ね起きた。遠くのほうでママが廊下を歩く音がした。
あたしはあわててドアを開けて階段を下りた。
「更紗ちゃん、お友だちよ」
ママはあたしに優しい微笑みで答えた。
お友だちって由梨花じゃんか、ママったら由梨花の顔忘れちゃったの?あ、そうか髪の毛があんな色してるからわかんないのかな?ほんとにわからないのかな?
あたしはあわてて、ママの横を通り抜けはだしのまま玄関から外に顔を出した。
「ごめんなさい、ちょっと話したいことがあったの」
小鳥みたいなその声、それは由梨花じゃなくて柳美奈だった。相変わらず、声が小さくって元気なさそう。
「外に出られる?」
柳美奈は、まっすぐにあたしを見た。
外に出てる間に由梨花が来ちゃたらどうする?そう思ってあたしは美奈を部屋に入れることにした。
不思議な顔をしながら美奈は部屋の中を眺めながら入ってきた。
「意外にきれいにしてるのね。それに、さっぱりしてて男の子の部屋みたいね」
くすくすと笑った美奈は、学校で見るよりかわいかった。薄いコートの下は水色のプリーツスカートとフリルのあるグレーのブラウスが大人っぽくてかわいかった。
ママは由梨花以外のお友だちの出現にニコニコ顔で紅茶とお菓子を持ってきた。
柳美奈はきちんと自己紹介なんかしたから、ママの評価は満点に近かったにちがいないな、きっと。
「で話っていうのは、由梨花が家出したって私の家に電話があったの。あなたの家にきっと行くだろうから知らせておくべきかと思って。それだけなんだけどあなたたちって不思議な存在だったし、ちょっと興味があったから来てみたわ。おうちに入れてもらえるとは思ってなかったけどね」
そういうと、美奈はあたしの部屋をもう一度見渡した。特に本棚には目が留まったみたいで、『あなたが興味持てるものなんて読んでないよ』と心の中でつぶやいたけど口には出さなかった。
とりあえず由梨花の事知らせに来てくれたんだもんね、ちょっと嬉しかったんだあたし。
話すことも思い当たらなかったから、福島で由梨花に会ったこと今朝帰ったことなんかをポツリポツリと話した。
へたくそなあたしの話を興味深そうに美奈は聞いていた。なるほどって感じで。
もう一度、玄関のベルがなった。
今度は由梨花だって確信があったから、部屋から飛び出した。
美奈もそう思ったらしく二人して、階段を下りていった。
ドアを開けるとピンク色の綿菓子みたいな頭がゆれて笑った。
「もう~~、一緒に連れてってって言ったのに~~さらさのあほ!!」
柳美奈があたしの後ろで、意外にも声を上げて笑っているのが聞こえた。
あわてて、ママが来る前に由梨花を部屋に入れた。ママが来る前に紅茶を取りに行って由梨花が来たけど刺激しないように入ってこないように頼んだ。
だって、ママの中じゃピンク頭の由梨花は由梨花じゃないだろうからね。どんな言葉が飛び出すかわかりきってたし。
ママはうなずいて「じゃ、しばらくしてから連絡することにするわね、ママこれからお友だちと演劇を見に行くんだけど大丈夫かしら?」って
ラッキー!パパはゴルフであたしが帰ってくるのと入れ違いに出て行く音が聞こえてたからいない。
由梨花がなつかしそうにあたしの部屋を眺めてる間に、ママが出て行く音がした。
柳美奈は、話を聞いていたからか由梨花の頭を見ても驚いていなかった。由梨花は昔と違って、天真爛漫って感じで『なつかシィ~』を連発してた。
「どうして家出したの?」
あたしがどうやって話し出そうか考えてる間に柳美奈が、か細いけどしっかりと質問した。
「ん~~、っていうかどうしてあなたがここにいるワケェ~?」
落ち着いた美奈にピンクの頭を振りながら答える由梨花。
「私の家に心当たりはないかって、あなたの両親から連絡があって父から探してあげなさいって言われたからよ」
まっすぐに見つめる美奈に、鼻息も荒く
「わたしはね。あなたに言われたでしょ、八方美人は本当の友だちもできないよって。だから、自分の気持ちに正直に生きることにしたの」
美奈はうなずいて
「ふ~ん、素直なのね。いいことだわ。で、どうして家出したの?」
柳美奈は、やっぱ弁護士の娘だわ。
「あのね、柳にはわかんないでしょけどね。心を揺さぶられる音楽に出会っちゃったの!わたしは」
そうして、あたしのほうを向いて由梨花は瞳を輝かせた。
「ライブハウスにわたしがいたの、わかんなかったの?更紗って声かけたのに、聞こえなかったの?」
ああ、記憶の片隅によみがえってきた由梨花の声。興奮して何か大切なことを忘れてた気がしてたのは、由梨花の声だったんだ。
ライブの時、高鳴った胸をかかえてスポットライトから暗い場所に消えるとき、『さらさ!』って声がした。振り向くと遠くのほうでピンク色の綿菓子が揺れてた。でもそれが何なのか、あたしは考えることをしないでぼーっとしたままステージを降りちゃったんだ。
そうだ、あれは由梨花だったじゃない。暗い中でゆれて手を振ってた。今、目を閉じると後ろのほうの壁に揺れる由梨花の姿があった気がする。
「ごめん、どきどきしてて、忘れてた」
うんうん、って由梨花はうなずいた。
「いいのいいの!その後、わたしは天国を体感しちゃうんだからさ!」
そうか、『DIGGIY ZOON』のボーカルはピンクの綿あめみたいな頭をしてたっけ。あたしは、由梨花がどうしてあのライブハウスにいたのかも、どうしてこんな頭になっちゃってたのかも、その時理解したんだ。あの時なんで急いでたのかも、時間がなかったのかも。
「でね、でね。わたしギター始めちゃったのよ。これが好きでやるのって上達が違うんだわ。わたし、結構いけてるのよ!」
気がつかなかった。由梨花はギターケースをかついでいたの。
そうして、由梨花はびっくりすることを言った。
「私をね、一緒のバンドに入れて!」
え?一緒のバンドって、リュウたちの事?だって、由梨花のギターなんて聴いたことないよ。
それにあたしだって、とりあえずのメンバーだっていうのに。
「あ?ギターなんてできるの?って顔してるわね。ああ、心配ないよ。ピアノは練習して練習してようやく更紗に追いついてたけどさ。ギターはさ、私天性のものがあったんだと思うよ。なかなかのもんだから!」
隅っこのほうで話を聞いている美奈がくすくす笑い出した。
「なにがおかしいのよ!だいたいあなたなんかに音楽なんてわかるわけないわよ!」
由梨花は知らないんだ。美奈が一通りの音楽に優れてること。なんでもできちゃうってこと。
「そうね、あなたの好きなバンドは知らないけど、本当にもういい子ちゃんはやめたんだね。昔のあなただったら『一緒のバンドに入れて』なんて言わなかったかもしれないわね」
由梨花は美奈をにらみつけて言った。
「そうよ。八方美人はやめたのよ。自分の気持ちに素直になることに決めたんだから。もう人の気持ちばかり考えてる私はおしまいにしたのよ!文句ある?」
由梨花は自分の気持ちに素直になることが今、一番のことなんだ。それが自分を大切にできることだって思ってるんだ。
自分のこと嫌いで変えたくてどうしたらいいかわからない気持ちが、まるで自分のことのように感じちゃって、あたしは唇をかんだ。
「由梨花、学校は?学校はどうするの?」
ふと、あたしは思いついたことを聞いてみた。
「な~にを気にしてるのかと思えば。更紗も知ってるでしょ?前の家のすぐそばにおばさんが住んでるじゃん?私ってば、いい子ちゃんやってたから思いっきり可愛がられてたでしょ?あそこ、子供いなくてさ、一緒に住んでもいいって言ってくれてるんだよね」
美奈がうなずいた。
「あなたみたいに素直ないい子を嫌う大人なんていないと思うわ。じゃ、中学を卒業したらこっちに来るのね。面白くなるわ」
ほめてるとは思えない言い方だけど、由梨花はにっこり微笑んだ。
「そうそう、それまで待っててね、更紗。美奈には関係ないと思うけどね」
二人のバトルについていけてないあたしは、とりあえずうなづいた。
由梨花があたしのそばに帰ってくる。それだけで、すごく幸せな気がした。
ピンクの綿菓子はうれしそうにゆらゆらと目の前で弾んでた。なんだか、他にも問題があるような気がしたけど、由梨花が帰ってくることだけがあたしの心を暖かくしてたんだ、その時。
「私だって、信じないだろうけどすごく喜んでるのよ」
柳美奈は、ぽつりとつぶやいた。
それから由梨花は、そのおばさんの家に行くといってあたしの家を出て行った。柳美奈は連絡するように念押しして、手を振った。
めまぐるしい朝がすぎてもうすぐお昼になろうとしていた。
日の光が眩しくて小春日和だなって思うときゅうに眠気が襲ってきた。
あたしは、ママが置いていったみんなの分のサンドイッチまで食べて布団にもぐりこんだの。もう何も考えられなくなっちゃってたあたしの頭の中をリセットするために。
崩壊そして再生
ライブが終わってから、俺の周りでいろんなことが起きてるのを知らなかった。
自分のことだけで精一杯だったから。
福島でライブが終わって、他のバンドの演奏を聞きにライブハウスの入り口から中をのぞいてる時だった。
「リュウノスケくん!」
肩を叩かれて振り向いた。
見たことのある女の人の顔だった。誰だった?この目元、誰かに似てる、何度も挨拶したことがある。いや、一緒に遊んだこともある。小さい頃から。
誰だったっけ?
「ツバサに聞いてちょっと見てみたのよ。なんとかあなたたちの演奏見ること、できたわ。みんな大きくなっちゃってすごく素敵だったよ。うまかったね」
ツバサのねえちゃん。
そうだ、福島のどことかに嫁に行ったって聞いてた。俺らより四つ五つ年上のねえちゃんで、よく面倒を見てくれてたっけ。
甘えん坊で弱虫のツバサはいつもねえちゃんねえちゃんって言ってたっけ。
そうか、見に来てくれたんだ。
俺は頭を下げた。本当に懐かしかったしありがたいなって思って。
「本当はね、心配だったの。ツバサ弱虫でしょ?いじめられっ子だったでしょ?」
いじめられっこ、って言うフレーズは俺のどこかを叩いていた。
「昔ね、本当の事いうとリュウノスケくんに言いにいこうと思ったときがあったのよ。なんだか周りからすごくからかわれてたみたいで」
俺がからかってたんだ。
「私もね子供だったからね、怒っちゃってね、弟が死んじゃったらどうしようって。そしたらツバサに止められちゃって、自分のことは自分で解決しなくちゃいけないんだって。泣きながらね」
胸のどこか深いところが重くなってくる。
「そこからよ、ツバサなんでも思ってること言える様になったの。弱虫は弱虫なりに強くなったのよねぇ」
ツバサのねえちゃんは思い出したように笑った。
ツバサによく似た笑顔。なつかしくて優しい笑顔がそこにあって、俺は小さいころに戻っちまったみたいに小さくなっていた。
「今日は見られて良かったわ。私の顔見ると弱虫にもどっちゃいそうだから、このまま行くわね。あんなに頼もしい弟の顔、私見たことあったかしら?」
俺が止めようと思った時にはねえちゃんはライブハウスのドアを出ていた。
ドアの向こうの闇は俺の何かを連れて行っちまいそうで怖くなった。
そして、あの頃のツバサの事を思った。
思ったって言うより引き戻された感じだった。忘れたくて忘れられない何かに引っ張られるように。
幼い俺たち、くったくない笑顔のツバサ、痛むのは昔のかっこつけた俺。
一番頼りにして生きてきた幼なじみの俺にされた仕打ちは、あいつの中で消化するのにどれくらいのエネルギーを必要としただろう。
ツバサ、本当に折れないで良かった、よく一人で立ってたな。お前が折れてたら今の俺はここにいないよ。
はるか先を見てキッと顔を上げているツバサが、夜の闇に立っているような気がした。
暗闇に向かって俺は頭を下げた。ありがとう。
どこか遠くのほうの出来事のように耳に入ってきたライブ会場の歓声は、俺の体の中を通り過ぎていった。さっきまでの興奮が、少しずつ落ち着いて乾いて行くのを感じていた。
帰り道の記憶はとぎれとぎれにしかなかった。
みんなそれぞれのテンションで自分の眠れる場所に帰っていった。
きっと誰もがはやくベッドにもぐりこみたかったと思う。
自分の部屋に戻るとすぐに眠った。はてしなく深い眠りについた気がする。何日も眠っていたような感じがして、俺は起きるとすぐに今日が何日が見て驚いた。十五時間くらい寝てた。身体中がきしんでいた。胸の中にざわめいているのはライブの興奮なんだか、過去の傷なのかわからなかった。
目を閉じると、ライブの観客の熱気や帰りの車を運転している景色が頭の中をぐるぐるまわっていた。だけど無性に眠りたかった。
俺が誰とも連絡を取らないままで、ライブからもう半月位が過ぎてしまっていた。
バイトの帰りになんとなくエムハウスに寄った。階段を下りていくとレンタルスタジオの懐かしい匂いがした。湿った古い空気の中何かが張りつめているみたいな。
「よう!リュウ!ライブなかなかだったみたいじゃないか、おめでとう!」
カウンターから柔らかな安心する声が聞こえた。
「マサにい!なんか俺、なんもやる気んなんないっすよね~」
スタジオのマスターは母の弟で、駅前のこのビルの持ち主。道楽ではじめた音楽の究極の道楽がこの貸しスタジオって訳で、昔はメジャーの話もあったとかなかったとか。
才能ある若者に手を貸してやって売れっ子を世に送り出してるってのが、一番自負してるところだ。
「お~~、燃焼しちまったか?まだまだ早いだろう、これからってところだろうが」
スタジオの中からがやがやと高校生くらいのバンドだろう瞳をきらきら輝かせて四人の男の子が出てきた。
待合のソファーに腰掛けた俺の横を楽しそうに、幾分興奮気味に帰って行く後姿にマサにいが言った。
「いいねぇ~若さってのはさ。自分の未来が開けてるよね。何の障害もないんだってみんなそう信じてるよな~」
障害か、俺も少し前まではそう思ってた気がする。
だけどなんだろう、目の前に真っ白い壁が立ちはだかってるみたいで前が見えない。
「あ、そうだった。ナオトが昨日来たぞ。なんかえらい興奮してた。お前に連絡してもつながらないってあわててたなぁ」
連絡が取れない、そうだ俺、帰ってきてから携帯部屋に置きっぱなしだ。もう、充電も切れてるに決まってるわ。やばいな、いろんなやつに怒られちまう。
気がつくと春はたしかにやって来ていて、来る途中の町には桜の花びらが風に舞ってきれいだったっけ。
「マサにいは、消しちまいたい過去なんてのあったりする?」
心地いい匂いのエスプレッソを受け取って聞いてみた。
「消しちまいたい過去?ああ、もう腐るほどあるわ。人間心が痛んで傷ついて、そっから変わって行くもんさ」
「そっか」
口に含むとコーヒーの香りが身体中に染み渡る気がして、落ち着いた気分にさせてくれた。
「そうそう、たくさんの人を傷つけたしひどいこともやったもんさ。天狗になってた時期もあるし思い出したくなくて自分の記憶から消してるのだって掘り起こせば出てくるさ。人間は忘れるって事が賢さのひとつだって自分に言い聞かせてな!」
ふいに俺の後ろで名前を呼ばれた。振り向くとナオトだった。
「よう!わりぃな、携帯充電し忘れてた」
ナオトはあきれたようにため息をついて
「冗談じゃねぇよ。携帯つながらねぇし、家言っても誰も出てこねぇし実家まで行っちまったぜ。そしたらよ、お前のお袋家にも来てないって言うからよぉ!こんなに大変な事件が起こってんのによぉ!」
しゃべり始めたら止まらないって感じ。結構心地いい毒舌。
「ツバサには会ったか?あいつバンド辞めるって言い出してよ!どうするんだよリュウノスケ!」
は?どうしてそうなるんだ?
ナオトは更に機関銃のように話し出した。
ライブから帰ってきてからのこと、俺に連絡がつかないと言ってツバサがナオトの大学にやって来た。
ちょうどその時、変なおっさんがナオトに名刺を差し出して言ったそうだ。
『うちの事務所に来ないかね?きみ達いい線いってたよ福島のライブ。ああ、ドラムはこっちで用意させてもらうが』
メジャーへの第一歩だと思ったナオト、だけどドラムを用意ってどういうことなんだと思って聞いてみた。
『ライブは良かった。きみ達何か持ってるのを感じたよ。しかし、ドラムはちょっとまずかった。なのでこちらでいいドラムがいるんでドラムだけ替えよう』
ツバサは横で聞いてたって。
冗談じゃない、ツバサどんな気持ちで聞いてるって言うんだよ。誰だよそのくそおやじ。
「ツバサは?ツバサはなんて?」
ナオトは涙ぐんでいた。
「あいつ、うれしそうに良かったね良かったねって『ぼくだったらメジャーとか思ってないからはずれるよ』って『がんばってね』って言うんだぜ、冗談じゃねぇよ!」
ツバサのばかやろう!誰が喜ぶんだそんな話。
「あのやろう、どもりもしないでさらっと言いやがって笑って行っちまった。それから連絡できないんだ」
どもらないでさらっと?なんで?なんでそんな態度取れるのよ。俺はおまえのいないバンドで音を作ることなんてできないよ。
落ち着いたマサにいの声が響いた。
「まあまあ、待ってろ待ってろ。今ツバサここに呼んだからな!その部屋空いてるからおまえら使っていいよ!少し頭を冷やして話し合うんだな!」
びっくりしてるナオトに俺が説明した。
マサにいはツバサのかあちゃんと同級生で今でも付き合いがある。しょっちゅうメールしたりしてる。それでメールしてくれて、ツバサをここに呼んでくれた訳だろう。
だけど、ツバサはバンドからはずれるつもりなのにここに来るのか?あいつは意外に意志が固いから、こんな時は誰がなんて言ったって絶対来ない、と思うんだけど。
ナオトも不安そうな顔をしてる。俺ら何だかんだ言って付き合い長いからな。
入り口のドアが開いていて黄色い声がさわがしく俺らの名前を呼んだ。
「わぁ~~!ビンゴ!いたいた、リュウとナオトだぁ~~」
ふわふわしたピンクの綿菓子が階段を下りてきてぴょんぴょんはねている。なんだ?こいつ。
「ごめんね、ここにいるかもって言ったら来ちゃったの」
後ろですまなそうに立っているのは更紗だった。
更紗が紹介したピンクの綿菓子は例の友だちの由梨花だった。派手なスパンコールのついた黒のティーシャツにピンクのふわふわのミニスカートの由梨花とひざがやぶけたオールドのジーパンに白のティーシャツの更紗。
こいつら、ま逆な感じの女の子で仲がいいなんてとてもじゃないけど思えないし、ましてや親友なんて感じじゃないね。
更紗の強い曲がらない意志の見える感じも、このふわふわのあまったるそうな綿あめの前ではかすんじまうよ。
「リュウちゃん!わたしギターやるからね!」
いきなり銃を乱射された。となりであわてる更紗。
どうしたんだ?いつもの気迫はどこいっちまったっていうの?
更紗が思いっきりこのピンク頭を愛してるのがわかった。そんな更紗の気持ちがわかっちゃって、まあこのピンク頭、許してやってもいいかなって思ったのは俺だけ?
「てめぇ、何言ってんだ?ギターやれんのかよ、俺たち遊びでやってんじゃねぇのよ!」
少し切れ気味のナオト。
ここにいつもいて突っ走るナオトを止めるのがツバサ。ツバサじゃんか!
「ど、どうしたの?あれ?更紗ちゃんのお、お友だち?」
まったくいつものタイミングで、ツバサが現れた。
そうツバサがいなくちゃ俺らのバンドは崩壊しちまうぜ。
ナオトの心配もよそに優しい顔で、相変わらずどもりながら。
「リ、リュウちゃんとナオトが殴り合いの喧嘩してるっていうから、ああわてて来たんだけど、だ、大丈夫なの?」
ナイスだぜ、マサにい!うそがうまいね!
「そ、そうだぜ、今こいつぶん殴ってやろうって、いやぶん殴ったとこだぜ!」
ナオト、ツバサなみにどもっちまってるけど。うそがへただね!
階段をがやがやと客が入ってきたので、俺たちは空いてるっていうカウンター前の部屋に入った。
ピンク頭も一緒に入ってきた。
「バンド辞めるってどういうこと?」
俺は単刀直入に聞いた。
ツバサは目がそこいらへんを泳いでなんて言おうか考えている。
「なんで、電話にも出ねぇんだよ!連絡取れねぇと困るだろうがよぉ!」
ナオトは完璧頭に血がのぼってんな。
「い今、か、かあさんが入院してて忙しかったから、ごめん」
入院って、どっか悪いのか?マサにい、知ってたんだな、きっと。
「た、たいしたことなくて盲腸だっていうから良かったんだ。で、でも病院行くのが遅くなっちゃって大変なことになるとこだったって、ご、ごめんんね」
頭に血がのぼったナオトは、ここいら辺から冷めてきたみたいだった。俺も少し落ち着いた。
「バンド、このままいくぜ!」
俺は念押しみたいにゆっくり言った。
「でも、ぼくバンド辞めるよ」
ここはツバサ、どもらない。
「なんでだよぉ!」
ナオトが吠える。息を吸い込みながらツバサは唇をかみながら言葉を選んでいるようだ。
「メジャーデビュー、できるかもしれないじゃない。そんな不安定な仕事にはつけないよ。かあさんのこと安心させてあげなくちゃいけないし。だから、バンドは辞める」
本心じゃない。だって、こんな長い台詞、どもりもせずにツバサが言える訳ない。
この台詞は考えておいた、用意しておいた台詞だ。
メジャーデビュー、ツバサいつも夢見てたじゃないか。
「俺ら、あんなおやじの話なんかにのっからねぇぜ!なのにバンド辞める必要あんのかよ!」
ナオトはまた、どんどん熱くなってきてる。
俺はここんとこの、何にもできない自分の話をした。
今話してしまわないと、きっと一生話すことができないような気がしたから。
そして、それはどんどん俺の中で黒いしみになって残っちまいそうだったから。
「俺はさ、ライブ終わってから何にもする気が起きなかった。一つには、俺らのバンドは最高にいい出来だった。だけど、ほかのバンドってめっちゃうまくなかった?メインはさ、プロだからしかたないけどさ。タケたちのバンドだって、もう一つのバンドだって、すげぇいい音出してた」
ツバサの目の色が変わった。
「そ、そんなこと、な、ないよ!ぼ、ぼくは、ううまくないけどリュウちゃんはあの中で一番、か、かっこよかったよ」
俺は、息を思いっきり吸い込んで次の話を始めた。
「それからもう一つ。ライブ会場にツバサのねえちゃんが来てたんだ」
驚いたツバサの顔。胸の中でじんわりと悲しみが広がってゆく。
「弱虫のツバサの事、心配してた。頼もしくなったって言って笑ってた。だけど俺は昔のことツバサと話したこと、無いんだよな。あの頃のこと俺、言葉にできないでいつまでももがいてる。思い出すだけでここんとこが痛くなるんだよ」
俺はシャツの胸のとこを右手で掴んだ。
「俺はさ、いつまでもいつまでも、過去の自分から逃げてるんだよ!そんなやつにさ、人の心に届く音なんてつくれる訳ねぇよな!そう思うとギター握るの怖くなっちまってさ」
不覚にも涙があふれそうだった。
中学の頃から一度も触れたことの無い、逃げてきた俺の過去。
俺の中にある自信やうぬぼれやそんなものが、崩れて行くのをこの数日感じていたんだ。
音がつくれないって思った。曲なんてうそっぱちだって感じた。
俺なんてこんなもんだって、バンドのメンバーに会えないってそう思うとどうしていいのかわからなかった。
「ばっかじゃないの!」
ぴんくの頭がゆれてまっすぐに俺を見据えている。
「過去の自分が嫌いなら嫌いでいいじゃんか!その自分がいるから今の自分がそれを踏み台にしてのし上がってきたんだからさ!そんなのがないやつは、それだけの厚みの無いやつにしかなんないんだからさ!」
由梨花は、うっすら目に涙をためて俺を見て大きな声を出した。
「自分ばっかつらい過去しょってるなんて、うぬぼれてるよ!」
由梨花は自分の胸を叩いて
「わたしはさ、八方美人でさ、人と違う意見なんて言えなかったのよ。嫌われるのがいやでさ。だけど、更紗は違ってた。人にどう思われようと自分の感じたことが一番だった。わたしはさ、更紗になりたくてなりたくて、かわりたくてかわりたくて、でも変われない自分が大っ嫌いだったのよ、ずっと」
更紗が由梨花を見つめていた。
「でもさ、更紗に忘れられちゃうって思ったとき、すべてを飲み込んで自分を越えれるかもしれないっておもった」
由梨花は、俺を指差して大きな声で言った。
「今さ、今まで言えなかった事、言えたじゃんか!今さ、今越えたんだよ、リュウ!」
なんなんだ、この桃色綿あめは!
ナオトが横からどなる。
「おめぇ、なれなれしいんじゃ、ボケ!メンバーじゃねぇのによぉ!だいたいそんな台詞は俺が言う台詞だ、こらぁ!」
かなり、言葉が荒くなってるナオト。でもこの言葉には、ナオトのこいつなりの愛情があるのが感じられたんだ。なんだか俺はメンバーに戻ってきたみたいな気がした。
そして、ナオトは俺とツバサに向かって言った。
「だいたいよぉ、バンドなんて世の中にどれだけたくさんいると思ってんのよ。自分たちが楽しまなきゃ楽しい音なんて作れないんじゃねぇの?ツバサがいなくてリュウがいい音つくれる訳ねぇじゃんか!」
俺は、頭を下げた。
「ツバサ昔の話だけど、俺あの時のこと、謝りたいんだ。ずっと心の中で思ってた。悪かったな、ごめんよ」
はじめて、言葉にしてツバサに伝えた、悪かったと。もっともっとはやく言いたかった言葉。ずっとずっとつかえていた塊。こんなちっぽけな一言では言い表せない気持ち。
ツバサが上を向いて、何かをこらえてる。
「じ、じょうだん、じょうだんじゃな、ないよぉ。ぼくは、あれがなかったら、いいまいないよ、バンドのメンバーになってないよ」
まっすぐに俺を見て
「リ、リュウちゃんじゃなかったら、いじめられた、あ、相手を恨んでそれでおしまいだったかもしれないよ。ひ、ひ一人で生きられるようになりたいって思わなかった、ぼくきっと」
ツバサの言葉は、俺の中で宝物みたいに光って聞こえた。
「決まったね!昔のことは昔のこと、これからはこれから!」
更紗の落ち着いたトーンの声がその部屋に響いた。
ツバサが困った顔で聞いた。
「で、でもメ、メジャーデビューのは、話は?」
更紗は動じない。
「メジャーデビューは、まだまだだって事だよ。だって今ようやくみんな一つになろうって訳でしょ?それに、もう一人メンバーになるかもしれないんだよ!」
ナオトがへって顔。
ピンクの頭がぴょんぴょん跳ねた。
「そうだよ、ツバサがいないとリュウもナオトも楽しい音楽にならないんだってさ!とりあえず、わたし由梨花がギターをひきまぁ~す!わたしって天才だから聞くまでもないんだけどね。ギター二本あると厚みでるんだからぁ~~!」
こいつは、なんでこんなになれなれしいんだ?
それに、更紗までメンバー入りを決めてるってのはどうよ?
由梨花がギターを引き出した。俺たちの一番新しいお気に入りの曲。
なんと、俺のパートを完璧にこなして自分の音にしてる。
ちょっとびっくりしたのは、俺だけじゃないみたい。
ナオトもツバサも狐につままれたような顔ってこんな顔のこと言うんだろうな。固まって由梨花の流れるような指を見ていた。弾いた音を聞いていた。
ゆれるよ、ゆれる、north wind
待ってるよ、待ってspring wind
きっと来るよ、きっとsouth wind
音が弾けて俺の胸に飛んでくる。
俺の音とは違った、また魅力的な音だ。
更紗も歌いだした。
飛ばされないよ
迷わないよ
立ち止まらないよ
ここにいるよ
手をのばしてsweet wind
ロータリーは急ぎ足?
それから俺たちは、路上ライブを計画した。
みんなやる気満々って感じで、特にピンク頭は練習のある土曜日には毎回、福島から出てきたんだ。
当たり前って顔でメンバーになっちまってるのも不思議なことだけどな。
更紗はツバサに付っきりで、テンポがくるうと何度もやり直しをさせた。
そうして、何度目かにかっこいい帽子とサングラスを持ってやってきた。ツバサにかぶせると
「最新兵器だよ」
と言って笑った。
「なんでなんでぇ~?」
と脇でツバサの帽子やサングラスを自分にかぶせたりしてポーズをとってる由梨花に
「集中できる時間が短いみたいなの、普通の人より。その時に視界に入った人や物に気が取られちゃうとテンポが狂うんだと思う」
ぶんぶんと頭を振って、ピンクの髪の毛を揺らす由梨花。
「注意力散漫ってことだね!」
俺とナオトは顔を見合わせて、ふ~んとうなった。とうのツバサはまんざらでもない顔でうれしそうだ。
だけど不思議なことに、帽子とサングラスをかけるとツバサのドラムは最強になった。
アップテンポもスローな曲も、安定したリズムを刻む。
本当にそれだけで、こんなにかわるもんなんだろうか。
気が散るってツバサはどこ見て何を考えてたんだろう。
「おっまえ、なんでそんなことわっかんのよぉ~?すっげえなぁ、尊敬しちまうよ」
とナオトが言えば
「私の更紗のこと、そんなにほめないでよぉ~、照れちゃうわぁ~」
と由梨花がめちゃめちゃうれしそうに身体をしならせる。
「そんなに喜ばなくても、わた飴をほめたわけじゃねぇよ」
この二人のやり取りはいつでも行ったっきりで終わりが無い感じですかね。
「みみみ、みんなも帽子とかかぶる?なんだかかっこよくなった気がし、しちゃうよ」
黒のつばのついた帽子は、なかなかツバサに似合ってたし、サングラスも柔らかいツバサの顔立ちをシャープにして、かっこよかった。
「俺は、グラサンかけようかなぁ」
ナオトはたまにサングラスをかけてることがあるから、いいかもね。
「俺は、いいや」
と言うと
「あたしもこのままでいい」
と更紗と目が合って笑った。なんだか、いろいろなことがあって今本当のバンドが結成されたような気がする。
由梨花はリードギターを奏でる。俺のギターはその音に厚みをもたせて増幅する。
ドラムの安定したリズムにナオトのベースが腹の底に響く。
やわらかいキーボードは気ままにさまざまな音符を揺らす。
俺たちは、ロータリーで自分たちの音を奏でた。
まっすぐに続く大きな道路の脇の、まだ細い幹から初々しい緑の若葉が元気良く風に揺れている。
たった三人だった俺たちのバンドは、いつのまにか五人になっていた。
静かに自分を大切にする更紗のキーボードの音が、すき間無く俺たちを埋めてゆく。
サングラスと、やけに帽子が似合ってる幼なじみのツバサはぴんとはった集中モードでドラムを叩く。
決してぶれないその音を信じて俺は、弦を弾く。
すべてを知ってるくせに知らないふりのナオトは、相変わらず兄貴を意識したベースの音。
だけどきっといつか兄貴を越えて自分の音を見つけるだろう。
得たいのしれないピンク頭の由梨花は周りに愛想を振りまいているけど、いい音出してるし間違わないのは、ツバサと大きく違うとこだね。
気がつかないけど
ほら、ここに
ツバサがはえてる
ほら、見える?
信じなくてもいいけれど
ツバサ広げて行けるのさ。
誰も見ない景色さえ
俺らにゃ見えるさ
fly away
fly again
in my dream
俺たちのバンドの名前は『竜の翼』から『pink wings』になった。
もちろん、由梨花が言い出したんだ。あまりにもベタだ、ってさんざんけなされてさすがにナオトも怒ったけど、本当に前のバンドとはまったく別のバンドには違いないからね。
ロータリーには、急行が着いたのかたくさんの人たちが現れては消えてゆく。
前回の路上ライブと大きく違うことがあった。
みんなが何分間か俺らの曲を立ち止まって聴いてくれる。そうして、たまにある程度の人ごみができる。
まあ、前回の男ばかりのバンドと違って、今の俺たちには色があるからね。
特にピンクのふわふわした頭をゆらせてウィンクしてる誰かさんは、やっぱ目立つでしょう。
それでも、曲が終わったときに『アルバムとか売ってないんですか?』なんて聞く人がいる。
なんだか、ものすごく進歩した気がした。
俺らの曲、もう一度聴いてみたいって思ってくれたってことじゃんか。なんだか胸が熱くなる。
ああ、俺らの音は、弾けて誰かの心に響いてるんだ。
自分の音は羽ばたいて遠くのほうまで飛んで行けるんだ。そう思うと、身体中が熱くなってゆく。
通行止めになっているまっすぐにのびたこの大通り。
いつか、まっすぐにどこまでも進んでゆくことができるのかもしれない。
どこにつながってるのか、何に向かってるのか、まだわからないけど、たしかに目の前にこの道が続いてるんだ。
三人からスタートした俺たちは、歩道橋で更紗を拾って由梨花が加わって、今までよりさらに大きくなろうとして、進んでゆく。
俺たちが作る音を、周りに発信しながら。たくさんの人の心に響くことを願って。
だだっぴろいこの世界のどこまで届くかわからないけれど。
大空の景色さえ
俺らの手の中さ
fly away
fly again
in my dream
さあ、背中にはえた翼
大きく羽ばたかせて
飛ぼう、
高く大きく
大空の中へ
fly away
fly again
in my dream
俺らの音がはじけ飛んで、歩道橋を通り過ぎてゆく。
そこに、更紗と同じ年頃の少女が真剣に俺らを見ている。笑みがこぼれて、さわやかな風が吹いてゆく。
音が空高く舞い上がる。遥かかなたまで。